【ごっつええ感じの前身番組】ごっつええかんじマジでマジでアカンめっちゃ腹痛い とは?!2/2

引き続き、『ごっつええ感じ』のパイロット版、『ごっつええかんじマジでマジでアカンめっちゃ腹痛い』について

③「イタコで故人となった芸人を呼び出す」

怪しげな宗教の道場のようなセットには、亡くなった芸人の名前が毛筆で書かれた札がいくつも掲げられている。
道場には大きな神棚のような物があり、その前には本物のイタコと思われるお婆さんが座っている。

そこへダウンタウンの二人が入ってきて、壁にかかっている亡くなった芸人の札を選択し、イタコのお婆さんにその芸人を呼び出してくれるように依頼。

〝たこ八郎〟

を呼び出してもらうと、イタコのお婆さんは

「たこで~す」

〝伴淳三郎〟

を呼び出してもらうと、

「アジャパー」

などと、イタコに故人の往年のギャグをイタコにやらせるだけのものであった。

このイタコのお婆さんは、後年のガキの使いのおばちゃんにも似た雰囲気があり、ダウンタウンが突飛なおばちゃんと絡みはじめの企画といえるかもしれない。

④ロケコント、「浪速の浴衣兄弟」

そもそもは〝夢で逢えたら〟でダウンタウンが演じていた〝浪速の浴衣兄弟〟という、場違いなオシャレな所へ揃いの浴衣で現れる関西弁のチンピラ兄弟(兄貴:松ちゃん、舎弟:浜ちゃん)のスタジオコントがあって、そのキャラクターで東京の観光名所行くというロケコント。

このコントは番組中、クッションとしてたびたびCM前に差し込まれる。
ナレーションは夢で逢えたらのコントでいつも浪速の浴衣兄弟の理不尽なイチャモンに翻弄されつつも、最後には

「ド素人が出てくるんじゃありませんよ!」

と叱っていたウッチャンナンチャンの内村光良。

兄貴役の松ちゃんが

「国会議事堂に行きたい」

「行って金丸信に会いたい」

とたびたび言い、国会議事堂に向けて、あちこち立ち寄りながら歩いていくという物。

金丸信とは、元自民党副総裁。
詳しくは知らないが、顔だけで言えば悪徳政治家のイメージの男。

※画像は金丸信。1994年、脱税で逮捕。

松ちゃんは行く先々で

「金丸信に会いたい」

「金丸に話がある」

などと言っている。

浅草雷門などに立ち寄り、そこで露店の人と話したりしていく。(この辺りあまり覚えていない)

で、いよいよ番組最後には国会議事堂に到着。

スタッフは遠巻きに撮影し、ダウンタウンの二人だけで国会議事堂に浴衣のままで入って行こうとするが本物のガードマンに止められてしまう。
大声で

「金丸よ~!」

と叫びながら、逃げるようにスタッフのところへ帰ってきたダウンタウン。
舎弟役の浜ちゃんから

「金丸に話があるって」

「金丸にいったい何の話があるのか?」

と尋ねられた兄貴の松ちゃんは

「いや、がんばれって…」

と言って終了。

マジでマジで!

というのが、私の記憶の中にある、『ごっつええ感じ』の前身番組、『ごっつええ感じマジでマジでアカンめっちゃ腹痛い』でした。

で、レギュラー化したら全く違うテイストの番組となってしまったのだが、タイトルの『マジでマジで』の部分だけは、レギュラー化後のクイズコーナーで

「数字を当てましょ!マジでマジで」

などというように、少しだけ生き残ったのであった。

【ごっつええ感じの前身番組】ごっつええかんじマジでマジでアカンめっちゃ腹痛い とは?!1/2

ごっつええ感じの前身番組は、ごっつええかんじマジでマジでアカンめっちゃ腹痛い !

今や伝説となったテレビ番組、『ダウンタウンのごっつええ感じ』にはパイロット版のような特別番組がある。

それが、『ごっつええかんじマジでマジでアカンめっちゃ腹痛い』である。

レギュラー放送の『ごっつええ感じ』は、1991年12月から放送開始だが、まずは1991年の正月の夕方にこの『ごっつええかんじマジでマジでアカンめっちゃ腹痛い』が放送。
その後、特番として火曜日のゴールデンタイムに90分番組として2回放送しレギュラー化。

この火曜の90分版の放送はレギュラー化したとき同様、スタジオコントを中心に、クイズやトークコーナーを添えたものである。

が、一番初めの正月の夕方に放送された『ごっつええかんじマジでマジであかんめっちゃ腹痛い』には、コントらしいコントは無い。

ネット上では、この番組が有ったとはとは書かれているが内容については触れられていないので、私の記憶を頼りに番組の内容を書き起こしていきたい。

なんで記憶頼りかというと、録画したビデオなどは実家で全部母ちゃんに捨てられたからである。

あればYouTubeなどにUPしたかったなあ。

『ごっつええかんじマジでマジであかんめっちゃ腹痛い』とは?

まず、番組全体のパッケージは、『笑っていいとも』のような観客を入れたスタジオで、ステージ上にはTVモニターがあり、それを挟むようにダウンタウンの二人が立ち、松ちゃんがスタッフと共に撮影してきたという企画を、モニターでみんなで観ていくというものである。

その中で覚えているものを紹介していきます。

①「世界一歩くのが遅いオジイ」

[内容]

数秒の作品。松ちゃんとスタッフが、世界一歩くのが遅いオジイを発見し、そのオジイの撮影に成功したといってVTRを流す。
VTRには、歩道を普通のお爺さんが、画面右から左へ歩いているものが映されている。
画面手前には花のつぼみが映っている。

で、オジイが画面右から左へ歩くまでの間に、手前にあった花のつぼみが咲く、というものである。

VTR終わりでややポカンとしている観客に、松ちゃんが

「世界一歩くのが遅いオジイを撮影していたら、たまたまそこに花のつぼみが映りこんでおり、超高速で再生したら、その花の咲くところが撮れたのである」

と主張し、

「世界一、歩くのが遅いオジイと、花が織りなすハーモニー」

と言って煙に巻こうとするが、ツッコミの浜ちゃんが、VTRにおかしな点が有るとし、

「じゃあ、もう一度観てみよう」

といって再びVTRを流す。

先ほどと同じ、「世界一歩くのが遅いオジイ」の映像が流れるが、花が咲いたあと、オジイの横をオートバイが普通の速度で通り過ぎるところが映りこんでおり、

「超高速再生にもかかわらず、なぜバイクが普通の速度で走っているのか」

と詰め寄ると、松ちゃんは

「これがまた凄いことで」

「たまたま世界一歩くのが遅いオジイを撮影していたら、そこへ世界一長いバイクが映りこんでいたんやねえ」

「世界一歩くのが遅いオジイと、世界一長いバイクが織りなすハーモニー」

といって浜ちゃんにドツかれて終わり。

 

②料理番組で「マズい」と言おう!

もしも、料理番組の最後に出来上がった料理を、アシスタントが食べて

「マズイ」

と言ったらどうなるか?

という企画である。

よくある三分クッキングのようなキッチンのセット。
料理するのは、バラエティーで大活躍、コワモテのプロレスラー、ストロング金剛。

※画像はストロング金剛。

アシスタントは、松ちゃんと野沢直子の二人。

現在は、ストロング金剛がよくわからんと思うが、今でいうと蝶野正洋とかのバラエティー慣れしている怖い人が得意げに作った料理を食べて

「マズイ!」

という肝試しモニタリング企画。

ストロング金剛が数分かけて料理を作り終え

「まあ、美味しそうね」

「食べるのが楽しみですね」

などと言ってテーブルに座る三人。

まず、松ちゃんが試食する。

やや得意げな面持ちで

「いかがですか?」

と尋ねるストロング金剛。

すると松ちゃんが

「これは、マズイっすねえ~」

と言う。

続けて野沢も一口食べて

「ホントだ、まっずーい」

と言って、ストロング金剛が

「なに~!!!!」

と激昂して暴れる。
逃げる松ちゃんと野沢。

で、まあ最終的には金剛自身も食べて

「なんか味が違うなあ~」

と言って終了。

VTRが終わり、スタジオで松ちゃんが

「みなさんもよかったら作ってみてください」

「本当にマズイですから」

と言って終わり。

(つづく)

【自己チュー許さん!】あなたの職場にいる自己中心的な人の心理と、見極め方!&悪口!

困ってしまう自己中心的な人

どこにでも自己中心的な人がいる。

全ての物事を自分を中心として考え、周りの状況を鑑みない人である。

こういう人が同じ作業をするチームにいると周りの人は大変なことになる。

こういう人は、自己犠牲精神が全くなく、嫌なことは全部人に押し付けて自分は楽をするばかりだからである。

自己犠牲精神もなく、怠けたいのであれば、いっそ参加しなければいいのだが、往々にしてこのような自己中心的な人は、自分は何にもしないくせに、他人の動きには何かと口を出したがり、〝アドバイス〟だのと抜かして、人使いが荒くコキ使ったりして腹が立つのである。

こういう自己中心的なヤツが上司だったりすると、もううんざり。

「やってられっか!」

という気持ちになる。

自己中心的な人物の見極め方=「呼びつける」

自分の上司が自己中心的は者かどうかを見極める方法の一つに、自分で足を使うタイプか使わないタイプがを見るとわかりやすい。

まず自己中心的なタイプは、自らの足を使わないからである。
そのため、基本的に自分のデスクからなるべく動こうとしない。

部下に用事があるときは、遠くのデスクからでっかい声で

「おーい!〇〇君!」

とパソコンのモニターを見たままで手招きし、自分のデスクまでくるように指図をする。

人をアゴで使うとはこのようなヤツのことである。

『用事があるならテメエから近寄ってこい!』

と思うがあくまで偉そうに遠くのデスクからでっかい声で

「おーい!〇〇君!」

などと抜かすのである。

と言うとこのバカ上司は

「でも私のパソコン画面を見てもらいたいんだから、呼びつけるのは仕方がないだろう!」

と頭の悪さを丸出しで反論をしてくるだろうが、自分のパソコン画面を一緒に観る必要があるからと言って、別に呼びつける理由にはならない。
近くまでいって

「ちょっと私の画面見て欲しいののだが」

と声をかけて一緒に移動すればいいだけのことである。

上司が部下を呼びつける理由

にも関わらずなんで大声で呼びつけるかというと

①呼びつけることによって、部下を威嚇し、優位に立つ

②大声で呼びつけることによって、周りにも威厳を示す

この二つである。

「いや、決してそんなことは思っていない!」

「急いでいるから大声で呼びかけるだけだ!」

などと更に反論をしてくるバカ上司は、

③勘違いしている

である。

どう勘違いしているかというと、会社と家庭の区別ができておらず完全に甘え切っているので

「会社の仲間は家族みたいなもんだ」

「上司は父親と同様だ」

「部下はなんでもいうことを聞く女房みたいなもんだ」

などと男尊女卑も甚だしいことを思い

「業績のためなら、女房も泣かす」

「それがそうした文句があるか!」

「酒や酒や、酒買うて来い!」

と浪速恋時雨を歌いだすのであるが、実の所、このバカ上司は家庭では完全にのけ者にされており、娘からも

「アイツ」

と呼ばれているため、家庭の温かみをせめて会社だけでも味わいたいと願い

「会社の仲間は家族みたいなもんだ」

と言っているので、哀れなもんである。

我が勤務先の自己中心的な上司

などと常日頃から思っていたが、先日、私の勤める会社のバカ上司のバカ講義を聞く羽目になった。

仕方がないので何の足しにもならん、愚にもつかぬクソ講義を聴いていたのだが、本人は勢いに乗ったらしく予定の時間を超過した。

で、

「じゃあ、ちょっと時間をオーバーしたので一旦、休憩を入れます」

と言い、もう、終わればいいのに、一旦、休憩を入れ、そのあとで改めてクソ講義を再開することになったのだが、その際、そのバカ上司は、自分の腕時計を見ながら

「じゃあ、この時計で18:35から再開しますので、それまでには帰ってきてください」

と言ったのである。

〝この時計で〟

というのは本来、みんなが共通で見ることのできる壁掛け時計などを指して

〝この時計で〟

というのが筋だが、こいつは、事もあろうに自分しか見ることのできない、己が腕時計を指して

「じゃあ、この時計で18:35から再開しますので、それまでには帰ってきてください」

と抜かしたのである。

「こんな自己中心的とバカとなどうまく付き合ってたまるか!」

と、私はそいつと円満に付き合うことをキッパリと諦め、徹底的にギクシャクする道を選んだのであった。

【一番好きな映画でわかる人間性】あの人の本当の素顔とは?

「あなたの一番好きな映画はなんですか?」

一番好きな映画を聞いてみれば、答えた映画でだいたいその人の人となりがわかる。

つまり、

「あなたの一番好きな映画は?」

という質問は

「あなたはどういう人間ですか?」

という質問に等しいのである。

そのため、

「あなたの一番好きな映画は?」

に対しては慎重に答えなければいけない。

場合によってはバカ扱いされるからである。

ヒーロー物=バカな人

もっともバカ扱いされるのはヒーロー物である。

「私の一番好きな映画は、スパイダーマンです」

などと答えようものなら、質問者の頭の中では

『こいつ、バカ確定』

となる。

「私の一番好きな映画は、ジャスティスリーグです」

などと答えたなら、

『こいつ、バカの確率変動』

『バカの十三面待ち』

などと揶揄されることになるので、くれぐれもヒーロー物を答えてはならない。

大作の人&ジブリな人=女性ならば好感が持てるが・・・

「ロードオブザリングです」

とか

「タイタニックです」

と答える女性は可愛らしくていい。

「ハウルの動く城です」

とか、女性であればこれが正解かもしれない。

が、男はいかん!

男が

「タイタニックです」

と答えたら

「お前、何考えてるの?」

「人生舐めてるのか?」

「一昨日きやがれ!」

とどやし付けられることになるので注意が必要である。

ショーシャンクな人=なんにも考えていない人

ショーシャンクの空にと答えるのも避けたいところである。

「あなたの一番好きな映画は?」

に対して

「ショーシャンクの空に、です」

と答えるヤツはアホである。

『ショーシャンクの空に』は、とてもいい映画で、誰でも好きである。
この映画が嫌いなヤツとは友達にならないほうがいい、というくらいの名作だが、大作でなし、主役がややマイナー俳優であり、知ってる人は飽きるほど観ており、一部では熱狂的な支持がある作品。

「これ言っとけば映画好きと思われる感」

が漂い、誰にも文句は言わせねえ的な作品であることは周知の事実であり、

「敢えてこの映画が一番好きだとは言えない雰囲気」

があふれる作品である。

に関わらず、

「一番、好きな映画は?」

と聞かれて

「ショーシャンクの空に」

と答えられるそいつの神経を疑う。

「一番、好きな映画は?」

と聞かれて

「ショーシャンクの空に」

と答えるということは、

「あなたはどういう人間ですか?」

と聞かれて

「私は何にも考えていないバカです」

と答えるようなものである。

好きであってもベタ過ぎて言ってはならん映画、それが「ショーシャンクの空に」なのである。

敢えてぶっ飛んだ作品をいう人=危険人物

じゃあ、人気の無い映画を答えればいいのかと、

「私の一番好きな映画は、北京原人~Who are you?~です」

とか

「温泉すっぽん芸者です」

と突拍子もないことを答えるとバカ扱いどころか、危険人物、タブー人物の扱いを受け、失職の末、一家離散、ダンボール生活を余儀なくされるというような、取り返しのつかないことになるので注意が必要である。

おしゃれ映画=モテよううと必死な人

「シザー・ハンズです」

「トレイン・スポッティングです」

「時計仕掛けのオレンジです」

「7-SE7EN-」です

などと、大して内容はないくせに、ただオシャレだと言うだけの作品を、もっとも好きな映画と言えてしまう人は気持ちが悪い。

ただただ、

「この作品のオシャレ感覚、俺、理解可能」

とでもいいたげにタイトルを言っているだけであり、モテようという気持ちが出過ぎていて、必死であり、見るに堪えない。
こういう人からは、逃げるに限る。

正解は?

「何を偉そうに!」

「じゃあ、いったいお前の一番好きな映画はなんなんだ?」

「答えてみやがれ!」

という意見もあるかもしれないが、最もやっていけないのは、聞かれてもいないのに

「私の一番好きな映画はね」

などと言い出すことである。

聞かれてないのに、誰も興味がないのに

「私はこういう人間ですよ」

と言い出すのと同じだからである。

ということで、私の一番好きな映画は、お答えできません。

【右と左が咄嗟に判断できない私の左右盲を克服する方法!】右も左もわかりませんが・・・

打ち明けます

実をいうと私は、右と左が咄嗟に判断できない。

「右も左もわかりませんが」

などと自己紹介の挨拶をする人がいるが、そうではなく、右と左はもちろんわかるのである。

が、あくまで咄嗟に判断できない。

私は右利きなので、箸を持つ方が右ということは勿論わかる。

そのため

「そこもうちょっと右!」

などと言われた場合、一応頭の中で右手で箸を持ち、左手で茶碗を持つようなジェスチャーをイメージし

『こっちがチョキだから右!』

と、未だに

〝右=箸を持つ方〟

で右を認識しているのである。

って、これ、私だけじゃなくてみんなそうなんじゃないの?

隠しているだけで、

『右』

『左』

を言葉だけで、どっちがどっちか咄嗟にわかっている人間なんているの?

と思ったが大半の大人はちゃんとできているそう。

私なんぞは本当だったら、実際に右手で箸を持つ仕草をし、左手で茶碗を持つ仕草をした上で右と左を判断したいほどだが、人目が有るので一応、脳内で茶碗と箸のイメージを泣く泣くしているのである。

ゲルストマン症候群?

と右と左が咄嗟に判断できないで、調べてみると〝左右盲〟だとか〝ゲルストマン症候群〟だとかなんだか恐ろし気な文言がヒットする。
だいたい誰なんだゲルストマンって。

ゲストスマンとは

オーストリア出身のアメリカの神経学者ヨーゼフ・ゲルストマン

だそうで、

ゲルストマン症候群とは

・発症原因については研究・議論中であり、諸説ある。
・失認症の両側性失認に分類される。
・原因ははっきりわかっておらず、人間の未知の部分の病気

であり、症状は

・手指失認、左右失認、失書、失算の4つの症状を併せ持つ症候群

という、とにかくなんだか脳の病で、原因はよくわからんが、左右や文章や計算などが全く理解できなくなる病気だそうである。

それだけのことをまあ、わかりにくく、

『両側性失認に分類』

だの

『手指失認、左右失認、失書、失算』

だの、その専門用語じみた文言が、あたかも一般的にひろく言われているかのように用いて、本来わかりやすく説明すべきことを、わかりにくくわかりにくく、人を煙に巻いたような事を言っている学者のほうが、なにかしらの脳の病気なのではないかと、右と左が咄嗟に判断できないレベルの私ごときは腹が立つのであった。

左右盲?

これが、私に近いと思うのだが、あくまで右(→)と左(←)はわかるのだが、右が→で、左が←と咄嗟に判断出来ぬ者のことを言うそうである。
そのため、左右盲の周りの人は、「右」と「左」を使わずに、指を指して

「コッチ」

「アッチ」

と言ってあげたり、ゆっくりと教えてあげましょう、などと、バカにするんじゃねえ!と左右盲の私は声を荒げたくなるのである。

箸と茶碗以外の覚え方

みぎは、さいごの「ぎ」の字の終わりが「→」を向いているから右!
ひだりは、さいごの「り」の字の終わりが「←」を向いているから左!

とか、

アメリカでは

両手で人差し指と親指でLの字を作ってればいいんだよ。
自分から見てきちんと「L」になっているのがLeft、つまり左さ。

などと言うものがあるそうだが、それなら別に茶碗と箸でいいのである。
何度もいうが、右と左はわかる!

ただ咄嗟に右=(→)、左=(←)と判断できないのがなんとかならんかと思っているのだ。

私に言わせれば、そもそも右と左の由来がわからん!

そもそも『右』と『左』って、なんでそんな名前なの?

それがわからんので咄嗟に判断できん。

調べてみると、右と左の由来は諸説ありすぎだそう。

右の由来

ものを握る、にぎり→みぎり→みぎと変化しただの、
南を向いて立ったとき右は西で、西は太陽の沈む方角だから「みきる(見限)」→「みきり」→「みぎ」だのかなり無理がありそう。

左の由来

南を向いて立ったときに東、つまり朝日の出る方向なので「日出り」から「ひだり」になったとのこと。

なんだかよくわからんが、南に向かって立った時、左が東で、東から日が昇り、右が西で、西に日が沈むという

『東から日が昇り、西に日が沈む』

ということを、

「西からのぼったおひさまが、東~へ~沈~む~」

と心の中で天才バカボンの歌を口にして、西と東をひっくり返さないとと思いだせない私は、大人らしい良い覚え方を仕入れることになったが、右と左を咄嗟に判断することは出来なかったの出る。

右と左を咄嗟に判断できるようにする必要はあるのか?

こんなに覚えにくい右と左を、とっさに分かる様にそもそも治す必要はあるのか?

仮に私の後ろから音もなく何者かが襲い掛かってきたときに、それを私の正面から見た人が、私を助けようと

「右によけて!」

と助言をくれたとする。

で、私は咄嗟に右に箸を持ち、左で茶碗を持つことを脳内でイメージしてから右によける。
この脳内でイメージするほんの0.何秒の世界では大して影響はなく、右によけられる気がする。

ので、別に治さんでもいいのではないか?

「大人なんだから脳内で茶碗と箸を持つイメージをするなんで恥ずかしいだろーが!」

「影響があるとかないとかではなく治せ!」

と、どうしても言う人には、

「世間が直せ!」

と言いたい。

「右とか左ではなく、もっと覚えやすい名前にしろ!」

と思う。

例えば、「右」のことを「箸」といい、「左」のことを「茶碗」と日本国民全員が言ってくれればいいのではないか?

「もうちょっと茶碗よりだー」

とか

「箸側通行でお願いします」

などと言えば分かりやすいのに。

でも、それだと左利きの人が苦労するよなあ。
困った。

左右盲、克服のための新提案!

あ!今、思いついた!

じゃあ、こうしよう、右利きの人は、「箸」のことを「右」と言い、「茶碗」のことを「左」と普段から言っていればいいのである。

左利きの人はその逆で覚えればいい。

ただし、食卓で

「ご飯、おかわり。左に半分程度でいいわ」

とか、コンビニで

「割り右つけてください」

なんていうと頭がおかしいと思われるので、心の中だけで実行しましょー!

【顔の角質?イボ?薬は買わない!】皮膚科で私が治した目の周りのポツポツの取り方!

目の周りのポツポツ、顔の角質を取る

年齢を重ねて気になることは、目の周りのポツポツである。

若い頃、年配の従兄と話すとき、その年配の従兄の目の周りにポツポツがあるのをみて

「なんでポツポツがあるんだろう?」

と思っていた。

で、自分も年齢を重ねていくと、自分の目の周りにも知らぬ前に従兄と同じようにポツポツが出来ていたのである。

さすがは従兄。
従兄と私とでは、DNAレベルで似ているんだろう。

「この目の周りのポツポツは、我が家系の宿命として付き合っていかねばならんのだなあ」

と思っていた。

このポツポツ、知らぬ間に出来るというぐらいで、まったく痛みなどはない。
ただ、鏡を見たときなどに

「有るなあ」

「気が付いたらなくなってねえかなあ」

と願う感じ。

で、

「どうにかこのポツポツが取れないものか」

と、

「こんなもんはただの角質だろう!」

「気合いで治す!」

と、毎日入浴の際にナイロンタオルでガシガシこすっておった。

が、年がら年中、本当にもう何年も、それこそ10年はゴシゴシこすっておったのだが全くポツポツは無くならず、どころか増えていき、逆にポツポツ同士が集まって大きくなった箇所も出てきた。

医療品店で薬を発見!

と、そんな折、今から一か月ほどまえに立ち寄った医療品店でたまたま

「目の周りのブツブツを除去!」

などとうたっておる代物を発見。
お値段、1,800円ぐらい。

目の周りのポツポツで悩んでいるのは我が家系のみであると思っていたので、他にも同じ悩みを持つ人がおり、且つ、専門の薬が発売されるほど大勢いるとは思わず、なんだか嬉しくなる思い。

Amazonのレビューを見てみる

さっそく購入しようとレジに並ぼうとするが、若い頃と違い衝動買いをしないように心掛けているので、果たしてこの薬が一般的にはどのような評判なのか、Amazonのレビューで確認してみることにした。
(これ結構、衝動買い防げます)

すると、まあ賛否両論。

★賛の意見

「何本かリピートして使ったが取れました!」

というのが極少数。

★否の意見

「全く効果がない」

「三本使ってダメでした」

「楽しみにしていたので残念です」

というのが大多数。

楽しみにしていたなんて、なんだか可哀想になるのであった。

この薬以外にも同じような商品はあり、ハトムギエキスやらイボコロリやら関連商品がたくさんあることがわかったが、どれもこれも賛否両論の否の意見が多かったので、とりあえずは購入をやめて、よくよく調べてみることにしたのであった。

目の周りのポツポツの正体

ポツポツとかブツブツとか表されるこれは、調べてみると主に稗粒種(はいりゅうしゅ)と呼ばれる老化現象の一つで、肌のターンオーバーが停滞することにより古い角質が蓄積されて粒々したものが出来るんだそうである。

しかし、全てが全て稗粒種(はいりゅうしゅ)とも限らず、毛穴を塞ぐように皮脂やタンパク質が固まってできる角栓というものだったり、ニキビだったり、青年性扁平疣贅という比較的若者に多いウィルス性のイボだったりという、色々な種類があるそうである。

そのため、一種類に特化して作られた医薬品では

「取れた!」

「取れない!」

という賛否両論があるものと思われる。

治すには?

人一倍ギャンブルが嫌いな(というかギャンブルで負けたときは気も狂わんとばかりに腹が立つので手を出さないだけだが)自分のイボがなんだかわからんのにギャンブルのように商品を選んで無駄銭を払うわけにはいかん。
確実に治す方法をとらねばならん!

と更に調べると、

「保湿だ大事だ!」

「一度直っても繰り返しできる!」

などと更に別の値段の高い薬の宣伝だったりするブログがあるが、我がブログではそんなことはしない!

実際に私がこのポツポツが取れた経験に基づいて書きます。

病院(皮膚科)へ行こう

「皮膚科で目元のポツポツは取れる」

「保険も効く」

とのことでさっそく皮膚科へ行こうと決めた。
が、

『いい大人がこんな痛くも痒くもない目の周りのポツポツ程度で医者に行くなんて』

『バカにされたりしないか?』

『この根性なし!てめえの顔には目の周りのポツポツどころかもっと治すところがあるだろう!』

と美容整形を勧められたりしないか不安もあったが、そこは自分のコンプレックスであり、人にゴチャゴチャ言われることはない。
治したいもんは治したいので開き直って、胸を張って皮膚科へ行った。

受付で、皮膚科でお馴染みの人体のイラスト付きの問診票を受け取る。

自身の治したい箇所を人体のイラストに印をつける。
今回、私はイラストの目の部分に〇を付けた。

皮膚科の先生からの問診を受ける

名前を呼ばれておばちゃんのお医者さんに

「どうなさいました?」

と聞かれたので、

「この、目の周りのポツポツを取りたいんです」

と答えると、

「ああ、それね」

と、目の周りのポツポツを取りにくる患者はよくいる模様で驚かれることも美容整形を勧められることもなく

「これは老人性かウィルス性のイボね」

と言われ、老人性などと、私も老人になりつつあるのだなあ、と遠い目をして、心の中で夕焼け小焼けのメロディーが流れ始めた。

私の場合の治療法=液体窒素

続いてお医者さんから

「じゃあ、液体窒素で焼いて、かさぶたと一緒に取れるから安心して」

と言われ、早速ベッドに横にさせられる。

で、目をつぶっているのでわからんが、液体窒素という冷たい空気みないなのを患部に

ジーーーッ

ジーーーッ

と吹き付けていく。

ピリッと痛い程度で、痛みというよりは、気持ちがいいと言えば気持ちがいいレベル。

目の周りのポツポツ全て(私の場合は三か所)にそれを行い終了。

気になるお値段など

小さいものは、治療から二日したらポロッと取れてなくなってしまった。
ナイロンタオルでこすりにこすって大きくなったのは一回の治療ではなくならず、三週間後にもう一度行って同じ治療をし、数日後にはかさぶたも取れてなくなった。

初診は薬代含め2,000円。
二度目が800円。

しめて2,800円也。

治るかどうかわからん1,800円の薬を何本も使い続けなくてよかったー。

私はもちろん医者ではないのでイボの種類によっては別の治療法もあり、私の様に液体窒素ではなく、もうすこし高価なレーザー治療などもあるらしいが、まずは目の周りのポツポツ程度であれば、私のように何年も悩んでないで、無駄な薬に手を出さず、恥ずかしがらずに近所の評判の良い皮膚科に相談されることをお勧めしまーす!

【空耳アワーの作品を口頭で説明する人】こういう人は愚の骨頂!

無謀な人

無謀、という言葉がある。

よく考えずに無鉄砲に行動することである。

後先を考えないでの行動である。

出来るわけがないのに、本人は成功できると思っている。

本人は簡単に出来ると思っているが、本当は物凄いチャレンジをしており、その姿勢には頭が下がるものの、そもそも出来るわけがないので、こっちはもうまいっちゃうのである。
無謀も、そこまでいくともう愚行。

愚か者である。

何の話だ?

って、何の話かと言えば、空耳アワーの面白かった作品を口頭で説明しようとするヤツの話である。

「昨日のタモリ倶楽部みた?」

「録画はしたけどまだ観てない」

「あのね、昨日、空耳アワーでジャンパー作品が出たんだよ!」

などと、〝まだ観てない〟と答えたにも関わらず話続け

「えーとね、ジェームス・ブラウンのね」

「ねえ!えーとね」

「まずね、男の人が踊っててね」

「でね、フッっていって笑ってね」

「でね」

などと、わかるかっつーの!
で観たらわかるから台無しにするようなこと言うなっつの!

もう、空耳アワーの面白かったものは、空耳アワー自体を観るしかないのであって、いくら話術が優れていても、その元の音楽や、俳優の演技や演出などがないと全くわからんので、二度と空耳アワーの面白かった作品を口頭で説明するような愚行はやめてもらいたいのである。

空耳アワーの作品を口頭で説明する人≒YouTubeにTV画面を撮影したものを上げる人

YouTubeにUPされたテレビ番組を観ていて、それがテレビ画面を直接撮影されていたものだったとき、なんかゾワゾワしてしまう。

空耳アワーを口頭で説明しようとする人を見た時もこれと同じようにゾワゾワするのである。

理由はわかるようなわからんようなだが、なんだかゾワゾワするのである。

その昔、音楽番組をカセットレコーダーで録音したことのある最後の世代である私だが、そのような風習が現代にも息づいていたようでゾワゾワする。

テレビ画面を録画してまで動画をアップせねばならん事情を想像すれば

〝藁をもすがる思い〟

〝必死〟

などという怨念のようなものがこもっていそうでゾワゾワするのかもしれない。

動画の代わりに、TV画面を録画する、空耳アワーの作品を口頭で説明する、という至難の業を、出来るわけが無いのに普通に出来ると思っている人は、代替え品といえば代替品だがぜんぜん代替えになっていないことに気が付かない愚か者なのである。

まとめ

空耳アワーの作品を口頭で説明する人は、部屋のティッシュがトイレットペーパーの人である。

空耳アワーの作品を口頭で説明する人は、コップがワンカップ大関の空瓶の人である。

空耳アワーの作品を口頭で説明する人は、箸がアメリカンドッグの棒の人である。

【今どき「髪、切った?」と言える男は胡散臭い!】古臭い心理テクニックについて考える。

「髪、切った?」と言える男は胡散臭い

女性が髪を切ると

「髪、切った?」

という男がいる。

これ、本当に髪切ったのかどうかを確認しているわけではない。

『俺、女性が髪を切ったかどうかわかる男』

『女性の美意識応援してるっス!』

『俺、世の中の、イケてるグループに属する男』

『羽賀研二のDNAを受け継ぐもの』

『梅宮アンナもイチコロ』

などとよくわからんことを思い

「髪、切った?」

と言っているので注意が必要である。

手垢にまみれた女性が喜ぶ言葉=「髪、切った?」

この「髪切った?」は、世間的にも女性が言われて嬉しい言葉であることはあまりにも有名。
もう有名すぎるくらい有名。

なのに、それを承知で、平気で、平然と

「髪切った?」

と言えるその根性、その図太さに、〝デリカシーの塊〟の異名を持つ私としては鼻持ちならんのである。

私なんぞは、仮に女性が髪を切ったのがわかっても、

「髪、切った?なんて言ったら見え見えで嫌なヤツと思われるかも」

と思って敢えて言わない派なのである。

『私は、清楚、おしとやかな男』

『羽生結弦の弟と間違われる男』

と、日本国民全員に大変によくわかることを思っているのである。

今さら「髪、切った?」に喜ぶ女性も悪い!

ある調査結果によると
=====================

Q.あなたは、髪を切った後日、異性に「髪、切った?」と言われるとうれしいですか?

うれしい……75.0%
うれしくない……25.0%

<「うれしい」派の意見>

・「気がついてくれたということは、気にかけてくれていることだから」(33歳/アパレル・繊維/販売職・サービス系)

・「小さな変化でも気がついてくれると、いつも見てくれているんだと思うから」(28歳/機械・精密機器/その他)

気がついてくれていたということが、ただうれしい! という意見が多数寄せられました。
普段から声をかけやすい関係でいて、かつ相手のことをよく見てくれていないと、「髪、切った?」という言葉は出ませんよね。
==================

とのことである。
実に75%もの女性が喜んでいるのである。

私は、それがいかん!と言いたい。

いや、喜ぶこと自体はいい。

が、そこに付け込まれっぱなしになっているのがいかんと言うのである。

「髪、切った?」が嬉しいのは万民の共通認識なのだが…

わざわざこんな調査結果を持ち出さなくとも、「髪、切った?」を言えば女性が喜ぶぐらいのことは男だったら全員知っている。

また、女性も女性で、「髪、切った?」を言えば女性が喜ぶぐらいのことは男だったら全員知っているということを、全員知っている。

で男女ともにここまで有名になった女性が喜ぶセリフを、何食わぬ顔で抜かせる男は心の中で

『〝髪、切った?〟と言えば女性が喜ぶということを、私含め出来る男達だけが知っている』

『〝髪、切った?〟と言えば女性が喜ぶということを、出来ない男どもは知る由もないし、教えてやるつもりもない』

『〝髪、切った?〟と言えば女性が喜ぶということを一部の出来る男が知っていることを、女性は誰ひとり知らない』

と本当に思っているのである。

そのため、このような男は、女性が髪を切ったのをみると

『この女、髪、切ったな?』

『髪を切りよったな?』

『〝髪、切った?〟って言えば喜びよるな』

と思い

「髪、切った?」

と話しかけ、あくまで、髪を切ったことに気が付く男、いつもあなたを見ている男を装い、その実は

『拙者、世の中の、イケてるグループに属する男』

『高知東生のDNAを受け継ぐもの』

『高島礼子もイチコロ』

とわけのわからんことを考えることになるのである。

「髪、切った?」と言える男にご用心!

で、女性読者のあなたが実際にそういう男にコロッと騙されて結婚したとする。

なんども言うが、この男は、髪を切ったことに気が付く男でも、あなたをいつも見ている男でもなく、女性を口説くためにコンビニに置いてある

〝ヤバイ大人の心理テクニック100選〟

だの

〝出来る男のイチコロ肉体恋愛術〟

などという間抜けな五流文庫本に書かれていた

〝髪、切った?〟で女はイチコロ!

という文章に感化された結果、あなたが髪を切ったかどうかに集中し

「髪、切った?」

と話しかけていただけなので、結婚後は髪を切ったとかそんなことはまったく口にしなくなる。

で、夫婦関係が冷めたりなんかすると

「結婚前は髪、切った?って聞いてくれていたのに」

「結婚した途端に髪を切ったことに気づきもしない!」

だのと言うハメになるのである。

女性読者諸氏よ、「髪、切った?」という男にはご用心を。

【年齢を四捨五入するのはもったいないです!】何の意味があるの?

年齢を四捨五入するのは意味がない!

25歳になった途端に

「私も四捨五入すると30だから」

と言う人がいる。

また自分が25歳になると、

「お前も四捨五入したら30だぞ」

などと言ってくる人がいる。

こういう人の考えを根底から覆すことを言うのだが、あのさ、なんで年齢を四捨五入せねばならんの?

そもそも四捨五入とは

四捨五入というのは、計算する上で

「端数はあまり関係がないし」

「ややこしくなるだけだから省いちゃいましょう!」

「どうやって省くの?」

「まあ、四以下は切り捨てて、五以上は切り上げてで計算しちゃいましょう!」

というアレである。

「円周率を3.141592・・・・・・・・・・で計算してちゃやってられんし、そこまで細かいことは誤差の範囲だし」

「円周率の小数点以下第三位は、3.141の1で、1は四以下だから切り捨てて、ま、3.14で計算しましょうよ」

とか、

「昨日のマラソン大会は出場者数が12,492人だったが」

「うちの新聞ではそこまで細かく表記する必要がないから」

「12,492人の千の位は2だから、この際切り捨てちゃって10,000人以上と表記しよう!」

という具合にするための、あくまでおおよその数が分かればいい時に用いられる端数処理の方法である。

その、あくまでおおよその数が分かればいい時に用いられる端数処理の方法でしかないものを、なんで年齢に対して行わねばならんのか?

年齢を端数処理して何が起こると言うのだろう?

年齢を四捨五入するのは25歳か35歳

この年齢に対して四捨五入をしたがる人は、25歳と35歳がほとんどである。
そこまで四捨五入にこだわるなら、あくまで図々しく24歳の人が

「四捨五入すれば二十歳なんで」

とか、34歳の人が

「四捨五入すれば三十歳なんで」

と開き直ればよさそうなものだが、なぜだかそこはあくまで謙虚に、必ずと言っていいほど、

「25歳で四捨五入して三十路」

であり、

「35歳で四捨五入して四十歳」

などと抜かすのである。

年齢を四捨五入するのは危険な考えを含んでいる

この手の考え方をする人は

「私もそろそろいい年だから、まともな将来を真面目に考えなくちゃいけない」

と思っているのであり、それはそれでとてもいいことなのだが、この考え方は裏を返すと

「若いからバカやっても許される」

「四捨五入で二十歳のうちは、旅の恥はかき捨て感覚でOK!」

というような年齢にかこつけた無責任な行動を生む結果にもなるので注意したい。

極端に言えば

「犯罪を犯すなら未成年のうちだ」

と考えている危険人物の考え方にも近しいので、改めて年齢を四捨五入するのはやめてもらいたいのである。

 

加齢を恐れてはならぬ

こういう人はなんで25歳になると、年齢を四捨五入して30歳と考えたがるかというと、必要以上に30歳を恐れているからである。

まるで、30歳になった途端に足腰が弱り、視力が衰え、一年が早く感じ、白髪やシワが増え、住宅ローンがひっ迫し、将来が真っ暗にでもなるよぷな錯覚をしているのである。
30歳になってみればわかるが、30歳になったからって急に何でもかんでも変わるわけでは無い。

ゆっくりゆっくり年をとっていくだけだし、その年を取るのだって悪いことじゃなくて、それまでの欲にまみれたようなくだらない考えから解放されるようで、なんだが楽しくなってくるのである。

自分で自分を年寄り扱いするな

89歳でお亡くなりになった桂米朝師匠は、落語のマクラで

「〝この頃の若いモンの言うことにはついていけんな~〟と言うとるのが三十代の人やからね」

「こっちは化石の方ですさかいな」

と仰っていたが、それと同じ感覚で

「まだ25歳なのに自分が年取ってるとか考えちゃってもったいないなあ」

と思うのである。

どうせ生きるのなら、自分が年食ってるなあと思って生きるより、年なんで関係ないぜと思って生きたほうが楽しいのである。

まとめ

などと、なんで急に年齢を四捨五入する人、とりわけ、25歳で自分を30歳扱いする人に警鐘を鳴らすかと言うと、昨日、応援しているAV女優が誕生日を迎え

「私も四捨五入したら三十歳なんで」

と言って引退を発表したからである。

だから、年齢を四捨五入するな!
熟女系でも頑張れる!
まだまだ引退するな!

と言いたかったのである。

(言えばー?)

【プリクラはキモいか可愛いかを判定!】白黒つけましょー!2/2

翌日、再びプリクラコーナーへ!

このまま諦めてはならん。
このままでは、プリクラ画像がいかにいい加減で気持ちの悪いものなのか証明できん!

と、翌日のプリクラコーナーに人もいないであろう午前中の時間を狙って潜入することにした。
午前11:00件のプリクラコーナー到着。

案の定、プリクラコーナーに女子高生含め人はおらず安心したが、併設のアーケードゲームコーナーには若手男子が大勢たむろしてゲームなんぞをやっておる。

『まったくテメエらは午前中からこんなところへ来やがって』

『他にすること無いんか!』

と、どやしつけたくなったが、そのセリフはまったく私自身にも言える言葉であり

『俺も他にすることないんかなあ』

と落ち込むのであった。

いよいよ機械に潜入!

前日、女子高生が行列をなしていたので目を付けておいた白い機械で撮影することにした。

「プリクラがいかに気持ち悪いか証明してやる」

などとは言っても、できれば私も奇麗に写りたいのである。
どうせなら女子高生が行列していた機械で撮られたい!

と、自分でも驚いたのだが、いつの間にか私の心の中には

「篠山紀信さんにならヌードを撮られてもいい」

とでもいうような気持ちが芽生えていたのである。

で、意を決してゲームコーナーの男どもに気付かれぬようにプリクラ機のノレンのビラビラを素早くくぐって中にサッと入る。

我ながら機敏な動きで恐らく誰にもバレていないはずである。

『さすが、俺よ』

『入っちまえばこっちのモンだ!』

『まったく手間をとらせやがって』

と正面にある液晶画面に近づくと

〝外の受付ブースで、お金を入れてね!〟

という機械的な音声が流れる。

『なっ、何ぃぃぃぃ!?』

『せっかく入ったのに!』

と思うが今さら引き返すこともできず、一旦ノレンを出て、機会の周りをグルグル見渡し、受付ブースというコイン投入口を発見。

『早く、早く!』

と焦りで震える手で100円玉をつまんでしめて400円也を投入。
再び素早くノレンをくぐり、ようやく通常の手順を踏んで機械に潜り込んだのであった。

撮影の前にもいろいろやることがある

改めて小屋内部の液晶画面に近づくと、

〝まずは証明写真コースかプリコースか決めろ〟

と表示される。
こんな思いをして証明写真を撮りにくるわけはないので、プリコースを選択。

続いて

〝で、何人で映すのか決めろ〟

という表示が出る。

二択になっており、二人か三人以上かの選択を迫られた。

『いや、あの、私、一人なんですが…』

と思うがとりあえず二人を選択すると

〝二人の、おなまえを入力してね〟

という表示が出、仕方がないので二人とも、おかむら、と入力する。

〝つぎは背景を選べ〟

〝仕上がりのイメージを選べ〟

などの質問に答える。

『そんなもんどーでもいだろー』

と思っているのに、いざ選択する場面になると先述の

『せっかくなら篠山紀信さんに』

の気持ちが芽生え、熟考している自分に顔が赤らむ。

いよいよ撮影がはじまる

機械から

〝撮影だよ!〟

の声がして

〝3・2・1〟

とカウントダウンが始まる。

画面には

〝▲カメラをみてね!〟

と表示されカメラを見るとストロボがたかれ一枚目の撮影終了。

再び

〝3・2・1〟

とカウントダウンが始まり二枚目、三枚目と撮影される。

四枚目からは同じポーズではよくなかろうと、画面下に表示される若手モデル達の撮影見本のようなポーズをとってみる。
枚数を重ねるたびに、口に手を当てる、胸の前で手をクロスさせるなど、だんだんと大胆になっていく自分の驚く。

『ああ、こうしてすべてさらけ出すアタシ』

『もうどうにでもして!』

『アタイ、どうなってもいい』

と、とっくにどうかしちまってるクセに思うのであった。

落書きブースへ

撮影が済むと、再び機械から

〝落書きブースへ移動してね▶▶▶〟

という表示が出、ささっとここから出ろ、と言われる。

矢印が指し示す入り口とは逆の向かって右側のノレンを開けて機械を出る。

今の今まで中で恥ずかしげもなくポーズを取っていたことを悟られぬように平然とした顔をする。
これは、ラブホテルを出た瞬間、中で行っていた行為については全くの知らぬ存ぜぬの表情をつくるカップルの心理に似ている。

などと思った瞬間、落書きブースという機械側面に設置されたコーナーの、ノレンをくぐって再び機械に隠れる。

先述のラブホカップルが外へ出た一瞬だけ素の表情になり、速攻で隣のラブホに飛び込むようなものである。

落書きブースでは、盗難に遭わぬようゴム製のヒモで機械にくくりつけたれたタッチペンがあり、そこで色を選んだりして先ほど撮影した画像に好きなことを書く。

今度は、画像を受け取るためのアプリのURLが書かれたメールを受信できるアドレスの入力が求められたので、それを入力して終了。

画面には

〝印刷ブースで写真を受け取ってね▶▶▶〟

の表示が出、ノレンをくぐって再び表にでる。

世間に帰ってきた

アーケードゲーム機の男子高生どもがこっちを見ている気がする。

私はプリクラの機械から離れ、機械背面の印刷コーナーから写真が出てくるのを遠巻きに見ながら、前日同様、

『方向音痴の私は、道に迷ってしまい』

『意図せずこんな機械のノレンをくぐることになってしまった』

『もちろん撮影などはしておらず、この機械の中にインフォメーションセンターがあるのかと思って入ってみただけ』

『ああ、掃除機コーナーはどこだろう?』

と遠くを見渡すようなフリで印刷コーナーから写真が出るのをチラ見。

1分ほどして

『カコッ』

と間抜けな音と共に印刷物が出てきた瞬間、スタスタと機械に近寄り、それを素早く手に取り、逃げるように店を後にしたのである。

結果発表

まずは、盛る前の画像がコチラ。

そうして撮影した画像がコチラである。

さあ、どうだ?

本人とは似ても似つかんだろーが!

気持ちが悪いだろーが!

これをよく理解し、SNSのプロフィール画像をプリクラにするのはよくよく考えてみよう!

って、なかなかプリクラは面白かったなあ~。