【伝説のゾンビ映画、ワイルドゼロ】私がギターウルフの映画の撮影に参加した思い出②

エキストラへのお誘いは突然に…

前回に引き続き、1998年か1999年のある日、そっち業界寄りの友人から

「明日、募集してるから行けない?」

「革ジャン着ていきゃOK!」

「タダでライブをみれるよ」

と言われ、ギターウルフ出演のカルトムービー、ワイルドゼロのエキストラ出演に、都合も合ったので嬉々として参加したときの話。

東宝撮影所

場所は世田谷の東宝の撮影所。

待合室は二階立てのプレハブ小屋みたいなところで、そこに押し込まれて撮影開始を待つ。
トイレは和式、だった記憶がある。

集まったのはエキストラのプロみたいな人から、ギターウルフのファンなど全員革ジャンで総勢100名程度。

意外に女性客も多い。

一人で参加した私は話し相手もおらず、退屈なのでタコ部屋じみた待合室を抜け出して、勝手にウルトラマンだかゴジラだかのセットらしきものがあるスタジオをのぞいたりして遊んでおった。

撮影が始まる

で、いよいよ、一同スタジオに移って撮影開始。

撮影内容はというと、ギターウルフの面々が演奏し、エキストラである我々100名程度がガンガン盛り上がる、というだけである。

で、曲が終わると、待ち時間があり、待ち時間が済むと、同じ曲を演奏するのである。

待ち時間の間、ギターウルフの面々は恐らく楽屋などで待機しており、我々はライブハウス風に作られたスタジオ(床は土)に座り込み、撮影の開始と終了を待つ。

長い長い待ち時間が済むと、また同じ曲を演奏し、それを嫌と言うほど繰り返す。

で、そのたびに我々エキストラは狂ったように暴れておったのである。

が、撮影が何時間にも及ぶと流石にみんな疲れてくる。

さだかではないが、恐らく5時間は撮影した記憶がある。

待ち時間のたびに

「こんなに同じ曲を何度も何度も撮影して、何がしたいんだ?」

と一同頭にくるような思い。

「帰りたい」

などの声もチラホラ。

という中、ベースウルフこと、ビリーさんが缶ビールを持ってステージにやってくると、プルトップを

「ペシッ!」

と押し開けて一口のみ、なぜか私に向かって

「ホイ」

という感じで、残りの缶ビールをくれたのである。

そんなつもりはなかったが、私は無意識に機嫌が悪いのが表情に出ていて、気を使ってくれたのかもしれない。

※缶ビールをくれたビリーさん。

缶ビールのリレー

で、当時は酒が飲めなかったが、喉も乾いているので、一口だけ口を付け、それを欲しそうにしている周りのエキストラの者へ渡すと、その人も一口飲んでは隣へ渡し、それが繰り返され、その缶はリレーのバトンの様に次から次へ、エキストラからエキストラの手に渡っていったのである。

それを見たのか、ビリーさんは裏から、何缶も何缶も缶ビールを持ってきては

「ペシッ!」

「ペシッ!」

とプルトップを押し開け、我々エキストラに渡し続けてくれ、その都度、缶ビールのリレーが続いたのである。

で、撮影再開された。

待ちに待った撮影終了

また何度かの演奏を繰り返したのち、監督の竹内鉄郎氏がトラメガ持ってステージに登場し

「今日はみなさん本当にありがとうございます!」

「おかげでいいシーンが撮れました!」

と挨拶し、改めてギターウルフの面々が30分ほど、エキストラのためだけに演奏してくれてその日は終了となったのである。

出来上がったワイルドゼロを観る

あとでレンタルで借りてワイルドゼロを観たのだが、このライブのシーン、20秒もない。

「なあにが、いいシーンが撮れましただよ!」

と舌打ちしながら観たものである。

で、私は、私が映っていないか、私が居たあたりを隈なくみたのだが、

「もしかして、この腕、俺かな?」

と思う腕はあったが、みんな似たり寄ったりな革ジャンであり、それが私の腕がどうかは分からずじまい。

って、それが私の腕であったところで別に、ねえ?

ビリーさん急逝される

その数年後の2005年、缶ビールを差し入れてくれたビリーさんは心不全のため38歳の若さで急逝。
見た目とは真逆で、親切で優しい人であったため、とても悲しく、1999年当時は下戸であったが、その頃にはいっぱしの酒飲みになっていた私は、ビリーさんへの哀悼の意を込めて一人悲しく献杯したのである。

ビリーさん、あらためてさようなら。

あの世でまた缶ビール下さい。

エキストラのギャラ

今回の記事を書くにあたり、調べたところ、タイでの撮影時はタイの軍人やその家族は、ゾンビ役で一人1,000円支払われたとのことが判明。

私のギャラは、

「革ジャン着ていきゃOK!」

「タダでライブをみれるよ」

という、タダでライブがみれるよ、がギャラであり、無料であり、一銭も貰えなかったことが少し悔しい気もする。

でも、缶ビールの思い出があるからいっか。

 

【ギャンブル必勝法?】最後の最後の最後の最後に勝つ方法4/4

そんなことが出来るのか?

Hの黒い皮の長財布は手帳とともにバカラのテーブルの上に置いてある。

事細かく出納状況を手帳に書いているので抜いたことがバレるかと思ったが、なあに抜き取るところさえ見つからなきゃ、シラを切り通せば問題ない。

が、抜き取るのがこれまた大変だ。

Hだけじゃなく他のメンバーにも見つかってはならん。

本当にそんなこと出来るのか?

仮にも友達の財布から金がとれるか?

じゃあ、払うか?

母ちゃんの財布から抜くか?

と考えているとどんどん時間が過ぎる。

外はすっかり明るい。

もう時間が無い。

と、スラリと立ち上がり、音も立てずバカラのテーブルににじり寄り、ゆっくりゆっくりと動きながら長財布を手にする。

Hはグースカとイビキをかいている。

『このバカめ』

と思ってガバッと財布を開く。

分厚い財布だとは思っていたが万券がビッシリと入っている。

一瞬、全部パクってやろうかと思ったが、それではただの泥棒なので私の負け分の7万を瞬時に数えて掴んで抜く。

でポケットに札をねじ込み、素早く財布を戻して元の位置に戻って壁にもたれて座りなおした。

そうしたらもう座ってこいつらが起きるのなんか待ってられない。
始発ももう動いているだろう。

メモ用紙に〝帰るわ〟と書き残してHのマンションを後にし、吉野家の朝定食を食べて家に帰ったのである。

その時、私の頭の中にあったのは…

あなたは映画『トレインスポッティング』をご覧になったことがあるだろうか?

あの映画のラストで、みんなでヤクを売り、手にした大金が入ったスポーツバックを抱えて眠る暴れん坊のベグビーから、主人公のレントンがゆっくりゆっくりと奪い取るシーンがある。

私はこの一連の行動をしているとき、実はあのシーンを思い出し、吉野家に向かう道中ではあのエンディング曲が頭の中に流れていたのである。

で、どうしたか?

で、三日ほどしてショートメールに記されていたHの口座に7万を振りこみしたのである。

Hも何も言わなかったので、バレなかったのだろう。

これが、私の、たとえギャンブルに負けても、最終的には勝った話、というか負けなかった話である。
決して泥棒の話ではない。

【ギャンブル必勝法?】最後の最後の最後の最後に勝つ方法3/4

魔の巣窟Hのマンション

Hのマンションで、元バンドのメンバーで集まった。
当時酒が飲めなかったので、一人ウーロン茶を飲む。

Hは手帳をめくりながら

「この間の俺の負け分、いくらいくら、お前に払うわ」

と言いながら金を払ったり、

で、購入した酒やツマミの代金を割り勘にし、こまかく手帳につけながら

「負け分から今日の割り勘分を差し引いて、あといくらいくらね」

などと言ってくる。

よっぽど金に汚くなった模様で、昔のバンド時代の清々しさなど微塵もなく悲しくなる思い。

で、案の定支払いについて言及されたが

「次、金が出来たら払う」

と言って逃げた。

Hは

「絶対に払ってもらうからな」

など言っていたが酒に酔ってそのまま寝てしまった。

雑魚寝風景

で、他のメンバーもそのまま酔ってごろ寝。

『支払う金は無いし、それどころかサラ金に払う金さえままならんし、まったく俺はこの先どうなってしまうんだろう?』

などと考えいつになく落ち込み、元気も全く無い。

私一人が固い床で眠れずに壁にもたれて座りながら、始発までの時間を待つ形になったのである。

寝ているHの顔をみる。

寝ている顔だけは昔のバンドの頃の、一緒にベースのヤツのチャリンコのサドルを外して、サドルが刺さっていた穴にでっかい〝祭〟と書かれたウチワを突っ込んだ頃のHである。

『変な組織に入ったあたりからおかしくなったんだな』

と憐れむが、憐れんでばかりもいられん。

『母ちゃんの財布から金をくすねるしかねえんだなあ』

『ああああ』

と思いながらHの顔をみる。

『どうでもこいつは私に金を払わせるつもりなんだなあ』

『ギャンブルは恐ろしいなあ』

『友情もへったくれもねえんだなあ』

『世の中は厳しいもんだなあ』

と更に落ち込んでいたが、Hの顔をマジマジと睨んでいると

『くそ、この野郎のせいで』

と思うと、ムカクカする思い。

『この野郎のせいだバカヤロウ!』

と、自分が悪いのではなく、全部Hのせいだと思うと

『なんで俺がこんな目に遭わなきゃならんのだ!』

『絶対に負けねえぞ!』

と急に、いつもの悪魔のような性格の自分を取り戻し、にわかに元気が復活!

『なあにがギャンブルだこの野郎!』

『酷い目に遭わせてやる!』

と、どう仕返ししてやろうか考えているとHがグーグーとイビキをかきはじめた。

『のんきにイビキなんぞかきやがって』

と思ったとたん、ふと、

『母ちゃんではなく、こいつの財布から金を奪ってやろう』

『こいつの財布から抜き取った金でこいつに支払ってやろう』

という知恵が湧いたのである。

まあ、それを知恵っていうのかは別として。

(つづく)

【ギャンブル必勝法?】最後の最後の最後の最後に勝つ方法2/4

Hからの督促状

で、負けがこんでからというものHの誘いには乗らず、ギャンブルなどからは完全に足を洗ったのであるが、当のHはしきりに電話で7万を督促してくる。

無視していたが、冗談か本気かわからないのだが、ショートメールで

「何月何日までに必ずお支払いください。支払いの無い場合は法的手段に…」

などと前置きし、自分の口座番号を寄こしてきたのである。

「何が法的手段だ!」

「てめえが法的手段で拘置所なんぞに入ったんだろうが!」

「拘置所に送り返してやるぞ!」

と早速電話したのであるが、

「まあまあ」

「でも払ってね」

などと言う。

仕方がないので、

「次会った時に払うわ」

と言って、急いでロト6を買いに行ったのである。

頼みの綱のロト6

まあ、ロト6があたるはずもなく、だからと言って支払う金もなく、母親の財布から金をくすねて支払おうとしたが、ギャンブルでの負けを、しかもHなんぞに母ちゃんの金を充てるなどはもってのほかであり、絶対にイヤだ。

というか、理由はなんであれギャンブルの負けを払うのが嫌だ。
例え金があっても嫌だ。

ロト6が当たっても払いたくない!

こういうことを言うと、ギャンブル好きな人は

「それはルール違反!」

「ギャンブルの勝ち負けは恨みっこなし!」

などと訳知り顔でほざくのだが、嫌な物は嫌なのである。

何がルール違反だ!

ギャンブルそのものがルール違反だろーが!

恨みっこなしなんて言ってたれっか!

俺は恨みっぽいんだよ!

と言いたくなる。

と、冒頭で書いた通り、私はギャンブルが嫌いであり、且つ、ギャンブルでの負けなどは払う気はなく、どこまでも自分に都合のいい男なのである。

そのため、くれぐれも私をギャンブルには誘わない方がいいですよ。

でも

しかしHには支払う約束をしてしまった。

金は無いし、どうすればいいのか?

 

Hとギャンブルで勝てばいいのか?

しかし博才は無いし。

「まあ、のらりくらりと督促をかわし、時間が解決するのを待とう」

とお得意の逃げの姿勢でHと会う日を迎えてしまったのである。

(つづく)

【ギャンブル必勝法?】最後の最後の最後の最後に勝つ方法1/4

私、ギャンブル嫌いです。

私はギャンブルが嫌いである。
嫌いと言うよりは勝ったことが滅多にない上、負けたときには気が狂いそうになるくらい頭にくるので手を出さないのである。

また、ギャンブル自体やっていて面白くなく、例えばパチンコなどやっている場合に

「なんでこんなことせにゃならんの?」

「なんでこの機械を睨み続けねばならんの?」

と思い集中することが出来ないのである。

そんな私だが、私なりにギャンブルに負けても負けても最後には負けなかった出来事があるので書く。

いろいろ時効の話です。

今から20年ほど前、多重債務に陥りはじめの貧乏のどん底の頃の話。
友達数人で上京したものの、全員色々あってほぼ同時期に都落ち。

26歳で、地元の愛知県で悶々としていた夏の話である。

小学校からの同級生のHとは、中学のころに共にバンドを組んだ。

私がボーカルでHがギターである。

Hは、学生の頃からとにかく博打が好きで、競馬やパチンコに熱中し、家ではギターを弾くかチンチロリンをするかどちらかという生活をしていたのである。

そういう性格がたたってか、大人になってバンドに見切りをつけ、イケナイ所で働き出した。

が数年後、Hは組織ぐるみの賭博関係で逮捕されてしまって新聞沙汰になった。

数か月で拘置所から出てきたHは、お詫びの意味なのかなんなのか、組織にそういう習わしがあるのか知らんが組織から四百万円を受け取ったのである。

「当面の生活費はあるし、暇だし、久々に会わんか?」

と昔のバンドメンバーに召集をかけて我々は久々にHの家で集まることになった。

Hは以前のボロアパートではなく、ワンルームながら広く、打ちっぱなしの中々にオシャレなマンションを借りており驚く。

彼は昔からテレビが嫌いでテレビは部屋になく、また家具の類もない。

持っていたギブソンのレスポールやフライングVは売ったらしく、象さんギターが一本あるだけである。

他にもベッドもなく、タオルケットにくるまって寝ているらしい。

にも関わらず部屋の中にはちゃっかりバカラ用のテーブルが置かれているのに驚いた。

「いくらギャンブル好きでもここまでのヤツはなかなかいねえな」

と集められた我々は話していたのである。

Hの家でサイコロポーカー

で、積もる話をしながらもHの家でバカラのテーブルの前で、Hがギャンブルをやならいはずがなく、サイコロポーカーとやらをやらされるハメになってしまった。

よくルールも分からんままにやらされたのだが、やっていてわかるのはポーカーというのは、資本金が多いヤツが結局は勝つということ。
(他のギャンブルも似たり寄ったりではないか?)

で、その日はあれよあれよと3万ほど負けたことになったらしい。

らしいというのは、本当にルールもよくわからずやっていたので、最後の計算でそんなことになっているので驚いたからである。
他のメンバーはプラスマイナス0で結局は私の一人負け。

が、払う金もないし、払う気もないのでもちろん支払わず。

Hは

「付けておく」

などといってご丁寧の貸しを手帳に書いてけつかる。

その日を境に、Hは暇なこともあって、なにかにつけて我々を呼び出し、サイコロポーカーだのバカラだのチンチロリンだのをやりだした。

私といえば勝ったり負けたりを繰り返しながらも、持前の博才の無さで最終的には7万の負けと相成ったのである。

多重債務のさなかにそんなもん払えるはずもなく、そもそも友人同士のギャンブルなどは

「金なんかかけたら違法だ!」

「俺は遊びでやっていただけで、払う筋合いなど全くねえ!」

と、これまた持前の虫の良さを強引さで

「だいたいこんなもんイカサマだバカヤロー」

とテーブルの上をぐちゃぐちゃにして解散していたのである。

(つづく)

【熱狂!FMW】涙のカリスマ、大仁田厚との思い出③

イベント終了

全試合が終了したし、はぐれた友達とも会えたし、帰ろうかと思っていると、従妹の姉ちゃんが私を見つけ

「大仁田と写真撮りたい?」

と言う。

聞けば、従妹の姉ちゃんのツテでバックステージに入れるという。

そんなもん、撮りたいに決まっているので控室に連れてってもらうことになった。

控室へ行こう!

ドキドキしながら階段を駆け上がる。

本当に大仁田と会えるのか?

大仁田と何か話せるのか?

一番のファンである涙のカリスマ、大仁田厚と会う。

リングサイドでなく、楽屋裏で会う。

大勢の中から顔面に水をぶっかけられるといった特殊な状況ではなく、きちんと会う。

大丈夫か、俺よ。

と、思いながら体育館の控室という、だだっぴろい部屋につく。
まず、ダミアンが居て驚いた。

奥には大仁田がいる。

私と同じようにツテでやってきた数人が短い行列を作っている。

大仁田はその行列に並んでいる者達と次々に写真を撮っている。

大仁田といえば、ファイヤー!の時代

大仁田といえば、

「ファイヤー!」

である。

大仁田はカメラ目線で指をさし、事あるごとに

「ファイヤー!」

と絶叫していた。

ちょっと前までブラックマヨネーズの小杉が

「ヒーハー!」

とよく言っていたがあの要領で、大仁田は

「ファイヤー!」

と絶叫していたのである。

当時は何も感じなかったが、何がファイヤーだったのだろう?

私の番が来た!

で、何がいいたいかと言うと、大仁田はこのファンとの写真撮影の際、シャッターがきられるたびに、疲れていたのだろう小さい声で

「はい、ファイヤァ」

「はい、ファイヤァ」

と嫌そうに気怠そうに言っていて

『あ、なんかやっぱちょっと怖いかも』

と思ったものである。

で、撮ってもらった写真がこちらである。

よく見ると大仁田と私たちは、別のカメラを見ているのが笑えるが、大仁田も疲れていながら割と笑顔で撮ってくれていることに気が付く。

当記事の冒頭でフロンティア・マーシャルアーツ・レスリング、略してFMWをご存知だろうか?

「ご存知だろうか?」

などと書いた私だが、実のところ、FMWに関してはせいぜい1994年くらいまでしか知らないので困ったものである。
高校卒業と共に熱も冷めまったく興味がなくなってしまった。

催眠が解けたのだろう。

だがしかし、調べてみれば2002年に幕を閉じたFMWも、1994ぐらいか一番良かった時代であり、それ以降は知らない方が良かったような事実ばかりであり、1994年でFMWの思い出が止まっている私は、幸せなFMWファンと言えるかもしれない。

【熱狂!FMW】涙のカリスマ、大仁田厚との思い出②

大仁田厚登場!

で、いよいよエースの大仁田厚が登場する。

会場中、もう本当に熱狂で訳が分からなくなる。
試合内容なんて別にどうでもいい。

リングサイドに大仁田信者の男どもが集まり、とにかく

「オーニタ!オーニタ!」

と声も枯れよと絶叫する。

後ろからもギュウギュウと押されて苦しいが問題じゃない。
とにかく

「オーニタ!オーニタ!」
「オーニタ!オーニタ!」

と叫ぶ。
もうそれだけ。

試合中、近くに大仁田が倒れると、その辺りの者が一斉に大仁田にボディータッチをする。

当たり前といえば当たり前なのだが、大仁田が超汗臭いことにも気が付いて、ファンは一瞬集団催眠から覚め知らない者同士で

『なんか臭いね』

と目くばせをするがすぐに

「オーニタ!オーニタ!」
「オーニタ!オーニタ!」

の声で再び催眠状態に入って行く。

で、大仁田は負ける。
だいたい負ける。

で、泣く。

お決まりで泣く。

大仁田厚のマイクパフォーマンス

で、泣きながらスタッフから投げ込まれたマイクを持つ。

マイクを持って何か話そうとするが、試合直後で息苦しいのだろう

「フンッフンッフンッフンッ」

となんども短く息をする。

で、何か話そうとするが、まだ苦しいのだろう再び

「フンッフンッフンッフンッ」

となんども短く息をする。

で、ようやく呼吸も落ち着きかけて放つ第一声は

「お前らッ!」

である。

間違いなく、第一声は

「お前らッ!」

である。

で、続く第二声は何かと言うと、

「お前らッ!」

である。

第二声も同じく

「お前らッ!」

なのである。

つまり、大仁田はマイクを持つと

「フンッフンッフンッフンッ」

「フンッフンッフンッフンッ」

「お前らッ!」

「お前らッ!」

と言うのである。

毎回同じである。

お前らと言われた我々は固唾をのんでなにを言われるのか待つ表情を一応はするのだが、内心このあと何と言うのか全員が知っている。

で、三言目に

「お前らッ!俺らは生きとんじゃっ!!」

と言ってマイクをリングに叩きつける。

言われた我々は、

『生〝お前ら俺らは生きとんじゃ〟が聞けたな』

と思い喜ぶ。

水吹きの儀式

ここからが本当に今から考えると異常な儀式が始まる。

今度はスタッフから赤や青のペンキが塗られたビール瓶がリングに数本投げ込まれる。
ビール瓶の中には水が入っている。

それを大仁田が掴むと中の水を口にする。

で、リングサイド周りに集まった我々観客に向かって

「プーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッツ」

と口に含んだ水を噴射するのである。

リングサイドの四方八方に向かって

「プーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッツ」

また水を口に含んで、次は、大仁田の衣装を掴むファンの顔に数センチの所から

「プーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッツ」

と次々にファンの数人かの顔面に向かって噴射される。

偶然にもこの時、私も大仁田厚から顔面に直接水を噴射され

「ああ、幸せだ」

と恍惚の表情になったのである。

今から考えるとただただ気持ちが悪い。

で、水吹きの儀式が10分ほど続くと、大仁田はリングを降りる。

控室まで歩く大仁田厚

降りて、負傷した脚を引きづりながら控室に戻ろうとする。
我々リングサイドで試合を観ていた大仁田信者はそれで終わりと思っているのだが、控室に戻る大仁田に対し、それまで近くで見ることのできなかった者達が押し寄せ、もみくちゃにされて倒れる。

倒れると再び

「オーニタ!オーニタ!」
「オーニタ!オーニタ!」

と大仁田コールが起こり、大仁田が立ち上げるのをみんなが見守る。

大仁田は、立ち上がり、再び控室に向かうのだが、何度も何度も倒され、何度も何度も立ち上がるのが遠くから見える。

あまりの執拗さに疲れ果てたのか大仁田は苦笑いで

「もう帰らせてくれよ」

とつぶやいたのが印象的である。

が、図に乗ったファンはそれでも大仁田にまとわりつき、大仁田が倒れる。

すると、大仁田を心配に思った(フリをした)ファンの一人が大仁田に駆け寄り、肩を貸す形で立ち上がった。

見ると、そいつははぐれた友達であった。

バカヤロウ、面白いことをやりやがって、と思う。

そのままその友達は、大仁田と肩を組みながら控室へ向かう扉の向こうへと消えていった。

後で聞くと、扉が閉まった瞬間、大仁田から

「もう、いいから」

と冷たく言われ、大仁田は脚を引きづることもなく、奥へ消えていったと言う。

(つづく)

【熱狂!FMW】涙のカリスマ、大仁田厚との思い出①

FMWを知っていますか?

フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング、略してFMWをご存知だろうか?

このFMW、知らない人に説明すると、1989年、大仁田厚が旗揚げした亜流のプロレス団体である。

若手の読者でもランニングシャツの大仁田厚がロープに飛ばされ、ロープに触れるやいなや電流爆破などと言う名のインチキくさい爆音と白煙があがるシーンをみたことが有る人も多いのではないか?

まあ、ああいった類の過激なパフォーマンスプロレスをメインにしたプロレス団体である。

FMWは、全てにおいてインチキ臭い。

所属するプロレスラーもインチキくさい者が多い。
だいたい、よく見ればエースの大仁田厚にしてずんぐりむっくりでカッコ悪い。

大仁田のライバルのターザン後藤も、サンボ浅子など当時のメインのレスラーもずんぐりむっくりである。

にもかかわらず当時は、本気で彼らをカッコいいと思っていた私はじめFMWファンは全員で集団催眠にでもかかっておったとしか思えない。
サブのレスラーは、パンディータなどというパンダの恰好をしたレスラーなどトホホ状態。

FMWの来日外人選手と言えば、や、ダミアンなどという額に〝666〟と書いたレスラーや、ザ・シークなどなど異彩すぎる顔ぶれ。

当時プロレスとロックの融合として開催されたイベントに於いて共演したロックバンド、ザ・ブルーハーツのボーカル、プロレス好きとして知られる甲本ヒロトにしてまでがパンディータの試合を観て

「なんか、バカみたい」

と言って呆れ果てたという逸話をもつほどなのである。

FMWは、女子と男子の混合団体

このFMWは男女混合団体なので、アイドル的な存在の女子プロレスラーもいるので、バカ高校生だった私がどっぷりハマる要因にもなったのである。

工藤めぐみ、写真集とか買ったなあ~。
その後、外道と結婚!

そういえば、許せぬカップルがここにもいたぞ!

FMWはLIVEが一番!

さて、このプロレス、試合はテレビ中継はしておらず、週刊ゴングというプロレス雑誌で試合結果を見たり、通販でイベントのビデオを買って観たり、近くに興行が来たら観に行ったりするしか無かった。

かといって仮に毎週テレビで放送なんかしても大して面白くなかっただろう。

FMWは、なんといっても興行!ライブで見るに限る。

私の出身地の愛知県は、なんだかわからんが頻繁にプロレスの興行が行われ、タダ券などもよく手に入ったのでよく観に行った。
新日本プロレスや全日本プロレスの王道のプロレスも勿論面白いのだが、FMWは自ら邪道と名乗るだけあって邪道中の邪道。
邪道の王道というよくわからんことになっているのだが、もう面白いったらない。

高校生、FMWの試合を観に行く

その日も、もらったタダ券で私は友達数人と、FMWの試合を観に行った。

近くの私立体育館である。

もらったチケットは二階席の最後部である。

この場合、新日本や全日本の場合は見えにくい思いをするのだが、FMWの場合はどこ席だろうが関係ない。

なんで関係が無いかというと、観客は全員立っているからである。
立っているどころか、走り回っている。

二階の自分の席には荷物を置くだけである。

メインの前の試合に、外人レスラーのタイガー・ジェット・シンが登場すると会場は熱狂の渦に巻き込まれた。

なんで巻き込まれるかというと、タイガー・ジェット・シンは入場するとリングに上がるまで、観客にサーベルで殴り掛かってくる(そぶりだけ)からである。
観客は慌てふためき席を離れて鬼ごっご状態になる。

その混乱に乗じて二階席の者達は一斉に一階に飛び下り、リングサイドに押し寄せプロレスだかライブだかわからん状態になるのである。
一緒に来た友達数人とも全員はぐれた。

(つづく)

【中学の嫌な思い出】誰一人、得しなかった話。

中三の春

中学三年になったばかりの春に、同級生のMと言う男が

「受験勉強を控えてこんなもの読んでる場合じゃない」

と思い立ったとかで、大量に収集してしまったエロ本の処分に困り、河原に捨てに行ったという。

「俺、河原にエロ本とか一杯落ちてるけど」

「いったいどんなヤツが捨ててるんだろう?どんな変態なんだろう?って思ってたけど」

「俺のような奴が捨ててるんだってことがわかった。」

と言っていて大いに納得したことがある。

この様に昔は河原や雑木林なんかに如何わしいブツが廃棄されておったものである。

こって牛が入手したビデオ

同じく中学三年の春、同じバスケ部に所属する〝こって牛〟というニックネームの九九のできない愛すべきバカキャラのヤツが、如何わしいビデオをどっかで拾ったんだか貰ったんだかして入手したと言う。

それを聞いた男子バスケ部三年一同(8人くらい)で

「一大事だ!」

「千載一遇のチャンス!」

などとバカ丸出しでほざき、その日、さっそくバスケのスキルではなく人の好さだけでキャプテンに選ばれたヤツの家に集まって鑑賞会を開くことになった。

ビデオにはいかにもなタイトルの、いかにもなフォントのラベルが貼られており、いやがうえにも我々の気分が上がる。

キャプテン家の居間で、電気もつけずにカーテンを締める。

キャプテン家の親兄弟が帰ってきても隠蔽する時間を稼げるように玄関はじめ家の入り口全部に鍵をかける。

再生しよう!

今はなきビデオデッキにこて牛の持ってきたVHSのビデオを挿入し、再生する。

我々一同で、固唾をのんで、これまた今はなき、ブラウン管を見つめる。

再生されるまでの真っ暗なブラウン管には我々が反射して映りこんでおり、照れくさい思い。

で、いよいよ作品が開始されたが、その主演女優がなんとかいうか、もうオバサンなんである。

冝保愛子のような女優なのである。

冝保愛子が、セーラー服を着ており、助演男優が脱がし始める。

その助演男優の方も、真っ赤な靴下に白いブリーフを履いたオジサンであり、気持ちが悪い。

しかし中学生のリビドーは、計り知れぬものがあり、60分程度のその作品を文句を言い言い一応最後まで全員で観たのである。

おぞましい。

上映終了後、

「いや、酷かったね」

と言い合い、もうコリゴリと思って、それぞれが帰宅の準備に入る。

如何わしいVHSのビデオを手に

「これどーするんだよう!」

などと半泣きですがり付いてくるキャプテンを全員で無視してブツをキャプテンの家に放置して現地解散したのである。

翌日の部活前

前翌日の放課後、部活の開始のとき体育館の前で、キャプテンが相変わらずの半泣きの表情で、女子バスケ部も近くにいると言うのにかかわらず

「お前らこれどーすんだよう!」

と補助バックから例のビデオを出して持ち上げる。

「バカヤロウ、そんなものを学校に持ってくるんじゃねえ!」

「しかもここで出すんじゃねえ!」

と全員でキャプテンを押さえつけ、その場にいなかったバスケ部一気が弱い、〝チリ〟というニックネームの強烈な天然パーマのヤツの補助バックにそのブツを押し込んで

「これでいいね?」

と、チリ以外全員が納得したところで、そんなことは露ほども知らず、戻ってきたチリを含めた全員で練習を開始したのである。

練習後

練習後、こって牛が

「あ!俺のバックにビデオが入ってる!」

と言い出した。

どうやらチリが自分のバックに入っていたブツを発見し、いつの間にかこって牛のバックに入れた模様。

「というかもともとテメエんだろ」

「お前が持って帰れ!」

と言って、こって牛にビデオを押し付け、いつものようにだべりながら、みんなであちこち寄り道をして帰宅したのである。

私の家で

で、家で補助バックからジャージを出そうとすると、なんと私のバックにブツが入っている。

「まったくいつの間に!」

「こって牛の野郎!」

と自分で顔が真っ赤になるのがわかるくらい怒り心頭に発し

「ただじゃ済まさん!」

と、自転車に乗って2キロ離れたこて牛の家に行き、こって牛の家の玄関直結の郵便受けにそのビデオを放り込んで帰って来たのであった。

あとで聞いたところによると、その日のこって牛は、家族中から変態をみる眼差しで見られつづけ、食事も喉を通らず、針のムシロであったという。

【青森→札幌】貯めた金をすぐに使い切る方法 3/3

連日連夜のススキノ通い

そうして始まった私のススキノ生活は、夜の店に連日連夜通い詰めておった。

「一度、同伴出勤をしてみたい」

と思い、同伴出勤をし

「なんだこんだけのもんかよ」

と思ったり、開店から閉店まで居続けると言ったことをしておった。

キャバクラでは、1セット何分だかの決まりがあり、その時間終了間際になると男性店員が寄ってきて

「お時間ですが延長どうしますか?」

的なことを聞いてくる。

キャバクラはタチが悪いもので、いつまでたってもキリがいいタイミングなんてもんはなく、金と時間さえあればずっと居たくなってしまうもんである。

幸いというか、金も時間も有り余ってたもんだから近寄ってくる男性店員に

「いちいち聞きに来なくても大丈夫ですよ」

「ラストまでいるから少し割引いてよ~」

などと答えておった。

現金がない状態でキャバクラに居続けるということ

ある日、同じようにキャバクラに行き、1セット終了間際に男性店員が近寄ってきて、延長の有無を聞いてきた。
その日は、銀行から金を下ろすのを忘れて財布の中が延長をするほど余裕が無かったので

「今日はもう帰ります」

と言うと

「そんなこと言わずに~」

と言う。

「でも、金がないからさ、コンビニで下ろせばあるけど」

と言うと

「閉店してから、コンビニまでついていきますよ、で、そこで払ってくれればいいですから」

と言うので、

「物分かりのいいひとだね」

などと言って、結局ラストまで居続けた。

 

閉店後にコンビニATMへ行く

店が終わり、泥酔状態で店の店員二人に付き添われてコンビニのATMに行き、ATMにキャッシュカードを挿入すると

〝時間外につきお取り扱いできません〟

と表示される。
たまにある、なんか営業時間的な問題で、翌日朝まで金が下せないヤツである。

「やばっ」

と思うが、初めてきた店ではないし、なんとかなるだろうと付き添いできた男性店員二人に

「あのさ、翌日まで下ろせないくってさ」

「明日また金持ってきますわ」

と告げると

「ああ、大丈夫ですよ~」

と言って、某サラ金の無人契約機に連れて行こうとするので

「ワッハッハッハ!」

と笑って

「あの、俺さ、この会社に過払い金訴訟を起こしてるから、この会社、もう貸してくれないよ~」

「っていうか、明日持ってくるからさ~」

と言うが、

「やばいですよ、こいつ」

「こいつ、ヤバイやつですよ」

などと抜かしながら、私を閉店した店へと連れていく。

すると電灯が明るくなった店の中で、付き添いの二人から話を聞いた寺島進そっくりな兄貴的な店員が出てきて

「金がないそうですねえ」

などと言う。

※写真は寺島進。

閉店したキャバクラ内にて

こっちも酔っぱらって気が大きくなっているし、そもそも銀行の都合で朝まで払えないだけなのに、まるで無銭飲食扱いであることに腹が立ち

「あのさ、さっきからヤバイ奴だかとかなんだとか言ってるが、失礼だろ、泥棒扱いするんじゃねえよ」

「そもそもコンビニまでついてきて払えばいいっていったのはそっちだろ」

「だいたい、また朝になりゃ払うっていってるだろうが」

「逃げると思ってるなら、ここで泊めてくれよ、駄目ならお前らの寮でもなんでも連れてってくれよ」

というと

「兄貴、どうしますー?」

などと店員同士の話し合いがしばらく続いた。

で、結局、運転免許、保険証、携帯電話を店長と名乗る男に預けさせられて、その日は解放された。

翌日、夕方、店舗の開店と同時に支払いをし、預けたブツを取り戻した。

お客の上中下

落語の世界では、そういう店で働く女性からすると客には〝上中下〟があり、

『上は来ず、中は昼来て昼帰り、下は夜来て朝帰り、そのまた下は居続けをし、そのまた下は居残りをする』

なんて言われるので、そういう意味ではちょっと金を得たからといって、そういうところに通い詰め、結果居残りをしてしまった私は、今考えれば、まったく、無粋なことをしたもんであると反省している。

 

とまあ、こういった生活を半年も続けると、あっという間に貯めた金などはなくなるのである。

まかり間違えば私もアニータの夫のようなことになっていたのかもしれないなあと怖くなる。

血気盛んもほどほどに。

男性諸氏はご注意ください。