【心の底からウザイんだよね!】かまってちゃんな男について考える!

かまってちゃんがやってきた!

ちょっと前に職場にいわゆる〝かまってちゃん〟が入ってきた。

かまってちゃんとは自己顕示欲とか承認欲求が強い人で、極度に一人でいることを嫌がり、それを紛らわすためには状況を問わず

「かまって!かまって!」

などと、平気で人に迷惑をかけるヤツのことである。

このテの人間は、とんでもなく自意識過剰で勢いに乗ると

「話題になりたい!」

「自分を中心に物事を運んでほしい!」

などの理由で

「目立つためなら何でもやる!」

を信条とし、SNSなどでいかに自分が病んでいるかをアピールしたり、バイト先の食品冷蔵庫に入っている写真をアップしたり、「余命いくばくもない」などと嘘で人の同情をかおうとしたり、虚言癖でもって勝手なわがままで人に迷惑をかけることもあるから厄介である。

というような、かまってちゃんが、ちょっと前に職場に入ってきたのである。

やれやれ。

我が職場のかまってちゃん

で、我が職場のかまってちゃんは男である。

その野郎が持ち前の空気の読めなさで

「俺って大丈夫ですか?」

「俺って嫌われてませんか?」

と誰彼構わず話しかけて回り

「そんなことないよ!」

「大丈夫だよ!」

の言葉を貰って嬉しがっておった。

が、あまりにしつこく

「俺って大丈夫ですか?」

「俺って嫌われてませんか?」

を繰り返すので、面倒になったひとりが

「でも、負のオーラが出てるよね」

と答えたところ、そのかまってちゃんは、ただ、〝大丈夫〟とか、〝そんなことないよ〟だけでなく、〝負のオーラ〟という言葉をもらったことをなぜだかとても嬉しがったのである。

おそらく負であれなんであれ、〝オーラ〟という言葉から

『俺、スピリチュアルな存在と認められた』

『負のオーラの泉!』

『俺って江原さん』

『今度から着物で職場に来よう』

などとよくわからんことを思って喜び、それからというもの状況そっちのけで、誰彼構わず、

「俺って負のオーラ出てますか?」

と話しかけるようになったのである。

その時のかまってちゃんの顔は、目を閉じてわざとらしくニッコリ笑い、人差し指で自分の顔を指して囁くように

「負のオーラ出てますか?」

というので、そういう野郎が生理的に嫌いな私は頭に来るが我慢して

「そんなの出てないよ~」

と、こっちもこっちで腑抜けた作り笑いで答えていたのである。

※画像は「負のオーラ出てますか?」と聞いてくるかまってちゃん(イメージ)。

クソ忙しいときに…

そんなある日、突発的に職場内が尋常ではないくらいに忙しくなった。
その繁忙を乗り切るために全員が精神的にもギリギリなところで頑張っていると、件のかまってちゃんが私の所にやってきて、目を閉じてわざとらしくニッコリ笑い、人差し指で自分の顔を指し、囁くように

「負のオーラ出てますか?」

とのんきに聞いてきたのである。

『このクソ忙しい時にすっとぼけやがって』

と思い

「負だろうがなんだろうが、オーラなんか見えねえわ!」

と答えたところ、突如キレた様なむくれっツラになり眉間にシワを寄せて立ち去ったのである。

繁忙も収まったところで

『いくら鬱陶しいからといっても、新人だし、冷たすぎたかな』

と思い仲間にいきさつを説明したところ

「彼はかまってちゃんなんだからそれは不味いですよ」

「フォローしといたほうがいいですよ」

と言うので、さっそくかまってちゃん野郎の所へ行き

「いやいや、さっきは失礼!」

「負のオーラなんてネガティブなこというからだよ~」

「俺、オーラは見えないけど、君は正のオーラが出てるんじゃないかな多分!」

「そういえば昔オーラってバンドがいたよ~」

「女子高生に絶大なる人気を誇ってねえ~」

「そういえば、君にちょっと似てるメンバーがいたかもしれない!」

などと我ながら下手なことを言っているなと思いながらも持ち上げていると

「もう、そんなにイジらないでくださいよ~」

「俺、イジられるの嫌いなんスよ~」

と抜かしたのである。

『なあにがイジられるの嫌いなんですだ』

『ウソをつきやがれ!』

と腹が立ったが、機嫌も直ったようなので安心したのである。

※画像はオーラ(ってバンド)。

それからというものその彼が、私の所にやってきて、目を閉じてわざとらしくニッコリ笑い、人差し指で自分の顔を指して

「負のオーラ出てますか?」

と聞くたびに

「だから俺にはオーラは見えないけどね~」

「この間言ったオーラってバンドの君似のメンバーは、竜巻のピーとかっていう名前だったよ~」

などと作り笑いも甚だしいほどの顔で答えておった。

数日後

が、それから数日後、そのかまってちゃんは職場での成績をあげるために不正を働いておったことが発覚。
常態的に何食わぬ顔でとんでもねえ不正行為を繰り返しておったのである。

そして不正の内容がヘビーであり、且つ本人は

「成績のためならまた不正もする可能性はある」

などと、全くの反省もうかがえず、不正発覚と同日にクビになったのである。

「負のオーラ出てますか?」

と聞かれるたびに、

「オーラなんか見えないよ」

と答えていた私だが、もしもオーラが見えたとしたら、彼からは紛れもなく負のオーラが出てたんだろうな。

【女の尻を追いかけまわす男】呆れて物も言えないについて考える!

とにもかくにも女を追いかけまわす男

女の尻を追いかけまわしている男がいる。
日夜、追いかけまわして追いかけまわして追いかけまわしておる。

比喩ではなく、もう本当に女の尻を追いかけまわし、女のあとをくっついて歩いておる。
どこにいるかというと、どこにでもいる。

街中にいる。私の職場にもいる。

職場で女がどこへ行こうが、常にくっついて歩き、女のご機嫌をうかがうような腑抜けたツラをしているのである。

バーカ!

と言いたくなる。

スマホでも追いかけまわす

この女の尻を追いかけまわしている男は、若手に多い。
まあ、いい年をした男が女にくっついて歩いていたらその時点で警察を呼ばれるからだと思うのだが。

こういうダメな若手の男は、とにかくもう女の尻を追いかけましておる。
追いかけまわしていない時は、せいぜいLINEなどで

「会いたい」

だの

「何時に仕事終わるの?」

「迎えにいくよ」

だのとバカヅラ丸出しで送信しまくっていることだろう。

他にやることないんか?

やるべきことがあるような気がする。

何を根拠に?

なんでそんなことがわかるかというと、私の職場の女の尻を追いかけまわしている男、仮にAとするは私のFacebookやInstagramなどに表示される女性の多くがそれぞれ

「飲み会に来ています」

とか

「たこ焼きパーティーをしています」

などと投稿している画像をみると、だいたい写りこんでおるのである。

もうどこにでも出没しているのである。

女でありさえすれば、誰でもいいのである。

で、たまに

「飲み会たのしかった~」

の投稿の画像にその男が写っていないことがあるが、その場合は、その投稿のコメント欄にAが

「なんで呼んでくれなかったの」

「俺も行きたかったな」

などと、なんでいちいち全部てめえを誘わなければならんのだ!てめえは部屋で寝てろよ!と言いたくなるようなコメントを書き込んでいるのである。

つまり、Aを誘わないとSNSのコメントに恨みつらみを書き込まれるくらいに女の尻を追いかけまわしていることがわかるのである。

で!

追いかけられている女も女で満更でもないような顔で、あり、まあ需要と供給があるならそれでいいのか~と思ってしまう。

個人的には女の尻を追いかけます男がモテない世の中になればいいと思うのだが、実際はそうではないのか?

仮にそうだとしてもいくらチャンスが欲しいからってそんなにがっつくのは下品だと思うんだよなあ。

まあ

職場で、上司の尻を、ヘーコラ言いながら追いかけましている男よりはマシか。

【俺たちの好きだった片岡鶴太郎の現在】どうしちまったんだ鶴太郎!!

どうしちまったんだ?!鶴太郎

片岡鶴太郎が日本では数人しかいないインド政府公認のヨガインストラクターになったとか(それがすごいことなのかなんなのか私にはわからない)、それが引き金となって30年連れ添った奥さんと離婚したなどと話題になり、最近では徹子の部屋などにも出ている片岡鶴太郎。

1980年代は、お笑い界でスターであり、1980年代後半のトレンディードラマとやらのブームにのって、事もあろうにあの顔で、いい男役を演じておったりしたのである。

それを観ていた我々お笑い好きも

「いいぞ!いいぞ!鶴太郎!」

と芸人がモテることに拍手を送っていたのである。

鶴太郎に何が起こったか?

そんな鶴太郎、このところ、見れば見るほどどうかしてちまっている感がすごい。

とはいえ、片岡鶴太郎がどうかし出したのは別に今に始まったことではない。
どうかなり始めたのは、鶴太郎がボクシングにハマりだした頃である。

ボクシングにハマるのは別にいいのだが、当時の現役プロボクサーの鬼塚勝也の試合でセコンドをするようになったのがそもそもどうかしだした発端である。
セコンドとして試合に立ち会った鶴太郎は、

「鬼ぃ~」

「鬼ぃ~」

「いいよ~」

などと鬼塚選手を持ち上げるような太鼓持ちのようなことを言って居り、セコンドとはまあそういうもんなのだるからそれでいいのだが、お笑い好きにとって当時の鶴太郎はヒーローの一人であり、そのヒーローが年下の若造に対して

「いいよ~」

「鬼ぃ~」

などとバカの一つ覚えのように連呼しかできぬ姿に幻滅したものである。

且つ、その後ろ髪、これがいかん。
後ろ髪を伸ばし、ゴムで結わい

『これはちょんまげですよ』

『現代の侍ですよ』

『侍スピリットですよ』

と言わんばかりの風貌となっていたのも腹立たしかったのである。

夏休み明けに髪の毛が茶髪になっているかどうかで中学生が非行に走りだしたのを見極める事が出来るのは常識だが、後ろ髪を伸ばしはじめ、ゴムで縛りだしたかどうかで、大人が間違った方向に進みだしたかどうかを見極めることができるのである。

そういう意味では、志村けんも三遊亭楽太郎(現:円楽)も一度、間違った道へ踏み外していたことがわかる。

で、鶴太郎

その後、ボクシング的は露出も減ったのだが、急にお笑い休業宣言のようなことを言い出して、当時レギュラー出演していた笑っていいとも初め、多くのバラエティー番組を降板。

「一生お笑いするのも大変だから、まあしょうがないか」

と思い、お笑いファンとしては悲しかったが、大目に見ていたのである。

で、テレビでしばらく見なくなったと思ったら書家だか、画家だかとして登場し始めた。

その頃も

「鶴太郎風情が!」

の声も聞こえてきたものだが、個人的に鶴太郎の作品は嫌いではないので(好きでもないが)

「鶴太郎もいろんな才能があるなあ」

と、思い、それはそれでよし、の姿勢を保っていた。

その後は、連続時代劇〝八丁堀の七人〟の仏の八兵衛役とか、二時間ドラマの刑事役とかで俳優としても活躍したし、たまにバラエティー番組に出れば昔のように面白いことを言うし

「やっぱり鶴太郎は、本気を出したら面白いんだよなあ」

と思っていたのである。

※ただ、この写真は

「何か私以外には聞こえない音がある」

「こうやって静かに、物が投げかけてくる言葉を聞きだしてあげる」

「それを作品に投影してあげる」

なあどと、くそでもねえことを思っていそうで腹が立つ。

だがしかし!

このように鶴太郎を比較的贔屓目に見ていた私でさえも、昨今の鶴太郎の異様さにはついていけない。

ひょうきん族時代の戦友的存在の明石家さんま司会の大阪ローカル番組『痛快!明石家電視台』に出演したときも、面白いことを言うでもなく、私生活の異様さをアピールするばかりで、ひょうきん族直撃世代としてはただただ悲しく、冒頭で書いたように

「どうしちまったんだ?!鶴太郎」

と思わずにはいられなかったのである。

何があんなに変なんだろう?

別に鶴太郎が何にハマろうがしったこっちゃないが、何が腹が立つかと言って、我々が大好きだった芸人時代の鶴太郎を今の鶴太郎が全否定するようなことしか言わぬその態度に腹が立つ。

「よくこんなことやってましたよね~」

などとせせら笑う態度。

何を言うか、あれこそが最も輝いていたお前だろうが!と言いたくなる。

※画像は、おでん芸の開祖、芸人、片岡鶴太郎時代。

後は、最近の彼の目である。

ギラギラしていて嫌な感じがする。

※ギラギラしているのに、目に光が無い。これが異様さを増している原因のひとつと思われる。

と思って、鶴太郎の全盛期を知っている年上の職場の女性に

「鶴太郎、最近変ですよねえ~」

と言ってみたところ、

「私、昔っから嫌いだったよ」

と身も蓋もないことを言われてしまい、なるほど、鶴太郎が最近変だなんて思う人はお笑い好きに限ったことであって、世間的には鶴太郎の登場から現在まで、徹頭徹尾、彼がそうかしていると思っていたのだとわかったのである。

【ムカつくネット用語】草というヤツが嫌いだ!について考える。

今時の〝草〟問題

ネットのスラングで〝草〟というのがある。

一部の若者が使っているらしい。

読み方はそのまま

「くさ」

で、(笑)とか(ワラ)と同じ意味で使われるらしい。

語源は、同じく(笑)を表すネット用語だかネット記号がかわからんが

〝wwww〟。

この〝wwww〟が、草が生えているように見えることから〝草〟なんだそうである。

「そうでーす」

「ボク、wwwが、草に見えるから草と名付けましたー!」

「だから使いまーす!」

とマヌケヅラで、鼻水を垂らして抜かしておるんだそうな。

それでいいのかお前は、と言いたくなる。

私と〝草〟との出会い

そんなことを露ほども知らぬ私は、YouTubeのコメント欄に於いて

「〇〇〇なところ草」

「誰々って草」

と書かれているのを見て

「臭っ」

のことだと思い、なんでこいつは草、草と人をののしるようなことを言っているのかと思って調べたところ、先述の通り

「草」=「(笑)」

と分かったのである。

というか、

「草」=「(笑)」

ってわかりにくすぎやしねえか?

「草」を見ると腹が立つ

しかし、

「草」=「(笑)」

とわかっても、別に(笑)は腹が立たないのに対して、この「草」は見ていて腹が立つ。

なんだか無性にムカムカする。

なんで腹が立つのか?

(笑)も、昔は純粋に〝笑う〟という意味で使われていたが昨今は、嘲笑とか、せせら笑うという意味で使われていることが多い。

で、この〝草〟。

〝草〟も同様にただただ笑うのではなく、どこか陰険な意味合いを含んでいると思われる。

そのため、この〝草〟は、読みも「くさ」で「臭っ」も含んでいるし、

「臭くて、あざけ笑わずにはいられねえ」

という意味が大いに含まれていると思う。

そのため、「草」を読んだ者はバカにされた気分になって腹が立つのである。

 

〝www〟=〝草〟を使う若者像

この草は、若者たちの間においても賛否両論あるらしく、ネット上の書き込み程度ならともかく、個人間で〝草〟を使われると腹が立つ者も多いらしい。

というか「草」なんて言葉を使っているヤツは

「草って使ってるの今っぽい」

「草って使っとけば時代に乗っているっぽい」

などと、相変わらずのマヌケヅラで書き込んでおる。

また、頭が悪く、深く考えもせず

「草」=「www」=「(笑)」=褒め言葉

と思っているため、ネット上だけでなく、面と向かって

「草」

などと発言しヒンシュクをかっているのである。

だから今後

「草」

を使っている者をみたら、哀れなバカのそのマヌケヅラを、よくよく拝んであげてください。

【新入学直後に注意せよ!】一学期早々人気者になる危険性について考える!

スタートダッシュの危険性

『一学期早々クラスの人気者になる者は、夏休み前までに没落する』

という格言をご存知だろうか?

恐らく知らんだろう。
なぜかというと、この格言は、私が今、勝手に作ったものだからである。

しかし、この格言、聞いたことがなくっても、なんとなく内容には納得いただけると思うがいかがか?

よくわからないという人のために、どういうことだかを、説明していくことにする。

入学直後が特に危ない!

入学式が終わると教室に連行され、ホームルームが執り行われ自己紹介などをさせられる。
これが、とてもめんどくさい。
こんなよく知らない人に自分のどこまでを紹介していいやら。

などと思っているとクラスの担任になったと言う男性教師が

「じゃあ、そっちの列から~」

と言って、自己紹介が始まっていく。

あんまり真面目に自己紹介してディープな部分まで紹介するわけにはいかないし、かといってウケを狙いに行ってもスベる確率が高いし、ま、適当にお茶を濁そう、と考え
せいぜい

「〇〇〇〇です。」

「趣味は音楽鑑賞です。」

「よろしくお願いします。」

程度でみんな済ませることになるのだが、この入学早々人気者になる者は、この自己紹介をきっかけとして人気者へのし上がるのである。

入学早々人気者になるヤツ風景

いよいよそいつの自己紹介の番がくる。

「え~と、〇〇〇〇でっす!」

「イタズラと給食のおかわりなら誰にも負けませ~ん!」

「でも勉強は苦手で~す」

「先生、ごめんちゃい」

などと抜かし、教室中にクスクス笑いが起こる。

教師も教師でそれを受けて

「まったくお前は~♡」

「面白いヤツだよっ!」

「ったく」

と答える。

その暖かな反応で、クラスの人気者になることを確信したそいつは

「でへっ」

といい、

「4649!」

といって着席する。

悲しいことだが、このクラスで最初の自己紹介でスラスラと自分のことを述べられること自体、その空気の読めなさ加減は、そいつの人気が二学期までには没落することへの裏付けとなっているのである。

なんで一学期早々人気者になるのが危険なのか?

なぜならこの時、クラスの中にはクスクス笑いの中で

『なんだアイツ?』

と忌々し気に思っている者が複数人おるからである。

『相手の素性もわからんで、よくもまあベラベラと』

『くそつまらんことを並べたてやがって』

と思っている者が少なからずおるのである。

こういうヤツらはだいたい陰険な者である。
つまり私のようなヤツである。

人気者は調子に乗りがち

で、その後もその人気者は、クラスではますますはじけ飛び、授業中に担任の男性教師から

「この問題分かる者~?」

と言われるや否か

「ハーイハーイ!!」

と元気よく、椅子からジャンプするように挙手をし、当てられると

「わっかりまっせ~ん!」

と抜かし、またまたクラスの仲間たちからのクスクス笑いを得、そいつの人気はますます上がっていく。

教師も教師でそれを受け、バカの一つ覚えのように

「まったくお前は~♡」

「面白いヤツだよっ!」

「ったく」

などと言い

『去年のクラスは学級崩壊に陥ってしまったが今年はうまく行きそうな気がする』

『こういうヤツがいるとクラスがまとまっていいなあ』

などと心底思い、満面の笑みで教室中を見渡すのである。

入学早々人気者に上り詰めたそいつは、勢いにのって入学早々彼女らしきものもでき、この世の春を謳歌し始める。

謳歌して、さっそく変形学生服などを着て学校にやってくるようになる。

『世の中ってちょろいな』

と思い込み

『そろそろ次のステップいくか?』

と学校にタバコを持ち込むようになり、授業中の態度も悪化。
イタズラも暴力を伴う度が過ぎたものが多くなる。

没落への階段

そうなってくると、こいつのことを入学式後の自己紹介の際から苦々しく思っていた者達が動き始める。

そのうちの一人が、ちょっとしたきっかけで

「あいつ、ちょっと鬱陶しくないか?」

という話を持ち出すと

「そうそう!」

「それそれ!」

という流れとなり、

「なあにが、〝イタズラと給食のおかわりなら誰にも負けませ~ん!〟だ」

「〝わっかりませ~ん〟じゃねえんだよ!」

と、それまでの人気者の愚行で話は持ち切りとなり、そいつに暴力を振るわれた者達賛同し、そいつ批判でクラスが結束していくことになる。
そうすると、人気者はあっという間にクラスでは浮いた存在となり、授業中のギャグも一切ウケなくなる。

自分批判でクラスが結束していることなどとは思いもよらぬそいつは、これまでウケていたギャグが、急にウケないので不安になり

「おい!お前笑えよ~」

と言って、前の席のヤツの背中をゲンコツで殴ったりするがウケるわけがなく、仕方なく苦肉の策で

「だっふんだ!」

と変顔で言ってみるも、白々しい空気にも拍車がかかり、教室中は遠くで鳴る救急車のサイレンが聞こえてくるような静寂に包まれたのをきっかけとして、夏休み前に没落したのである。

 

【1989年頃のテレビっ子】4/4 当時のお笑いグループを薬に例える

1989年~1994当時のお笑いを薬物に例える

当時のお笑いグループが、どのような作用をもたらし、どのような勢力図だったのかがわかると思うので、それぞれを薬に例えてみます。

とんねるず

まず、当時のとんねるずは例えるとアッパー系のソレである。
ハイテンションで、勢いで押せ押せで、疲れも吹き飛ぶ感じ。

だが、あんまり観すぎるとちょっと疲れる。

ダウンタウン

一方ダウンタウンはダウナー系のソレである。
テンションは低いが落ち着く。

気の抜けた感じで、笑わせてくれる。

で、たまに幻覚も見せられる。

押せ押せであることがダサいような気になり

「もうアッパー系には戻れねえな~」

という感じ。

ウッチャンナンチャン

ウッチャンナンチャンはタバコである。

とんねるずやダウンタウンに比べると、とてもマイルドである。
害は勿論あるのだが、効いてるか効いてないかは吸っている間はよくわからない。

数日止めてみて、改めて吸ってみるとクラクラするので

「ああ、確かに効いていたんだな」

という感じのものである。

B-21スペシャル

ヒロミ率いるB-21スペシャルは、いわばタバコのシケモクである。

ウッチャンナンチャンの燃えカスに火をつけて吸うような、一部のドケチな変わり者が

「タダだし、これで十分だ」

と言っている程度のものである。
毒でしかなく、とてつもなく不味い。

ABブラザース

そういった意味では、中山秀征率いるABブラザーズは馬糞である。

馬糞を落ち葉に巻いて火をつけて吸っているのと同じなのである。

「そんなことない!」

「ヒデちゃんのセンスは最高!」

「馬糞なんか葉っぱに巻いて吸ってない!」

と言い張る人は、葉っぱに巻かず、火もつけず、直接、馬糞を頬張っていると同じ人なので注意が必要である。

グレートチキンパワーズ

グレートチキンパワーズ略してグレチキは、ABブラザーズの馬糞をした、その馬の尻から直接馬の屁を吸うようなもんである。

にもかかわらず

「グレチキおもしろーい!」

「グレチキ最高!」

などとのたまい、「MIX JUICE」などといいふざけきったCDを嬉々として買っていた、当時、グレチキファンだった女子高生は、これをよく読んで、十分反省するように!

【1989年頃のテレビっ子】3/4 とんねるずVSダウンタウン

『ダウンタウンの・・・!?』で今田耕司が

東京進出を果たし、1991年12月フジテレビの冠番番組『ごっつええ感じ』で大ブレイクし、とんねるずと肩を並べたダウンタウン。
翌1992年4月から『摩訶不思議 ダウンタウンの…!?』という、どーにもこーにもタイトルがダサい関西ローカルのレギュラー番組が始まる。

いや、この番組がもうめちゃくちゃに面白かったのだが。

この番組はABCホールで行われる公開収録番組で、毎回異なった企画(主にゲームとかクイズとか)をやっていた。
出演はダウンタウンのほかは、ごっつええ感じにも出ていた今田耕司や130R、他にまだごっつのレギュラーではなかった東野幸治や木村祐一、リットン調査団、吉田ヒロなどの、まあダウンタウンの弟分的存在の者達。

その番組のある回で

「休日のダウンタウンを弟分だちで想像して再現しよう」

という企画で、今田耕司が浜ちゃんに扮し、浜ちゃんが家でくつろぐ様を演じていたのだが、その中で、テレビをつけて

「チッ!とんねるずか。オモロないんじゃ」

と言うのだが、その後、当時生まれたばかりの浜ちゃんの赤ちゃん役(人形)がとんねるずを観て笑ったので

「面白いな♡とんねるず」

という、まあ、いわばコントなのだが、それを観た我々視聴者は

「やっぱりダウンタウンはとんねるずのこと、面白くないとか思ってんだあ」

とか、変な納得をしてしまったのも、勝手に共演NGとか仲が悪いとか思い込んでしまうきっかけとなったと思われる。

『ラスタとんねるず』で石橋貴明が

『みなさんのおかげです』を一反お休み(事情はWikiで調べよう)し、1994年4月『ラスタとんねるず』という番組が始まったのだが、その第一回の放送(と思うのだが)で、放送ではピーという音声で消されていたのだが

「どっちが面白いか勝負をつけてやる!〇〇〇〇(人名)!」

と、時期的にも、口の動きからも

「松本人志!」

と言っていると思われたのだが、こればっかりは、もう本当に勝手な想像でしかないが、多分、

「どっちが面白いか勝負をつけてやる!松本ひとーし!」

と言っていたとしか思えないんだよなあ。

以上が私が目にしたとんねるずとダウンタウンの確執を垣間見た場面である。

とまあ、どれもこれも決め手にかけるのである。

(つづく)

【1989年頃のテレビっ子】2/4 とんねるずとダウンタウンは不仲なの?

とんねるずとダウンタウンが共演しない理由は知る由もないが

正直、とんねるずとダウンタウンが共演しない理由などは知る由もないし、今となってはとんねるず側もダウンタウン側も

「別に共演NGじゃない」

「仲も悪くない」

と言っているが、我々テレビっ子は、過去にとんねるずがダウンタウンに、名前こそださないが、遠回しにけん制していた記憶がある。

ダウンタウンからとんねるずへのけん制は、記憶にない。

ダウンタウンのブレーンがとんねるずにけん制していた記憶があるだけである。

ので、ここに記録として残しておく。

1992年『とんねるずの生でダラダラ行かせて!!』のエンディングに於いて

1991年10月に日本テレビで『とんねるずの生でダラダラ行かせて!!』という番組がスタート。
個人的な感想だが、パロディコントばっかりでそろそろ飽きられ始めたとんねるずが、ブレイク当時の何をしでかすか分らんような危なさを取り戻そうと、生放送で始まった番組。
(内容が〝ただ危ないこと〟に特化しすぎて無理やりで全然面白くなかった。半年あまりで収録に変わり、テコ入れにつぐテコ入れでなんとか観られるものになったが)

で、生ダラでとんねるずがスベっている最中の翌1992年4月、TBSテレビで、ダウンタウンによる『生生生生ダウンダウン』という番組が始まる。

先行で逃げ切りダウンタウンとの差を埋めるべく走り出したとんねるずに対して、それを追う形でダウンタウンが走ってきたのだが、鳴り物入りで始まった新番組が、よりによって生ダラと同じ、生放送。

世間的にも

「とんねるずとダウンタウン、どっちが面白いか」

などと言われはじめた頃だし、普通に考えればあえて生放送にしないほうがいいし、せめてタイトルに〝生〟の文字を使わないほうが良さそうなものだが、後発で後輩のダウンタウンの番組が、生放送の上、タイトルも『生生生生ダウンタウン』である。

※番組タイトルロゴもなんか同じような世界観でトホホである。

で、これまた生生生生ダウンタウンは面白くなく、

我々テレビっ子も

「なんだかなあ」

「ダウンタウンの良さが出てねーわ」

と思っている頃、生ダラのエンディングでノリさんが

「それでは、〝生生生生とんねるず〟また来週です」

と言ったのである。

しかも二週連続で!

これには観客も視聴者も大爆笑!

「よくぞ言ってくれた」

と言う感じであった。

で、生生生生ダウンタウンは生ダラ以上にスベりにスベり半年で終了。

終了直後、フジテレビでそれまでパイロット版が特番で二度放送された

『ダウンタウンのごっつええ感じ』

がレギュラー化してスタートし伝説の番組となるのである。

(つづく)

【1989年頃のテレビっ子】1/4 全国区にダウンタウン登場の頃

1989年のテレビっ子

1989年生まれのテレビっ子という書籍がある。

紹介文によると

『オレたちひょうきん族』が終わり『ガキの使いやあらへんで!!』が始まり、『ザ・ベストテン』が『みなさんのおかげです』に追い落とされた年。
そんな“平成バラエティ番組”の礎が築かれた、1989年。
ダウンタウンらお笑い第三世代ほか、多くの芸人とテレビマンのそれぞれの青春時代を膨大な資料から活写した、彼らと僕とあなたの群像劇。

という内容だそうである。

なぜ、だそうである、なのかというと、
私は1974年生まれであり、1989年は14~15歳。

中学三年という多感な時期であるものの、受験勉強も大してしなかったし、将来はお笑い芸人になとうと思っていたので

「一日八時間は観ないといかん!」

と将来のために毎日テレビばっかり観ておったので、この本をパラパラとめくってみたが、内容はだいたい知っていることが多く、大して読みもせずに

「別に~」

という感じだったからである。
読んでから書けよという話だが。

とんねるずとダウンタウンの登場を知らない世代からの質問

が、私よりも5歳も下のお笑い好きの者達にはこのとんねるずが絶好調な時に、ダウンタウンがその勢いを止めようと追い上げてくる感じの1989年のテレビ界について非常に興味があるらしく、この時代の話をすると

「とんねるずファンとしてダウンタウンの登場はどういう風に観ていたんですか?」

とか

「なんでとんねるずと、ダウンタウンは共演しないんですか?」

などと質問してくるので、それに答えようと思う。

「とんねるずファンとして、ダウンタウンの登場はどういう風に観ていたんですか?」

とんねるずファンとしてダウンタウンの登場は、ハッキリ言ってダウンタウンの登場は嬉しかったし、頼もしかった。
正直、とんねるずは当時パロディーのコントをアイドルとおちゃらけてやってるだけの感じになり、芸人というよりは笑いの取れる歌手のようにもなっており、且つ、内輪ネタにつぐ内輪ネタで、我々コアなファンから観ても

「とんねるず、どーしちゃったんだよー」

と思っているところだったので、新感覚の漫才できっちり爆笑をとるダウンタウンは頼もしく

「これが本物なんだな」

という思いで見ていたのである。

 

(つづく)

『私は、瓶を売っていました』について考える。ビンを売る少年。

私はビンを売っていました。

「私は幼い頃、小遣い稼ぎとしてビンを売っていました」

などと言うと、銅とか金属を売っていた日本アパッチ族的な者を連想するらしく、若手のギャルから

「何それ~!」

「終戦直後~!」

「大阪城公園~!」

などと言われるのであるが、実際にビンを売っていたのであるから仕方がない。

ただ売っていたのではない!

いや、誤解を招くといけないので改めて言うと、何処からか仕入れたビンを何処かに売るというものではなく、落ちているビンを拾い集めて、それを近くの酒屋に売りに行くという行為を行って小遣いを稼いでいたのである。

などと言うと、先ほどの若手ギャルが再び登場し

「拾って売るとか~」

「狩猟採集のじだ~い!」

「げんしじ~ん!」

「貝塚~!」

などとバカにされ、昭和49年生まれはどんどん元気がなくなるのである。

どんどんどんどん元気がなくなり、もうこうなったら、「瓶を売る少年の詩」というお涙頂戴的は歌を作ってやる。

歌詞は、吉田拓郎の『今日までそして明日から』からパクった。

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「瓶を売る少年の詩」 

作詞・作曲/つりばんど岡村

私はビンを売ってみました

時には誰かの力を借りて

私はビンを売ってきました

そして今、私は、思っています

明日からも、瓶を売って生きていくだろうと

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と、私はこの曲でプロデビューし、年末には紅白歌合戦に出場しようと思っているところである。

(思ってません)

現代の人からの質問

さて、ここで読者諸氏は

「ビンなんてそんなに落ちてるか?」

「一本いくらで売れるの?」

などという疑問がわくかたもいると思うので諸々説明したい。

瓶がそんなに落ちているのか?

まず、ビンがそんなに落ちているかという問題だが、私が小学生の頃、1986~1987年まではジュースはだいたい瓶入りであった。

缶ジュースもあったが、なぜか缶ジュースは250mlという今で言うレッドブルのロング缶が主流で、現在の350ml以上のジュースはビン入りであった。

※画像は250ml入りの缶ジュース。

※懐かしの300mlの瓶ジュース。

というもの、ペットボトルは当時、まだなかったのである。
そのため、ビンは牛乳とか、一部レトロを敢えて意識した商品しかない現在とは違い、そっこら中に、今のペットボトル並みに落ちていたのである。

当時の私には、公園のゴミ箱が宝の山に見えたものである。

いくらで買い取ってくれたのか?

350mlの瓶は売った覚えが無いのでいくらで買い取ってくれたか不明。恐らく買い取ってもらえなかったんじゃないかな?
なので、私はもっぱら1リットルのビンを拾って、近所の酒屋に一本30円で売っておった。

10本も買えば300円になるので、小学生にはいい小遣い稼ぎとなったのである。

※画像は1リットル瓶入りジュース。重てえんだよな、これが。

中学に入り、友人同士でバンドを組んだは良いが、スタジオ代が無いので、公園をハシゴして1リットル瓶をかき集め、それを打った金でスタジオ代を払っていたという、今から聞くと先ほどのギャルが登場して

「まがたま~」

「はにわ~」

「やじり~」

などと言われかねない生活をしていたのである。

今はどうなっておるのか?

調べてみると、今でも瓶は売れるとのこと。

ワイン。・シャンパンなどの一部高級なもののビンは、例えば、ロマネコンティ1990 正規の空ボトルなどは。なんと5万円で買い取ってくれるらしい。

ワイン同様、ウィスキーや、ブランデイもものによっては高価買取をしてくれるらしい。

まあ、そんな瓶探しても落ちてはおらんだろが。

あとは、

・ビール瓶=一本5円。

・一升瓶==一本5~10円。

と現在では、一部の高級酒類の瓶はやたらと高額で売ることができるが、小遣いになるほどのビール瓶や一升瓶を集めたりは非常に難しい時代になっておったのである。

しかし!

問題の私が、小学生~中学生の頃、主に取り扱っていた1リットルのジュース瓶がいくらで売れるかと言うと、なんと酒屋ではなくヤフオクで希少価値がついて1本300円から、スプライトとかファンタなどは、なんと一本2,500円などで取引されているので、見つけたらぜひゲットしておこう。

でも、落ちてないよなあ~。

ちなみにビール瓶を入れるケースは一個300円で売れるらしいので、今時の小学生よ!どうせやるなら1リットルの瓶を探してヤフオクで売るか、ビール瓶のケース狙いで行きましょう!