【ビッグムービーとザ・マジックアワーは似ている】スティーブ・マーチンをもっともっと観よう!

ああスティーブ・マーティンよ!

「スティーブ・マーティンほど日本で正当な評価をうけていない俳優はいない!」

と思っている。

この、スティーブ・マーティン、日本では、知っている人は大・大・大好きで、知らない人は全く知らないという珍しい俳優である。

映画好きと言う者にスティーブ・マーティンのことを話しても、だいたい

「誰?」

と言われるので、仕方なくスマホで検索し、出てきた画像をみせても

「あー、はいはい、裸の銃を持つ男の!」

などと勘違いして納得しかけるので

「や、レスリー・ニールセンじゃねえから!」

と言うも

「ああ、〝動くなよ!弾が外れるから!〟の人か!」

と更に勘違いをするので

「だから〝俺がハマーだ!〟でもねえから!」

と話はどんどんこんがらがってくる。

そのため、私は

〝日本人、白髪のアメリカ人、みんな同じに見える説〟

を唱えたくなり、ああ、スティーブ・マーティンよ、どうしてあなたは日本で正当な評価を得られていないのか…とやや悲しくもなるのである。

スティーブ・マーティンとは?

 

※画像は『花嫁のパパ』。花嫁のパパ2もあるよ。

スティーヴ・マーティン(Steve Martin, 1945年8月14日 – )は、アメリカ合衆国テキサス州ウェーコ出身のコメディアン、俳優、脚本家。『サタデー・ナイト・ライブ』出身[1]。イングランド、スコットランド、アイルランドの血筋を引く。自称「世界一面白い白人」。

引用:Wikipedia。

で、日本で彼の作品を観たければ、TSUTAYAに行きましょう。

で、TSUTAYAの洋画のコメディコーナーへ行きましょう。
そこに、埃をかぶったいくつかの作品が並んでいます。

なるべく80年~90年代の作品が個人的にはお勧めです。

まずは、『サボテンブラザーズ』『花嫁のパパ』『大災難』が入り口としてお勧めです。

なんというか、彼の出ている作品は、ハラハラはあんまりなくて、優しい気分でアハアハと笑って観られる作品ばかりです。

ビッグムービー

で、今回私がお勧めしたいのは、『ビッグムービー』(1999)という映画。

スティーブ・マーティンものは、日本では劇場で公開されないものが多く、先述の通り日本では黙殺されがちなのですが、これなどはその最たる作品。

かのエディー・マーフィーと共演している上、とんでもなく面白いのに、私はくやしい。

あらすじ

弱小映画プロダクションの売れない映画監督ボビー・バウフィンガー(スティーヴ・マーティン)は、自身の新作としてSF映画を撮ることを決意。
スタジオの洗車係をするデイヴ(ジェイミー・ケネディ)にこっそり機材を調達させ、売れない女優のキャロル(クリスティン・バランスキー)を主演女優に抜擢するもさっそく資金の問題が壁となって立ちはだかる。

しかし映画会社の重役ジェリー・レンフロ(ロバート・ダウニー・Jr)から人気スターのキット・ラムジー(エディ・マーフィ)を起用すれば資金を約束されたボビーはさっそくキットに出演交渉を持ちかけるもあっさりと断られてしまった。

だが何とか映画を撮ろうと躍起になるボビーは、キットの隠し撮りを敢行する。

引用:Wikipedia

作品作りの必要なスターに出演を拒否されたが、諦めきれず、苦肉の策ではあるが、そのスターの日常生活を隠し撮り。

そこに映りこむように勝手に役者を送り込み、演技をし、セリフを言わせて強引に作品にしていく中で起こる珍事件の数々。

もう、爆笑につぐ爆笑!

で、登場人物たちの映画愛に、最後はちょっとウルッとしたりして。

笑えてなけるって、こういう映画だよなあ、と。

ザ・マジックアワー(2008)とビッグムービー(1999)は似ている

ここからは勝手な思い込みなのだが、勝手に隠し撮りして映画を撮影するってなんかの映画に似てると思いませんか?

で、撮影してなんか最後、ちょっとウルッとしたりしてって、そう三谷幸喜監督作品『ザ・マジックアワー』(2008)に似ています。

『ザ・マジックアワー』は、もしかしたらこの映画にヒントを得て作られたんじゃないかなあと思う。

誤解の無いようにいっておくと、『ビッグムービー』は、スターの日常に役者を送り込んで隠し撮りするのに対して、『ザ・マジックアワー』の場合は、役者を一般人の間に送り込んで演技させて、撮影はしていないという、視点がまったく違うのでパクリでは決してないが。

スティーブ・マーチンを讃えよう!

この記事を読んでくれている方は、スティーブ・マーティンが好きだからこそ、ここまで読んでくれていると思うのだが、もしも彼の作品をご覧になっていない方は騙されたと思って観てみてください。

好きな人と一緒に観たりするといいと思いますよ。

スティーブ・マーティンの出ている映画にハズレなし!

ですよね?

というか、彼が出てくるだけで私が満足してしまうので、もしかしたら駄作なのかもしれないが、私にとってはハズレなし!

自己満足以外の満足なし!

とやや強引に話を終える。

【映画〝勝手にふるえてろ〟】ネタバレあり。感想、及び勝手なイチャモン。

松岡茉優 映画初主演作品、綿矢りさ原作、『勝手にふるえてろ』

ある映画評論家が

「映画とはイイ女を観るためのもんである」

というようなことを書いていたが、そんなことを言ったら、藤山直美主演の『顔』を観に行った俺の立場がねーんだよ!

むしろ見どころがイイ女というだけのアイドル映画なんぞは観てらんねーの!

と常々思っている私が、主義主張を一切無視して

「ただ単に松岡茉優を観たい!」

有名人にちゃん付けのヤツが嫌いなくせして、そういうイデオロギーも一切無視して

「松岡茉優ちゃんを観たい!」

という、いい年をして気持ちの悪いことを考えながら映画館に潜入。

偉そうに感想を書きていくことにします。

※画像は藤山直美主演、タイトルはずばり『顔』。別に許してもらわんでもええよ。

この映画、不気味だけど面白いよ。

あらすじ

24歳のOLヨシカは、絶滅した動物への変質的な愛と、まともに会話をしたことさえない中学の同級生〝イチ〟への10年にも及ぶ脳内片思いを引っ張り続けて恋愛経験の無い女。
そんなヨシカに会社で働く同僚〝ニ〟から突然、人生初の愛の告白を受ける。
告白を受けたことは素直に嬉しいが、片思いのイチへの執着抑えがたく、ニに対しての恋愛にも本気になれぬ状態が続く。

脳内恋愛の彼氏か、リアルな彼氏かの間に挟まれ、何を信じていいのかもわからぬまま思いつくままに暴走する、空耳アワー大好き女の恋愛コメディーである。

40を超えたオヤジが一人で観に行くにはまことに似つかわしくない作品だが、ハッキリいって観ていて泣きそうになったのである。
(生き恥)

なので、オッサンが一人で観に行っても大丈夫です。
(それはオッサン自らが決めることではないような気がする)

勝手にふるえてろへの感想

小気味良いリズムでジャブのように繰り出されるギャグと、カッコいい映像で、まあ、一言でいえば、オシャレ映画。
且つ、松岡茉優の演技力の高さ。
飽きのこない鬼ごっご的なストーリー。

ギャグもストーリーも女性向け。
同年代の女性なんかは身につまされたりしてなかなかに高評価ではないかと思われる。

松岡茉優を大画面で、ドアップでこれでもかと観続けられるのでファンは必見である。

あえて映画にイチャモンをつける

私としては、映画を楽しめた半面、観に行った目的が松岡茉優を観るためだけだったとは言え、正直、脳内彼氏(イチ)にも、リアル彼氏(ニ)にも感情移入できず。
彼氏役に感情移入できない恋愛映画は、観ていてただただ彼氏に対して

「なんでこんな野郎に!」

とムカついて悔しいだけ。
『モテキ』にしても、同様。

男性陣に感情移入てきない理由①~ニの振舞い~

私なんかこいつが初めて二人で行ったデートで、クラブで酒飲んで吐いて

「もっと他のところ行きたかった」

だの

「安酒がどうのこうの」

などとクダまいてるシーンで、このキャラが嫌いになりましたからね。
ここでこいつを嫌いにさせる必要があったのかと。

「すみませ~ん」

とかっこ悪く吐く程度でよかったではないか。

それがあって、まったく感情移入できん。
もうちょっと、冒頭の段階でこいつに愛すべき要素をいれておくべきだったのでは?

男性陣に感情移入できない理由②~ニがヨシカに惹かれたのは顔だけでしょ?~

そもそも主人公ヨシカに対して、こいつが告ってきたのって、ただ単に可愛いからだけでしょう?
他に対した接点もないわけだし。

胸に付箋がどうのこうのというのは、あくまで後付けの理由である。

「ただ、可愛かっただけ」

で近寄ってきただけなのである。

それなのに正直ここまで面倒くさい主人公に一生懸命愛を注いだりするか?
もっと明確に

「こうこうこうだから、ニはヨシカに対して強く惹かれていったのである」

が無いので、物語としてヨシカとニの恋愛が、薄っぺらくなってしまっている。

男性陣に感情移入できない理由③~イチのキャラが謎すぎる~

で、脳内彼氏のイチだが、こいつは最初から最後まで何者だったのかが不明である。

いじられキャラでいじめられっ子でミステリアスで終始よくわからんヤツ。

で、最後は、なんかヨシカの名前を知らなかったというだけで、なんとなく嫌な奴で締めくくられてしまったが、実はイイ奴なんじゃないか?

ヨシカとの趣味は合うし。
名前を覚えればいいわけだし、10年間にも及ぶ強い片思いの意味は?!

名前を知らなかっただけでは、つじつまがあわんだろうが!やいやい!

と思ってしまった。

映画『勝手にふるえてろ』全てを根本から覆すイチャモン

こんなことを言いだしたら、まったくすべてを台無しにしてしまうのだが、だいたい松岡茉優のようなイイ女が、24年間恋愛経験が無く、誰からもまともに相手にされていないなんていうところが腑に落ちん。
今まで誰にも相手にされなかったキャラなんだから、先述の藤山直美に主演してもらえ!

って、それじゃ誰も観に来ないか?
俺は観に行くけどね。
多分。
っていうかまあ、行けたら行くけどね。

松岡茉優の魅力全開!

映画を観終わった率直な感想は、

松岡茉優よ!イチもニも捨てろ!
二人とも捨てて俺んところへ来い松岡茉優!

俺んトコへ来て、女優でますます頑張って俺を食わせてくれ!

と虫がいいにもほどがあることを思ったのである。

(思えばー?)

【探偵はBARにいる3】原作ファンによる原作含有率調査報告! 【ネタバレ注意】

東直己著 小説、ススキノ探偵シリーズ

 

まず、ススキノ探偵シリーズですが実の所、探偵というか便利屋です。

そのため、ススキノ便利屋・俺シリーズなどとも書かれることもあります。

このシリーズ、1992年のスタートから2017年12月現在は、以下の12作品があります。

『探偵はバーにいる』

『バーにかかってきた電話』

『向こう端にすわった男』
  
 短編集:掲載作品は「向う端にすわった男」「調子のいい奴」「秋の終わり」「自慢の息子」「消える男」

『消えた少年』

『探偵はひとりぼっち』

『探偵は吹雪の果てに』

『駆けてきた少女』

『ライト・グッドバイ』

『探偵、暁に走る』

『半端者―はんぱもん―』

『旧友は春に帰る』

『猫は忘れない』

 

どれも、センスのいいギャグと切ない物語とで、本は分厚いのに一気に読めるという最高のエンターテイメント作品です。

このシリーズの主人公は〝俺〟であり、作中にも名前は登場しません。映画でも呼ばれません。

〝俺〟は、ススキノ探偵シリーズの主人公ですが、東直己の他のシリーズ、榊原健三シリーズや他にもフイに脇役として出て来たりするから東作品の横の繋がりで読者としては楽しみなんですよねー。

映画では、探偵はBARにいるシリーズ

 

さて、ご存知のように、2012年9月に大泉洋主演で映画、『探偵はBARにいる』が制作され大ヒット!

2013年5月には第二作の『探偵はBARにいる2―ススキノ大交差点―』、そして2017年12月に第三作の『探偵はBARにいる3』が公開されました。

斜陽と言われる映画界において、どれも貴重なヒット作となっています。

原作ファンとしても札幌が舞台だし、大泉洋も大好きだし、

『とにかく例えスベったとしても、みんなで暖かく見守って、長く長く続いて欲しい!』

と願うシリーズなのです。

楽しみなのは、映画の原作を想像すること!

 

原作ファンとして、映画化が発表されるたびに楽しみにしていたのが、映画の原作がどの作品になるか?ということ。

第一作と、第二作の原作は、第一作が、電話でしか登場しない依頼人のコンドウキョウコに翻弄される『バーにかかってきた電話』。
第二作が、ニューハーフバーで働くマジックが得意なマサコちゃん殺害事件を調査していく中で大事件に巻き込まれていく『探偵はひとりぼっち』。

で、第三作の公開決定!

発表と同時に

「なんだなんだ?」

「次は何だ?」

「消えた少年やってほしいけどー」

「いや、ここは探偵は吹雪の果てにでしょー!」

と盛り上がり(といっても一人でだけど)

〝探偵はBARにいる3 原作〟

とかで検索をかけるがヒットせず。

で、公開まじかになって

「原作をもとにしたオリジナルストーリー」

であるらしく、ズッコケたりしてたんだが、公開初日に観に行ってみき、小説を読み返して、どこがどんな風に原作をもとにしたオリジナルストーリーなのか原作ファンとして分析してみました。

 

探偵はBARにいる3の原作は・・・

 

原作は、なんと、小説第一作の『探偵はバーにいる』がだいたい30%、小説第11作の『旧友は春に帰る』が2%、残りの68%が全くのオリジナルだという結果になりました。

%の割合は、私の独断と偏見です。
独断と偏見の塊です。

ので、苦情は恐いので、広い心でお願いしまーす!

 

探偵はBARにいる3のあらすじ(ネタバレ注意!)と、私的な原作含有率

 

大学の後輩にあたる現役大学生の男、原田誠(前原滉)から、同棲している短大生の彼女である諏訪麗子(前田敦子)が行方不明になり探して欲しいと依頼を受ける。

困っている人を助けずにはいられない性分の主人公、俺(大泉洋)は、軽い気持ちで調査に乗り出す。

で、依頼人の原田誠へ報酬の要求は「払えるだけでいいよ」と言うところ。

一方、行方不明の諏訪麗子は彼氏に内緒でデートクラブで働いており、大事件に巻き込まれていたのであった。

でも、事件解決後にのほほんと帰ってきて、探偵が彼氏に適当な理由をつけて無事元サヤに収まる。

 

というのが、原作の『探偵はバーにいる』の30%。

 

また、

現役を退いて何年も経った伝説元娼婦、モンロー(鈴木砂羽)が登場するところ、と、

「忙しくなる前に、まずたっぷり寝る」

という意味合いのセリフのその部分だけ、『旧友は春に帰る』のエッセンスが2%配合されているのです。

また、映画では原作の『探偵はバーにいる』にモンローのヒモである〝ハル〟というクズが登場しますが、映画では志尊淳演じる、波留(ハル)という名の敵役の用心棒が登場します。

が、ただただ名前がハルなだけで原作とは無関係につき、%には含めませんでした。

改めまして、『探偵はBARにいる3』の原作は、小説第一作の『探偵はバーにいる』がだいたい30%、小説第11作の『旧友は春に帰る』が2%、残りの68%が全くのオリジナルであるとして、当ブログの結論といたします。

(すればー?)

これから原作を読む人へ

映画が面白くて、これから原作を読もうって人は、まず主人公の〝俺〟のイメージが崩れてガッカリする可能性がありますので、あらかじめ注意が必要です。

まず主人公の俺は、映画では大泉洋さんが演じ細身でスポーティーですが、原作では、デブです。

想像では東直己さんに近い体形です。

 

※写真は、映画『探偵はBARにいる3』にカメオ出演している東直己氏。

 

映画同様、派手に動きまくりますが、すぐに息切れしたりします。

大泉版の俺が好きな人は脳内で洋ちゃんに置き換えて読みましょう。

そして、映画ではネクタイは信条としてしない的で、ラフな格好をしていますが、原作では非常にこだわってダブルのスーツなどを着用しています。
見方によってはただただガラが悪いチンピラですので用心しましょう。

 

※〝俺〟は、どちらかというと、画像のリリー・フランキーさんのような恰好です。

 

原作好きはそこが好きなんだけどねー。