もくじ
ゴルフの石川遼のことを
「石川遼くん」
と言う人がいる。
フィギアスケートの浅田真央のことを
「浅田真央ちゃん」
と言う人がいる。
卓球の福原愛のことを
「福原愛ちゃん」
と言う人がいる。
別にどうでもいいのだが、なんとなく違和感を覚える。
クンづけに対する違和感の正体は?
東スポなんかでグラビアアイドルを紹介するときに、
「今話題のグラビアアイドル〇野〇子クン(23)」
「お色気タップリで、本誌記者、愚息も昇天!」
などと、名前を〇〇クン、と表記しているが、
「石川遼クン」
「浅田真央チャン」
「福原愛チャン」
に対しては、あくまで個人的になのだが、なんだかアレに似た印象を受け、違和感を覚えるのである。
親しみを込めて呼ぶ
まあ、石川遼クン、浅田真央ちゃん、福原愛ちゃん、と呼ぶ人々の心理としては、その選手が子供の頃から応援しているので、成長を見守ってきた親戚の子の様に感じてそう呼んでいるのかもしれない。
そのため私は、くん付けや、ちゃんづけで呼ぶことをどうこう言っているのではない。
ファン同士で
「真央ちゃんが引退なんて信じられない!」
と言い合っているのも全く問題がない。
また、家でひとりで
「石川遼くん頑張ってるなあ」
などと言っている分には全く問題ないのだが、浅田真央や石川遼に全く思い入れのない者に突然、
「石川遼くんが」
と話しかけてくる人がいるので困るのである。
何年か前に取引先の者が
「石川遼くんも・・・」
などと赤の他人の私に話しかけて来たので
「あんた石川遼の知り合いかよ!」
と言いたくなったのである。
そのため、彼らのことをクンやチャンを付けて呼ぶ場合は、くれぐれも彼らに思い入れのない者を巻き込まないようにして欲しい。
錦織圭の場合は?
その点、同じように子供のころからメディアに取り上げられ、日本国民として成長を見守ってきたアスリートの類である、テニスの錦織圭のことを
「錦織圭くん」
などという者は、あまり見かけないので
「錦織圭ファンは錦織圭のことを、例え錦織圭くんと読んでいたとしても、ファンではない私たちの耳には入らぬように配慮しているのか」
「偉いぞ!錦織圭ファン!」
と思っていた矢先、錦織圭はP&Gの企業CMにおいて、〝錦織圭、母の強さを語る〟というテロップが表示されたあと、見るからに霊長類ヒト科ホモサピエンス車だん吉派丸出しの顔で、カメラ目線で視聴者に、独特の舌ッたらずな話し方でこう語りかけてくる。
「アメリカ留学で旅立つとき、一度も振り返らなかったんです」
「お母さんの気持としては、寂しい思いはあったと思いますけど」
「心配している気持ちを出さずに(と、ここで自分の発言に対してウンウンウンウンとうなづき)」
「いつものように(ウンウンウンウン)」
「お母さんが送り出してくれました(ウンウンウンウン)」
「お母さんも自分の気持ちと闘っていたんだと思います」
「お母さん、ありがとう」
なあにがお母さんだこの野郎!
気持ち悪いんだバカ野郎!
いい年してお母さんお母さん言ってんじゃねえ!
と思い、錦織ファンは偉くとも、錦織自身に赤の他人に、お母さんお母さんを連呼する大欠陥、大問題があったことが判明したのである。
つりばんど 岡村
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