【糖負荷試験を受けてみた!】糖尿病の恐れがあるヤツと呼ばれて(呼ばれてません)

健康診断の結果いろいろ

 

私の職場のWさんは痛風持ちなのだが、健康診断の結果に

 

『痛風になる恐れがあります』

 

と書かれており

 

「もう痛風なんだけどなあ」

 

と言った。

 

同じく職場の某は

 

『糖尿病です』

 

と、糖尿病の恐れがあるではなく、はっきりと

 

『糖尿病です』

 

と書かれたそうである。

そんなことってあるんだね。

 

私の場合

 

毎年、健康診断の結果は

 

『肝機能障害が見られます。精査を受けてください』

 

『糖尿病が疑われます。内科医で糖負荷試験をお勧めします』

 

『肥満が見られます。カロリーの取りすぎに注意してください』

 

『アルコール類の量を減らすことをお勧めします』

 

と書かれている。

 

「知るか」

 

と思って無視しておった。

 

が、一向に倒れる気配もないので毎年毎年、更に無視に無視を重ねて負った。

 

しかし、糖尿病なんて贅沢病だよ!

 

と思っていた私も年をとると糖尿病の疑いがあるだなんて。

 

が、たわむれに

 

「もしも糖尿病判定されたら、楽に痩せる薬なんかがもらえるかもしれない!」

 

と、よこしまな考えを持ち近所の内科へ行った。

 

内科に行った。初回

 

まずは血液検査

 

初回は血液を抜かれ、

 

「結果が出たらまた来てください」

 

と言われ、次回の予約をして終了。

注射に弱い人は、当ブログの注射の克服方法と言う記事を参照して乗り切っていただきたい。

 

二回目の来院

 

二回目は、前回の血液検査の結果を見ながら、糖負荷試験をするかどうかの相談をされる。

 

痩せる薬が貰えるかもしれないと思っているので、とにかくその試験とやらを受けると伝える。

 

「糖負荷試験は、二時間かかるので改めて来てください」

 

と更に次回の予約を入れて終了。

 

三度目の来院。糖負荷試験とは?

 

いよいよ三回目の来院で、糖負荷試験の日。

まず、左手で採血。

次に、超甘ったるいサイダーのような液体を300mlほど飲まされる。

 

で、30分~1時間おきに左右の腕から交互に採血。

 

合計6回採血。

 

で、きっつり二時間かかって終了。

次回予約を入れる。

 

 

四度目の来院。

 

糖負荷試験の結果を聞くも、なにがなにやらよくわからん。

 

「血圧の下がる薬を二週間分出しときますんで、飲みきったら再度来てください」

 

で終了。

 

「できたら、血圧計を購入して、二週間毎日つけてください」

 

と言われたので、仕方なくAmazonで上腕で測るタイプの血圧計(4000円弱)を購入。

毎日、朝晩二回、血圧を測るはめになった。

 

血圧計生活

 

 

軽い気持ちでいったのに、痩せる薬はもらえず、何回も通院して、且つ、毎日血圧も朝晩測らねばならず、

 

「まったくめんどくせー」

 

「例年通り無視してりゃよかったー」

 

と後悔するが、こうみえて長生きしたいタイプなので仕方がないとあきらめる。

 

で、測っていたが晩酌をはじめて、さんざん酔っぱらってから血圧を測り忘れたことを思い出し、

 

「やらないよりはやったほうがいい」

 

と酩酊状態で血圧を測ってみた。

 

血圧計が腕をぎゅ~っと締め付けてくる。

酔っているので

 

『負けてたまるか!』

 

などと思う。

 

『毎日毎日俺を締め付けやがって!』

 

と、血圧計に反抗して思い切り腕に力を入れる。

 

力を入れて

 

「Youはshock~!」

 

と、歌い北斗の拳のケンシロウ状態で力を入れた。

 

血圧計に思い切り逆らうとどうなるかわかりますか?

 

正解は、ただ腕にまく布のマジックテープがベリベリッとはがれて、エラーになるだけであり、
血圧計が壊れる恐れもあるので、飲酒後は血圧を測ってはいけない。

 

 

本屋で見つけた本

 

そんな折、本屋で

『筋トレが最強のソリューションである~マッチョ社長が教える究極の悩み解決法~』

 

 

 

という本が平積みされており、立ち読みしたらくだらないけど面白い。

何にでも影響を受けやすい私は、これを読んで二年前にやめてしまった禁酒と筋トレを再開しようと決意したのである。

 

腹が割れたら報告します。

【明るい宿無し生活】とりあえずの完結編

希望を捨てるな生きてる限り

 

希望があると人間は頑張れる。

スパ昭島で寝泊まりしながら、毎月貯金。

バイトをしながら空き時間にフリーペーパーの賃貸情報をみて勝手に間取りを想像したり、
家具の配置などを想像したり、職場の友人達に

 

「部屋を借りたら遊びに来てくれ」

 

などとわいわい騒ぎ、宿無しのくせして精神的に楽しんでいた。

 

健康ランド生活を二ヵ月続けたら、どーにかこーにか150,000円の金ができ、給料日に不動産屋に行くことにした。

 

楽しい不動産屋めぐり

 

とりあえず、なんとなく都心へ引っ越したい。

スパ昭島は好きだが、昭島は正直、私の求める東京ではない。

昭島市民よ、すまぬ。

 

しかし山手線圏内は家賃が高くて手が出ない。

 

とりあえず、どっちつかずの世田谷区、多摩地区と23区のはざま、千歳烏山に焦点を合わせる。

 

千歳烏山で入った不動産屋さんが悪かった。

あとで分かったが千歳烏山の不動産屋といえばピンとくる人もいると思うが、この店は、有名な電波系のイッっちゃってる方面の不動産屋さんであり、
当時、坊主頭であった私をみて店主のお爺さんが

 

「ほう、今時珍しい坊主頭・・・」

 

「君は〇〇〇か!」

 

などという

 

「違います」

 

と答えると

 

「なかなか見込みのある青年だ。ちょっと待っておれ」

 

と言って、奥から段ボール箱一杯に入ったアルバムやら新聞の切り抜きやらを持ってきて、
興味はないのだが、いろいろ日本のアンタッチャブルな部分を語って聞かされたりし、
最終的には、どういう訳だか、オウム真理教の新組織の入っているマンションを紹介され、内覧するか聞かれたが断って帰ってきた。

 

あのお爺さんは元気だろうか?

 

で、やや怖くなり

 

『やっぱり住み慣れた多摩地区だよなあ』

 

と、二十歳で上京した時と同じ街の、一番栄えているところの5.5畳のワンルームのユニットバスのマンションの、家賃が54,000円の、
建物は奇麗だが収納はへったくれもない、まさに足の踏み場もないほどの小さいマンションを、二度目の上京から八か月で、なんとかかんとか、どーにかこーにか、無事に借りることが出来たのである。

 

 

入居日

 

この物件はマンションの一階がトレーニングジムと大家さん一家の住居になっている変わった物件。

 

家具など買う金はなく、とりあえず無印良品で一番安いかけ布団だけ購入。

 

 

※当時、無印のかけ布団は、こういう袋に入っていました。

 

 

入居初日、着替えと洗面具の入った紙袋を持ち、無印のかけ布団を肩から引っさげてるという矢吹丈なみの荷物の少なさであったため、挨拶をした大家さんには、かなり怪しまれたことと思う。

 

 

部屋は閑散・雑然とし、敷き布団などは拾ってきたウレタンを使っておったし、借金もひどかったが、どうにかこうにか溺れかかりながらも陸地に辿り着くことが出来た。

『めでたしめでたし』

 

と言いたいところだったが、この入居から四年後、さきほどの大家さんから追い出され、再び宿無しとなるので人生は油断してはならないのだ。

 

 

【明るい宿無し生活】健康ランド編

精神崩壊寸前

 

それまで余裕で暮らしていたものの、駐車場の一件以来、毎日ビクビクビクビクして暮らすようになった。

 

精神的にもまいってきている。

 

事務所に潜伏しながらベッドで

 

『本格的に、別の住みかをさがさねばならんな』

 

と考えているが、考えて金ができるはずもなく

 

『やっべ~な~』

 

と思っていると

 

ガタンッ!!

 

と大きな音がした。

 

うすうす勘づいた社長が抜き打ちで来たのである。

 

 

『社長が来たんだ!!』

 

『・・・とりあえず土下座だ』

 

と思い、申し訳なさそな、情けなそうな笑顔を作って部屋を出ると社長はおらず、
換気扇フードにひっかけた洗濯ばさみがたくさんついた、あの干すヤツが洗濯物ごと床に落ちていたのであった。

 

 

「もーいや、こんな生活!」

 

 

※この洗濯ばさみのバケモノみたいなのはピンチハンガーというらしいです。

 

 

と、とにかく金はないが、自分は出ていくことにした。

 

 

知力・体力・時の運 三つ揃って健康ランド

 

 

※写真は私の心の故郷、スパ昭島(2010年惜しまれながら閉店。って、閉店したの知らんかった)。

 

原チャリでブラブラしておったら、いいことを思いついてしまった!

 

昭島市に当時、24時間営業の大型健康ランド、スパ昭島があった。

 

その健康ランドは入場料が大人、2,000円。

深夜0:00を過ぎると当時は、延長料金が1,000円取られた。

つまり一泊3,000円である。

一か月を30日としたら、90,000円であり、家賃よりずっと高い。

調べてみると、この健康ランドにはマンスリー会員という制度があり、当時は一か月10,000円を支払うと、入場料が無料になるのであった。

 

つまり、1,000円の30日分=30,000円、マンスリー会員費15,000円、しめて45,000円也。

これならなんとかなる。

これで、個室こそないものの、ゆっくり眠ることのできるレストルーム、映画鑑賞ルーム、TV見放題、
宴会場でカラオケ聞き放題(歌うと一曲200円)、ゲームセンターあり、図書館あり、食堂あり

バス・トイレ付、

〝付〟

なんてもんじゃない、大浴場!サウナ!滑り台つき流れる温泉!

トイレはもう数えきれないくらいある!

 

温泉とトイレ、レストルーム以外は男女別れていないので刑務所のようなむさくるしさもない。

 

健康ランドで仲間ができた!

 

 

何日もそこで暮らすと、顔見知りもでき、何人かと仲良くなった。

 

そいつらはみんな世界を旅するバックパッカーなんであった。

話してみると、この施設の隣には某宅配業者の集荷場があり、夜間は、その集荷場でバイトして
朝になるとこのスパ昭島で寝る。

夜また出ていく。

そうすると、夜間の延長料金を取られることなく、毎月のマンスリー会員費の15,000円だけで一か月生活できるのである。

そして金が貯まれば、再び海外に旅に出るのだそうだ。

 

なんと羨ましい。

 

海外に行くことがではない。

 

マンスリー会員費だけで生活できる点が羨ましい。

 

ということで、このスパ昭島、今はもう閉館したとのことだし、時効なんで書くが、
私は、ラミネートで簡単に作られたマンスリー会員証を偽造して、延長料金のみで生活し、一か月30,000円を支払い、
この施設を利用しておったのである。

 

私が金持ちになったあかつきには、恩返ししたかった施設だけに、閉店が悔やまれる。

(うそつけ)

 

当時、スパ昭島のテレビでクイズミリオネアという番組を観ながら、金の有難みのわからん連中め!と画面を睨みながらみていたことを思い出す。

 

(つづく)

【明るい宿無し生活】 盗み住み編

先輩のTさん

 

まあ、変な女と我慢して暮らす必要がなくなったのであるが、住む家がないのであれば話にならぬ。

 

とりあえず、ただで住めるところを探さねばならぬ。

当時は個室のネットカフェは普及しておらず、マンガ喫茶といえば本当に普通の喫茶店の壁一面に漫画本を満載した本棚があり、そこから本を各々持ってきて読むスタイルが主流であったため、そこで寝泊まりしようとは思わなかった。

 

そんな私の事情をくんでくれ、不憫に思ったバイトで知り合った先輩のTさんという人がいる。

Tさんはバイトを辞め、Tさんの父親が経営する会社に勤務している。

 

そのTさんが、会社の事務所として利用しているマンションが東京の外れのあきる野市にあり、その事務所には空き部屋があり、小さいが畳ベッドもある。

父親である社長には口が裂けても言えないが、事務所が閉まる20:00頃から、翌日事務所が開く7:30までの間と、事務所が開かない土日であれば、そこで寝泊まりさせてくれるという。

 

渡りに船とはこのことかと、資金が出来次第、すぐに出ていくという条件付きで、その提案に乗っからせていただき、新しい生活がスタートすることになった。

 

渡りに船

 

そのマンションは5階建ての2階にあり、2LDKであり、角部屋。205号室。

エレベーターがないのが痛いが贅沢はいっていられない。

(当たり前だ)

 

これまでの六畳ワンルームでの変な女との生活とは雲泥の差。

夜は近くのコンビニで買った弁当をリビングで大画面のテレビを見ながら食べる。

事務所なので、ガスは引かれておらず、シャワーからはお湯は出ないが秋なので冷水シャワーでも十分耐えられる。

 

 

廊下は静かに歩きましょう

 

これまたTさんからもらった原チャリで仕事から帰ると、マンションの駐輪場に原チャリを停め、エレベーターはないので、一か所ある階段を二階まで登り、つきあたりの角部屋までまっすぐに進む。

この廊下で人とすれ違うわけにはいかない。

 

同じフロアの住人から

 

「夜に誰か来てますよ」

 

などと言われてはこの生活もおしまいになるからである。

 

そのため、この廊下は抜き足差し足忍び足、且つ素早くダッシュで駆け抜け、素早くドアのカギを開け、素早く、且つ静かにドアを閉めねばならぬのである。

 

しかしながら、部屋に入ってしまえば楽勝。

 

『こんなに自由っていいもんかよ』

 

とシングルライフを満喫しておった。

 

盗み住み生活の難点

 

しかし、この生活の難点は隠れ場所のない廊下を素早く静かに走り抜ける以外に二点ある。

 

一点目は、会社が残業などで20:00を過ぎても事務所の明かりがともっており、部屋が空かないことがある点である。

そんな時は、自分の立場を忘れて

 

「はやく帰りやがれ!」

 

などと罰当たりなことを思っていたのである。

 

二点目は、マンションの部屋からこのマンションの駐車場が見渡せられるようになっているのだが、部屋にいるときに、その駐車場に自動車が入ってきたら、その自動車がこの部屋で借りている駐車場に停まるかどうかをみなければならない。

で、万が一、そこに停まったら社長なのでバレないように一目散に逃げなければならないという点である。

 

一応、はじめは自動車が入ってくるとビクビクしておったが、一向にこの部屋の駐車場に車がとまることもなく、

 

「わざわざ仕事を終え、翌日にまた出社なのに出てくることはあるまい」

 

とタカをくくっておった。

 

女の勘は恐ろしい

 

そんな生活が三か月ほどしたある日、社長夫人であるTさんの母親が、Tさんに

 

「なんだかここの所、誰もいないはずなのに、人の気配がする」

 

「出社したてで、誰もいないはずなのに、洗濯機の洗濯槽が濡れているのことがあった」

 

などと、持ち前の女の勘を作動させてきているらしい。

 

Tさんは

 

「そっ、そんなわけないよ~、きっ、気のせいだよ~」

 

などといって毎回はぐらかしてきたが、いよいよ危ないので、早く部屋を借りて出て行ってくれないかと言う。

 

金があれば出ていくのだが、無いのでどうにもならない。

 

かくれんぼで隠れているとき、ちびりそうなるよね?

 

その日も、金はないし、どうしようかなあとパンツ一丁でリビングで考えていると、マンションの駐車場に自動車が入ってきた音がする。

電気を消して、いつものようにそっと窓から事務所専用の駐車場に車が停まらないかを見る。

 

『停まるはずないのに、一応みるところが、俺が今一つ大物になれないところだな』

 

などと思っていると、なんとこの部屋の駐車場に自動車が停まったのだ。

 

「おいおいおいおいおいおいおいおいおい!!!」

 

と言いながら、震える手で食べかけのコンビニ弁当の残りをコンビニ袋に入れる。

それを手に持ち、パンツ一丁のまま部屋を飛び出し、震えながらなかなかしまらないドアに鍵をかける。

 

バズンッ!

 

と、車のドアを閉める音がする。

 

社長より早く、階段を駆け降り、姿を隠さねばならない!

 

社長にみつかったら終わりだ!

 

社長と鉢合わせしたらどーする!?

 

いや、とにかく走れ!!

考えるな!走れ!走れ!走れ!

 

と秋も深まりコオロギがわんわん鳴いている音のするマンションの廊下を、パンイチでコンビニ袋もって駆け抜ける。

 

 

階段についたはいいが、社長は意外に足が速く、すぐ下から階段を上ってくる音がする。

 

「逃げられない!」

 

と、とっさに階段を上に上る。

超ションベンちびりそうである。

 

そ、そ、そうだ、な、な、何も駆け降りる必要はないんだ・・・

う、上に登ってやりすごせばいいのだ・・・

お、お、俺はなんて賢いんだ・・・

 

などと震えながら思っていたら、事務所の二階を過ぎて私のいる三階に登ってくる。

 

『バレたか??!!』

 

と思いながらも、そっと四階まで逃げるように登る。

 

するとその足音は遠ざかっていき、三階の一室に入って行ったのである。

 

事務所の駐車場が夜間に開いていると知った者が、そこに違法駐車したのだ。

 

足音は社長でもなんでもなかったのである。

 

『チクショー!』

 

と、パンツ一丁で階段の踊り場にうずくまりながら、声なき叫び声をあげたのである。

 

(つづく)

 

 

【明るい宿無し生活】ルームシェア失敗編

実家に帰ったものの

 

26歳で実家に戻ったものの、地元の友人はなんだか疲れている感じだし、東京に友人は多いしで未だ東京への未練が捨てがたく。

 

というか、実家暮らしが性に合わなくなっており、若いこともあって親との反りもあわず

 

『とにかく東京へ返り咲きたい』

 

『俺は東京に居なければならない』

 

と勝手に思い込んでいたところ、初夏のある日、当時多重債務に陥っており、借金返済などで親の金を金庫からかすり取っていたことがバレ、親と姉と大喧嘩。

精神的に家に居られなくなった。

 

実家にいると甘えてしまう。

俺は自分で独り立ちしなければならないと思う。

 

無理な上京

 

急いで東京の友人数人に電話し、居候させてくれる者がいないか確認したところ、

 

「借金苦で家賃も遅れ遅れに払っている女がいて」

 

「家賃折半なら期間無制限でルームシェアしてくれるなら助かると言っている」

 

とのことで、何回か顔を合わせたことのある、その4歳年下の不美人の女の六畳のワンルームマンションで部屋を借りる資金ができるまでルームシェアすることとなったのである。

 

親には

 

「東京で就職が決まった」

 

などとウソをつき、紙袋に着替えと洗面道具だけ持って再び東京へ飛び出していった。

 

働き口は、都落ち前に東京で勤めていたバイト先に復帰することになった。

 

早く金を貯めて、部屋を借りようと思いながら、件の女の荻窪のワンルームマンションへ行く。

 

お世話になる旨挨拶すると、家賃を出せという。

 

引っ越し初日であり、手持ちもないので明日に支払うと告げるも、今すぐ出せという。

 

仕方なく、コンビニで金を下ろして支払ったのであるが、こりゃあ、先が思いやられるなと思った。

 

どうやって寝るか?

 

夜、寝るときはどうするかというと、女はベッドに寝る。

私は、床に寝袋を敷いて寝るのであるが、この女の部屋が荷物だらけ。

なんとか横になるスペースは作ったが、その女が持っていた当時流行りの腹筋トレーニングマシーンがあり、それが邪魔で私の体がまっすぐに伸ばせない。

 

 

どうか、このマシーンをベランダに出してくれと頼むも

「雨風で汚れるから嫌だ」

などと抜かす。

だいたい使ってる様子もないし、なんなら毎日、ぞうきんがけをしてもいいと粘るも

 

「だめだね」

 

の一点張り。

泣く泣く、私は、そのマシーンのに体をセットして、自由に寝返りも打てない状況で毎晩、寝ることになったのである。

またその女は極端に寒がりで、夏だというのに冷房をいれようとしない。

扇風機などもない。

 

せめて眠るまでの1~2時間、エアコンを入れてくれるように頼むも

 

「だめだね」

の一点張り。

 

 

 

しかたなく、冷凍庫にあった保冷剤を枕に敷いて寝ようとすると

 

「人のを勝手に使うな」

 

と抜かして使用を許可しようとしない。

 

翌日から私は、コンビニ袋を何重にも重ねたものに水を入れ、それを5~6個冷凍庫で冷やし、眠るときにはそれを体中に押し当てて眠ることになったのである。

 

 

で、二三日もすると、その女が、来月分の家賃を先に払えという。

 

初日に支払ったと告げるも、

 

「家主は自分である」

「いやなら出ていけ」

 

という。

 

いい加減頭に来て、仮にも家賃を折半しており、ただの居候と思ってもらっては困る。

こっちはこっちであらかじめ、この女も助かるとのことでお互い承諾してルームシェアし始めたのだ。

 

そこまで邪険にされる筋合いはない。

 

「おいてめえ、いい加減にしろよ!」

 

と強めに注意し、そこから先はお互いに一言も口を利かない生活に入った。

 

突然のルームシェア解消

 

二か月が経過しようとしたころ

 

「今月末、この部屋の更新なんで、この友達と千葉にマンションを借りてルームシェアすることになった」

 

「だから出ていけ」

 

と抜かす。

 

二か月どころでは、マンションを借りる資金も全く貯まっておらず、出ていくことができない。

 

「お前だけ出ていけ。俺がこのマンションの借主になる」

 

と無茶苦茶なことをいったが、そんな訳にもいかず数日中にこのマンションを出ていくしかなくなった。

 

その女は夜の居酒屋のバイトをしており、いつも帰りが遅いのだが、ある日の夜遅く、いつものように私がアイマスクを付け、耳栓をし、腹筋マシーンに体をはめ、コンビニ袋に入った氷を全身に押し当てて横になって寝ようとしていると、その女が女友達を連れて帰ってきた。

起きて挨拶するのも面倒くさく、そのまま寝たふりをしていると

 

「こいつ、タバコくせえの」

 

「はやく出て行けよ」

 

と言って、狸寝入りをしている私の体にまんべんなくファブリーズを噴射する。

 

ピシピシピシッとファブリーズのしぶきが顔にふりかかる。

怒りに震えながらもガマンして寝たふりを続ける。

ひとしきり私へのファブリーズ噴霧が終わると、そいつは女友達を残してシャワーを浴びにいった。

そこで私は、むっくりと起き、その女友達に挨拶すると

 

「あの子のこと、実はよく知らなくて」

 

「頼まれてルームシェアすることになったけど、大丈夫か心配です。大丈夫でしょうか?」

 

という。

 

「ファブリーズを全身にかけられる、それが、あいつと一緒に暮らしたあとのあなたの姿だよ」

 

と教えてやり、とにかくその日は原チャリで数分のところにあるファミレスへ行き一人で夜を明かしたのである。

この家主の女とはそれ以来会っていないが、風の噂では次のルームシェアにも失敗したとのことである。

(つづく)

 

『人という字は!』中国四千年の歴史と対峙する。

人という字は!

 

『人』と言う字は、それぞれが支えあう形でできている。

人間とは、お互いに支えあわなければならぬものである。

 

だ、そうである。

だとすれば、

『入る』と言う字も、お互いが支えあう形でできている。

 

何にでも入るときは、支えあいながら入らねばならぬのである。

って、そうなのか?

支えあいながら入るってなんだ?

 

泥酔カップルがいかがわしいホテルに入ったりするときには支えあっている場合が多いが。

 

 

と思ったら、『人』という字は、支えあってできているというのは、でっちあげで本当は人間を横から見た形を甲骨文字であらわしたものが、

『人』

という感じであるそうな。

 

 

この最後のやつ人を横から見た図か?

人が、土下座しているところを横から見た感じかな?

 

 

『愛』は真心、『恋』は下心

 

 

『愛』は真心、『恋』は下心などともいう。

 

これは漢字の『心』の部分が、字のどのあたりにあるのかで上手く愛と恋を言い表したのだろう。

 

そういえば『丁寧』の『寧』は、〝やすらか〟だったり、〝おだやか〟とかいう意味であり、
『心』の部分も真ん中あたりにあり

 

「たしかに真心だなあ」

 

と思ったのもつかの間、

 

『恋』が下心なら、

 

『志』も下心か?

 

『忘』も下心か?

 

『忍』も下心か?

 

『忌』も下心か?

 

ということで恋は下心説は、説立証ならずである。

漢字にとって、心の位置は、あんまり関係ないのではないだろうか?

しらんが。

 

 

木に立って見る

 

『親』という字は、子供のことを、遠巻きに、

〝木に立って見る〟

から、『親』という感じが作られたなどともいうが、なんで木に立たねばならんのか?

 

心配ならもう少し近寄ってみればいいのに、わざわざ木によじ登ってみるだなんて危ないでしょう。

 

『あんまり近くでやいのやいの言わずに、心配ではあるけれども、あくまで遠巻きに木に立ってでも見守りたいのが親心』

 

と、私は人の親になったことがないが、そういう気持ちでいることが親として正しい姿勢であるような気はするものの、だったら

 

『新』という字は、木に立って斤ってなんだそりゃ?

 

山賊か?

山賊は新しいのか?

 

で調べてみると、『親』という感じのなりたちは、木に立って見るではないそうで。

 

 

まず『立』は、そもそも象形文字で

 

〝取っ手のついた針〟

 

のことだそうで、その針を林に投げてそれに刺さった木材で位牌を作った。

なので、親のヘンである木に立つという部分は、位牌のことだそうである。

 

その位牌を斤(斧)で新たに作り出すから『新』。

 

 

出来上がった、その位牌を見る。

 

子供が親の位牌を見るというところから『親』という感じがなりたったそうで、
見ているのは親が子を心配そうに見ているのではなくて、子が親のことを位牌をみて思い出しながら見ている図であるという。

なんか、木に立って見るの方がいいなあと思った上、本日は、ただ漢字にイチャモンつけようと思って書き進めたところ、意外にもアカデミックなこと出来上がりになってしまったことを、反省しているところである。

 

中国四千年の歴史に勝てず、どうもすみませんでした。

 

 

【注射は恐い?】苦手な注射の克服方法

注射は克服できる!

 

もともと注射が苦手だった私が、今ではどちらかというと注射が好きで、注射を楽しめるようになった方法を書く。  

 

苦手な注射を前に戦々恐々としているあなたの救いになれば幸いである。  

注射の思い出、懐かしの鉄砲注射

 

注射が好きな子供はいない。

そのため、私も子供の頃は大が付くほどの注射嫌いであった。

 小学校に入学すると、入学早々インフルエンザだかツベルクリンだかの予防接種があり体育館で行列に並ばされておったのだが、 注射をもったお医者さんらしきおじさんをみると、もっているのは何やら見かけない注射。

 

 友人に聞くと   「あれは鉄砲注射だ」   という。

 

 

 

※写真は鉄砲注射。  

 

鉄砲注射とは、まさにピストルの形をした注射器で、ピストルの上にはワクチンの容器が乗っかっている。  

 

通常の注射と比べて打つ時間が短く、

〝ピシッ!〟

 

 と音がして一瞬で終わるタイプ。

 

 中年の医者のは

 

 「針なし注射だよ」

 

と言って、次々に注射をしていく。

 

 並んでいる友人達と  

 

「よかった。針なしなんだって」  

 

「針なしか!」  

 

と言い合い、ついに自分の番になったときに、医者に

 

「これ針なしなんでしょ?」

 

 と聞くと  

 

「そうだよ」

 

 と笑って言って、腕に注射されたのだが、普通の注射なんかよりも、もの凄く痛く、涙を流して

 

  『ウソつきやがって!』

 

『なにが針なしだ!』

 

  と、この時から大人は信用してはならないと思うようになった。

 

 で、この記事を書くために鉄砲注射について調べてみたら、 本当に針がないらしい。

 

針はないが、空気圧で皮膚を突き破ってワクチンを注射するものとのこと。

 

衛生的に1987年ころから消滅した模様。

 

 話はそれたが、そのくらい、私も注射が苦手だったのである。  

最悪の注射

 

しかしながら、高校生になり、足の親指の爪を剥がさねばならん事態となり、簡単な手術をうけるハメに陥った。

その際、麻酔の注射を足の親指の先端に打つという。

  見れば針の太さは、パックジュースのストローぐらいの太さである。

 

『終わった。。。』

 

  と思って、足の親指の先にズブーーッ!と、打たれたが、その痛さで気を失いそうになったが なんとか耐えたものの、今度はメスで何度も指の先をつつき、その度に

 

  「まだ痛い?」

 

 と聞かれるのだが、麻酔は全く効いておらず、普通に指先をメスで傷つけられているだけなので  

 

「痛いです」

 

 と答え続けていたが、医師は  

 

「おかしいなあ」

 

  「しょうがないねえ」

 

  と言って、再びさきほどの注射を、足の親指の先端に打ったのである。

 

  この出来事以来、私は  

 

『通常の注射なんぞは恐るるにたらんわ!』

 

『こちとら足の親指の先にパックジュースのストロー二回じゃい!』

 

  と苦手な注射を克服しつつあったのである。    

注射のやせ我慢の克服法

 

 だがしかし、そうは言ってもまだまだ注射は、どちらかと言えば嫌いな部類であり、 まだまだやせ我慢であり、今のようにどちらかと言えば好きであるという心境にはなっていなかった。

 

 だが、三十を超えて健康診断で採血される際、いい年をした注射が苦手なオヤジが 注射を打たれながら、眉間にシワがよるほど固く目をつむって、顔をそむけるように明後日の方を向いているのを見たときに  

 

『情けない』

 

 と思ったのである。

 

で、そういう風に顔を背けるタイプの人は、注射を打たれたあとになった

 

  「あの人ヘタで!」

 

  「何度も打つから痛くて!」

 

  などと決まって言うのである。

 

  で、腕は何度も打たれた注射で青あざのように内出血みたいになっている。  

 それをみてからというもの

 

 目をつむって痛みが和らぐか? 顔を背けて痛みが和らぐか? 情けない!   と私は、なぜか怒りが芽生え、  

 

『俺はむしろ注射針が突き刺さっていき、抜けるまでの腕をじっくりみてやろう』

 

 と思い、それ以来、私は注射針の先端のあの竹を斜めに切ったような恰好の注射針が 腕の関節の欠陥にズズズッと入っていくところをじっくり凝視するようになった。  

 

 

 

そうすると以外に痛くないことにも気が付く。

 

採血の場合は、  

 

『ああ、私の血はこんな色をしているのか』  

 

などと冷静も思える。

 

看護師さんは注射を打つ前に

 「チクッとしますよ」

 

  「大丈夫ですか?」

 

 と聞いてくる。

 

あれは、看護師さんがビビっているから聞いているところもある。

 

そこで私は

 

  「ぜんぜん大丈夫です」

 

  と心の底から言う。

 

  『むしろ好きです』

 

  と心から思う。

 

  これをするようになってから、看護師さんが失敗して何度も注射をし直すような経験はない。

リラックスされて

  「打ちやすそうな、いい血管してますね~」

  なんて言われることもある。  

 注射が痛くなる理由は、ビビっているあなた

 

 何度もやり直すハメになるのは注射が苦手でビビっているあなたを見て 、顔を背けたり、目を固くつむったり、小刻みに震えているあなたを見て、 さらにビビっている看護師さんが、ビビりながら打つから失敗して、 結果、なんどもそれを繰り返すのである。

 

 まず、注射は、それほど痛くない。

 

つねられる方がよっぽど痛い。

 

注射が痛いというのは単なるイメージ。

 

歯医者での治療も、本当に痛い歯の治療もあるが、ほとんどは実は痛そうな音がするだけで、 眉間のシワを緩めて冷静に痛みに向き合ってみれば、ぜんぜん痛くない場合が多い。  

 

注射もこれである。

 

  さあ、あなたも今度からは

 

  「チクッとしますよ」

 

  と聞かれたら

 

  「ぜんぜん大丈夫でーす」

 

  と答え、注射針が突き刺さっていく腕を凝視し、自分も看護師さんも安心させて、注射は痛くないことを実感しよう。  

 注射克服のコツ

 

針を正面からジッと見据えることである。

【そんな彼ならすてちゃえば?】 続! 彼氏、この許されざる者

私が彼氏にムカつく理由

 

彼氏に私がなんでここまで腹を立てているか?

 

それは、これまで彼氏という輩に私が散々煮え湯を飲まされてきたからである。

 

 

サシ飲みの席で

 

女性と二人で飲みにへ行き、その女性が終電を過ぎても帰るそぶりを見せぬので

 

『もしやこれは!』

 

などと思い

 

「終電大丈夫?」

 

などと聞けば

 

「彼氏が迎えに来るんで」

 

と言う。

 

 

がっくりを首を落とすのをこらえて

 

「優しい彼氏だね」

 

などと答えると

 

「いや彼氏っていうか、まだそういうんじゃなくて~」

 

などと抜かす。

 

『てめえが彼氏つったんだろーが!』

 

と思っていると

 

「なんかー、もともと私の友達の彼氏で~」

 

「私のことが好きになったとか言って~」

 

などと

 

『そんなくだらん話は聞きたくねーんだバカ野郎!』

 

と思うが、あくまで冷静に

 

「大切にされてるんだね」

 

などと取ってつけたようなことを言うが、はらわたは十分煮えたぎっており

 

『男と二人で飲んでる女を迎えにくる男。。。』

 

『バーカ!』

 

と思ってあらぶった精神の鎮静化を試みるでのある。

 

しゃしゃり出る彼氏

 

また昔、バンドをやっており、ライブ終わりで女性から話しかけられることがあるのだが、普通の話をしているだけなのに、一人の男がつかつかっとやってきて、おもむろに、これみよがしにその女性の肩を抱いたりし、

 

『俺の女と喋ってんじゃねーよ』

 

と、口に出しては言わないが、〝俺のもの感〟を異常に出す彼氏もおる。

 

『そっちから話しかけてきたんだよ!』

 

『てめえの彼女なんか狙ってるか!』

 

と実は狙っていたにもかかわらず思うのである。

 

諸悪の根源、俺のもの感

 

この〝俺のもの感〟が彼氏に対するムカつきの根源と言えるが、彼女も彼女でこの〝俺のもの感〟にある種の喜びを感じているのでタチが悪い。

 

そんなことだから彼氏をつけあがらせ、飲み会に参加するのにも許可を必要とするバカ彼氏にしてしまうのである。

 

まあ、たかだか飲み会の参加に不許可を出す彼氏は、たいがい飲み会で某ラグビー部のようなエグイことをしてきた者なので、彼氏がそういう人間かどうかを知りたければ、飲み会の参加可否をたずねてみればよくわかるのである。

彼女諸氏におかれては一つの指針にしていただければ幸いである。

【そんな彼ならすてちゃえば?】 彼氏、この許されざる者

彼氏、この忌まわしき者ども

 

この世の中で許せない者どもがいる。

それは〝彼氏〟である。

 

旦那は良い。

あくまで彼氏がダメである。

 

なぜ旦那はいいかと言うと、旦那ともなれば嫁のほうもそいつの現実をみることとなり、日に日には悪い所がめにつくようになり

 

「マクラが臭い」

 

などと言われ、疎んじられ相手の評価は堕ちていく一方だからである。

 

だがしかし、彼氏はそうではない。

彼女もいいところしかみようとせず、またいいところしかみせようとしない。

そんな彼女の恋心をカサに着て威張りたい放題のやりたい放題。

 

あるカップルの夕食風景

 

たわむれに彼女に飯などを作らせ、自分はテレビをつけながら、料理の出来上がりをスマホなどをいじりつつ待っていたりする。

 

数分後、机に料理が並ぶことになる。

彼氏は頭が悪いので、普段は先割れスプーンしか使えないくせに、見よう見まねで箸などを持つ。

なんとかかんとか箸で料理を突き刺すようにして食べる。

 

クッチャラクッチャラ

 

と音をド派手に鳴らして食べ

 

『ものを食べるときは、口は閉じないようにして、なるべく音を大きくさせたほうが美味しさを表現できるでしょ?』

 

『そんでもって口を閉じないのは、音をさせるめだけでなく、口の中でソシャクしている食べ物を相手に見せたほうが付き合いが深まるでしょ?』

 

などととんでもない腐れクチャラーのような、わけのわからんことを思っている。

 

スマホ飯

 

もちろんその間もスマホはいじりっぱなしである。

スマホのゲームをしているのである。

 

『俺の力で姫を助けねばならん!』

 

『妖精の力を借りなければいかん!』

 

などと、全くバカのようなことを思ってスマホゲームをやっておる。

 

『俺は勇者だ!彼女に飯もつくらせるのだ!』

 

とも思っている。

 

その時彼女は?

 

彼女も彼女で、悪い所が目に入らないもんだから

 

『この人の食べかた、ワイルドな食べ方で勇ましいわ』

 

と思い

 

「どう?」

 

と味の評価をたずねる。

 

たずねられた彼氏は食通のふりをして、

 

「なんかお酒が欲しくなるね」

 

などと、勝俣州和のようなことをのたまう。

 

彼女もいそいでビールを運んでくるが、彼氏はバカであり、酒といえばカルアミルクのことだと思っておるので

 

「これに牛乳入れるとお酒になるの?」

 

などと、

 

「なあにがお酒が欲しくなるだ!」

 

「てめえはマミーでも飲んでろ!」

 

と怒鳴ってやりたくなるようなことを抜かすのである。

 

(つづく)

【新潟シティマラソン2017に向けて】2016の回想④ 完結編

秋は赤いバスに乗って

 

 

選手収容のバスがゴールについたら閉会式もなんもかんも終わっており、高橋尚子選手は結局スタート地点で見かけただけであとは一切お目にかかれずじまいであった。

 

あとでテレビでみたら高橋尚子選手は

 

「市民ランナーの9割の人とハイタッチできたんじゃないですかね~」

 

と嬉しそうに語っていたので、私は1割のほうに入ったんだなと忸怩たる思いがした。

 

と、思わずブログを四回も使うほど長くなったが、つまり、私のフルマラソンデビューは、34キロ地点で時間切れという、はなはだ中途半端な結果に終わったのである。

 

完走できなかったものはどう考えるか?

 

さて、フルマラソンが完走できなかったものが考えるのは以下の二通りである。

 

ひとつは

 

「マラソンなんか二度と出るまい」

 

もうひとつは

 

「次こそは、完走!」

 

である。

 

後者の場合、必ず

 

「もっとちゃんと練習して」

 

「次回はもっと楽に走る」

 

というのが付け加わる。

 

私は後者である。

来年こそはきちんと練習する!と決意したのである。

 

ので、春にエントリーして、2017年10月9日(月・祝)に出ることになったのである。

 

リベンジするぞ!

 

では、去年からどのくらい練習したか?

 

まず、それから年内いっぱいは一切走らなかった。

年内どころか年が明けて4月の頭にハーフマラソンにでるために3月から走り始めた。

ハーフマラソンが終わると、その後はちんたらちんたら週に3日程度、30分走り、ラーメン二郎にハマったこともあり、休みのためにラーメン二郎の大盛を食べておったら、体重が7キロ増え去年74キロが今年81キロまで増加したのである。

俺が悪いんじゃない、ラーメン二郎が悪いのである。

 

やってきた新潟シティマラソン2017!

 

毎回、私はマラソンレースは勤務先の仲間と四人で出ている。

マラソンは、大会数日前に資料だとかが郵送で送られてくる。

 

仲間の一人で唯一去年5時間ギリギリで完走した者が

 

「岡村さん、ゼッケン届きました?」

 

「俺、今年、ゼッケンにDって書いてあったからスタート地点〝D〟ですよ」

 

という。

 

「そりゃ、去年ギリギリ完走じゃ、D地点だろーな」

 

「俺はまだ見てないけど、まあ俺もどーせD地点だろうから一緒に最後尾からスタートしようぜ」

 

と答えた。

 

念のため家に帰って改めてゼッケンをみる。

 

 

 

 

 

 

〝H〟と書いてある。

 

「いや、Hなんてスタート地点ないだろ」

 

「去年はDが最後尾だし」

 

 

「だいたいDからD・E・F・G・Hなんてそんなバカな」

 

と指を折って数えてみる。

 

改めて

 

「や、だからそんなバカな!」

 

と思う。

 

「今年はゼッケンのアルファベットとスタート位置は無関係なんだろう」

 

と思い、よくよく資料をみると、去年カラーだったスタート位置のページが白黒である。

 

えーと、Hの場所は・・・・っと

 

 

 

 

って、コラーッ!

トラックにも入りきってねーし!

なんだこのおまけ感!

どこまで人をコケにしたスタート地点なんだよ!

くっ、くそう。

 

今年は這ってでも完走してやるからな。