【急に残高0!】住民税による口座差し押さえ体験記②

頭の中が真っ白になる

数分間、キャッシュコーナーの前をあてもなくグルグルと歩き回る。
頭の中は真っ白である。
こういう時、人間は希望にすがりたくなるもので

「もしかして会計の都合で給料日が祝日明けである明日、9月の17日に後ろ倒しになったのか?」

「そうならそうと会社もちゃんとお知らせしてくれよー」

「まったくモウ」

と念のために会社に電話をする。

呼び出し音を聞きながら

『ちゃんと事前に教えてくれないと困るって怒ってやるからな』

と思っていると会社の知り合いの中年男性が電話に出た。

「あのー、今月の給料って、祝日明けに振り込まれるんですよね?」

と言うと

「はあ?もう振り込まれたでしょ」

と答える。

何をたわけたことを抜かしやがんだ、このバカ野郎、ちゃんと確認しやがれと思い

「いや、こっちは確認したところ、まだ振り込まれてないんでね」

と言うと

「俺は金曜に振り込まれてたよ」

とあくまで言い張る。

「いや、でも」

と言いかけると

「ちょっと待って」

と言って保留にされた。

しばらく待つと保留が解除され

「他の人にも聞いてみたけど、やっぱりみんな振り込まれてるって」

と言う。

意味が分からん。

俺だけ会社に嫌がらせされているのか?

大人の社会にもいじめは有るというのは本当だったのだな、と一瞬思うがそんなはずはなく

「まあ、わかりました」

と言って電話を切る。

何かが起こっている。

 

銀行側の都合か?

だいたい、残高がキッチリ0円というのが理解出来ない。

いくら給料日前だからって、数百円は残っているはずである。

キャッシュカードで引き出している以上、きっちり0円になるように引き出せるわけがない。

「ああそうか、キャッシュカードかATMの故障だ!」

「何か銀行側の都合だ」

「ほら、祝日で使えないとか、なんだよ人を驚かすんじゃねえよ」

「心臓に悪いわ」

と再びキャッシュコーナーに入り、確認をとるため備え付けのインターフォンを持ち上げる。

 

呼び出し音が鳴ったあと、担当の女性オペレーターが出た。

「あの~、残高が0円になってるんですが、何かの故障ですよね?」

と尋ねると、私のカード番号や個人情報を聞かれたので素直に答える。

「少々お待ちください」

と言われて、保留音が流れる。

のんきな曲が流れつづける。

すると、曲が終わる。

で、また初めからのんきな曲が流れる。

「結構待たされるな」

「でもぜんぜん構わん。もっとどんどん調べてくれ」

「機械の故障なんて滅多にないんだろうから焦ってるだろうな」

「さて、サウナに入って、夜は寿司か焼肉か、どっちにすべきか」

などと思っていたら保留が解除され、さきほどの女性オペレーターで出る。

「大変お待たせいたしました」

はは、いいってことよ、と思いながら

「はい」

と答えると

「現在、岡村様の口座からはお引き落としが出来なくなっております」

と言う。

『はいはいはいはい、それはもう、それはもう、十分すぎるほどわかっておりますが』

と思い、

「そうです。で、原因は?」

と答えると

「ですから現在、岡村様の口座からはお引き落としが出来なくなっております」

「ですからって、ですからそれはわかっているんですが、原因がわからなくて」

と、ですからをですからで返すが、あくまで女性オペレーターは

「現在、岡村様の口座からはお引き落としが出来なくなっております」

と言う。

『言いたいことはそれだけ』

『あとは電話を切るだけ』

とでもいいたそうな口調である。

と、電話を切られちゃたまらんので、ストレートに

「原因はなんですか?」

と尋ねると

「お答えしかねます」

と言う。

お答えしかねるということは、お答えをしっているが、し兼ねると言うことである。

し兼ねると言っている物をたずねたところで教えてはくれないルールなんだろうから原因を聞くのは諦めるとして

「じゃあ、私の場合がどうこうじゃなくて、一般的にこういうケースではどういうことが考えられますか?」

と聞くと、

「一般的にもお答えしかねます」

と言う。

「じゃあ、こういう時、どこに相談すればいいんですかね?」

と聞くと

「本日は祝日なので窓口がやっておりませんが、明日9:00から17:00に改めてキャッシュカードに記載されている電話番号にお問い合わせください」

と言う。

はじめから、そういえばいいのに、まったく、と思ってインターフォンを置いた。

しつこいようだが、この時、私の財布の中身は130円である。

(つづく)

【急に残高0!】住民税による口座差し押さえ体験記!①

差し押さえは突然やってくる

忘れもしない2013年9月16日、月曜、祝日、敬老の日。
その日、私は休日であり、当時の私の休日の過ごし方としてルーティーンになっていたスーパー銭湯へバスに乗って向かった。

スーパー銭湯の最寄のバス停で降りると、財布の中が130円になったので

「サウナに入る金含め当面の生活費を引き出しておかねば」

と、近くにあった銀行のキャッシュコーナーに入る。

毎月15日が給料日だが、9月15日が日曜ということで、前倒しの9月13日の金曜日に振り込まれている。

「さて、今月はいくら入ったかな?」

と思いながらキャッシュカードをATMに挿入する。

「三か月に一回支払われる交通費も入るはずだからいつもより多いはずだぞ」

と思い、ATMの画面の〝お引き出し〟を選択して押す。

「さあ、今日はサウナに入って、夜は寿司を食べよう!」

と思い、ATMに求められるままに暗証番号を入力。

「寿司もいいけど、焼肉もいいなあ」

などと思い、引き出し金額を3万円と入力した。

すると

〝しばらく、そのままでお待ちください〟

という女性っぽい機械の音声が流れ、ATMの中で札が

ガガガガガガガ・・・・

と数えられる様な音がする。
で、少しすると

〝恐れ入りますが、もう一度はじめからやり直してください〟

という音声が流れて、差し込んだキャッシュカードが押し戻されてくる。

画面には銀行員の男女が頭を下げているイラストが表示される。

 

「はて?」

「3万円程度で残高不足のはずはないが?」

まあ、何かが間違ったんだろう。

「まあいいや」

と深く考えず、差し戻されたキャッシュカードをもう一度、ATMに挿入。

「さて、今月はいくら入ったかな?」

と思いながらキャッシュカードをATMに挿入する。

「三か月に一回支払われる交通費も入るはずだからいつもより多いはずだぞ」

と思い、ATMの画面の〝お引き出し〟を選択して押す。

「さあ、今日はサウナに入って、夜は寿司を食べよう!」

と思い、ATMに求められるままに暗証番号を入力。

「寿司もいいけど、焼肉もいいなあ」

などと思い、引き出し金額を3万円と入力した。

すると

〝しばらく、そのままでお待ちください〟

という女性っぽい機械の音声が流れ、ATMの中で札が

ガガガガガガガ・・・・

と数えられる様な音がする。
で、少しすると再び

〝恐れ入りますが、もう一度はじめからやり直してください〟

という音声が流れて、差し込んだキャッシュカードが押し戻されてくる。

画面にはさきほども登場した銀行員の男女が頭を下げているイラストが表示された。

 

何か、ただごとでない気がする。

とてつもなく嫌な予感がする。

 

急に残高0!

とりあえず、残高を確認しようと、みたびATMにキャッシュカードを挿入。

〝お引き出し〟ではなく、〝残高照会〟のボタンを押す。

求められるままに暗証番号を入力。

数秒待たせれたのち、ATMの画面になんと、残高が0円である旨が表示された。

「ちょっと、外の風に当たろう」

と思い、キャッシュコーナーを出た。

(つづく)

【mixi日記で振り返る】元祖ネットカフェ難民への軌跡  ⑦~完結編~

2007年1月5日の日記 タイトル「東京住所不定」

新潟出張の延長が見事に失敗し、 私は今、文字通り宿無しの生活を送っております。 

漫画喫茶で年を越しししながら 隠れて持ち込んだシュウマイを食べ、 カップ酒を飲みハラハラと落涙したり、 カプセルホテルでホモに追いかけられたり、 友人知人のお宅にお邪魔したりして なんとかかんとか生き延びております。 

ある時は沼袋で寝、ある時は、笹塚で寝、ある時は要町で寝、毎日毎日、いろいろな街を楽しんでいますが、 

「果たして今夜はどこで寝るのか?」 
「哀れ岡村は、ついに東京砂漠の砂になるのか」 

と、今夜の行き先も決まらぬ生活は、なかなかスリリングで楽しくもあるものの、 心身共に疲れ果て、このままでは本当に死んでしまいそうです。 

そして、明日は8日振りの休み。 

いったい何処にいろというのだろう? 

と、まあ暗くなっててもしょうがないので、 こういう気持ちをバネにして、 早いトコ、自分の部屋を手に入れるぞ! 

どうせなら倉庫みたいな部屋とか 屋上についてるおまけみたいな部屋とか 変な部屋に住みたいと思っているのだが、 なかなかそんな物件は見つからない。 

で、そんな話を本日職場でしていたら、 
「東京R不動産」 
なる不動産屋さんの存在を聞いた。 

見てみたらすごく面白い! 

もうこうなったら絶対、変な部屋に住んでやるもんね。 

 

★解説

 

12/30の深夜、今は亡きムーンライト越後という深夜の東京行き列車にのり、大晦日に東京で働いてまんが喫茶で紅白をみて、悲しい正月を過ごした日記である。

調べたところ、ネットカフェ難民とはじめて報道されたのは2007年1月28日のNNNドキュメントであり、私のネットカフェ生活のあとだったので、本当はもっと前からいたのだろうが、勝手に元祖ネットカフェ難民と名乗らせてもらっている。

当時、泊めてくれた友人から

「ゲストハウスっていう外国人向けの安宿がありますよ?」

「電話だけでもかけてみたら?」

と言われて電話したら、

「今、空きがないんですよね」

「空きが出たら連絡します」

と言われて落ち込んだりしたこともある。

 

ちなみにこの日記は、新宿のカプセルホテルにある〝ビジネスルーム〟とかいう、ただパソコンが置いてあるだけの倉庫みたいな部屋で書いていました。

 

2007年1月27日の日記 タイトル「死ぬかと思ったー!」

 

本日、久々の休みだったが、要る所も やる事もないので不動産屋に行った。 

で、部屋を借りてきた。 

場所は笹塚。 
入居は2/15。 

2/1~2/15まで新潟再出張が決定したので、 この生活も残り数日である。 

やったぞ! 
ハッキリ言って死ぬかと思った! 

だけれども、こんなクソみたいな生活も、 いよいよ終わりに差し掛かってみると、 なんだか名残惜しく感じるから不思議だ。 

(惜しむな) 

 

 

★解説

無事にアパートを借りられた日記である。

しかし、結局、アパートを借りる資金15万円を職場の同僚から借りたという、だったら、はじめから借りておけば滞納分の家賃を払って宿無しになったり、会社にむりを言って新潟に行ったりとか必要もなかったのである。

ということで、長くなったがこうして私の宿無し生活は終了したのである。

 

ちなみにこの後、2008年暮れに年越し派遣村が設置され話題になった。

2006年の暮れにあれば間違いなく行ったのにとちょっと悔しかったことを思い出す。

最後に、無事に部屋を借りてから2年後、2009年4月の日記をもって終了とする。

 

2009年4月10日の日記 タイトル「恥」

 

とある事情で一時期、宿無しになった事がある。

その時に友人から

「ゲストハウスって言う外国人旅行者が共同で住む所が有りますよ」

「金が出来るまで、そこに住んだらどう?」

と提案された。

調べた所は、二段ベッドの12人部屋。

炊事、掃除は当番制。

“この際、異文化交流も良かろう”

と、ワラをも掴む思いで電話したのだが

「空きがありません」
「空き次第連絡します」

との事でニベも無く断られた。

ガーンと目の前が真っ暗になったが、幸い仲間や会社の協力で、宿無し生活もわずかな期間で済んだ。

それから数年経った今日、今、さっき、明大前にあるそのゲストハウスより電話。

「岡村さーん!」

「空きのベッドが出ましたよー!」

おめでとー、と言わんばかりの勢いである。

誰がそんなトコ行くか!

 

★解説

なんで、あのゲストハウスが、二年も経って電話してきたのか未だに謎である。

 

 

【mixi日記で振り返る】元祖ネットカフェ難民への軌跡 ⑥~新潟生活編~

2006年12月4日の日記 タイトル「巡回のブーちゃん」

 

★注意★ 
当日記は、下ネタ含有率が高い為、 
「そーゆーのイヤッ!」 
と言う人は決して読まないで下さい。 
「そーゆーのスキッ!」 
という人だけにお付き合い頂いて、 話を先に進める。 

___________________________ 

職場や学校で、前が膨らんでしまった時、 周りに気づかれない様にする為の男の行動は、以下の3パターンに分けられる事が厚生労働省の調査でわかったという。 
(わかってません) 

①机に座ってただじっと、収まるのを待つ。 
②世界情勢について考える。 
③むしろ誇示する。 

ボクとしては③は有り得ないので だいたい①と②の組み合わせで対処しているが、 新潟に来て、とても良い方法が見つかった。 

それは、 ボクの職場には、職場内をグルグルと歩き回り、作業をする人が質問がある場合、そこに駆けつけ質問に答える立場の俗に”巡回”と呼ばれる人がいるのだが、その巡回のメンバーの一人に 巨漢、且つマッシュルームヘアー、 鼻=上向き、目=頬肉で釣りあがり、メガネ=食い込み、お腹=ユサユサ、ネクタイ=自殺行為、寝言=「おかわり」という、絵に描いた様なメタボリックシンドロームの 
”巡回のブーちゃん” 
と密かに名づけている人がおり、 
彼が、巡回中、質問対応の為、 作業中の人の元へゼーゼー言いながら、 鼻の穴全開で、 汗ダクダクでドタドタ走る姿を見ると言うモノである。 

彼の存在は、膨らんだ前の鎮静化に劇的な効果をもたらし、 

「男性諸氏の為、クローンで彼を量産し、 クラスに一人、職場に一人は彼を配置すべきでないか?」 
「猥褻目的の事件の減少につながる!」 
「彼に警視総監賞を与えよ!」 

とまで思っているので、彼が職場に居ない時には 
「オレは今日一日どーすればいーんだ。。。」 
と、心底ガッカリする。 
(するな) 

だがしかし、彼と話してみると人当たりが優しく、 とてもイイ奴だったので、 

「あー、なんか、そんな事の道具に使って 申し訳なかったなー」 

と反省。 

休憩室でゆっくり話してみる事にした。 

俺「休みは何してるの?」 

ブ「そうですねえ、彼女とデートですかねえ」 

俺「(!!!!)あ、あ、そー」 

ブ「彼女、元スッチーでしてね」 

俺「(!!!!!!)ああ、そう」 

ブ「来月、結婚なんです」 

俺「(!!!!)へ、へえぇぇぇ」 

ブ「ボク、正月は挙式でハワイですよー。岡村さんは?」 

俺「・・・・・(マン喫で紅白です)」 

ブ「向こうは暑いだろーなー」 

俺「・・・・(表は寒いだろーなー)」 

ブ「今から練習してるんですよー」 

俺「何を?」 

ブ「”フラ”です。あ、”フラ”つってもわかんないか、 ”フラダンス”です。 通は”フラ”って言うんですよぉ? 見てて下さい。 ♪アロ~ハァァオエ~♪(と踊りだす)」 

首の骨へし折ったろか! 

と思ったが、 彼が恍惚の表情で、延々と、 彼曰く”フラ”を踊り続ける姿を見ていたら、 自分でもよく分からないのだが、 無性に勃起してきた。 

 

★解説

そろそろ新潟での仕事も終わりに向かって居り、半ばやけを起こしてかいている日記である。

当時は必死だったが、今読めば他人事で笑える。

 

2006年12月23日の日記 タイトル「酔えない宴会」

 

新潟出張が3日間延びた。 年内はなんとかなる。 

年始から部屋が借りれるまではどうなるのか。 

もっと延期させてもらえないだろうか?

と相談したところ、職場のトップの偉いさんも協力してくれ、 ゆうべは忘年会で、そこに 偉いさんの、そのまた上の 常駐では無い、決定権を持つ偉いさんが来るので、 そこでアタックしてみよと言われ、 終始その人の近くに座り、 笑いたくもないのに笑い、 笑われたくもないのに笑われ、 それとなく、遠まわしに延長の依頼をしてみたが、 
「勘違いしてもらっては困る」 
と言われてしまった。 

宴会も終わり、店を出て、途方に暮れていると、 職場の後輩達が、例の偉いさんを囲んで 
「なんとか岡村さんを」 
と推してくれていた。 

そしてその偉いさんは 

「即答は・・・・出来ない」 

と答えお茶を濁した。 

もう、俺はねえ、後輩達が推してくれてる姿を見た だけで、それはそれでとても嬉しいから、 それでもういいよー。 

でも、やっぱり諦めきれないなあ。

 

★解説

結局それ以上の延長は出来なかった。

(つづく)

 

【mixi日記で振り返る】元祖ネットカフェ難民への軌跡 ⑤~新潟発上陸編~

2006年11月12日の日記 タイトル「ローリングストーン」

 

小さい頃にイトコの家なんかに泊まって、 
朝、ふと目が覚めて、 
「あれ?ここどこだ?」 
って思った事ありませんか? 

「ありません。いつでも私は自分が何処にいるのかよく理解しています」 

というタイプの人は放っておいて、話を先に進める。 

ボクは今、毎朝、目が覚めると 
「あれ?ここどこだ?」 
と思っているのだ。 

何故か? 

それはここ数日で周りの環境がガラッと変わったからである。 

えー、いきさつを説明すると、 二ヶ月遅れで支払っていた家賃を、 更新日である10月の末に耳を揃えて支払わないと 強制退去と10月の頭に不動産屋から言われ、 
「払えないから出て行きます」 
と、ある意味男らしく言ったものの、 他に住む所もみつからず、会社に頼み込んで、 11/5より新潟へ出張で、ウィークリーマンション代、交通費を会社持ちで、行かせてくれる運びとなったからであります。 

そして、11月の2日に免許の書き換え等を済ませ、 翌日の3日に、メンバー全員酒のみすぎで、 ただでさえボロボロの演奏が、 輪をかけてボロボロだった 
「金を返してほしい」 
とまで言われたライブが終わり、さらにその翌日の4日に友人と二人で退去作業。 

軽トラックに、なんとかかんとか荷物を積み込み、 不動産屋に鍵を返して、荷物を置かせてくれる 後輩の家に運び込む。 

その晩は、その後輩の家に泊めてもらい、翌5日早朝に新潟へ向けて出発。 

最低限必要な荷物をキャリーに入れて ガラガラ引きながらの移動は、思った以上に 過酷なモノだった。 

昼前に職場につき、さっそく業務。 
深夜、職場から徒歩で20分の所にある、 ウィークリーマンションに付いて荷を解く。 

帰り道に買った焼酎、 大五郎、1.8リットル¥1160で、 イカの缶詰¥210を食べながら テレビを観ていると、 自分が今どこにいるのかよくわからなくなり、不安な気持ちになり 

「売られてゆ~く~の~」 

と心の中にドナドナが流れた。 

帰る家もないのにホームシックになった訳だ。 

(こんな誕生日いやだ) 

それからは、毎日早朝から深夜まで働き、 部屋に戻って酒飲んで寝て、また朝から働く毎日。 

「せっかく新潟にいるのだから」 

という事で、本日は休みである為、 新潟散策。 

職場の人から 海が近いと聞いていたので、歩いて海へ。 

海へついたは良いが、寒くて寒くて、 鼻水でまくりの、耳冷たいの、コメカミ痛いの、歯ガチガチの、 指赤いの、全身ブルブルのっという状態で、 
「海なんかドーデモイーワッ!!」 
と叫び、まともに海も見ずに帰ってきたのです。 

で、今は帰り道に見つけたマンガ喫茶でこれを 書いている。 

二ヶ月こちらで働ければ、東京に戻って 新しくアパートを借りられるが、 今の所、予定では新潟にいられるのは今月末まで。 
こちらの職場の人たちももっと長くいられる様に 東京の職場にも働きかけてくれると言っているが、 正直どこまで本気なのかは不明。 

「絶対、なんとかしてやるぜー」 

とは思うものの、 

「オレはこの先どうなるのだろう?」 

と非常に不安である。 

海になんか行かなければよかった。 

 

 

★解説

新潟へ出張できたものの、一か月やそこらではアパートを借りる金も出来ないので心配している日記である。

続きを見ていこう。

 

2006年11月21日の日記 タイトル「決死のフローチャート」

 

前回、ボクが見に行ったのは”海”ではなくて、 ”潟”である事が判明。 
で、 
「”潟”ってなんですか?」 

と聞いた所、 

「泥沼です」 

と教えられた。 

「オレは泥沼を見て浸っていたのか!」 

と悔しくて、 本日、ちゃんと海を見に行く事にした。 

新潟駅から出発する”観光循環バス”という 一回¥180で、あちこちガイドの音声を流して 回ってくれる便利なバスに乗って、 信濃川やら、ドカベンストリートやら、 旧日本銀行新潟支店長宅やらを見つつ、 途中で乗ってきた上司(男)、部下(女)の 一見不倫カップル風が、 

「アタシ、新潟とか日本酒の美味しい所は、 美人が多いってのは寒さに関係があると思うんですよね」 
「そう?」 
「だってホラ、エステで顔に冷風を浴びせるのが あるんですが、アレを寒い地域の人は、毎日 やっている様なモノだから」 
「でも、新潟出身のうちの女房は不美人だが 北国出身では無い君は美人だよ」 
「やめてくださいよ。。。」 

等と、ガラガラの社内で大声で話したりしているのに イライラしながら、海に着いた。 
  
日本海は”荒波”と決め付けていたのだが、 穏やかで、とても青く綺麗だった。 

で、その近辺にある水族館にも行って、 手が届きそうな所にペンギンがいたり、 イルカのショーも見たし、ラッコの食事タイムも見たし、 すごく良かったのに、 先述の一見不倫カップル風が 水族館内では自然に触れて開放的になったのか 腕を組みながら歩いている所を何度も目撃し、 一見不倫カップル風が、完全な不倫カップルで ある事が判明。 

「チキショー!!」 
「石ブツケルー!!」 

と、とてもイヤな気分になった。 

帰りにこちらでは有名な、「おいしんぼ」でも紹介されたという 「とんかつ太郎」 と言う店に行って、とても美味しいカツ丼も食べて、 東京での休日は朝から焼酎を飲んで、 飲んで、飲んで、飲んで、吐いて、吐いて、吐いて、 挙句の果てに体を壊して救急車で運ばれたり していたが、こちらに来て、真っ当な休日を すごしているなと思ったりして。 

で、生活の方だが、 頼み込んで頼み込んで頼み込んで、 
東京で正月休みナシで働く事を条件に、 なんとか新潟出張を12/26まで延長してもらった。 

これでまた、東京で部屋が借りれる。 

一時は 
(強制退去→失職→一家離散→村八分→ダンボール) 
という図式が脳裏に浮かんだが、なんとか 
(強制退去→新潟出張→出張延長→資金調達→ 東京復帰) 
という 
「こりゃ、ほとんど奇跡だろう!」 
と言う図式まで持ち込む事が出来た。 

が、金が揃うのが1/15なので、 東京に帰ってからその日までの約20日間、 オレはどうやって生活するのか問題が浮上。 

家族水入らずで正月休みを、ゆっくりしているお宅に泊めて もらうわけにも行かず、帰省しているヤツの家に 
「留守番してやる」 
と潜り込もうかと画策しているが、 なかなか上手くいかないだろう。 

一連のこの”部屋追い出され騒動”のクライマックスに 果たして私はどうオチをつけるのか? 

(強制退去→新潟出張→出張延長→東京復帰→ マンガ喫茶→風呂なし→悪臭→失職→ 一家離散→村八分→ダンボール→凍死→金入る→ 葬式代) 

と言う図式にならない事を願う。

 

★解説

なんとか、アパートを借りる資金の目途が付いて安心している日記である。

実際は年末まで働いても大して貯金は出来なかったのだが。

(つづく)

 

【mixi日記で振り返る】元祖ネットカフェ難民への軌跡 ④~家財道具編~

2006年10月29の日記 タイトル「健康」

 

昨日の夜、ひとりでナベを作って、 焼酎のみながら食べていたら お腹の調子が悪くなり、急にゲーゲー吐いてしまった。 

頭も痛いので早々に寝たのだが、 明け方からお腹がギリギリと経験した事の無い痛みが襲い、 下痢と嘔吐と冷や汗が止まらず、 
「このままでは死ぬ」 
と思ったので、とにかく朝が来るのを待って病院へ。 

が、日曜診察しているハズの所がなぜか閉まっており、途方にくれながら他の病院を探すために歩いていると、 ついには歩けなくなり、道路に崩れ落ちてしまった。 

タクシーも通らないので、 携帯から119番に電話して、救急車を呼んだ。 

で、救急病院に行って、点滴を打たれて、 触診やレントゲン検査の結果、 急性腸炎と診断された。 

「このままだったら入院」 

と言われたが、点滴を打ち終わる頃には若干良くなったので、帰って来た。 

しかし、病院を出る段になってまたもや腹痛が再発。 
入院なんてしている場合では無いので帰って来た。 

で、家に帰って来て寝てだいぶ良くなったのだが、 
これを書いていたら、また痛くなって来た。 

だから寝ます。 

 

★解説

遂には倒れたのである。

救急車の中で、救急隊員の方から

「何かストレスを感じることとかありましたか!?」

と聞かれたのだが、もうすぐ宿無しになるんです、などとか答えられず

「いや、別に」

と答えたことを思い出す。

 

2006年11月1日の日記 タイトル「オモテで虫が鳴いている」

 

「無人島に本を一冊だけ持っていくなら、 何を持っていく?」 

とは、 

「何時の時代に生まれたかった?」 

に匹敵する程のよくある質問だが、 家庭の事情で、※しばらく東京を離れて暮らす事になった 

※補足 

「家賃の滞納の関係で、部屋を強制退去させられる事に 決定したボクは八方手を尽くし、 職場の上層部に土下座同様に頼み込んで、 運良く最近出来た新潟の営業所へ 出張扱いで行き、年末までの間、滞在費を会社持ちで 過ごせる事になったのである。ひとまず安心」 

ボクは、なるべく少ない荷物で生活する事が 余儀なくされており、自分に対して、 

「無人島にレコードを一枚だけ持っていくなら、 何にする?」 

と質問してみた。 

「i-podー!」 

と答える今時の人は、都合が悪いので放っておいて、 話を先に進める。 

さて、あなたなら、何にする? 

「関ジャニー!」 

「アタし断然おばさんロックー!!」 

「♪ボケて突っ込んで~お~ばさんROCK!♪」 

と元気よく歌いはじめる人には、ある意味尊敬の念を抱きつつ、 更に話を先に進める。 

さて、ボクならどうするか? 

答えは何にも持っていかないと出た。 

最近は音楽が無くても生きていけるからだ。 

それは、 ノーミュージックノーライフなんてくそくらえ! 
オレにはコミック雑誌なんていらねえ~ 
と、半ば内田祐也化している為である。 
(よくわからない人は、周りの三十路以上の人にきこう!) 

それより、無人島(新潟だが)に、 アダルトDVDを一枚だけ持っていくなら、何にする?問題の 方が深刻である。 

何にするべきか? 
うーむ。 
「こだわりの女優にするべきか?」 
「オムニバスにするべきか?」 
「マニアック路線は捨ておいて、 オーソドックスに徹するべきか?」 

と胃腸をいたわりつつ、バカの夜長は続く。 

 

★解説

とりあえず、年内一杯は宿無しを回避できたので安心してちょけてるんだろう。

我ながら何を書いているんだと思う。

で、ベッドとか、本とか、衣類とか必要なものは職場の後輩のM子が、M子の姉と暮らすマンションに空き部屋があるので、そこに置いておいてもらうこととなった。

そのため、バンドマンの友人と、レンタカーでトラックを借りてM子のマンションまで運んだ。

で、当時持っていた壊れた全自動麻雀卓と四脚の麻雀のイス、壊れたデスクトップパソコンを粗大ごみに出す金もなく、たまたまM子のマンションの目の前が、某大物ミュージシャンの大邸宅であったので

 

「ロックの魂を忘れた商業主義ミュージシャンめ!」

「真のロッカーとして、これをお見舞いするぜ!」

 

などと言ってその大邸宅の庭の隅っこに、壊れた全自動麻雀卓と椅子のセットと壊れたデスクトップパソコンを放置して逃げたのである。

今更ながらごめんなさい。

 

(つづく)

【mixi日記で振り返る】元祖ネットカフェ難民への軌跡 ③~精神不安定編~

2006年10月18日の日記 タイトル「勝つかもしんない」

 

「部屋を追い出されたて、凍死しました」

なんてニュースも聞かないし、

「なんとかなんじゃん?」

と半ば思考停止状態で、楽観的に考えていたのだが、 楽観的に考えれば考えるほど、冗談みたいな話だが、実際になんとかなりつつあって嬉しい。

病気で苦しむ人が病原菌が死んでいく姿の絵を 書いていたら、実際に病気が治ったり、

「薬です」

って渡された、ただの小麦粉を服用していたら病気が 治ったり、薬の名前を書いた紙片を握って寝たら効果があったりっていう、いわゆるプラシーボ効果ってヤツなのかもしれないけど、とにかくなんであっても、しばらくは、東京を離れる事になりそうだが、なんとかかんとか生き延びれそうだ。

詳細はまた今度、シラフの時に報告します。

オエーッ。

(なんだこの日記)


★解説

勤務先が、新潟に支社を作ることになり、11月の頭から応援という形で11月末まで行けることとなり、浮かれて酒を飲んで書いた日記である。
まったく記憶にない。

こんな日記を書いていたことを今更知ることになるとは。

 

2006年10月22日の日記 タイトル「試しにサヨウナラ」

やれ、

「マージャンをすればその人の本質が見れる」

だの、

「酒を飲めば本音が出る」

とか、いうけれども、本当か?

麻雀については、勝ちたいと思っている、精神的には不安定な時に、本音が出るとは考えがたいし、酒については、酒飲みの自分から言うと、酔って喋っている事なんて、 ほとんど、その場を盛り上げる為の方便であって、それをもって 本質とか言われると困ってしまうので、 これも、本音が出るとは言いがたい。

では、どうすればよいか?

麻雀をやらずして、酒も飲まずして、本音をさらけ出させる方法は、ソレは、

”友人知人に対してS.O.Sを出してみる”

事で見極める事が出来ると提案してみる。

今回、ボクは非常にピンチな状態である訳だが、

「今、自分は、こんな危機的状況だ」

と、伝えると、反応の仕方によって、その人の本性がわかるのだ。

相手の反応は、大きく分けて反応は五つに別れた。

まず、一つめ

”放置型”

「おめえは、そういうヤツだよな」

「それも、また人生」

等と、訳知り顔で、上からモノ申す一派。
でもこれは、ある意味、さっぱりしていて、気持ちがいい。

ただ、決してムカつかないとは言い切れない。

続いて二つめ、

”嘲笑型”

「自分の撒いた種だろ!」

「ざまーみろ」

叱咤する一派。

言い換えれば、傷口に塩を塗り込む人々。
生き残った暁には、 この辺の人々とは近々縁を切っていく予定。

そして、三つめ、

”一見、受け入れ型”

「本当に困ったら助けるよ」
「気軽に声かけてね」

と言ってくれるのだが、
実際に泣きつくと

「冗談ですよ」
「本気にしてたんですか?」

とキビスを返す一派。

この辺は、本当の本当に危機的状況にならねば
本性がわからない、一番タチの悪い人々。
時間をかけて縁を切っていく予定。

続いて四つめ、

”応援型”

励ましの言葉を送ってくれる一派。

「力にはなれないけれど、頑張って!」

と言ってくれる人や、
電話で安否を確認してくれたりする人。

こういった人々は、末永く友達付き合いをしたい。

力になるとかならぬとかじゃ無く、頑張ってって言う言葉だけで、力になるのだ。

そして最後は、

”怒り型”

「なにしてんだよ!」

「社会人として恥じろ!」

と叱り飛ばす一派。

言われた直後は、ムカつくが、
よくよく考えてみると、一番自分の身になって考えてくれている人々。

本当の友達って、心配かけると怒ってくれるんだよ。

★解説

強制退去目前で、いろいろみんんから言われ過ぎてかなり精神的にやばいことになっている日記である。

みんなに心配かけておいて切れているところが幼稚である。

(つづく)

【mixi日記で振り返る】元祖ネットカフェ難民への軌跡 ②~甘ったれ編~

前回、不動産屋を通じて大家から

「滞納分を一か月後に払わねば出ていけ」

と言われた話を書いた。

今回は、その続きである。

再び、mixi日記を見ていこう。

 

2006年10月9日の日記 タイトル「初恋」

確固たるアテもなく、後先を考える事なく、

「出ていってやるぜー!」

と不動産屋に対して啖呵を切ってしまった手前、引くに引けなくなり、とりあえず荷造りを始めた。

冷し中華を始めた訳じゃないぞ?
アテも無く、荷造りを始めたんだぞ!
どーゆー事だか、わかってんのか!?

と軽く読み流していた人を叱咤しつつ、話を先に進める。

で、荷造りと言えば、まず、

「いるもの、いらないもの」

を分け、いるモノは段ボールに、 いらないモノは、ゴミ袋に分けていく訳であるが、その辺の切り分けに困ってしまうのが、 手紙である。

荷造りを始める前は、

「とにかく、必要最小限のモノ以外は全て捨てる!」

と、思っているのだが、人の書いた文字ってどうしても 捨てらなくて、どーでもいい

「御飯はあっためて食べて下さい」

なんて紙片を捨てられずにいたりする。

その上、荷造りを急がねばならぬ時に限って、

「岡村君、今年もよろしく」

等と書かれた年賀状を読み返してしまう。
(映画のパンフレット然り。)

で、本日も相変わらず手紙を読み返していたら、今では故郷を遠く離れ、群馬で高校の先生をしている、ほんの少しだけ一緒に暮らした初恋の人からの年賀状を発見。
(申年に届いたモノだから、何年前になるんだ?)

”たまには連絡しなよ”

の文面を今さら確認し思わず連絡してしまった。

「突然どーしたのぉー?」

「いや、荷造りしてたら珍しい年賀状見つけてね」

「地元に帰るのぉー?」

「いや、地元に帰る訳じゃないんだけどとにかく今の所を離れる事になってさ」

「ふーん、仕事の関係で?」

「・・・・そうそう、仕事の関係で」

「へー、すごいねー、がんばってるんだねー」

「・・・うん。そう、がんばってるんだよ。だから君も先生頑張ってな」

「はーい」

なんて会話をかわして、電話を切った。

ウソをつくものホドホドにしやがれ。

 

 

★解説

ハッキリ言って、現実逃避して甘えているバカ日記である。

で生活のアテのなくどーしよーかなーと考えている状態である。

借金地獄で金など借りられるはずもなく、八方ふさがりの状態。

にもかかわらず、mixiなんぞに書き込みをしている点に我ながら楽観的というかバカというか。

(つづく)

【mixi日記で振り返る】元祖ネットカフェ難民への軌跡①~突然の退去勧告編~

人生二度目の宿無し生活

人生二度目の宿無し生活から、無事に部屋を借りるまでの経緯を、当時、mixiに書いていた日記をたどって書いていきたいと思う。

くれぐれも手抜きではないので誤解しないで欲しい。

まずは、2006年9月29日、当時、借金で首が回らず、家賃を二か月遅れで支払っていたのだがその時に書いた日記。

今でも拙い文章だが、当時はもっとひどい。そのあたりは多めに見ていただいて、さっそく一緒にみていきましょう。

私の2006年9月29日の日記 タイトル「脱!どん底」

思い起こせば、今の部屋に入る前、 なんとボクは宿無しだった。
ホームレスである。

風呂はサウナに偽造したチケットで入って生活したり、 先輩のお父さんが経営する会社の事務所で、そのお父さんに内緒でこっそりと寝起きしたり、 
(いや、ほんと毎日ビクビクで寝れたモンじゃないってば)

職場には交通費を浮かせる為に片道20キロの山道を、電車を使わず毎日毎日自転車でヒーヒー言いながら通勤して やっとこさっとこ数カ月でお金を貯めて、今の部屋を借りた。

借りるお金で精一杯で、家具にまで手が回らず、文字どおり身一つで入居。
そこから、日雇いの肉体労働の先で、あまったウレタンを貰い受け、それを敷き布団にし、冷蔵庫を貰い、ベットを貰い、炊飯器を貰い、掃除機を拾い、扇風機を拾い、掛け布団を盗み、という具合になんとかモノを揃えたという、これまた文字どおり裸一貫からのスタートであった。

それが数年で、ネットを繋げるという、上流階級の生活を送っていたのであるが、
(どこが?)
プロバイダが潰れ、ネットできなくなった。

で、いろんな友達の協力を得ながら、なんとか数日前に再びネットが繋がり、友達からiBookまで貰って

「いやいや、とにかくネットが繋がり、マンガ喫茶通いもしないでよくなったナ」

「ますます上流階級!」

「ティータイムには紅茶とマフィンを食べてやる!」

「パンがなきゃ、ケーキを食べればいいじゃないの!!」

と思っていた矢先、二か月遅れで支払っていた家賃が祟って、11月27日の更新までに滞納分を支払わねば、

「強制退去!」

と連絡があった。

金が有れば払うのだが、 金が無いから払えない。
金が無くて払っていいるヤツがいたら、いっぺん俺んトコへ連れてこい!

という訳で、払えないモノは払えない旨、不動産屋に泣きついたが不動産屋は

「大家さんの意向なんで」

とニベもない。

ドッヒャー!
助けてくれー!!

と、言う訳で、
11月3日の金曜日(祝日)に 新宿JAMというライブハウスで20時半から、我が、つりばんどのライブを行います。
タイトルは

「つりばんど岡村を救え! 前代未聞の逆チャリティーコンサート、行かなきゃアイツはホームレス」

に勝手に決定。

さあ、ライブに行くとか行かないとかの問題ではないですよ!
人命に関わる問題ですよ!
今なら特別に、 ライブに来なくてもチケットだけ買ってもいーですよ!

「家に転がり込んでも構わないよ」

っていう人いませんかー?

ウソ話の多いボクの日記であり、
今回のは特にウソ臭いが、
信じられない事にウソでは無いのだ。

★解説

家賃滞納で追い出される内容。

金がないからライブを口実として、みんなから金をめぐんでもらおうとする卑劣な日記である。

ライブには大勢友人が駆けつけてくれたが二か月分の家賃を払えるような額が集まるはずもなく、数日後、強制退去となるのであった。

(つづく)

【はじめて観た映画は?】あなたが自腹で初めて観た映画はなんですか? 2/2 『肉体の門』編

肉体の門なわけ

 

「五社作品の世界観が好きなのだ」

 

という顔を作っている中学二年の私が、なぜこの映画を選んだのか?

退廃的で、滅びの美学の世界に惹かれていたのか?

 

や、単純に女の裸が観たかっただけなんである。

 

一人で観に行ったのか?

四人で観に行ったのである。

 

当時、この映画がとてつもなくエロいらしいと話題になっており、私が

 

「観に行かないか?」

 

と誰かを誘って、どこからかそれを聞きつけた者たちが

 

「俺も」

 

「俺も」

 

と、お互いよく知らない、クラスもバラバラな四人が集まったのである。

エロが結んだ縁とはこのことか。

 

(そんな縁ありません)

 

いよいよ観に行く

 

土曜日、四人集まって電車に揺られながら名古屋駅に到着。

みんなあまり口をきこうとしない。

 

上映している映画館に恐る恐る入って行く。

 

「子供同士でこんな映画みるんじゃない!」

 

と、止められるんじゃないかと思っていたからである。

 

「誰かが止められても、その隙に残った者達で突破しよう」

 

「一人が犠牲になればいい」

 

「One for all, All for one」

 

などと言い合っておったのだが、年齢制限がある映画ではないのですんなり入れて全員肩透かしをくらう思い。

 

上映開始

 

映画が始まったが、誰一人、芸術的な観点から観ているものはなく、まじめなシーンになると

 

『はやくベッドシーンになれ!』

 

と念じるように観ておった。

 

映画は必ず終わる

 

で、知る人ぞ知る、肉体の門のラストシーン、主人公が不発弾で、自らの命を、アジトもろとも爆発させる名シーン。
感動的なシーンである。

 

が、西川峰子の口に爆風が入り、スローモーションで、頬がぶわんぶわん揺れるのを観て、こらえきれず我らだけ全員大爆笑!

 

※写真は爆風時の西川峰子。このスローモーションを笑わずに観られる人はすごい!

 

「五社英雄も、二時間かけてすごいオチをつけるね」

 

などと言って帰ってきた。

 

※写真は平常時の西川峰子

 

 

後日談

 

もともと、お互いによく知りもしない同級生同士だったが、なぜかその後、その四人は疎遠になった。

同族嫌悪な上、思春期丸出し欲望丸出しのところを見せあった者同士で、どこか後ろめたかったのかもしれない。

 

この話、日本版スタンド・バイミーとして、来春に上映予定である。
ウソだが。