【お笑い芸人になりたい?】私がお笑い芸人になれなかった訳 (後編)

高速バス

 

 

金がないものの、どーにかこーにか東京への高速バスの往復券は購入できたが、宿泊費までは手が回らない。

そこで、高校時代に組んでいたバンドのギタリストのKが、高校卒業と同時に上京。
音楽の専門学校に通っており(高校の卒業式を終えてから願書を出したという)、多摩地区にあるそいつの寮に俺たちを泊めてくれることになった。

高速バスを降り、中学の修学旅行依頼の東京。
一旦、我々もKの寮で一泊。

翌日、新宿区にある某事務所のネタ見せに向かった。
電車から見える風景、中づり広告までがなんだか東京っぽくちょっと怖いような思い。

 

事務所へ

 

ネタ見せ会場は、事務所ビルの地下にある、サイズもつくりも学校の教室のようなところ。

 

テレビで見かける知っている顔もちょこちょこいる。

 

事務所側の人間と、放送作家らしき人が長テーブルに座っており、ネタを見せる側は、床に直接座る恰好。

 

まずは当時売れていたコンビ(ちなみに今でもたま~にテレビに出ている人)がネタを披露し、さすがの実力を見せつけて売れっ子らしくすぐに帰っていく。

新人にお手本を見せる形だったと思う。

 

ネタ見せは嫌気がさす

 

続いて、フリーアナウンサーの逸見政孝さんそっくりの容姿のボケの男性と、女性ツッコミのコンビでネタを演じた。

この直後、逸見さんがお亡くなりになったので、このコンビを二度と見ることはなかった。

その後は、ピン芸人のホワイトボードネタ。尚且つ下ネタオンリーの人。
キワモノ。
どうみてもお爺さん。
などなどそれこそ有象無象がネタを披露。

はっきり言って嫌気がさす思い。

 

我々の番

 

いよいよ我々の番がやってきた。
ネタは大映テレビ制作ドラマをごちゃまぜにしたパロディのようなもの。

 

ボケとかツッコミとか意味も分かっていなかったので、基本も何もまったくない。
とにかく出てくる登場人物が全員頭がおかしいので、異様だったんだろうと思う。

 

ネタが終わると、事務所の方も作家の方も事務所の方も言葉がないらしく、

 

「どうですか?」

 

「どうでしょう?」

 

などと聞きあっている。

作家の方が

 

「まあ、独特の世界感がありますね」

 

「ネタは誰が書いているの?」

 

あとで分かったが、このセリフは、特に感想がない時にだいたい誰でも言われるセリフである。

 

手ごたえが有ったのかなかったのかわからなかったが、隣に座る事務所一のキワモノ芸人の、みつまJAPANが

 

「面白いですねえ」

 

とかいろいろ話しかかけてきたので、より一層、俺たちは狂っているのか?の思い。

 

 

 

※画像は、みつまJAPAN。 至近距離で話しかけられると怖ぇぞー。

 

帰り道

帰りに浅草により、アニマル浜口ジムに見学に行ったりして、高速バスに乗り遅れ、東京駅の広場で夜明かしし、始発の新幹線で地元に帰ってきた。

 

数日後、事務所から次は、いつに来れる?と電話があり、全く箸にも棒にもかからなかったわけではなかったと一安心。

とりあえず、地元にも別の事務所が進出してきたこともあり、そっちにも掛け合ってみようかと調子に乗り始めたのである。

ちなみにギターのKはその後、ギタリストにはならず、日本ブレイク工業に勤務して合法的にビルを破壊、カジノバーの店長、拘置行き、ソープランドのボーイ、不動産屋、などなど数々の経歴を経て、現在は行方不明となっている。

 

私がお笑い芸人になれなかったわけ

 

その後もチャレンジは続くのだが、また後日書きます。

 

とりあえず、芸能界への憧れだけだと辛抱が効かずに続きません。

ちょっと褒められたぐらいでのぼせ上ってはいけません。

なんの世界でも、言ってみれば、ただの仕事です。

それを念頭において、自分のネタが金を出してみたいほどのものか、ライブでもテレビでも、裏方が考えた通りの、またはそれ以上の成果が出せるかどうか?

 

裏方に愛される存在か?

以上が出来ないのならお笑い芸人には、なれないのである。

 

 

 

【お笑い芸人になりたい?】私がお笑い芸人になれなかった訳 (前編)

憎むべき商業高校男子

 

商業高校への入学試験を受けさせても貰えなかった私にとって、女性満載の商業高校へみごとに進学していった仲間たちは、表面上は仲が良いものの、心のどこかでは憎んでいるところがあった。

 

その商業へ行った中学の仲間が高校三年の文化祭で、お笑いをやるのでネタを書いてくれと言う。

当時、私の書いたものがラジオでポツポツ読まれていたのでそれを聞きつけてきた模様。

 

「ふざけるな!」

「普段から女の中で生活しやがって!」

「こちとら文化祭のイベントは、知らない落語家の落語鑑賞なんだよ!」

 

と思ったが、自分のネタがウケるのか確認するチャンスでもあるし、引き受けることにした。

書いたネタは、まあ、学校あるあるに毛が生えた程度のものだったが、観客がなんでも笑う世代でもあったため、そこそこウケたらしい。

それを勘違いした、その仲間が

 

「俺たちならいけるかもしれない」

 

と言う。

勝手に私を仲間に引き入れ〝俺たち〟などと言っているのに腹が立つ思い。

 

「一緒にお笑い芸人になろう!」

 

という。

 

私は小学校のころからお笑い芸人になろうと思っていたので

 

「まあとりあえずのきっかけに」

 

と中学からの友人四人でお笑いユニットを組んだ。

 

お笑いユニット結成

 

コントのネタを作って練習。

今から考えれば、自分の書くネタは面白いけど、恥ずかしくてとても自分で演じたいようなものではなく、だいたいが残りの三人が演じて、最後に私が出てきて一言だけいって終わるスタイルで、その頃から、どちらかというと裏方だったんだと思う。

 

「芸人になるにはプロダクションに所属すればいい」

「所属を希望する旨を事務所に電話をかければいいんじゃないか?」

 

と、バカ丸出しで、卒業後まもなく、電話帳で調べて東京の大手プロダクションに電話。

 

「あの、そちらで芸人になりたいんですけど」

 

と伝えると説教のひとつでもされるかと思いきや

 

「だったらいついつにネタ見せをするのでネタもって来てください」

 

と簡単な返事。

 

「いよいよ俺たちも東京デビューだ!」

 

と、デビューでもなんでもないのだが、公園や河原でネタを練習して、上京に備えるのだった。

 

(つづく)

【街中ウザいクレーマーが増えている!】 世の中はピリついているぞ!

タクシーと乗客

 

2009年頃だと記憶しているが、夜に自転車で路地を走っていると前方を走っていたタクシーが急ブレーキ。

後部座席のドアが開き、運転手さんが

 

「こら、×××!!!」

 

と、超ど級放送禁止用語で怒鳴っている。

 

「金もねえくせにタクシー乗るな!」

「×××!!」

 

勢いに押される形で後部座席から転がり落ちるように30歳くらいの男性乗客が出てきて道路に立ちすくんでいる。

 

おらサッサと帰れ!この×××!!」

 

乗客は逃げるように歩き始めたが、タクシーは徐行で乗客と並走し

 

「こら、×××!!!」

 

「金もねえくせにタクシー乗るな!」

 

「×××!!」

 

を繰り返している。

 

こんな面白いものを見逃してなるものかと、しばらく見ていたが、結局乗客が逃げるように細い道に入っていって、タクシーはそのまま走り過ぎた。

 

ただ乗りしようとした客が途中で降ろされたんだな。

運転手さんの言い草はよくないが、まあお客が悪いな。

 

世の中には悪いやつがいるもんだ。

 

 

印象で決める危険性

 

と思っていたのだが、後日、日本テレビ系で放送されている読売テレビ制作の「にけつッ!!」を見ていたら千原ジュニアが最近、世の中がピリついているというテーマで

 

「後輩のBコース(という既に解散したお笑いトリオ)のタケトが帰宅するためにタクシーに乗っていたら」

「いつもと違う道を通ったので、こういう行き方もあるんですねと運転手さんに告げると」

「なにこらー!」

「降りろ×××!!!(もちろん放送ではピーが入っていたが)」

 

となって、この後は、冒頭で私が書いた文章に戻るエピソードを話していて、あれは、そういうことだったのかと、実際にみた出来事のいきさつを、テレビを通して教えてもらって腑に落ちたことがある。

 

ちょっと見ただけで勝手に善悪を決めるのは危険であり、もし仮に将来、裁判の証人になるようなことがあれば、このエピソードを話して被告人の無実を証明しようと思う。

(思えば?)

【もしも貧乏のどん底で、大金の入った財布を拾ったら】あなたならどーする?②

トイレで拾った財布を確認する

 

財布には免許証も入っており、写真を見るとガラの悪そうな顔をした若い男性。

こんな顔をした人は悪いことをして稼いだ金に違いない。

私が使ってあげてこそ価値のある金だ。

これだけあれば、東京で生活を立て直せる。

放送作家への道も絶たれずに済む。

 

あわよくば引っ越しが出来るかもしれない。

何かのお告げだと思うことにする。

武士の情けとして、財布とかカードやらなんやらは届け出て、現金は初めから入ってなかったと言ってしまえばいい。

そうしよう!

 

と、思ったのだが、財布の中に定期券が入っているのを発見。

この人、現金も一切もってなくて、定期券もなしでは駅からも出られてないんだろうな。

必死で構内を駆けずり回ったり、関係各所に問い合わせたりしているんだろうな。

と思ったら、なんだか可哀想になってしまった。

落語の〝芝浜〟の大家さんの言葉を思い出して

「こんな金、一銭でも使ったら命を取られることにもなりかねない」

と思って、泣く泣く、しぶしぶ、

 

「俺は、届け出るぞー!」

「バカみたいだが、届け出るぞー!」

 

と、嫌なのに、行きたくないのに、無理に、迷いに迷いながら構内の駅員室へ入っていった。

 

 

駅員室で

 

 

「あのう、財布を拾ったんですけど」

 

「そうですか、わざわざありがとうございます」

 

「いえ」

 

「中身はどれくらい入っているか見られましたか?」

 

「それが結構入ってるんですよ」

 

と財布を広げると担当の駅員さんも目を見開いておった。

 

そのあと、書類に自分の名前やらなにやらを書きこんで

 

「なんかあったらまた連絡します」

 

とのことで、再び電車に乗って帰宅した。

 

アパートで

 

荷物のほとんどないアパートで安い焼酎を飲み始めたタイミングで、携帯に駅員室から電話が入る。

 

「今、落とし主の方が来られまして」

「一言お礼を言いたいと言っておられます」

「代わりますんで」

 

と言って、落とし主が電話口に出る。

 

「いや、本当に助かりました!」

「これは会社のお金で大変なことになるところでした!」

「ありがとうございます!」

「会社のお金なんで謝礼は支払えませんが、本当にありがとうございます!」

 

と言っている。

 

「別に謝礼なんかはいりませんけどね」

「大金を、拾う側にもいろいろと思うところがあるんですよ」

「そんなに大切な金は、カバンに入れて抱えるように持っててください」

「だいたい会社の金を尻のポケットに入れとんじゃねーよ!」

 

と大金を取りそこなった悔しさと、届け出た驕りもあり、いつになく説教じみたことを言ってしまった。

 

私は

「いいことをしたんだから、青森でとてもいいことが起こるんだろうな」

と自分を言い聞かせながら、数日後、青森に旅立ったのである。

結果は、あまりいいことはなかったのだが。

【もしも貧乏のどん底で、大金の入った財布を拾ったら】あなたならどーする?① 

財布を落としたとき

 

財布を無くすと、周りの全員が自分の財布を盗んだ犯人に思えませんか?

(思えない)

と言いう人は都合が悪いので、無視します。

 

さて、中学生のころ、近所の夏祭りに出かけて財布を無くしたことがあるのだが、その時も祭りに来ている者全員が犯人に思えて仕方がない。

 

お祭り中を転がるように探し回り、笑顔で話し合っている者たちがいると

 

「嬉しいことが有って笑っているんだな」

「俺の財布を拾ってネコババしたんだな!」

「テメエが犯人だろう!!」

 

と、相手を睨みつけ、財布の中身はせいぜい1600円程度なくせに大げさに憤っていたのである。

 

半泣きで家に帰ったのだが、財布は学生服の内ポケットに入っておった。

 

「あああ、なんて俺はバカなんだろう」

「困っているときの必死さは、冷静になれば滑稽でしかない」

 

と痛感したことがある。

 

 

財布を拾ったとき

 

逆に財布を拾ったこともある。

当時、東京にいたのだが、職場の業務縮小に伴い、賃金は低くなるが都内の別の場所で勤務するか、賃金は上がり、家賃も出してくれる青森で勤務するかの二択を迫られていた時のこと。

 

いつまでたっても金が無く、年がら年中ピーピー言っていたし、放送作家の見習いみたいにしてもらっていたのだが、テレビ業界自体も不景気で、才能のない見習いごときには先が見えぬ上、根っからの根性なしに出来ている私は

 

「作家の道を諦めるのは非常に残念だが」

「いっそ、青森で心機一転頑張ろう」

 

と決めて、荷造り(と言っても、ほとんど物を売ったり捨てたりするだけだったが)していた頃、お世話になっていた放送作家事務所に

 

「青森に行くので、もうこられません」

 

と告げて

 

「じゃあリンゴ食い放題だな!」

 

と訳の分からんことを言われた帰り道。

〝都落ち〟の文字が頭に浮かび、上京してからこれまでの生活が頭をよぎりいつ涙が出てもおかしくない精神状態であったとき、大江戸線に乗っていて、新宿駅で降りようと席を立ったら、隣に座っていた若い女性が私を呼び止める。

 

「落としましたよ」

 

と言う手には、見覚えの無いヘビ柄の長財布を持っており、私に差し出している。

反射的に

「すみません」

と答えて、その財布を受け取った。

前に座っていた人が財布を落としたまま席を立って下車。

その後、知らずに私が座って、私が立ち上がった後に財布が落ちているのをみつけた隣の席の方が、私の遺失物と判断した形となった訳である。

 

財布はかなり重い。
小走りになりたい気持ちを抑えて、なるべくゆっくりと歩きながら公衆トイレの個室に入った。

中身をみると、万札がビッシリと詰まっている。
数えるとなんと46万円入っている。

 

頭に浮かぶのは、『東京残留』、『敗者復活』の文字。

さあ、どうしよう。

(つづく)

【突然のリストラ危機】 その時、私の右往左往②

新潟では毎晩酒盛り

 

東京で働く後輩たちも一緒に新潟に来ていて、一緒のウィークリーマンションで生活しており、毎晩、誰かの部屋に集まっては酒盛り。

 

「岡村さん、俺たちは残ることにしたんですけど」

「岡村さん、うらやましっす!」

 

というので、思い切り二枚目の顔を作って

 

「まあ、私の場合、商社に決まったからねえ」

 

「商社マンなんで、商社のマンなんで」

 

「がはは」

 

と答える。

 

「俺たちにも紹介してくださいよ!」

 

 

と羨望の眼差しであるため

 

「まあ、私もこれからだが、絶対にのしあがるから」

 

「その時には君たちを呼び寄せるよ!」

 

「でも英語は勉強しなかればならんぞ!」

 

「何しろ買い付けにもいかなくちゃだからなあ!」

 

「がはは」

 

と毎晩おんなじ話で飲んだくれておったのである。

 

帰京

 

新潟出張が終わり、東京へ帰ると、会社残留組の後輩兼、上司のM君が

 

「岡村さん、新業務、一緒にやりましょうよ!」

 

「辞めないでくださいよ!」

 

と言う。

 

この言葉は、当時の私を一番喜ばせた。

なぜかと言うと

 

「まあ、私の場合、商社に決まったからねえ」

 

「商社マンなんで、商社のマンなんで」

 

「がはは」

 

と答えられるからである。

 

なので、もちろんこの時も、一連のがはは笑いをしておった。

 

 

待ち合わせの喫茶店

 

さて、東京にも戻ってきたし、改めて商社の人に電話をして喫茶店で待ち合わせし、落ち合った。

 

「改めて上司に掛け合ったところ」

「今いる人材でがんばることになった」

「すまん」

 

すまんで済んだら警察いらねーんだよ!

 

と思いながらも、ごたごた言ってもどうにかなる話でもなさそうだし、ケンカして入社して、いい仕事になるとは思えないし、黙って引き下がってやろうと思って店を出た。

 

泣くに泣けないとはこのことを言うんだな。

と思いながら、店を出て数歩のところで会社に電話。

 

「M君はいますか?」

「今、代わります」

「もしもしMです」

「あ、M~?やっぱり新業務一緒にやるわー!」

 

ということで、会社に残留を決めたのである。

 

この後2年間、新業務を行ったのだが、これが未だに語り草の、楽しくて、得難き仲間を得られることになるのだから人間なにが幸いするかわからんもんである。

だからどんな時でも希望を捨ててはならないのである。

 

【突然のリストラ危機】 その時、私の右往左往

突然の業務縮小

 

2009年頃の話。

当時の東京の勤務先が業務縮小することとなり、一か月後までにそれまでとは別業務となるが、会社に居残るか退職するかの二択を迫られた。

回答は一旦保留とし、

「10年以上務めたし、良い機会と考えて転職をしよう」

と考えて友人・知人にいろいろ相談して回ったところ、小さいながらも自分でデザイン事務所を経営している友人が会社経営も大変な中、

 

「本当にやる気ありますか?」

「ある」

「そうですか、でもうちも厳しんですけど・・・」

「・・・月15万円でいいなら」

 

との返事。

非常にうれしいながらも

 

『15万円では生活苦しいなあ』

 

の思いはあったが、デザインの勉強を頑張って、昇給、ゆくゆくは独立!
などとお得意の取らぬ狸の皮算用をし、

会社には

 

「辞めます」

 

と伝えた。

 

捨てる神あれば…

 

勤務先は、業務縮小の関係で残りの期間を新潟にある営業所で二週間ほど働く必要があるとのことで、数日後に新潟行きを控えたある日、何人か大勢で集まる機会があり、これまでの経緯を面白おかしく語っていたところ、その時、全くの初対面の年長者のかたから

 

「だったらうちの会社に来ないか?」

「君みたいにぶっ飛んだ人材がうちには今いなくてね」

 

という。

 

何の会社か聞くと、軍事的な備品やらなにやらを海外から買い付けて、関係当局へ卸す商社だという。

 

「俺、高卒ですけど?」

「というか工業高校卒業ですけど?」

 

と言うと

 

「そんなのは関係ないんだよ」

「もちろん、英語はしっかり学んでもらうよ」

「でも、君みたいなぶっ飛んだ人材が我が社には必要なんだよ」

 

初対面で人のことをぶっ飛んでいるぶっ飛んでいると言われることに多少違和感はあったものの

 

「こういうお堅い商売の人には俺のようないい加減に生きてきた人が珍しいのかもな」

 

と思い、聞けば給料もタップリ!

その上、地元の軍事施設に月1回は通わねばならぬが、むしろ私にとっては会社の金でちょくちょく帰省ができるとあって一石二鳥。

 

「では、新潟出張から帰ってきたら、改めて連絡をください」

 

とのことで名刺をもらって別れた。

 

デザイン事務所は?

 

別れた直後の先述のデザイン事務所の友人に電話

 

「あのさあ!」

 

「やっぱりこの間の話いいわ!」

 

「なしで!!」

 

と我ながら人でなし。

もうその日から浮かれる浮かれる。

 

 

新潟到着

 

新潟では

 

「東京が縮小されてこの後、どーするんですか?」

 

と聞かれるたびに

 

「まあ、私の場合、商社に決まったからねえ」

「商社マンなんで、商社のマンなんで」

「がはは」

 

とよくわからないことを言っていたのである。

 

(つづく)

【ヒドいあだ名】 史上最低のドイヒーニックネームNo.1

それは中学の同級生

 

中学に入学したときの話。

別の小学校から入ってきた同じクラスになった当時で100キロを優に超える体重の男子がおり、彼の小学校時代からの友人は彼のことを

「ブーコー」

と呼んでいる。

や、これいじめでしょ?

と思ったので、そんな呼び方はやめようと提案するが

「別に悪気があってそう呼んでいるのではない」

「彼は親からそう呼ばれている」

と飛んでもないことを言う。

ウソつきやがれ!と思っていたが、その後、彼と親しくなって彼の家に遊びに行くと本当に母親が階段の下から我々のいる二階の彼の部屋に向かって

「おいブーコー!」

「友達にお茶持ってけ!」

と本当にブーコーと呼ばれていたので、素直にボクも

「ブーコー」

と呼ぶようになった。

 

ブーコーもブーコーで自分ちのじいさんのことを

「おい、しげお!」

 

と呼んでおり、呼ばれたじいさんも

 

「おう、ブーコー」

「ビーフジャーキー友達に出してやれ」

 

とブーコーの家はとても金持ちで豪邸に住んでいたが、金持ちは金持ちでなんかざっくばらんというか、バランスが崩れているというか、いろいろと複雑なのかもしれないと子供ながらに思ったものである。

 

ブーコーの腕力

 

 ※写真はブーコーではありません。この二倍くらいあります。

 

ブーコーは、とても温厚な性格で、10歳は年上と思えるくらいに落ち着いていて精神年齢も高い上、体がでかく、それに比例して腕力も物凄い。

誰もかなわないがために、力自慢というか、不良界で名を馳せたいバカが

〝怪力ブーコーを倒した〟

という看板が欲しいために、全くケンカをする気のないブーコーに挑んでくることが多々あった。

が、ブーコーは、どんなに強そうなやつでも、どんなに悪そうなやつもかなわずだいたい一撃で戦意喪失させるか、戦意喪失せずに果敢に立ち向かってくるヤツにはお得意のベアハッグで呼吸困難に陥らせすぐに降参させていた。

中には

「腕力はあっても走力はない」

「あいつを倒すには殴って逃げればいい」

などといい、実際にそうしたが、当たりまえに、あとで捕まって、死ぬ思いをさせられている者もいた。

 

ブーコー大人になる

 

ブーコーは成績は悪くなかったが、父親が工場の経営者だったので、ボクと同じ工業高校に入ったが、柔道部の顧問からの必死の勧誘から三年間逃げ続けた。

卒業後、こちらが上京したこともあってだんだんと疎遠になったが、ある日、なんの用事か忘れたが、電話をくれたことがあった。

たまたまそれに出られず、留守電が吹き込まれていた。

再生を押すと

「もしもし」

「ブーコーです」

「また、電話しま~す」

と言って切れた。

懐かしさとともに

「自分でブーコーっていうなよ!」

 

と突っ込まずにはいられなかった。

ちなみにブーコーは現在、激痩せし、超スリムです。

 

【いけないナイトプール】真似するとケガします!③

連行

 

静寂の世界から急に騒がしくなったこともあり、心臓もバクバクで、当ブログの読者は全員ご存知の教育テレビのばくさんのかばんの、ばくさんの登場シーン状態。

 

 

「バークバクバクバク~!」

 

(知りません)

 

パトカーから二名のポリスの方が降りてきた。

セキュリティ会社のおじさんがプールのカギを開け、ポリスの方から出てくるように指示される。

 

「手を挙げろ!」

「抵抗すると撃つぞ!」

 

などと言われるはずもなく

 

〝やれやれ〟

 

と言った感じで

 

「署まで同行願おう」

 

とのことでパトカーの後部座席に乗り込もうとすると

 

「ちょっと待って」

 

と言われて、ポリスの方が濡れている私の体で車が水浸しにならぬよう後部座席にビニールシートを敷いた。

私はその上に座り、ドアが閉まり、署に向けて連行されていったのであった。

 

 

事情聴取

 

署につくと、階段で二階へ上り、ドラマでみるよりは小綺麗な感じの取調室らしき部屋へ通された。

 

「では調書をとるから」

 

「はい」

 

「なんでプールに忍び込もうと思ったの?」

 

〝漫画を読んで〟

 

などと答えられるはずもなく、

 

「・・・暑かったので」

 

と答えると

 

「それだけか?」

 

と言うので

 

〝工業高校出身なもんで〟

〝青春を取り戻したかったもんで〟

 

などと答えられるはずもなく、

 

「・・・ダイエットしようと思って」

 

と答えると

 

「家で水風呂入って近所走れ!」

 

と当たり前のことを当たり前に叱られてしまった。

 

「最近は変な人間も多くて」

「プールに糞尿などを撒いたりする者もいる」

「お前はそんなことしてないな!?」

「してません」

「今、市長に連絡して起訴するかどうか確認するから」

 

と言って数十分待たされた。

 

待たされている間にポリスの方々も、ある程度私がそこまでのワルではないとわかると世間話をしてくれたりするようになった。

 

部屋に据え付けられている電話が鳴って、主に話し相手になってくれているポリスの方がソレに出る。

 

「市長は起訴しないそうだ」

 

という。

 

〝こんな夜更けまで市長も大変ですね〟

 

などと言えるはずもなく

 

「ありがとうございます」

 

と答えた。

 

 

 

調書完成

 

さらに数分後、さきほど聞かれた内容が活字になった調書がが机の上に置かれた。

その紙には

 

「私、岡村〇〇は、平成〇〇年、〇月〇日、〇時〇分頃」

 

「暑かったのと、ダイエットのため、深夜に市営のプールに忍び込み連行されました」

 

「深く反省しており」

 

「今後は、二度と繰り返しません」

 

などと書かれており、調書に〝暑かったのと〟などと言った通りに書かれていることがおかしかったが、それに署名するよう促され署名をし、釈放されたのであった。

ここ数年、ナイトプールが流行っているが、このような真似は決してしてはいけないのである。

【いけないナイトプール】真似するとケガします!②

深夜のプール

 

さて、いよいよ念願の深夜のプールである。

衝動的に潜り込んだため、もちろん水着などは持ってきていない。

衣服を脱いでプールサイド置く。

全裸になるとプールへと静かに入った。

とりあえず平泳ぎで15メートル程度、軽くクロールを2~3掻き、ちょっと潜水、けのび、などをしたらもうする事がない。

 

プールに入って5分も経っていない。

 

「せっかく手足を負傷してまで忍び込んだんだから」

「もうちょっと居ようかな」

 

とただ水に体を浮かせて黒柳徹子さんお得意のポーズをこのブログを読んでいる人は当たりまえにしっていると思うが
(知りません)
それをしていたら、遠くで何か光ったような気がした。

 

「すわっ!」

「ロボコップ!?」

 

と思って体を水中に沈め、鼻の穴から上だけを水面に出して音を立てぬようにプールの隅にゆっくりと移動。

水面に懐中電灯の光があっちへ行ったり、こっちへ行ったりしている。

 

「はやくどっか行けロボコップー!」

 

と思っていたら目の前がパッと明るくなり、
もろに懐中電灯で顔を照らされた形となった。

今思うと、向こうの人も怖かったに違いない。

 

「もはやこれまで!」

 

 

やってきたのはロボコップ?

 

とザバァと音を立ててプールサイドに上がると、懐中電灯を持っていたのはロボコップではなくセキュリティ会社のおじさんだった。

 

〝いやあ、どーもどーも〟

 

という感じでフリチンで頭を下げながら

 

〝まだまだ残暑が厳しいですな〟

 

といった風情で脱いだ衣服を持ち、

 

「もう出ますから」

 

と言い、とりあえず衣服をフェンスの向こうに投げようと思ったら、

 

ウーーーーーーーーーーーーーーーッ

        ウウーーーーーー!

ウーーーーーーーーーーーーーーーッ

        ウウーーーーーー!

 

とサイレンの音がして、パトランプパッカパカでパトカー登場。

 

〝これはこれは〟

〝ポリスのみなさんこんばんは〟

 

と、ひとまず心の中で挨拶をしたのである。

(つづく)