【ドキュメント】選挙に出ないのに、街頭演説やってみた!

一生に一度は、街頭演説がしてみたい!

『言いたいことも言えないこんな世の中じゃ、ポイズン』と、その昔反町隆史さんは歌った。それから二十余年、今、世の中は変わったのか?それとも昔のまま言いたいことが言えない世の中なのか?

誰に頼まれたわけでは無いが、私が身をもって確認してみたいと思う!

どうやって?

街頭演説で!!

街頭演説で人気者になりたい!!

なんでわざわざ街頭演説で確認する必要があるのか?それは私が前々から「人前で大声で言いたいことを言って、目立ちたい!」と、街頭演説に憧れをもっていたからである。

出来ればただ演説するだけでなくワーキャー言われたい!で、演説のあとは聴衆から涙ながらに大喝采されたい!で、出来れば握手攻めに遭いたい!で、出来ればその中の一人の美女から求婚を迫られたい!で、出来ればその美女は資産家の一人娘で会って欲しい!

ああ、考えただけでもワクワクする。ということでやや強引ではあるが、街頭演説をするしかなくなったのである。

街頭演説の準備

さて、街頭演説をするとなったら準備が必要である。私としてはよく見かける政治家が選挙カーの屋根にある特設ステージから行うのをやってみたかったのだが、私にそんなものが調達できるはずもなく、やむなく歩道で演説する、〝辻立ち〟というスタイルで行うことにした。

しかし問題は、道路使用許可である。いったい道路許可申請の費用はいくらぐらいかかるのか?また、申請から許可までの期間はどのくらいか?手続きは面倒なのか?というか果たして許可が下りるのか?

と思って調べてみると、警察署の許可が必要なのは、〝道路の工事、道路に広告板やアーチなどの設置、場所を移動しない屋台の出店、このほか『祭礼行事やロケーションなど一般交通に著しい影響を及ぼす行為』〟であり辻立ちスタイルの街頭演説は許可が不要であるとのこと。

しかしこの、『一般交通に著しく影響を及ぼす』というところがなかなかにグレーゾーンでどうとでも解釈できそうではあるが、私の場合は

「注意されたら謝ってすぐ逃げる」

という弱腰の信念のもと、私の居住地域の新潟市内の人が大勢集まる、新潟駅前の交差点で街頭演説を執り行うことにした。

演説をするのには何が必要だろうか?
普段みかける街頭演説の方々をイメージしてみると

  • メガホン
  • 白手袋
  • 名前が書かれたタスキ
  • 名前やスローガンなどが書かれたノボリ

 

と、少なくともこれだけあればなんとか恰好は付きそうである。

メガホンは小型だが、職場にあったのでそれを拝借することに。

※もっと大きいのが用意できればよかった。この記事を参考に街宣をする方は、ぜひメガホンはケチらずに大きなものを選びましょう。

白手袋は100均でドライバーズグローブというものを購入。

タスキはこれまた100均であきらかにパーティーグッズなものを購入。

※タスキに名前を書くと、万が一お巡りさんに追いかけられて逃げる場合に素性がバレる恐れがあるため、〝本人〟とだけ書いてごまかすことに。

ノボリは、100均で売っていた園芸用の棒と、近所の布地屋さんで白い布を購入し、演説当日に手書きでマジックで何か書こうと決めた。

※これもケチって失敗しました。本気で街頭演説を行う方はホームセンターでノボリのポールが1,000円程度で販売されていますし、オリジナルのノボリも専門の業者に発注すれば3,000円~作れるそうですので参考にしてください。

さて、ひとまず道具は揃った。あとは演説を実行するだけである。が、演説する前の晩に

「いよいよ明日は朝から街宣かー」

「緊張してなかなか眠れないなあ」

と思っていたところ、肝心の街頭演説で何を話すのか全く決めていなかったことに気が付き大慌てで世間に対して言いたいことを考えることになった。

目的と手段が入れ替わるとはこのことである。

街頭演説で話す内容

 

何か言えって言ったって、別に世間に対して言いたいことなど特にない。冒頭で反町隆史さんの曲を持ち出して当記事の企画意図めいたことを書いたが、正直に言えば、ただ街頭演説がしたかっただけなんである。

とはいえ演説で何も話さない訳にはいかないので、とりあえず思いつくままに何か書き出そう。

  1. カレーライスのカレーの汁のことをルーという人がいるが、あれはルーではなく、あくまでカレーソースであるということ。
  2. 寄せ書きは書く方ももらう方も迷惑であること。
  3. タフマンのロゴマークは、ハッキリ言ってアレであること。
  4. タレントの桑野信義のことをクワマンとは誰も呼んでないし、当の桑野さえも自分がクワマンであるという自覚がないと思われるということ。
  5. 金八先生の最終回のラストで金八の主題歌をクラス全員で突然合唱するシーンは、視聴者に対して違和感しか生まないということ。

 

まあ、これくらいあれば十分だろう。

さて、準備は整った。いよいよ明日は朝から生まれて初めての街宣だ!

街頭演説当日

※午前8時30分。演説決行の場所、新潟駅前に到着。

土曜の早朝ということもあり、人影はまばらである。が、この後ここで初めての街宣を行うと思うと、いやが上にもテンションが上がる。ああ、早く聴衆の大喝采を浴びたい!

※自分がこれから演説する交差点付近の歩道を見ながら武者震い、というか緊張で普通に震えました。

 

※この坊主頭が筆者です。演説現場付近の路上でノボリに文字を書き込むが、マジックの出が悪く上手く書けず。当初〝私がやります!!〟と書く予定だったが、〝私〟まで書いたところで、画数が多く、とても全部は書ききれないと判断し、急遽

 

※〝私です〟と書いたたため、全く意味不明のノボリが出来上がってしまった。

※ノボリが出来上がったところで、白手袋に手を通す筆者。白手袋をするとグッと本気度が増すことがわかった。この場合の本気度とは、ヤバ度と言い換えても問題ありません。

衣装を身につけ現場へ向かうが、自分の勝手な思い付きで早朝の平和な街をザワつかせるかと思うと罪悪感をおぼえ、急に知らないおじさんに怒鳴りつけられそうな気がしてドキドキする。

※どうみてもイデオロギーに偏りのある人物に見える。

※午前9時、予定していた演説場所に到着し、さっそくマイクで演説を始める筆者。凶悪な風貌である。

さて、いよいよ演説開始である。人々は私の目の前にさしかかると、私と目を合わせないようにし小走りに駆け抜けていく。こっちも演説なので何か話そうと思うが、緊張して上ずってしまって「えー」とか「あー」ぐらいしか声が出ない。

改めて写真を見て思ったのだが「選挙に金など要りません!」「その証拠にこの私のノボリを見てください!」と言った方が説得力があったかもしれない。

 

 

※ハードコアな泡沫候補にしか見えない。

このまま唸っているだけではますます怪しい。「早く何か話さないと!」と、勇気を振り絞って、「カレーのソースのことをルーという人がいますが、あれはルーではなく、あくまでカレーソースです。ルーというのはコレのことです」と、バーモントカレーを片手に話しはじめられた。

もうこれで大丈夫だ。私は言いたいことを声を大にして街中に対して語りはじめることが出来た。このまま話し続けよう。

あとは聴衆が集まり、うんうんと頷き、涙交じりの大喝采のうえ、握手攻めに遭えばいいのだ。

芸能人で握手を断るひとがいると聞くが、私の場合はそんなことは絶対にしない。それどころか、24時間テレビのマラソンで萩本欽一さんなど「ギャラリーの声援には必ず手を振って応える」「それが人気商売の心意気だ」と豪語するタイプのランナーがいるが、私もまったく同感である。握手は拒まぬ!

さあ、どんどん集まれ!人間ども集まれー!!!

※遠巻きにみるとこんな感じです。

しかし、聴衆は立ち止まって耳を傾けようとはぜず、相変わらず私の前だけ急に足早になり逃げるように通り過ぎていくばかり。喝采どころか、街でひとりぼっち。というか地球でひとりぼっちという気がしてくる。

※ご当地出身の政治家、田中角栄氏のモノマネで「まーそのー!」と人差し指を立てて演説してみるが・・・

何とか人々の気を引いて立ち止まってもらおうと「まーそのー!」と、ここ新潟県出身の政治家、田中角栄のモノマネを挟んでみるものの、誰も立ち止まらないどころか、そもそもモノマネが似てない上、今時そんなモノマネ誰も知らないのでなんの効果もないんである。

その後、十数分演説を続けてみたが、誰一人聞く耳を持たず、『この迷惑オヤジ!』『クソして寝ろ!』とでも言いたげな冷ややかな気持ちがタップリこもった視線を十二分に浴び、心がバキバキに折れ、予定よりも早く演説を打ち切ることにしたのである。

※午前9時20分頃、街全体から嫌われている気がして、頭を下げて演説を終了しました。

結果、

「ああ、俺は街の嫌われ者だ」

「社会のダニだ」

ということがわかっただけで、資産家の一人娘どころか、猫の子一匹近寄ってこなかった。

 

不甲斐ない結果に終わったことを報告に行こう!

演説のあと、私は、駅に入り、電車に乗り込んだ。

なぜなら、私は今回の街頭演説の結果を、ある人に報告しなければならないからである。

誰に報告が必要なのか?

それはもちろん(故)田中角栄である。

他県の方はご存知ないだろうが、新潟では田中角栄のモノマネをした場合、結果を田中角栄自身に報告しなければならないというローカルルールがあるのである。

ということで、私は新潟から電車で片道二時間、田中角栄の銅像がある「浦佐」という駅へ電車で向かった。

 

電車に揺られること二時間、浦佐駅に到着。

「ここが浦佐か」

「待っててください、角栄先生ー!!!」

浦佐駅の八海山口(東口)を出ると、そこには

光り輝く!!!!

 

田中角栄先生像!!!!!!

 

文字通り、足元にも及ばない私を見下ろす田中角栄先生像。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まとめ

今回、街頭演説をやってみた結果、言いたいことも言えないこんな世の中ではなく、言いたいこともないのに演説をしても、誰にも共感を得られない、いたって普通の世の中だということが分かりました。

機会があれば反町隆史さんにもこのことを教えてあげたい。迷惑だとは思うが。

追伸

田中角栄のモノマネをした場合に報告が必要というローカルルールは、お察しの通りウソである。

【信用してはならないNo.1】プリクラ画像が詐欺である証明

最近のプリクラの写真はあれでいーのか!?

なにが気持ち悪いかといって、最近のプリクラの画像ほど気持ちの悪いものはない。
よくSNSなんかでプロフィール画像をプリクラのものにしている者がいるが、ハッキリ言ってすぐに別のものに差し替えたほうがいい。

「そんなことない!」

「プリの画像はとてもいい!」

「だいたい今時、プリのことをプリクラなんていってるオヤジの話は読みたくもない!」

などと言わずに冷静に聞いて欲しい。

また、読みたくもないと思っても、このブログをブックマークに登録して最低一日30回は読みに来て欲しいと、虫のいいことを考えながら話を先に進める。

何が気持ち悪いのか?

まずプリクラの画像の何が気持ち悪いかといえば、あの目である。
まるでリカちゃん人形のように不自然な大きさ、且つ黒目がちでなんとも異様である。

リカちゃん人形は人形だからかわいいのであって、人間だったら気持ち悪いのである。
たまに海外で

「バービーになりたい」

などといって美容整形の結果、本当にバービー人形のようになっているバカがいるが、プリクラはアレの小型版である。
アレを良しとしているのと似ているのである。

プリクラ大好きっ子にプリクラの気持ち悪さを教えるためには?

などと書いてもプリクラを分かっていないオヤジと、プリクラが良いと思っている人との溝は埋められない。
どうすればその溝を埋められるか?

プリとやらがいかに気持ちが悪いか、また、いかに原型をとどめていないか、どうすれば読者諸氏にわかっていただけるか?

まず私がプリクラを撮ってみるしかない。
撮って、その姿をさらし、いかに異様かを分かってもらうしかない。

と、いうことでさっそく某大型家電量販店のプリクラコーナーに潜入調査を行ってきたので報告する。

まず、自己紹介。

これが私の顔である。

ごらんのようにモヒカン頭である。

こういう顔をしておる。
この顔がプリクラにかかるとどうなるか検証します。

オヤジ、一人でプリクラコーナーへ行く

夕方、16:00にプリクラコーナーへ着く。
まず、その機械の大きさに驚く。

※画像は最近のプリクラ。

昔のプリクラはこんなんじゃなかった。

私だってそこまで年寄りじゃない。
プリクラぐらい何度も撮影したことはある。

が、最後に撮ったのはもう10年以上前であり、その当時はこんなに大きくなかったのである。
昔のプリクラは、もっとこう小型で、銀行のATMのような大きさだったのである。

が、現代のプリクラの機械は、まるで小屋のような大きさに変貌しており、そのどでかい機会が5台も並んでいることに圧倒される。

且つ、16:00という時間帯が悪かったのだろう女子高生どもが密集しており、一人でプリ機に入って行く勇気がない。しかし、プリクラの画像の異様さを知ってもらうためには躊躇などしていられない。勇気を振り絞ってモヒカン頭で恐る恐る近づいていく。
単なる変質者と思われていたかもしれない。

そのため、

『わたくしは、プリクラを取りに来たのではなく、あくまで道に迷ってこんな所に不本意ながら入り込んでしまった者である』

『できることなら早くこの場を立ち去り、妻の誕生日プレゼントの掃除ロボットを購入するため、お目当ての掃除機コーナーに行きたいのだがね』

と、独身であり、妻などおらぬにもかかわらず、ちゃんと家庭もある信頼のあるダンディスムの塊という風情を醸しだす演技をし、

『やれやれ困ったな』

という表情をしながら横目でチラチラとプリクラの機械を見て回る。

プリクラ横に多数あるアーケードゲーム機コーナーには、男子高生がたむろしており私の方をジロジロとみてくる。
オヤジ狩りのターゲットとされたのかもしれない。

『サッサと撮って帰ろう』

と思うが、5台あるうちのどれがその、ポピュラーな、いわゆる盛ってくれう機械なのかがわからない。

そのため、機械の壁面に書かれたキャッチコピーのようなものを読んでいく。

〝自分至上、最高の「私」〟

だの

〝盛り感はコスメで作れる〟

だのと書かれているが、どれもこれもよくわからん。

コソコソとそれらの文字を見ながら

『つまりは、まあ、どれでも同じなんだろう』

と思い、どれか空いている機械に入ろうとするが、これがなかなか勇気が出ない。

あくまでお掃除ロボットを購入しに来たのに、不本意ながらプリコーナーへ迷い込んでしまった芝居をしているのである。

その演技から急にプリ機のノレンみたいなビラビラをくぐって入っていく勇気がない。

『どーしよー?』

と思い、10分ほどオドオドしていると、ガードマンのお父さんがあきらかにこちらを見ながら近寄ってきた。

迷っている演技が認められ、正しい売り場へ案内しようというのか?
それとも田代まさし扱いされるのか?

どちらにせよやっかいなことになる。

『ヤバイ』

と思い

『逃げろ』

とスタスタを早歩きでその場を離れ、一目散に家に帰ってきた。

この日は、残念ながら撮影できなかったのである。

翌日、再びプリクラコーナーへ!

昨日は諦めてしまったが、今日はこのまま諦めてはならん。
このままでは、プリクラ画像がいかにいい加減で気持ちの悪いものなのか証明できん!

と、翌日のプリクラコーナーに人もいないであろう午前中の時間を狙って潜入することにした。
午前11:00、昨日と同じ家電量販店内のプリクラコーナー到着。

昨日と違いプリクラコーナーに女子高生どもはおらず安心したが、併設のアーケードゲームコーナーには若手男子が大勢たむろしてゲームなんぞをやっておる。

『まったくテメエらは午前中からこんなところへ来やがって』

『他にすること無いんか!』

と、どやしつけたくなったが、そのセリフはまったく私自身にも言える言葉であり

『俺も他にすることないんかなあ』

と落ち込むのであった。

いよいよ機械に潜入!

前日、女子高生が行列をなしていたので目を付けておいた白い機械で撮影することにした。

「プリクラ画像がいかに気持ち悪いか証明してやる」

などとは言っても、心のどこかでは、できれば私も奇麗に写りたいのである。
どうせなら女子高生が行列していた機械で撮られたい!

と、自分でも驚いたのだが、いつの間にか私の心の中には

「篠山紀信さんにならヌードを撮られてもいい」

とでもいうような気持ちが芽生えていたのである。

で、意を決してゲームコーナーの男どもに気付かれぬようにプリクラ機のノレンのビラビラを素早くくぐって撮影ルームにサッと入る。

我ながら機敏な動きで恐らく誰にもバレていないはずである。

『さすが、俺よ』

『入っちまえばこっちのモンだ!』

『まったく手間をとらせやがって』

と正面にある液晶画面に近づくと

〝外の受付ブースで、お金を入れてね!〟

という機械的な音声が流れる。

 

『なっ、何ぃぃぃぃ!?』

『せっかく入ったのに!』

と思うが今さら引き返すこともできず、一旦ノレンを出て、プリ機の周りをグルグル見渡し、受付ブースというコイン投入口を発見。

『早く、早く!』

と焦りで震える手で100円玉をつまんでしめて400円也を投入。
再び素早くノレンをくぐり、ようやく通常の手順を踏んで機械に潜り込んだのであった。

撮影の前にもいろいろやることがある
改めて小屋内部の液晶画面に近づくと、

〝まずは証明写真コースかプリコースか決めてね〟

と表示される。
こんな思いをして証明写真を撮りにくるわけはないので、プリコースを選択。

続いて

〝で、何人で映すのか決めてね〟

という表示が出る。

二択になっており、二人か三人以上かの選択を迫られた。

『いや、あの、私、一人なんですが…』

と思うがとりあえず二人を選択すると

〝二人の、おなまえを入力してね〟

という表示が出、仕方がないので二人とも、おかむら、と入力する。

〝つぎは背景を選んでね〟

〝仕上がりのイメージを選んでね〟

などの質問に答える。

『そんなもんどーでもいだろー』

と思っているのに、いざ選択する場面になると先述の

『せっかくなら篠山紀信さんに…』

の気持ちが芽生え、熟考している自分に顔が赤らむ。

いよいよ撮影がはじまる
機械から

〝撮影だよ!〟

の声がして

〝3・2・1〟

とカウントダウンが始まる。

画面には

〝▲カメラをみてね!〟

と表示されカメラを見るとストロボがたかれ一枚目の撮影終了。

再び

〝3・2・1〟

とカウントダウンが始まり二枚目、三枚目と撮影される。

四枚目からは同じポーズではよくなかろうと、画面下に表示される若手モデル達の撮影見本のようなポーズをとってみる。
枚数を重ねるたびに、口に手を当てる、胸の前で手をクロスさせるなど、だんだんと大胆になっていく自分の驚く。

『ああ、こうしてすべてさらけ出すアタシ』

『こうして堕ちていくアタシ…インモラル』

『もうアタイどうなってもいい』

と、とっくにどうかしちまっているクセに思うのであった。

落書きブースへ

撮影が済むと、再び機械から

〝落書きブースへ移動してね▶▶▶〟

という表示が出、ささっとここから出ろ、と言われる。

矢印が指し示す入り口とは逆の向かって右側のノレンを開けて機械を出る。

今の今まで中で恥ずかしげもなくポーズを取っていたことを悟られぬように平然とした顔をする。
これは、ラブホテルを出た瞬間、中で行っていた行為については全くの知らぬ存ぜぬの表情をつくるカップルの心理に似ている。

などと思った瞬間、落書きブースという機械側面に設置されたコーナーの、ノレンをくぐって再び機械に隠れる。

先述のラブホカップルが外へ出た一瞬だけ素の表情になり、速攻で隣のラブホに飛び込むようなものである。

落書きブースでは、盗難に遭わぬようゴム製のヒモで機械にくくりつけたれたタッチペンがあり、そこで色を選んだりして先ほど撮影した画像に好きなことを書く。

今度は、画像を受け取るためのアプリのURLが書かれたメールを受信できるアドレスの入力が求められたので、それを入力して終了。

画面には

〝印刷ブースで写真を受け取ってね▶▶▶〟

の表示が出、ノレンをくぐって再び表にでる。

世間に帰ってきた
アーケードゲーム機の男子高生どもがこっちを見ている気がする。

私はプリクラの機械から離れ、機械背面の印刷コーナーから写真が出てくるのを遠巻きに見ながら、前日同様、

『方向音痴の私は、道に迷ってしまい』

『意図せずこんな機械のノレンをくぐることになってしまった』

『もちろん撮影などはしておらず、この機械の中にインフォメーションセンターがあるのかと思って入ってみただけ』

『ああ、掃除機コーナーはどこだろう?』

と遠くを見渡すようなフリで印刷コーナーから写真が出るのをチラ見。

1分ほどして

『カコッ』

と間抜けな音と共に印刷物が出てきた瞬間、スタスタと機械に近寄り、それを素早く手に取り、逃げるように店を後にしたのである。

結果発表

まずは、盛る前の画像がコチラ。

そうして撮影した画像がコチラである。

さあ、どうだ?

本人とは似ても似つかんだろーが!

気持ちが悪いだろーが!

ということで、みさなまに於かれましては、これをよく理解し、SNSのプロフィール画像をプリクラにするのはよくよく考えてみよう!

っと思うのです。

というか、なかなかプリクラは面白かったなあ~。

【乱れとるぞ!】男女混合バンドの恋愛事情を妄想する!

バンド内恋愛はどうなのか?

メンバーが、男女混合のバンドがおる。
男性オンリーバンドの経験しかない私としては、はっきり言って羨ましい。

だいたい男女混合の時点で、何か卑猥なものを感じる。
ほとんどの人が私と同じ意見だと思うが、男女混合ということは、

〝混浴〟

とか

〝乱交〟

とか、そういう卑猥なイメージが湧く。

実際はそんなことはないのかもしれないが、私としては、男女混合バンドの中では、九分九厘カップルか異性メンバーに対し恋愛感情を持っている者がいるという説を強く訴えたい。

「証拠はあるのか!?」

と抜かす反対派に対して、私はこれから証拠を出していくことにする。

証拠①

チェリッシュ

まずバンド内恋愛感情云々の前に、男女混合バンドの証拠として、どしょっぱなに出したのがあまりにも古すぎる物であったことにヤングマン諸氏は驚いたことと思うが気にしないで先に進んでいただきたい。

結婚披露宴で新婦の女友達が歌う定番の『てんとう虫のサンバ』と、薬用せっけんミューズのCMでお馴染みチェリッシュは、私と同じ愛知県出身の男女混合バンドである。
チェリッシュについて調べてみる。

1968年、ボーカルの松崎好孝を中心に男性4人組バンドとして結成。
1970年、女性ボーカルの松井悦子が加入し、男女混合バンドとなる。
1971年、プロデビュー。
1972年には、ボーカルの二人以外は脱退。
1973年、バンドというよりは、男女二人組ボーカルユニットとなり、『てんとう虫のサンバ』で大ヒットとなる。
1977年、二人は結婚。

という流れらしいのだが、私からしたら、これはもう1970年、松井悦子の加入がそもそも松崎好孝が、悦子をなんとか口説こうと思うものの、自らが中心になって結成したバンドであるし、

「俺、今バンドに燃えてるからよ」

と、メンバーに行ってしまった手前、女なんぞにうつつを抜かしているわけには行かず、しかしながら悦子をなんとか繋ぎ止めておきたい、の思い強く

「いっそバンドのメンバーにしちまえ!」

「そうすりゃメンツも立つわ」

という考えのもと加入させたと思われるのである。

※画像は、己が恋愛のために、悦子以外を脱退させる方向にもっていくことを考えているイエローサングラスの松崎氏。

で、1972年に他のメンバーを全員追い出し、晴れて二人組となり、やりたい放題の末、1977年に結婚したと睨んでいるのだが、松崎さん!証拠は上がっているんだ!無駄な抵抗はやめて出てこい!

と男女混合バンドに対する嫉妬で私の頭がどうにかなってくるのである。

※画像はみごと悦子を射止めることのできたことを、恥ずかしげもなくレコードジャケット上で宣言する松崎氏。

証拠②

サザンオールスターズ

1974年 青山学院大学に入学し、音楽サークルで出会った桑田佳祐、関口和之と中心にバンドを結成。
1975年 原由子が青学に入学。
1976年 いろいろあってサザンオールスターズ結成。
1978年 プロデビュー。
1982年 桑田佳祐と原由子結婚。

サザンに対しては、羨ましくない。嫉妬もない。
理由は、ちょっと今、思い出せない。

証拠③

リンドバーグ

1988年 元アイドルであったボーカル 渡瀬マキが、アイドル時代のバックバンドのメンバー平川達也と、平川の音楽仲間であった二人を足して4人組として結成。
1989年 プロデビュー。
1997年 渡瀬と平川が結婚する。

やってくれたな、平川。
平川さんよお~!

と平川さんを怒鳴りつけたくなる。

 

さて、この平川は姑息な男であると見た。

というのも、1988年から1997年までのおよそ10年間の想いを実らせたという、一見美談だが、私から言わせてもらえれば、自らがバックバンドを務めるアイドルに密かに好意を寄せていたが、業界の掟として気持ちを打ち明けるわけにはいかずに我慢に我慢を重ねておったが、そのアイドルがブレイクせず、廃業を考えていたところへ漬け込み、当時ブームになりつつあったバンド結成を持ちかけたと思われるからである。

チェリッシュの松崎同様、

「なんとか繋ぎ止めておきたい」

「さよならなんかは言わせない」

と聞きようによっては恐ろしいことを思い

「俺が売れさせて、恩を売るだけ売って、外堀を完全に埋めて、逃げられないようにがんじがらめにしてから求婚を迫る!」

と、誓い、執念の塊となって本当にバンドをブレイクさせるも、当の渡瀬からは全く相手にされなかったが、そこは平川の執念深さでバンドメンバーであることを利用しつくし、連日にわたって口説きに口説き、1988年から1997年というおよそ10年間に及ぶ洗脳まがいの戦法で、頭の中に花が咲いたような状態になった渡瀬からとりあえずは婚姻届に印を押させたという次第なのである。

そのため、私は平川達也は、平川達也だけは、敵に回してはいけないと、強く心に誓うのであった。

と、俺は何を根拠にこんなことを書いているのか、やはり男女混合バンドに対する嫉妬で、頭が混乱して来るのである。

と、やはり男女混合バンドは、やはりどこかに恋愛感情ありきで営まれていることがわかってくるのである。

※帽子が平川氏。

ジュディマリ問題

とここまで書くと、反対派から

「だったらジュディマリこと、JUDY AND MARYはどうなんだ!」

と言う声が聞こえてくる。
JUDY AND MARYのボーカル、YUKIはバンドメンバーではない、別のバンド、真心ブラザーズのYO-KINGと結婚したから、JUDY AND MARY内に於いては恋愛感情はなかったというたわけた発想である。

では、JUDY AND MARYを調べてみよう。

証拠④

※画像左端が恩田氏。

JUDY AND MARY

1991年、函館に映画のエキストラとして来ていた後のボーカルのYUKIと、当時ヘビメタバンドでデビューしていた後のバンドリーダーとなるベースの恩田快人が映画スタッフ達との飲み会で、YUKIから

「自分もバンドを結成したいがどうすればいいのかわからない」

と相談されたのをきっかけとして、翌1992年、バンド結成。
いろいろあって(各々Wikiで調べよう)

1993年プロデビュー。
1999年、JUDY AND MARYの活動を一旦休止。
2000年2月、JUDY AND MARYの活動を再開。
2000年9月、真心ブラザーズのYO-KINGこと倉持陽一と結婚。
2001年3月8日、JUDY AND MARY解散

とこの略歴で、何かを感じないだろうか?

これ、休止して、再開して、結婚して、解散するのである。

想像して欲しい。
あなたのが参加しているバンドのボーカルがYUKIなんである。
もう狂うのである。

男はみんな狂っちまうんである。

 

そもそもジュディマリ自体、恩田がYUKI狙いで始めたのである。
のっけから、よこしまなのである。
で、1991年から1999年の8年間に及ぶヘビの様にしつこい恩田からの口説きから逃げるように活動を休止。

「もうしつこくしないから!」

「音楽に専念するから!」

と、言われたことで了解し、2000年に活動再開したものの、わずか7か月後にYUKIが別バンドの者と、まさかの結婚。
2001年、YUKI以外のメンバーは失意のどん底に陥り解散したのである。

恩田だけとは言わん。
メンバー全員、YUKIを狙っておったのである。

JUDY AND MARYはYUKI以外の三人の男どもは、恋敵として連日連夜いがみ合い、本番直前に弦を切る、靴を隠す、ぞうきんを絞って出た水で淹れたお茶を飲ませるなどの嫌がらせが横行していたと聞く(気がする)。

と、なんの証拠もないが、メンバーにYUKIがいると想像するだけで全てがわかってしまうんである、俺には、って誰だよ。

証拠⑤

和楽器バンド

古いバンドのことばかりでは、若い読者に申し訳がないんで、頑張って新しいバンドも調べてみる。

「和楽器バンド」というのがヒットした。

もう画像しかみてないが、このバンドなんかとっかえひっかえ付き合っては別れてを繰り返すビバリーヒルズ青春白書のような状況に陥っていると思われる。

この中で、誰も、誰にも恋愛感情がないと言い切れる人はいないはずだ!

反対派の最終手段

などと書いても、筋金入りの反対派は

「男女混合バンドだからって、必ずしも恋愛感情が伴うものじゃない!」

と、以下の証拠をつきつけてくる。

反対派からの証拠①

マキシマム・ザ・ホルホン

まあ、まあそうですねえ、まあねえ。

 

反対派からの証拠②

DREAMS COME TRUE

んー。まあ、そうですねえ。。。。

反対派からの証拠③

いきものがかり

なるほどなるほど。

 

でも、まあ、そういうことを言っているんじゃないから!

大人の話をしましょうよ、と言い残して退散ことにする。