【宅配ピザの配達風景】ドライバーは悲喜こもごも

若き日のバイト

 

今から20年ほど前、20代の前半は、ピザ屋のバイトで生計を立てておった。

 

いわゆる出前持ちである。

 

出前は、なかなか楽しい。
暑い、寒いはあれど、狭い建物の中にこもって仕事するのとは違って、だいたい外で新鮮な空気を吸ってバイクでチンタラ走ったりしているのは

 

「これが自由だ!」

 

と、まあ、勘違いなのだが、気分が良い。

 

発注する側にも、いろいろいる

 

また、いろんな人の生活が垣間見れるのも面白い。

 

すごい豪邸なのに、中に入るとゴミだらけだったり、玄関にある水槽も緑に変色していたり、しかし本人たちは別にそれを恥じる様子もない家だとか。

またはその逆で小さい家なのに、中はとてもキレイでおしゃれにしてあったり。

 

張り紙だらけの家

 

当時、張り紙だらけの家を二件みた。

一件は、電波系の家で、なにやら意味不明な呪文めいたものや、罵詈雑言の類が書かれた紙が家中に張り巡らされている家。

もう一件は、悪質な金貸しと思われるが、債権者からの督促文言が殴り掛かれた紙が家の外に貼られている家で、両家ともぞっとするものがあった。

 

 

バイト同士の熾烈な争い

 

また、配達するのが楽しみな家がある。

それは若い女性の一人暮らしのマンションなのだが、行くといつも風呂上りのようで、裸に白いバスタオル一枚を巻いただけの恰好で出てくる。

且つ、可愛くて美人なんである。

 

店では、ここから注文がくると、男性バイト同士でジャンケンを行い、勝者が配達することが許されるシステムが出来ていた。

 

あの人、露出狂だったのか、単純にそういう概念が欠落しておったのか未だに不明である。

 

逆に、配達するのが嫌で嫌で仕方のない家もある。

 

それは中年の男性の一人暮らしのアパートなのだが、行くといつも風呂上りのようで、裸に白いハンドタオルで前を隠しただけの恰好で出てくる。

且つ、極度のメタボリック症候群で醜いのである。

且つ、部屋はとても臭い。

 

その上、よかれと思ってなのだろうが

 

「寒いねえ~、これ飲んでって!」

 

などと、紙コップに入った熱々のコーヒーを出してくれる。

熱々なので、飲むのに時間がかかるのだが、飲んでいる間中、世間話に付き合わされるのと、部屋が臭くて吐きそうになるのとで、みんな熱々のコーヒーを無理して一気飲みすることになる。

 

ほとんど地獄である。

 

店では、ここから注文がくると、男性バイト同士でジャンケンを行い、敗者が配達することを義務付けられるシステムが出来ていた。

 

一度、この嬉しいバスタオル美人と苦しいハンドタオル醜男とか同時に注文してきたことがある。

この時、私がジャンケンに負けたのだが、二十歳を過ぎた大人のくせして勝者に対して胸ぐらを掴んでしまったことは、今となっては反省している。

 

 

追伸

 

と、これ書いた直後に風呂に入り、体を洗って湯船に浸かった瞬間、宅配業者がやってきて呼び鈴を鳴らす。

慌てて風呂から飛び出して、ビチャビチャに濡れたまま、Tシャツと短パンを身に着け、商品を受け取ったのだが、身体のラインがくっきりと浮かび上がっており、宅配業者からみたら

 

『身体のラインを強調してくる、ずぶ濡れの醜男』

 

『次回からヤツに配達する者は、配達員同士でジャンケンで決めよう』

 

と思われたかもしれず、昔話だとは言え、あんまり人を悪く言うもんではないなと、更に反省したのである。

【なんでもかんでも捨てる人】 行き過ぎた断捨離について考える。

行き過ぎた断捨離

 

物を捨てられない人が増えつつあるが、うちの母ちゃんは、なんでも捨てる人である。

 

私が小学校低学年のころ、図工の授業で牛乳パックを使った工作があった。

締め切りに間に合わんので、家に持ち帰って作成。

なんとか締め切りに間に合わせ、提出日にそれを学校に持って行こうとすると、玄関に置いておいたブツが無い。

 

探しまくるが、家中まったくない。

母ちゃんに、ブツの行方を知らぬかたずねると

 

「なに?工作?」

 

「あ、あれか。捨てたわ」

 

と悪びれる様子もなく答える。

 

家の外ではゴミ収集車がゴウゴウと音を立てている。

慌てて外へ飛び出すが、既にゴミ収集車は発進しており、追いかけてダッシュするが追いつくはずもなく、収集車は去っていった。

仕方なく家に帰り、泣きながらどれだけ俺が苦労して作ったものか、本日提出すべき宿題をどうするつもりか、責任を取って先生に説明しろと母ちゃんにうったえるが

 

「今度からはゴミと間違われないような、もっといいもんを作れ」

 

とけんもほろろに断られたのである。

 

 

苦い経験は続く

 

高校受験を控えた中学三年のある日、深夜の受験勉強に備えて夜食を作っておいたのだが、いざ食べようとすると無い。

みると、ごみ箱に捨てられておる。

母ちゃんに、なんで捨てたのか詰問するが

 

「汚ねえから捨てたわ!」

 

と言う。

 

「夜食をどうするのか!」

 

と問い詰めるが

 

「夜食だとう?」

 

「部活引退して、デブデブに太りやがって」

 

「人は栄養がなくなれば脂肪からそれを摂るんだ」

 

「腹が減ったんなら、お前の肉を食え!(脂肪から栄養を摂取しろの意味らしい)」

 

と、とんでもないことを言われて空いた口がふさがらなかったものである。

 

上京後も続く

 

その後、私が上京したのを機会に、私のもの、大切なCDとか、なかなか手に入らない本だとか、今ではYouTubeにてもUPすればそこそこの再生数を稼げそうなバラエティー番組を録画したビデオだとか、ラジオ番組で、ハガキが読まれてもらった景品だとかの一切合切を、まるで私がこの家に存在しなかったかのように捨てたのである。

 

帰省した際に、捨てた理由を尋ねると

 

「汚ねえから捨てたわ」

 

の一言。

 

私のものは全部捨てていたが、代わりにガマガエルが寛永通宝みたいな古銭をくわえた置物だとか、変な風水の石の塊だとかの開運グッズめいたもんばっかり買いまくって元、俺の部屋に置きまくっているのである。

 

 

 

母ちゃん、東京に現る

 

上京して10年以上経ち、当時小学生だった甥っ子や姪っ子を連れて母ちゃんが東京の我がアパートにやってきたことがある。

母ちゃんは疲れたから私の部屋で休むといい、私は甥っ子や姪っ子を連れて東京見物に出かけた。

 

見物を終えてアパートに帰ってくると、ベッドに布団がない。

 

母ちゃんに布団をどうしたのかと尋ねると

 

「臭えから捨てた」

 

という。

 

そのため、私はしばらくの間、寝袋で寝ることになったのである。

 

今日は私の誕生日

 

私も今日で43歳です。

どうにかこうにか、自らの肉を食わずに43歳になれました。

お母さん、ありがとう。

【日韓ワールドカップの思い出】ボロい原付とフーリガン②

公園の中のヤンキー集団

 

とにかく早く通り過ぎたいが、残念ながらスピードの出ないボロ原チャである。

不良集団の真ん中を徐行に毛の生えた程度のスピードで通り過ぎる。

 

『私に悪意はございませんよ』

 

『近道するだけだから放っといてね』

 

『敵じゃないよー』

 

と誰とも決して視線を合わさぬように意識する。

 

『いやあ、若いっていいなあ』

 

『若者、大いに集うべし!』

 

『君たちみたいな者たちが日本の将来を支えていくことになるんだよー』

 

の感情を込めてニコニコの笑顔をつくり通りすぎようとしたとたん

 

 

「なんだてめえ!」

 

「やんのかコラーッ!」

 

など一斉に怒声を浴びせられる。

 

『ハハハ』

 

『元気があっていいなあ』

 

『日本の未来は君たちにかかっておるのだよ』

 

『日本の未来は、世界がうらやむイェイイェイイェイイェイ』

 

と更に作り笑いを振りまくも全く通用せず、集団のうちの三人が

 

「なんなんだテメエ!」

 

となどと口々に頭の悪そうなことを口走り、私の両肩をつかんで揺さぶる。

 

『そんなに揺すったら』

 

『おでんがこぼれるだろうが!』

 

とイラッとする。

 

多勢に無勢

 

が、闘うわけにはいかない。

学生時代から、ひとり相手のケンカにも勝ったことがないのに、相手は3名、総勢40名程度である。

 

こういう時の私の常套手段、それは

 

〝威嚇、のち撤退〟

 

である。

 

〝猫だましからの逃亡〟

 

と言い換えてもいい。

 

とにかく怒声を浴びせて相手をひるませ、その隙に逃げるのである。

しかしこんな大勢相手にうまう行くか?

 

「痛ぇなチクショー!」

 

「やってやるから手ぇ離せ!」

 

と鼓膜も破れよと言わんばかりの大声をだし

 

「バイク停めるから離れろ!」

 

とバイクを降りながら更に大声を出すと、持前の低能らしさを発揮して、うれしいことに離れてくれる。

 

シャドーボクシングの真似事をしている者もいる。

 

すかさず私は

 

『あとは逃げるだけ』

 

と再びバイクにまたがり

 

『ボロバイクよ!今こそお前の最大限の力を出せ!』

 

と念じながらアクセルグリップを力一杯ひねると

 

 

プッスンプッスンプッスン・・・・・

 

とエンスト。

 

『あちゃー』

 

と、そのまま原チャリを引いて

 

「今こそ、私の最大限の力を出す!」

 

と猛然と公園の外までダッシュ。

 

なぜか連中もそれ以上追いかけても来なかった。

 

哀れだったからかもしれない。

 

奴らの正体

 

そのままマンションに帰り、日本代表の試合を観て、

 

「あいつらが、世に言うフーリガンという奴らなんだな」

 

「フーリガンはやっぱり恐ろしいな」

 

とガクガク震えながら思ったのである。

 

【日韓ワールドカップの思い出】ボロい原付とフーリガン①

日韓ワールドカップの頃

 

2002年。都落ちを経て、なんの準備もなく再び上京。

変な女とワンルームマンションでルームシェアしていたころ、移動手段として原チャリを譲り受けた。

 

もらった原チャリ

 

※これの白と思ってもらって差し支えない。

 

この原チャリ、もともとは白いスクーターなのだが、シートも破れまくり、カウルも外れまくりで、そこをガムテで補強してあるので段ボールで作ったような、一見、日比野克彦の作品のようなスクーターである。

 

エンジンもまともにかからない。

 

セルでエンジンをかけるなんて夢のまた夢。

 

10回以上キックスタートを試して、やっとエンジンがかかる。

 

が、エンジンがかかってもすぐにエンストする。

 

そのため、エンジンがかかった後も常にアクセルをふかし、聖火ランナーが炎を消さぬように走るがごとく、エンストを起こさぬように大切に大切に乗らねばならない。

 

ブレーキは気持ち程度しか効かない。

なのでスピードは出さない。

というか出ない。

フルスロットルでアクセルをふかしても徐行に毛の生えた程度のスピードである。

 

ではどうやって停まるかというと、基本はエンジンブレーキである。

急ぐときには足を使う。

多少のケガは覚悟の上で、足を道路にビタッとつけて止まる。

 

私は足腰が強く、長距離を走っても膝などが痛くならないのはこのバイクのブレーキ代わりに足を使った経験がいきているのかもしれない。

 

ゴミのようなバイク

 

枚方出身の仲間が彼女を乗せた新品のビッグスクーターで並走しながら

 

「そのバイク、はよ捨てろ!」

 

などと笑いながら冗談を言う。

 

その後ろに乗せた彼女とそいつとの縁は、俺がキューピッド役となって成立したものだけに腹が立つ。

(のち結婚)

 

と言うか、自分でもあんなバイクでよく移動してたよなあと思う。

 

今日は楽しい日本代表戦

 

その日は、私を散々な目に遭わせた変な女が友人宅に外泊するという。

 

 

かつ、日韓ワールドカップ開催中であり日本とどっかの国との試合のテレビ中継がある日。

 

久々に羽を伸ばして部屋でサッカー日本代表の試合みようと、楽しみにする。

 

仕事が終わり、件の原チャで職場からマンションまで走行。

 

「サッカー観ながらご飯を食べよう」

 

と、マンション近辺のコンビニで、おでんやら弁当やら飲み物などを購入。

 

荷物はメットインにしまわず、コンビニ袋を両腕にひっかけてそのまま再びマンションへ向かう。

 

もうそろそろ試合開始時間が迫っている。

 

近道するため、よくないことだが公園の中を突っ切らせてもらうことにし、ハンドルを切って公園に突っ込んでいく。

 

公園の中には・・・

 

少し走ると前方に40名程度の不良集団がたむろしている。

 

『やべ』

 

と思うが、このまま引き返すのも変である。

逃げたことで逆に追い回されるかもしれない。

 

『このままなんとなく通り過ぎよう』

 

と集団の真ん中に突き進む。

 

遠巻きにみれば、不良集団にガムテだらけのボロ原チャ一台で、おでんを武器に戦いを挑んでいく男の図であり、かっこいいと思われたかもしれない。

 

(思われません)

【明るい宿無し生活】とりあえずの完結編

希望を捨てるな生きてる限り

 

希望があると人間は頑張れる。

スパ昭島で寝泊まりしながら、毎月貯金。

バイトをしながら空き時間にフリーペーパーの賃貸情報をみて勝手に間取りを想像したり、
家具の配置などを想像したり、職場の友人達に

 

「部屋を借りたら遊びに来てくれ」

 

などとわいわい騒ぎ、宿無しのくせして精神的に楽しんでいた。

 

健康ランド生活を二ヵ月続けたら、どーにかこーにか150,000円の金ができ、給料日に不動産屋に行くことにした。

 

楽しい不動産屋めぐり

 

とりあえず、なんとなく都心へ引っ越したい。

スパ昭島は好きだが、昭島は正直、私の求める東京ではない。

昭島市民よ、すまぬ。

 

しかし山手線圏内は家賃が高くて手が出ない。

 

とりあえず、どっちつかずの世田谷区、多摩地区と23区のはざま、千歳烏山に焦点を合わせる。

 

千歳烏山で入った不動産屋さんが悪かった。

あとで分かったが千歳烏山の不動産屋といえばピンとくる人もいると思うが、この店は、有名な電波系のイッっちゃってる方面の不動産屋さんであり、
当時、坊主頭であった私をみて店主のお爺さんが

 

「ほう、今時珍しい坊主頭・・・」

 

「君は〇〇〇か!」

 

などという

 

「違います」

 

と答えると

 

「なかなか見込みのある青年だ。ちょっと待っておれ」

 

と言って、奥から段ボール箱一杯に入ったアルバムやら新聞の切り抜きやらを持ってきて、
興味はないのだが、いろいろ日本のアンタッチャブルな部分を語って聞かされたりし、
最終的には、どういう訳だか、オウム真理教の新組織の入っているマンションを紹介され、内覧するか聞かれたが断って帰ってきた。

 

あのお爺さんは元気だろうか?

 

で、やや怖くなり

 

『やっぱり住み慣れた多摩地区だよなあ』

 

と、二十歳で上京した時と同じ街の、一番栄えているところの5.5畳のワンルームのユニットバスのマンションの、家賃が54,000円の、
建物は奇麗だが収納はへったくれもない、まさに足の踏み場もないほどの小さいマンションを、二度目の上京から八か月で、なんとかかんとか、どーにかこーにか、無事に借りることが出来たのである。

 

 

入居日

 

この物件はマンションの一階がトレーニングジムと大家さん一家の住居になっている変わった物件。

 

家具など買う金はなく、とりあえず無印良品で一番安いかけ布団だけ購入。

 

 

※当時、無印のかけ布団は、こういう袋に入っていました。

 

 

入居初日、着替えと洗面具の入った紙袋を持ち、無印のかけ布団を肩から引っさげてるという矢吹丈なみの荷物の少なさであったため、挨拶をした大家さんには、かなり怪しまれたことと思う。

 

 

部屋は閑散・雑然とし、敷き布団などは拾ってきたウレタンを使っておったし、借金もひどかったが、どうにかこうにか溺れかかりながらも陸地に辿り着くことが出来た。

『めでたしめでたし』

 

と言いたいところだったが、この入居から四年後、さきほどの大家さんから追い出され、再び宿無しとなるので人生は油断してはならないのだ。

 

 

【明るい宿無し生活】健康ランド編

精神崩壊寸前

 

それまで余裕で暮らしていたものの、駐車場の一件以来、毎日ビクビクビクビクして暮らすようになった。

 

精神的にもまいってきている。

 

事務所に潜伏しながらベッドで

 

『本格的に、別の住みかをさがさねばならんな』

 

と考えているが、考えて金ができるはずもなく

 

『やっべ~な~』

 

と思っていると

 

ガタンッ!!

 

と大きな音がした。

 

うすうす勘づいた社長が抜き打ちで来たのである。

 

 

『社長が来たんだ!!』

 

『・・・とりあえず土下座だ』

 

と思い、申し訳なさそな、情けなそうな笑顔を作って部屋を出ると社長はおらず、
換気扇フードにひっかけた洗濯ばさみがたくさんついた、あの干すヤツが洗濯物ごと床に落ちていたのであった。

 

 

「もーいや、こんな生活!」

 

 

※この洗濯ばさみのバケモノみたいなのはピンチハンガーというらしいです。

 

 

と、とにかく金はないが、自分は出ていくことにした。

 

 

知力・体力・時の運 三つ揃って健康ランド

 

 

※写真は私の心の故郷、スパ昭島(2010年惜しまれながら閉店。って、閉店したの知らんかった)。

 

原チャリでブラブラしておったら、いいことを思いついてしまった!

 

昭島市に当時、24時間営業の大型健康ランド、スパ昭島があった。

 

その健康ランドは入場料が大人、2,000円。

深夜0:00を過ぎると当時は、延長料金が1,000円取られた。

つまり一泊3,000円である。

一か月を30日としたら、90,000円であり、家賃よりずっと高い。

調べてみると、この健康ランドにはマンスリー会員という制度があり、当時は一か月10,000円を支払うと、入場料が無料になるのであった。

 

つまり、1,000円の30日分=30,000円、マンスリー会員費15,000円、しめて45,000円也。

これならなんとかなる。

これで、個室こそないものの、ゆっくり眠ることのできるレストルーム、映画鑑賞ルーム、TV見放題、
宴会場でカラオケ聞き放題(歌うと一曲200円)、ゲームセンターあり、図書館あり、食堂あり

バス・トイレ付、

〝付〟

なんてもんじゃない、大浴場!サウナ!滑り台つき流れる温泉!

トイレはもう数えきれないくらいある!

 

温泉とトイレ、レストルーム以外は男女別れていないので刑務所のようなむさくるしさもない。

 

健康ランドで仲間ができた!

 

 

何日もそこで暮らすと、顔見知りもでき、何人かと仲良くなった。

 

そいつらはみんな世界を旅するバックパッカーなんであった。

話してみると、この施設の隣には某宅配業者の集荷場があり、夜間は、その集荷場でバイトして
朝になるとこのスパ昭島で寝る。

夜また出ていく。

そうすると、夜間の延長料金を取られることなく、毎月のマンスリー会員費の15,000円だけで一か月生活できるのである。

そして金が貯まれば、再び海外に旅に出るのだそうだ。

 

なんと羨ましい。

 

海外に行くことがではない。

 

マンスリー会員費だけで生活できる点が羨ましい。

 

ということで、このスパ昭島、今はもう閉館したとのことだし、時効なんで書くが、
私は、ラミネートで簡単に作られたマンスリー会員証を偽造して、延長料金のみで生活し、一か月30,000円を支払い、
この施設を利用しておったのである。

 

私が金持ちになったあかつきには、恩返ししたかった施設だけに、閉店が悔やまれる。

(うそつけ)

 

当時、スパ昭島のテレビでクイズミリオネアという番組を観ながら、金の有難みのわからん連中め!と画面を睨みながらみていたことを思い出す。

 

(つづく)

【明るい宿無し生活】 盗み住み編

先輩のTさん

 

まあ、変な女と我慢して暮らす必要がなくなったのであるが、住む家がないのであれば話にならぬ。

 

とりあえず、ただで住めるところを探さねばならぬ。

当時は個室のネットカフェは普及しておらず、マンガ喫茶といえば本当に普通の喫茶店の壁一面に漫画本を満載した本棚があり、そこから本を各々持ってきて読むスタイルが主流であったため、そこで寝泊まりしようとは思わなかった。

 

そんな私の事情をくんでくれ、不憫に思ったバイトで知り合った先輩のTさんという人がいる。

Tさんはバイトを辞め、Tさんの父親が経営する会社に勤務している。

 

そのTさんが、会社の事務所として利用しているマンションが東京の外れのあきる野市にあり、その事務所には空き部屋があり、小さいが畳ベッドもある。

父親である社長には口が裂けても言えないが、事務所が閉まる20:00頃から、翌日事務所が開く7:30までの間と、事務所が開かない土日であれば、そこで寝泊まりさせてくれるという。

 

渡りに船とはこのことかと、資金が出来次第、すぐに出ていくという条件付きで、その提案に乗っからせていただき、新しい生活がスタートすることになった。

 

渡りに船

 

そのマンションは5階建ての2階にあり、2LDKであり、角部屋。205号室。

エレベーターがないのが痛いが贅沢はいっていられない。

(当たり前だ)

 

これまでの六畳ワンルームでの変な女との生活とは雲泥の差。

夜は近くのコンビニで買った弁当をリビングで大画面のテレビを見ながら食べる。

事務所なので、ガスは引かれておらず、シャワーからはお湯は出ないが秋なので冷水シャワーでも十分耐えられる。

 

 

廊下は静かに歩きましょう

 

これまたTさんからもらった原チャリで仕事から帰ると、マンションの駐輪場に原チャリを停め、エレベーターはないので、一か所ある階段を二階まで登り、つきあたりの角部屋までまっすぐに進む。

この廊下で人とすれ違うわけにはいかない。

 

同じフロアの住人から

 

「夜に誰か来てますよ」

 

などと言われてはこの生活もおしまいになるからである。

 

そのため、この廊下は抜き足差し足忍び足、且つ素早くダッシュで駆け抜け、素早くドアのカギを開け、素早く、且つ静かにドアを閉めねばならぬのである。

 

しかしながら、部屋に入ってしまえば楽勝。

 

『こんなに自由っていいもんかよ』

 

とシングルライフを満喫しておった。

 

盗み住み生活の難点

 

しかし、この生活の難点は隠れ場所のない廊下を素早く静かに走り抜ける以外に二点ある。

 

一点目は、会社が残業などで20:00を過ぎても事務所の明かりがともっており、部屋が空かないことがある点である。

そんな時は、自分の立場を忘れて

 

「はやく帰りやがれ!」

 

などと罰当たりなことを思っていたのである。

 

二点目は、マンションの部屋からこのマンションの駐車場が見渡せられるようになっているのだが、部屋にいるときに、その駐車場に自動車が入ってきたら、その自動車がこの部屋で借りている駐車場に停まるかどうかをみなければならない。

で、万が一、そこに停まったら社長なのでバレないように一目散に逃げなければならないという点である。

 

一応、はじめは自動車が入ってくるとビクビクしておったが、一向にこの部屋の駐車場に車がとまることもなく、

 

「わざわざ仕事を終え、翌日にまた出社なのに出てくることはあるまい」

 

とタカをくくっておった。

 

女の勘は恐ろしい

 

そんな生活が三か月ほどしたある日、社長夫人であるTさんの母親が、Tさんに

 

「なんだかここの所、誰もいないはずなのに、人の気配がする」

 

「出社したてで、誰もいないはずなのに、洗濯機の洗濯槽が濡れているのことがあった」

 

などと、持ち前の女の勘を作動させてきているらしい。

 

Tさんは

 

「そっ、そんなわけないよ~、きっ、気のせいだよ~」

 

などといって毎回はぐらかしてきたが、いよいよ危ないので、早く部屋を借りて出て行ってくれないかと言う。

 

金があれば出ていくのだが、無いのでどうにもならない。

 

かくれんぼで隠れているとき、ちびりそうなるよね?

 

その日も、金はないし、どうしようかなあとパンツ一丁でリビングで考えていると、マンションの駐車場に自動車が入ってきた音がする。

電気を消して、いつものようにそっと窓から事務所専用の駐車場に車が停まらないかを見る。

 

『停まるはずないのに、一応みるところが、俺が今一つ大物になれないところだな』

 

などと思っていると、なんとこの部屋の駐車場に自動車が停まったのだ。

 

「おいおいおいおいおいおいおいおいおい!!!」

 

と言いながら、震える手で食べかけのコンビニ弁当の残りをコンビニ袋に入れる。

それを手に持ち、パンツ一丁のまま部屋を飛び出し、震えながらなかなかしまらないドアに鍵をかける。

 

バズンッ!

 

と、車のドアを閉める音がする。

 

社長より早く、階段を駆け降り、姿を隠さねばならない!

 

社長にみつかったら終わりだ!

 

社長と鉢合わせしたらどーする!?

 

いや、とにかく走れ!!

考えるな!走れ!走れ!走れ!

 

と秋も深まりコオロギがわんわん鳴いている音のするマンションの廊下を、パンイチでコンビニ袋もって駆け抜ける。

 

 

階段についたはいいが、社長は意外に足が速く、すぐ下から階段を上ってくる音がする。

 

「逃げられない!」

 

と、とっさに階段を上に上る。

超ションベンちびりそうである。

 

そ、そ、そうだ、な、な、何も駆け降りる必要はないんだ・・・

う、上に登ってやりすごせばいいのだ・・・

お、お、俺はなんて賢いんだ・・・

 

などと震えながら思っていたら、事務所の二階を過ぎて私のいる三階に登ってくる。

 

『バレたか??!!』

 

と思いながらも、そっと四階まで逃げるように登る。

 

するとその足音は遠ざかっていき、三階の一室に入って行ったのである。

 

事務所の駐車場が夜間に開いていると知った者が、そこに違法駐車したのだ。

 

足音は社長でもなんでもなかったのである。

 

『チクショー!』

 

と、パンツ一丁で階段の踊り場にうずくまりながら、声なき叫び声をあげたのである。

 

(つづく)

 

 

【明るい宿無し生活】ルームシェア失敗編

実家に帰ったものの

 

26歳で実家に戻ったものの、地元の友人はなんだか疲れている感じだし、東京に友人は多いしで未だ東京への未練が捨てがたく。

 

というか、実家暮らしが性に合わなくなっており、若いこともあって親との反りもあわず

 

『とにかく東京へ返り咲きたい』

 

『俺は東京に居なければならない』

 

と勝手に思い込んでいたところ、初夏のある日、当時多重債務に陥っており、借金返済などで親の金を金庫からかすり取っていたことがバレ、親と姉と大喧嘩。

精神的に家に居られなくなった。

 

実家にいると甘えてしまう。

俺は自分で独り立ちしなければならないと思う。

 

無理な上京

 

急いで東京の友人数人に電話し、居候させてくれる者がいないか確認したところ、

 

「借金苦で家賃も遅れ遅れに払っている女がいて」

 

「家賃折半なら期間無制限でルームシェアしてくれるなら助かると言っている」

 

とのことで、何回か顔を合わせたことのある、その4歳年下の不美人の女の六畳のワンルームマンションで部屋を借りる資金ができるまでルームシェアすることとなったのである。

 

親には

 

「東京で就職が決まった」

 

などとウソをつき、紙袋に着替えと洗面道具だけ持って再び東京へ飛び出していった。

 

働き口は、都落ち前に東京で勤めていたバイト先に復帰することになった。

 

早く金を貯めて、部屋を借りようと思いながら、件の女の荻窪のワンルームマンションへ行く。

 

お世話になる旨挨拶すると、家賃を出せという。

 

引っ越し初日であり、手持ちもないので明日に支払うと告げるも、今すぐ出せという。

 

仕方なく、コンビニで金を下ろして支払ったのであるが、こりゃあ、先が思いやられるなと思った。

 

どうやって寝るか?

 

夜、寝るときはどうするかというと、女はベッドに寝る。

私は、床に寝袋を敷いて寝るのであるが、この女の部屋が荷物だらけ。

なんとか横になるスペースは作ったが、その女が持っていた当時流行りの腹筋トレーニングマシーンがあり、それが邪魔で私の体がまっすぐに伸ばせない。

 

 

どうか、このマシーンをベランダに出してくれと頼むも

「雨風で汚れるから嫌だ」

などと抜かす。

だいたい使ってる様子もないし、なんなら毎日、ぞうきんがけをしてもいいと粘るも

 

「だめだね」

 

の一点張り。

泣く泣く、私は、そのマシーンのに体をセットして、自由に寝返りも打てない状況で毎晩、寝ることになったのである。

またその女は極端に寒がりで、夏だというのに冷房をいれようとしない。

扇風機などもない。

 

せめて眠るまでの1~2時間、エアコンを入れてくれるように頼むも

 

「だめだね」

の一点張り。

 

 

 

しかたなく、冷凍庫にあった保冷剤を枕に敷いて寝ようとすると

 

「人のを勝手に使うな」

 

と抜かして使用を許可しようとしない。

 

翌日から私は、コンビニ袋を何重にも重ねたものに水を入れ、それを5~6個冷凍庫で冷やし、眠るときにはそれを体中に押し当てて眠ることになったのである。

 

 

で、二三日もすると、その女が、来月分の家賃を先に払えという。

 

初日に支払ったと告げるも、

 

「家主は自分である」

「いやなら出ていけ」

 

という。

 

いい加減頭に来て、仮にも家賃を折半しており、ただの居候と思ってもらっては困る。

こっちはこっちであらかじめ、この女も助かるとのことでお互い承諾してルームシェアし始めたのだ。

 

そこまで邪険にされる筋合いはない。

 

「おいてめえ、いい加減にしろよ!」

 

と強めに注意し、そこから先はお互いに一言も口を利かない生活に入った。

 

突然のルームシェア解消

 

二か月が経過しようとしたころ

 

「今月末、この部屋の更新なんで、この友達と千葉にマンションを借りてルームシェアすることになった」

 

「だから出ていけ」

 

と抜かす。

 

二か月どころでは、マンションを借りる資金も全く貯まっておらず、出ていくことができない。

 

「お前だけ出ていけ。俺がこのマンションの借主になる」

 

と無茶苦茶なことをいったが、そんな訳にもいかず数日中にこのマンションを出ていくしかなくなった。

 

その女は夜の居酒屋のバイトをしており、いつも帰りが遅いのだが、ある日の夜遅く、いつものように私がアイマスクを付け、耳栓をし、腹筋マシーンに体をはめ、コンビニ袋に入った氷を全身に押し当てて横になって寝ようとしていると、その女が女友達を連れて帰ってきた。

起きて挨拶するのも面倒くさく、そのまま寝たふりをしていると

 

「こいつ、タバコくせえの」

 

「はやく出て行けよ」

 

と言って、狸寝入りをしている私の体にまんべんなくファブリーズを噴射する。

 

ピシピシピシッとファブリーズのしぶきが顔にふりかかる。

怒りに震えながらもガマンして寝たふりを続ける。

ひとしきり私へのファブリーズ噴霧が終わると、そいつは女友達を残してシャワーを浴びにいった。

そこで私は、むっくりと起き、その女友達に挨拶すると

 

「あの子のこと、実はよく知らなくて」

 

「頼まれてルームシェアすることになったけど、大丈夫か心配です。大丈夫でしょうか?」

 

という。

 

「ファブリーズを全身にかけられる、それが、あいつと一緒に暮らしたあとのあなたの姿だよ」

 

と教えてやり、とにかくその日は原チャリで数分のところにあるファミレスへ行き一人で夜を明かしたのである。

この家主の女とはそれ以来会っていないが、風の噂では次のルームシェアにも失敗したとのことである。

(つづく)

 

【多重債務者と呼ばれて】 借金する前に読むべき物語! ④

都落ち

 

私も私でどうにもこうにもならない生活に陥っておったが、母親から

 

「父親が倒れ、余命いくばくもない」

 

との連絡を受け、「もはやこれまで!」と、実家に帰ってまともな生活を送ることにした。

 

大屋のおばちゃんに

 

「少しづつ、返しますから」

 

と言って快諾され、レンタカーでトラックを借りてわずかながらの荷物を積んで都落ちすることとなった。

帰って数か月で父親は他界。
葬儀などもろもろも落ち着き、新しい仕事を見つけ働いていたが、親兄弟に内緒の多重債務に苦しみ、
働けど働けど状態。

且つ、根っからのバカなんで仕事もやっぱり行ったり行かなかったり。

 

そんな折、東京の部屋を紹介してくれた昔のバンド仲間のギターのKが訳あって一年間
ソープランドでボーイとして働き

 

「給料はいいが休みがない」

「食費、部屋代、店持ち」

「金を使うのはタバコ銭くらい」

「仕事はきついが、借金を返すならあれしかない!」

「お前に紹介してやるから行って来い!」

 

と紹介された。

 

特殊浴場へ

 

人生をリセットしたかったし、これまでアホの様な生活してたんだから、
一年や二年くらいそこで働いてリスタートしようと、
自動車で高速道路に乗って滋賀県は雄琴というソープ街へ行った。

 

雄琴に入って行くと客引きの方々が、お客にするように手をあげるので、
窓を開け

 

「僕、面接を受けにきたんです」

 

と言うと

 

「客やないなら、ハザードを炊いとかなあかんわ!」

 

と叱られ、この業界のルールをひとつ覚えた。

 

該店舗に到着し、誘導されるまま車を停めて、事務所に入る。

 

事務所は事務机のならぶ、10畳ほどのこじんまりとしたよくある中小企業の事務所風だが、
異なっている点と言えば、窓がなく、調度品がどこか成金趣味の悪趣味の大理石やら彫刻やらの類であるところ。

 

美人な女性がパソコンを操作している横で、この店のボスと思しき見た目も恰好も竹内力という感じの男との面接が始まった。

 

履歴書を、ざっくりと言った感じで見て

 

 

「借金で首がまわらへんらしいな」

 

「こっちはいつでもOKだが」

 

「でも本当にここまで身を落とさないかんのかどうか、もう一回よく考えてみい」

 

と言われ

 

「もうやるしかないんで」

 

と答え、

 

「じゃあ、いついつからおいで」

 

と言われたが、帰りの車の中で、もう一度、店のボスから言われたことを考えて、

パーキングエリアから店に電話して

 

「もうちょっと、普通に頑張ってみるんで、今日の話はなかったことにしてください」

 

とこっちから頼んどいて失礼なんだが、お断りの電話を入れたのである。

 

ちなみに

 

滞納した10か月分の家賃は、その後、びた一文支払っていません。

 

(この人でなし!)

 

 

 

 

 

【多重債務者と呼ばれて】 借金する前に読むべき物語!③

雪だるま式に増える借金

 

大屋のおじちゃんの襲撃が恐ろしいので、おじちゃんが寝るであろう23時までは部屋ではいつも電気を消して生活しておった。

家賃も貯まってくるし収入では間に合わないし、別で家庭教師のアポ取りバイトを始めてみるも、金を払ってもらえないしで生活がままならない。

 

私は、ギャンブルなどは一切やらないのだが、精神的にも不安定で、仕事も行ったり行かなかったりの生活となり、
収入が少ないくせに借り入れが大きく、一年ほどで借金はかさみ、
銀行とは別に、金融会社四社から50万円づつの借り入れをするに至った。

家賃は、おじちゃんの襲撃を避け、おばちゃんに許す方式で、10か月の滞納となっていたのである。

 

幼馴染のNの借金地獄

 

一緒に上京し、一緒のピザ屋で働いていたNは、ピザ屋閉店後に、オーナーが変わったものの同じピザ屋で働いたが、
新しいオーナーというのが、金払いの悪い中年おばさんで給料を払ってもらえず、仕方なく運送会社に転職したのだが
運送会社で交通事故を起こしてしまい、その分の負担の大部分をNが負担させられることとなり、昼は運送会社、夜はコンビニでバイト
で寝る時間もないほどの働きづめとなった。

私も私で食事もまともに取れない状況に陥っていたが、Nがコンビニの廃棄の食糧を分けてくれるので
なんとかかんとか飢え死にせずに住んでいた。

人間、そういう状況になると、欲しいのは甘いものになる。

 

 

ある時、Nの働くコンビニの裏で二人で廃棄の食糧を山分けしておると、
一個のイチゴスペシャルという半月型のパンが目に留まった。

私がそれを自分のものにしようとすると

 

「それは俺が食うつもりだったんだ!」

 

「うるせえ!」

 

と大の大人が本気で胸倉をつかみ合い、ひとつのパンをあさましく奪い合ったのである。

貧乏もここまでくると目も当てられない。

 

Nの驚愕バイト

 

その後、Nが、どこからか男相手のホストのようなバイトを見つけてきた。

 

「お前、そんなもん大丈夫か?」

 

と聞くと

 

「話を聞いてきたが、基本的には水割りを作って話を聞くのがメインの仕事」

 

「肉体関係を迫られることはあるにはあるらしいが」

 

「口説かれたら、どう逃げるかは君のテクニック次第だと言っていた」

 

「その辺のテクニックには自信があるし、金も儲かるしなんでやってみる」

 

「よかったら岡村にも紹介する」

 

と言って仕事に行った。

 

あとで聞いたのだが、その日、Nはその店に行き店長と呼ばれる男から

 

「お前は今日から〝翼〟だ!」

 

と、翼という源氏名をもらい、白いジャケットを着せられた上でポラロイド写真を撮られ、店のアルバムに張り出された。

 

さっそく中年オヤジから指名を受け、コップに水割りを作り、マドラーでかき回していると
中年オヤジがパンツを脱いだので

 

「ちょっとお手洗いに」

 

と言って、丁寧にお辞儀をし、その足でダッシュで店を出てきたという。

 

「だから、俺の私服とポラロイド写真は、まだあの店にあるよ!」

 

と笑っていたが、携帯なども停まっており、一切連絡のつかなくなったNの兄が私に連絡をくれ
Nの状況(男性相手のホストの話はしなかったが)を話すと、東京に駆けつけて
そのままNを実家に連れ戻してしまった。