【高田文夫著】誰も書けなかった「笑芸論」 ~森繁久彌からビートたけしまで~のネタバレと感想。

あなたが初めて会った芸能人対決

もしも

「あなたが初めて会った芸能人は誰ですか?」

という質問があり、答えた芸能人の偉大さで勝負する

〝あなたが初めて会った芸能人対決ゲーム〟

という大会があったら、私は優勝する自身がある。

なぜなら私が初めて会った芸能人は天下の喜劇人、名優、森繁久彌だからである。

私に勝つ自信のある方からの挑戦待ってます。

まあ、会ったって言っても小学校の修学旅行で京都の東映太秦映画村に行って、『白虎隊』の撮影してるときにディレクターチェアに座ってたところみただけなんだが。

高田センセーの場合

私の場合は、森繁久彌さんをチラっとみた程度なのだが、今回紹介する本の著者、生粋の江戸っ子、高田文夫氏はチラっとみた程度じゃない。
世田谷の実家が森繁久彌邸の目と鼻の先で、森繁久彌の家の柿を盗んでは森繁本人から追いかけまわされたり、拾ってきた犬が可哀想だが、飼ってもいられないので、苦肉の策として森繁邸にその犬を捨てたら、きちんと森繁が飼ってくれたりしたという、子供の頃から森繁とガッツリ絡んでいたのである。

そんなイタズラ坊主がそのまま大人になったような人物が高田文夫、敬愛を込めて高田センセーについて我々世代は

「高田ギョロメ文夫」

「オールナイトニッポンでビートたけしの話を聞いてゲラゲラ笑っていた人」

「松村邦洋がバウバウと物まねする人」

という認識ぐらいしかないかもしれない。

私でも、高田センセーがときどきテレビに出る放送作家であることは知っているのだが、具体的にどんな仕事をしていたかは知る由もなかったのだが、今回この本を読んで私がいかに幼少の頃から高田文夫の笑いのお世話になり、笑いの人格形成に役立ったかを再認識したのである。

お世話になっていたことを気が付かずに申し訳ありませんでした。

誰も書けなかった「笑芸論」

さて、この本は、高田文夫センセーが、2012年に不整脈で倒れ、八時間に渡る心肺停止。偶然近くにいた奥さんの発見が早かったことと、手術の成功で復活。
リハビリがてらということで、小説現代で「とまる走馬燈」と題して連載した笑芸に対するエッセイをまとめた第一章『体験的「笑芸60年史」』、第二章『ビートたけし誕生』と、書下ろし第三章『自伝的「笑芸論」』を足して一冊にしたものである。

2018年、文庫化されました。

第一章では

森繁久彌

三木のり平

青島幸男

渥美清

林家三平

永六輔

古今亭志ん朝

森田芳光(大学の後輩だそうな)

立川談志(高田センセーの落語の師匠)

三波伸介

景山民雄(ライバル)

大瀧詠一

坂本九

という錚々たる顔ぶれとの思い出や秘話などを語る。

第二章では

戦友ビートたけしとの出会いや裏話などを語る。

いやあ、ビートたけしが戦友なんてなんて心強いことか。

第三章では

自らの生い立ちと、笑芸との関わりを語っている。

この本のすごい所

何がすごいかと言ってこの本は、そんじょそこらのよくあるお笑い評論家が書いたような、聞きかじった話は一切なく、すべて自分自身が実際に直接会って見聞きしたことを書いているのがすごい。

第一章の笑芸人たちとのそれぞれのエピソードはどれもこれもすごい。

笑うだけじゃなくて泣きそうになる。

また第二章、ビートたけしとの秘話。

1980年直前はアイドル黄金時代。
お笑い芸人は、いわばその添え物的存在であったそうな。

そんな中、笑いの台本が書きたいが、仕事はアイドルの台本や古参の芸人のコントばかりで忙殺される日々。
新しい笑いの仕事がしたいが出来ない鬱屈とした日々に、

「浅草に凄ぇのがいるよ」

と紹介されて会ったのが、超くすぶり中のビートたけし。

今となっては信じられないが、時間が腐るほどあったビートたけしを電話で呼び出して鬱屈した者同士で毎晩のように飲みながら笑いを作り、当時やってきた空前の漫才ブームに乗っかりながら、『ビートたけしのオールナイトニッポン』という盤石な陣地へシフトして世の中を席捲していくまでの話を、高田文夫以外に誰が書けるかという話で、この辺の出来事や、昭和の笑いに興味があるなら買って絶対に損はしない本である。

また、随所に江戸っ子に伝わる言葉があり、田舎者の私が憧れてしまうところである。

文庫本の解説は宮藤官九郎

文庫本の解説は、高田文夫に憧れ、高田文夫になるために、今話題の日大の、芸術学部に入り、のちに高田文夫から悪質タックルをかまされることは勿論なく、

「このままでは落語が終わる」

「なんとかしろ」

と言われ数日後、

「こういうのはどうでしょうか?」

とドラマ『タイガー&ドラゴン』のアイデアを提出したという宮藤官九郎。

その辺のことは、この本の続編、『TOKYO芸能帖~1981年のビートたけし~』(2018年6月現在文庫化されておらず)に詳しい。

まとめ

 

2012年心配停止の死の淵から復活した高田センセー同様、2009年、東京マラソンで心配停止から復活した弟子筋にあたる松村邦洋と心肺停止コンビとして

「私のハートはストップモーション」

と歌い、自らの逆境を笑い飛ばす粋なお兄さんの粋な笑いの一冊を、森繁久彌に直接会ったことのない人は全員読むべし!

【欽ちゃん自叙伝ダメなやつほどダメじゃない!】についてのフェイクインタビュー。

萩本欽一自叙伝

“ダメなやつほど、ダメじゃない”

とは、コメディアンの萩本欽一氏が日本経済新聞で連載していた〝私の履歴書〟を一冊にまとめて出来た自叙伝である。

 

説明文によると

僕はダメな子だった。

だから僕の信条は「二歩下がって」。

下がった場所で自分なりに人のやらない努力をして、必死でがんばり、運をつかむ。

コメディアン一筋55年。視聴率100%男として一世を風靡した、欽ちゃんの心あたたまる抱腹絶倒の一代記!

これを読んで私はいたく感動したのである。

「ダメなやつほどダメじゃない!」

ああ、ダメ人間の私にはとても心にしみるのである。

ダメなやつほどダメじゃない!フェイクインタビュー

「いい言葉だなあ」

と思いつつも、私の頭の中で、なんだか疑問が湧き出ていた所へ、運の良い事に、たまたま萩本欽一氏と対談する機会が有ったので、その辺の疑問をぶつけてみた。

(以下、萩本氏との会話)

私「萩本さん、ダメなやつほどダメじゃない拝読いたしました!感動しました!」

欽一(以下、欽)「やめてよ~、照れちゃうヨゥ」

私「いやいや、なんかヤッパリ、ダメなヤツ代表の自分としては、あのメッセージは、すごい励まされたって言うか」

欽「うん、ダメなやつほど、ダメじゃないッ!」
(と、胸をドンと叩く)

私「所で萩本さん、”ダメなやつほどダメじゃない”と言うと、裏を返せば、”ダメじゃないやつほど、ダメだ”とも言えませんか?」

欽「(?)ま、まあ、そうね」

私「つまり萩本さんは、ダメなやつほど、良いヤツだと?」

欽「そうとも言えるネ」

私「では、ダメじゃないやつの代表とも言える、親孝行の苦労人よりも、ダメなやつの最たる者としてのニートで親殺しみたいなやつの方がダメじゃないやつだと?」

欽「君、中々、話が極端だねえ」

私「いや、ダメなやつ程ダメじゃないと仰るから」

欽「ボクはねぇ、あくまでダメなやつだって、ダメじゃないと言いたかった訳で、良いやつほどダメだなんて言ったつもりは無いのッ!」

私「つまりは世の中にダメなやつなんて居ないと言う事ですか?」

欽「そうよ、そう言う事よ~」

私「だったら、ダメなやつほどダメじゃない、と言うよりも”みんなダメじゃない”と言った方が誤解が少ないのでは?」

欽「あのねえ、日本経済新聞に連載した自叙伝をよ?書籍化するにいたってよ?〝みんなダメじゃない〟なんてタイトルつけたらバカかと思われるじゃないの!」

私「いや、簡潔だろ思うのですが」

欽「もうダメだ。アンタとは話してらんないよ!帰る!」

私「ちょっと待って下さい」

欽「ダメなヤツ相手にしてると、こっちまでダメなヤツになっちゃうんだよバカヤロ」

私「おい、萩本ッ!もう一辺抜かしてみろ!」

欽「結論としてはね、ダメなヤツ程、ダメ!おい、清六~!帰るぞー!」

私「ちょっと待ってくれ!まだ話は終わってねえんだよ!」

清六「いや、もう時間だから!」

私「なんの時間だよ」

清六「いや、村の時間の時間がやってまいりましただから」

私「欽どこの1コーナーかよ!」

清六「バイナラ」

と足元にすがりつく私にスロンピングを何発もくらわして萩本さんご一行は引き上げて言ったのだった。

(全部ウソです。本も読んでません)

【小林まこと著】青春少年マガジンについて考える!(ネタバレなし)

新潟は、まんが王国

 

新潟は、まんが王国である。

これはもう誰がなんといってもそうなのである。

どう王国なのかというと、まず周りにもマンガ家志望の者も多く、にいがたマンガ大賞というものがあり、受賞作などを図書館で展示している。

県をあげての漫画家支援体制なのである。

 

また、新潟へ来て、何が驚いたかって、普通の文房具屋さんでマンガの画材が豊富にあるのと、電気量販店の液晶タブレットに試し書きしてある落書きが超上手いことで

「新潟は本当にマンガ王国なんだなあ」

と思うのである。

 

だからこそ、漫画家の輩出量が半端ないのである。

ウソだと思うなら〝新潟出身〟〝漫画家〟などで検索してみてほしい。

そしたらまあ出てくるわ出てくるわ出てくるわ。

 

赤塚不二夫先生を筆頭に、高橋留美子先生、魚喃キリコなどなどなどなど、枚挙に暇がないとはこのことで、書き写すのも大変なのでたった三人しか書かずにすまん。

 

私のNo.1漫画家

 

さて、その中でも最高に面白く、というか現存の漫画家の中で私のベスト漫画家は、新潟市出身の小林まこと大先生である。

この事をもっと新潟県民は誇りに思っていいのだが、新潟県民のつつましさであまり口にしないので、こっちが歯がゆい思い。

私の中学の先輩(面識なし)にあたるハロルド作石先生も、デビュー前は小林まこと大先生のアシスタントをしていたのだそうな。

(すぐ辞めたらしい)

なので、私が声を大にして、小林まこと大先生の作品を紹介します!

 

青春少年マガジン

 

さて、2008年発行の小林まこと先生の、自伝的青春マンガ『青春少年マガジン』である。 

氏の作品は型破りで有名だが、今回も型破り。

まず何が型破りかって主人公である作者の顔が美化され過ぎなのである。

 

漫画家志望の方必読の書

 

この作品は、氏の新人賞受賞直前から、デビュー作の『1・2の三四郎』連載期間中の1978年から1983年の体験談を中心に描かれた同期3人の楽しくも苦しい青春物語である。

『1・2の三四郎』といえば、少年マガジン全盛時代の看板作品である。

 

それを毎週描き続けることがどのくらい凄いことであるか想像するだけでも吐き気がしてくる思い。

マンガと言う、一見華やかだか実際は地味な作業の連続で、労力の割にはその苦労が伝わりにくい過酷な世界で生きていくということがいかに地獄か。

それでも命を削って身体を壊しながら描くのである。

 

しかもギャク漫画である。

苦しい中で面白いことを考えなければならぬ辛さ。

 

そんな中で原稿を落としたり、数回の逃亡したことなども描かれている。

 

でも人気がなくなればアッサリと切り捨てられる世界。

にもかかわらず、それをギャグにして面白おかしく伝えてくれるのだ。

笑えて泣けるというのはこういう作品のことである。

「漫画は当たったら大儲けできていいね」

「紙とペンで楽に生活できていいね」

などとは決して口が裂けても言えなくなる。

いくら金が儲かっても、

「金だけを目的にしてこんなことできないよなあ」

と改めて実感することになるでしょう。

私は、これから漫画家を全員尊敬することにします。

自分への戒め

 

ブログを毎日書くくらいのことで、ヒーヒー言ってては話にならんのである。

なので、苦しくなったらコレを読みます。

【島田洋七著】死にたくなったらこれを読め!について考える

島田洋七ご存知ですか?

 

 

島田洋七、1950年生まれの漫才師。

 

漫才にパンクの要素を持ち込んで、1980年代初頭の漫才ブームの原動力になった男。

 

広島県出身。

 

ウソつきの代名詞のような男である。

 

「原爆ドームでは昔、大きな鳥かごだった」

 

などと、明らかにわかるウソから、感動的な美談まで、平気で作り話をし、真顔でウソをつく。

 

漫才ブームなんていってもわからぬ人が多いだろうが、〝がばいばあちゃん〟の著者としてベストセラーを連発していたのでご存知の方も多いだろう。

島田紳助の兄弟子。ビートたけしの親友。

 

仲間から

「がないばあちゃんは、金儲けのためだけに感動する本をでっちあげて書いた!」

 

「そもそもがばいばあちゃん自体、存在していなかった!」

 

などと言われるほどのウソつき、ホラふき。

〝オカッパのデブ〟などと揶揄されることもしばしば。

 

吉本興業から紆余曲折の末、数年前にオスカープロモーションに所属。

 

所属年数的には後輩にあたるとして、剛力彩芽を

 

「剛力の姐さんと呼んでいる」

 

などと、ここでもウソをつくのである。

 

 

死にたくなったらこれを読め!

 

さて、そんな島田洋七の著書、「死にたくなったらこれを読め!」である。

 

島田洋七が昨今の自殺者数が年間三万人以上いることに胸を痛めて書いたエッセイ集。

 

自殺をやめて元気に生きろと訴える内容にもかかわらず、表紙が、洋七が死んで天に昇っていって行っているようなイラストであるので注意したい。

 

その上、著者がほら吹き野郎でお馴染みの島田の洋七である。

 

また、どーせウソばっかり書いて、適当なことを言ってんだろうと思って冗談半分で読んでみる。

 

電車に乗っていて、人身事故で電車が遅延する旨のアナウンスを聞いた近くの若者が携帯電話で

 

「どっかのバカが飛び込みやがってよ!こっちの予定だ遅れちまうよ!」

 

と話しているのを聞いて頭に来たが、その若者以外にも、気の毒そうな顔をしている人は見当たらず

 

『こういう空気が自殺者が減らない原因のひとつかもしれない』

 

と思い書き上げたという意外にもマジな内容なのである。

 

 

見出しだけ抜粋すると

 

・見栄を捨てたら人生は好転する

 

・過去の自分にとらわれたらアカン

 

・あなたを待つ人たちの存在

 

・「運が悪い」は経験不足

 

・自分を隠さなければ幸せは降ってくる

 

・世間とは、わずか150人

 

・「生きたるわ!」という魔法の言葉

 

・夢はつくればいいだけ

 

などなど、意外にもホラをまじえずに、いや、混じっているのかもしれんが見破れないように書いてある。

 

 

島田洋七自身、漫才ブームで大成功したものの、ブーム終焉後に一気に仕事がなくなり落ち込んでいる時に自殺を考えたが、タイミングよく仲間が支えてくれて自殺せずに済んだ過去を持つとのこと。

 

なんとなく落ち込んでいるときに、これを読むと元気になりそうな気がする。

 

切羽詰まって、本気で死にたい人が、著者が島田洋七の本を手にするかどうか、甚だ疑問であるが。

 

【ヌンチャクアーティスト宏樹 著】実戦ヌンチャクAtoZ 揺るぎない! 2/2

ヌンチャクアーティストへの道

 

幼少の頃に、ブルース・リーに出会い、心を撃ち抜かれてしまった彼こと、無形無限流創始者、ヌンチャクアーティスト宏樹は

 

「ヌンチャクをマスターすればブルース・リーになれると思いました」

 

と、なんでそうなるの?と往年の萩本欽ちゃんのように思うが

 

「揺るぎない」

 

と言われてしまっては返すことばもない。

その後も、ブルース・リーの映画を観て動きを盗んだり、自作のヌンチャクを作ったりするものの、動きがついていなかい。

 

そこで出会ったのが王貞治。

 

 

王選手が本の中で

 

「宮本武蔵は、一万日の稽古をしてからこそ、自分を鍛えたことになる、と言っている」

 

と書かれていたことに興奮し、自分も一万日修行をしようと決意。

 

「その日からヌンチャク修行の師匠は王選手に決まりました」

 

ってだから、どーしてなのよ?

 

ヌンチャク小僧大人になる

 

その後、彼こと、無形無限流創始者、ヌンチャクアーティスト宏樹は空手を習う。

高校に入学するとテコンドーに目覚め、修行のために韓国に渡る。

高校卒業後に北海道から上京。

 

「ブルース・リーはアメリカに渡ったとき、中華料理屋で住み込みで働きました」

 

「私も疑うことなく中華料理屋の住み込みの就職でした(原文ママ)」

 

いや、そこは疑えよ、と言いたい。

 

それからは毎日、出前持ちと皿洗いの毎日が続き、30歳のときTVゲームのバーチャファイターがブームとなる。

 

格闘家の動きを研修するため、そのゲームの人物の動きを一人ひとりノートに書き起こす作業していた中でヒントを得て、彼の無形無限流の基礎ともなる動きを習得し、苦節25年を経て

〝ヌンチャク無形無限流〟

を創始。

翌2006年2月、北海道札幌に於いて

 

「NFAヌンチャク・ファイティング・アーツ」

 

という道場を立ち上げるに至ったのである。

 

 

きっかけがゲームかよ、などと思っては行けないのである。

 

実証されたと言うものの

 

彼の偉業は日本に留まらず、2011年、アメリカのCS放送、ヒストリーチャンネルに招かれて、スパイダーマンやエックスメンの作者、スタン・リーを冠した

 

『スタン・リーのスーパーヒューマン』

 

なるテレビ番組に参加。

 

ピッチングマシンから放たれる硬式ボールを打ち返す(速度記載なし)ことに成功。

 

 

また、打撃力を図ることのできる人間型のダミーロボットの頭部をヌンチャクで打ち

 

「打撃力が700キロである旨を実証した」

 

と豪語するに至るのである。

 

 

それ野球のバットで十分なのでは?などと思っては決していけないのである。

思ったりするとヌンチャクで殴られ兼ねないのだ。

 

演武一覧

 

さて、いよいよそんな彼こと、無形無限流創始者、ヌンチャクアーティスト宏樹が、これまでの修行の結果、現存する人物の中で唯一無二のヌンチャクの使いてとして行ってきた演武に一覧が載っているので最後に紹介しておきたい。

 

・ヌンチャク・シャンパン栓抜き

・ヌンチャク・プッチンプリン

・ヌンチャク・バースデーケーキ蝋燭消し

・ヌンチャク・マッチ着火

・ヌンチャク・習字

・ヌンチャク・だるま落とし

・目隠しヌンチャク・ポッキー折り

・目隠しヌンチャク・キュウリ切り

・目隠し鎌ヌンチャク

・鎌ヌンチャク大根切り

・鎌ヌンチャク・リンゴ切り

 

などなど。

内容は、字面から想像するまんまのものである。

 

ぜひ、実戦でヌンチャクを使ってみたいあなたにお勧めしたい一冊です。

 

私は子供の頃、刑事物語の武田鉄矢に触発されて、ハンガーヌンチャクアーティストを目指さんでよかった。

 

※写真はハンガーヌンチャクの片山刑事。

【ヌンチャクアーティスト宏樹 著】実戦ヌンチャクAtoZ 揺るぎない! 1/2

ヌンチャクで実戦できるか?

 

もしもあなたが暴力沙汰に巻き込まれることがあったとして、相手がナイフを出してきたとしたら、これはもう危険である。

さっさと逃げた方がいい。

 

もしも相手がピストルなんて出した日には、もう土下座でもなんでもして許しを乞うしかない。

 

しかし、もしも相手がヌンチャクを出して来たらこれはもう

 

「ハハハハ、まったく驚かさないでよ」

 

「本気でケンカするのかと思ったじゃない」

 

と急に打ち解けることになるのである。

 

それほどヌンチャクはあくまでパフォーマンスであり、実際の武器にはなり得ないと思ていたのだが、この本に出会って、私は考えを改めなければならないのかもしれない。

 

その本とは、無形無限流創始者、ヌンチャクアーティスト宏樹 著、〝実戦ヌンチャクA to Z〟である。

 

奥付には、2011年12月10日、初版第一刷発行とあるので、そこまで昔の本でもない。

 

ヌンチャクアーティスト宏樹

 

※写真はヌンチャクアーティスト

 

ヌンチャクアーティスト宏樹とは、1970年生まれの日本人男性。

10歳の頃からヌンチャク修行に励み、25年後、独自の流派、その名も

〝ヌンチャク無形無限流〟

を創始。

翌2006年2月、北海道札幌に於いて

「NFAヌンチャク・ファイティング・アーツ」

なるヌンチャク道場を立ち上げる。

 

指導のかたわらヌンチャクアーティストとして、時にはタレント活動も行っているという、わかったんだかわからんのだかの人物。

 

唐突に「揺るぎない」

 

「揺るぎない」

 

という言葉を信条にしているんだか、気に入ってるんだか知らんが文章の途中でも唐突に

 

「揺るぎない」

 

と言いだすので、ちょっと頭が混乱する。

 

例えば、〝はじめに〟の最後の部分では

 

「本書を、今の私から10歳の私への30年越しの回答とするとともに、世界のヌンチャク愛好家の皆様、私を応援して下さる皆様、私の武道の恩師の皆様、私を育ててくれた両親、宏樹を見出してくださったメディアの皆様、そして心の師・ブルース・リーに捧げます。」

 

と語った直後

 

「揺るぎない」

 

と来る。

 

「え?」

 

ってなる。

 

また、あとがきでは

 

「2011年11月、我、此処に完成し、執念を晴らす。」

 

と何だか怖いことを言った直後、

 

「揺るぎない」

 

と、のたまうのである。

 

この人と、知り合いじゃなくてよかったーと安堵の思い。

 

宏樹とヌンチャクの出会い

 

本書による彼とヌンチャクとの出会いがすごい。

 

「1970年生まれの私にとって最初のヒーローは仮面ライダーです」

 

「憧れの仮面ライダーになりたい私は、親にねだって変身ベルトを買ってもらい、見よう見まねで覚えた仮面ライダーの変身ポーズをしたものです」

 

と語る。

 

そして、頭の中で怪人との対決を想定して戦い、最終的には高い所からジャンプして怪人に勝利するイメージトレーニングに励んだとのこと。

しかし彼に人生最初の挫折が襲う。

 

「毎日毎日、見えない怪人と戦い、連勝記録を重ねていましたが、いつの頃からか
 
〝自分は仮面ライダーにはなれない〟

〝なぜなら改造人間ではないからだ〟

と思い悩み始めました」

 

って、そんなことで思い悩むな!と思うが、まあ悩んだんだから仕方がない。

 

そんな悩みに打ちひしがれていたときに、父親からテレビの前に座る様にいわれ仕方なく見たのがブルース・リー。

そのヌンチャクさばきの凄まじさに悩みも一気に吹き飛び、心を奪われた回想する。

 

「テレビが終わると、この男になってやると決めました」

 

「私の将来は、ブルース・リーに決まりました」

 

って決まっちゃいないだろう別に!とツッコまずには居られないが、ツッコミをいれようとすると口癖のように

 

「揺るぎない」

 

と言い捨てるので困ったものである。

 

今後、私もなにか困ったことになったら

 

「揺るぎない」

 

と吐き捨ててその場を後にしてやろうかと思う。

 

(つづく)

【伝承あそび辞典】子供のころに帰ってみよう! 2/2

前回に引き続き、伝承あそび辞典より、目についた遊びを見ていきましょう。

 

【沢庵押し】

 

 

「押しつけ沢庵」ともいう。

ひとりがうつぶせになり、その上に他の子どもたちが

「押しつけ沢庵、押されて泣くな」

と言いながらどんどん積み重なっていく。

上の子が

「漬いたか、漬かぬか」

と聞いて、一番下の子が

「まだ漬かぬ」

などと答えると圧することをやめない。

「ようやく漬いた」

などと答えると、皆は圧することをやめて退く。

よく耐えることが出来た者が勇者である。

 

 

ってこの遊び、こんな名前もついてなかったし、

 

「漬いたか、漬かぬか?」

 

などと聞きもしなかったが、なんかクラスで先生がいないときなどに、なんのはずみかわからんが、寝転がっているヤツに急にみんなが積み重なって行き

 

「おい、乗れ乗れ!」

 

などといって意味もなくクラス中の全員が熱狂し、圧していく遊びが発生することがあったが、あれは沢庵押しがルーツなのだとわかってちょっと謎が解けた。

イラストよりも、もっと大人数が乗っかっていたけど。

 

こういう遊び、あなたもやったことあるでしょう?

 

【鼻引き】

 

 

 

東京の遊び。
70センチくらいの糸か、こよりを結んで輪にし、中央を交差して8の字にする。
これを向かい合って座った2人の小鼻に引っかけて引き合う。

手を触れてはいけない。

 

 

って暇かよ!

 

【べろべろの神】

 

 

放屁した子を占って当てる遊び。

みんなで円になって座る。

中央に水に浮かべた茶碗を置き、ぐるぐる回して割りばしなどを茶碗に入れる。

勢いが止まって割りばしの指している方向に座っている者が放屁した者となる。

 

 

って暇かよ!

 

 

【耳っとう】

 

いきなり大声を出して驚かせる

 

ってソレただの嫌がらせだよ!

 

まとめ

 

とまあ、全編に渡って「暇かよ!」で済ませられる遊びたちではあるが、子供というのはこういう小さいことで大いに楽しめるものなんだなあと。

 

そのため、筆者も童心をわすれず、引き続き小さいことにこだわって記事を書き連ねていきまーす。

 

 

【伝承あそび辞典】子供のころに帰ってみよう! 1/2

図書館でこんな本を発見した

 

タイトルは〝伝承あそび辞典〟。

 

内容は日本各地に伝わる子供たちの外遊びをあいうえお順にまとめたもの。

 

何がいいかって、解説のイラストがいい。

 

 

味があっていい。

 

狙っていないヘタウマがいい。

 

いつの時代をイメージしたイラストなのかよくわからないところもいい。

 

で、内容は知ってるのやら知らないのやら盛りだくさんで、パラパラとみているだけでも楽しい。

 

そしてイラストのこの遊びから見ていきましょう。

 

【あんた、ちょっと】

 

自分はやったことないけど、なんか昔に聞いたことのあるような気がする。

 

遊び方は、解説によると

 

指あそびのひとつ。

 

「あんた ちょっと みかけによらない にっぽん いちの クルクルパー」

 

「あんた ちょっと みかけによらない ゴリラの むすめの 7代目」

 

などと言いながら指を指したり回したりして遊ぶ。

 

 

ってこれ、遊びか?

 

遊びじゃなきゃなんなのかと言われても困るので、まあ遊びでしょうね。

でもなんか聞いたことあるよね?

 

 

次に目についたのがこれ

 

【おしくらまんじゅう】

 

寒いときなんかに

 

「あったまろうぜ」

 

などといってよくやっていた。

解説によると

 

押し比べが、訛って〝おしくら〟になった。

 

とのこと。

へえ。

 

 

続いては

 

【牛ごと】

 

 

鬼をヒモで縛ってする鬼ごっこのようなもの。

私は小学生のころ、月曜の朝礼が始まるギリギリで、ジャンケンで負けた者の首、胴、両手、両足をそれぞれ縄跳びでジャングルジムに縛り付け、一人で脱出して朝礼に間にあうかにチャレンジする遊びを

 

〝死のハンモック〟

 

などと名付けてやっておった。

 

だいたい朝礼に間に合わず、鬼は先生からこっぴどく叱られるハメになったのだが、今から考えれば、あれはこの牛ごとをルーツとした伝承あそびであり、それも分からずただの悪ふざけとして叱った先生を逆に説教してやりたくなる。

 

 

 

【紙吹き】

 

 

「紙つけ」とも言う。

長さ10センチぐらい(所によって違う)の細長い紙の端につばをつけて自分の額に貼り、顔に垂らす。

それを息を吹きかけてはがそうとする遊び。

 

 

って暇かよ!

 

(つづく)

【花輪和一著】刑務所の中について考える

憧れの集団生活

 

一人での生活が好きなのだが、時折、極端に大人数で集団生活してみたくなる。

年のせいかもしれない。

居酒屋などで行われる同窓会などには行く気がしないが、もしもその同窓会が、野外学習で行った少年自然の家だとか、修学旅行で行った本郷の木造旅館などで行われるのであれば是非参加したいと思う。

 

 

「さらにそれが、泊まりであったりしたらどんなに楽しいだろうか?」

 

「そんな生活なら、もう一か月くらい生活してみたい!」

 

と思うのは私だけだろうか?

 

 

だが、そんな生活は実現するはずもなく、まあせいぜい物好きが4~5人でそういう施設で泊まる程度だろう。

 

4~5人では意味がない。

 

もっともっと大勢でないと意味がない。

 

で、私と同じ極端に大勢の集団生活を好む者は、自ら集落を作り、上九一色村に住んだりだとか、元女優の高樹沙耶みたいになってしまうのかもしれない。

 

合法的な集団生活は?

 

いや、そんな非合法のものでは困る。

 

合法的に集団で生活できないか?

 

そうだ、刑務所なら無料でそんな生活ができるぞ?

 

と思う。

 

罪を犯さず、嫌になったら出ていけるような刑務所体験のできるものはないだろうか?

と〝刑務所体験〟の可否を調べてみるが、どうやら日本では不可能らしい。

 

くそう。

 

と、叶わぬ無罪での刑務所願望が募り、その欲求を満たすために好んで刑務所が舞台の作品を観るようになった。

 

花輪和一著、『刑務所の中』

 

 

そんな中、偶然、古本市で出会ったのが漫画家の花輪和一氏の実体験をもとにした2000年発刊のエッセイ漫画作品、『刑務所の中』である。

 

花輪氏は、1947年生まれ。改造銃などの所持していたことにより、銃砲刀剣類不法所持と火薬類取締法違反で1995年から三年間実際に刑務所に服役。

その実体験を、タッチは劇画調で重々しいが、突き抜けた明るさと、ひょうひょうとしたギャグ満載で描かれており、読んでいて刑務所の中の世界にグイグイ引き込まれ、私の無罪で刑務所体験願望を満たしてくれるのであった。

 

どうやって書いたのか?

 

 

施設内部の様子も事細かく描かれており、よっぽどメモなどしていたのだろうと思っていた。

 

が、私は知り合いに数人元受刑者がおるのだが、彼らにその旨を話すと

 

「刑務所の様子をメモなどすることは許されない」

 

「隠してメモ出来たとしても、それを持ってシャバには戻れない」

 

とのことで、調べてみるとこの作品はほとんどが作者の記憶で描かれているとのことでその記憶力にも驚かされる。

 

で、刑務所内部では何が行われているかというと、ほとんどが食べ物の話である模様。

 

受刑者同士、考えているのは食べ物のことばっかりみたいなんである。

 

元受刑者に話を聞いてみる

 

また元受刑者の知人に聞けば、

 

「まったくその通り」

「食べ物の話ばっかりですよ!」

 

という。

彼が塀の中でつけていたノートを見せてもらったのだが、そこにはのっけから〝ステーキ丼がなんちゃら〟とか、〝ケーキがどうちゃら〟とか出所したら食べたいものがズラーーーーーーーッツと羅列されており度肝を抜かされた。

で、遠い目をしながら

「あの作品は、本当にリアルな刑務所が描かれていますよね」

とも言う。

 

「さすが、元受刑者。出所後も、こういう刑務所モノをチェックしてるねえ~」

 

と言うと

 

「いえ、ムショの中で借りて読んだんです」

 

とのこと。

 

こういう刑務所生活を揶揄する作品が刑務所の中にあるなんて、日本の刑務所は固いんだが、柔らかいんだかよくわからなくなるのであった。

【ぐっどうぃる博士の恋愛相談室】 男が本当に考えていることを知る方法【ネタバレ有り】

はじめは冗談で、ブログのネタはないかしら?

 

と図書館を這いずり回っておったら、こんなイカした、ツッコミどころ満載のタイトル本を発見したのである。

 

【ぐっどうぃる博士の恋愛相談室】 男が本当に考えていることを知る方法

 

もちろん女性向けのこの本を、男である私から見れて

「そんなことねーだろ」

的な記事でもかけると思ったのである。

 

だいたい著者名が〝ぐっどうぃる博士〟というのも片腹痛い。

なんだその名前!

問題になった派遣会社か!

などと言っていたが調べたら結構な有名人でちゃんとした人でした。

すみません。

 

私流、落ちない男を落とす方法

 

落ちない男を落とす方法ならば、

 

「まず局部を掴む」

 

「その上、耳元で」

 

「あと腐れなし、あと腐れなし」

 

と囁けば、一晩くらいはなんとかなる。

などと書いていこうと思っていたのだ。

 

だが、しかし読み進めるうちに私の周りで男性関係で悩んでいる人とかに教えてあげたい男の心理のようなことが

 

「うわーそこまで書いちゃうの!」

「それは男だけの秘密にしといて!」

 

ぐらいに書かれており、この本は結構すごいわ。

 

男は、性欲と劣等感とプライドで生きている。

その上、

「手に入れた」

と思った瞬間から覚めていく。

つまりは

 

男は上手く操り、現状の心理状態を理解し、男どもを調子に乗らせてはいけない!

 

という話。

 

この通りされたら、そりゃ男も落ちるわ。

 

 

 

 

落ちない男を落とす方法 6項目

 
 ・見た目を磨く
 ・気があるとばれないようにする
 ・価値観や世界観を心から尊敬して褒める
 ・相手の劣等感や過去の傷ををさぐり慎重に扱う
 ・中身を磨く
 ・駆け引きをする

これらが具体的に、ときには厳しく書かれてある。

 

恋愛回路の話

 

常に相手のこととしか考えられなくなり、周りの意見にも耳が貸せない状態。
恋愛中毒状態を、この本では〝脳内に恋愛回路が出来る〟と定義していて、この回路が出来ると、体調にも仕事にも支障をきたし、彼を求めれば求めるほど、やることなすこと裏目裏目でロクなことにならないと。

自分もこういう経験あるし、今でもこういう人、たまに見かけます。

よね?
 

恋愛回路の断ち切り方

 

そんな回路を断ち切るための方法は、荒療治しかない模様。
物理的に相手の連絡先などを消したり、SNSでの情報を断ったりなどして冷静さを取り戻す。

 

相手に恋愛回路をつくる方法

 

 で、これが男としては怖いのだが、そんな恋愛回路を相手の男に作ってしまう方法。

 男が恋愛対象になりうる相手に持つ心理状態を3パターンに分け、その状況に合わせた扱い方で上手く駆け引きをして自分に夢中にさせる方法が書かれている。

 

まとめ

2006年出版の古い本ではあるが、図書館にもあることだし、
恋愛に悩む女性には一旦頭を冷やすためにも、目下恋愛中の女性にも今の恋愛が長続きするよう、一読されることをお勧めします。