【私の借金完済方法】自分で過払い金返済訴訟を起こしたきっかけ

多重債務の思い出

 

アコム、アイフル、レイク、武富士、以上四社が私が1999年から2008年までの九年間に渡り金を借りていたサラ金である。

一社につき約80万円程度借りていたので合計320万円借りていた。

その当時の思い出を書きます。

 

多重債務者の給料日は忙しい

 

給料日が支払期日ギリギリなので、毎月給料が入ればテッペンから地下までズラッとサラ金が縦に並んでいる雑居ビルに向かう。

 

新宿ならば南口のファーストキッチン横のビルに向かう。

 

支払い方は、まず、エレベーターで最上階の7階まで上がり、一社支払っては、別の借入先のある階までエレベーターで降りる。

 

で、返してはエレベータで降りて支払うという逆死亡遊戯状態。

たまにこのビルでエレベーターが一緒になる人がいると

 

『いやはやご苦労様です』

 

『お互い大変ですなあ』

 

と心の中で慈愛に満ちた表情で相手を見つめることになる。

「タバコを吸うヤツはみんな仲間だよ」

と哀川翔は行ったが、多重債務者はみんな仲間だよ、と思っていたのである。

 

サラ金ビルの場所がわからん場合

 

たまに給料日が土地勘の無い出張先である場合がある。

 

「出張先では、サラ金のある場所を探すの大変だったでしょう?」

 

と思われるかもしれないが、多重債務者は独特の嗅覚が発達しているので、多少高いビルから外を眺めれば、だいたいこの街のどの辺りに件のサラ金ビルがあるのか分かるようになっているのでさして大変だったことはないでのである。

 

そもそも借金は、なぜ雪だるま式に増えるか?

 

記憶が曖昧なのだが、だいたい毎月10万を返して、4万を新たに借りるようなサイクルだったので、毎月6万の支払いをしていた。

給料から6万ひかれるのはかなり痛い。

にも関わらず毎月6万払っても、何年経っても一銭も返済してないことになるのである。

で、しばらくすると限度額がUPするので、ここぞとばかりに目一杯借り入れる。

そんなことの繰り返しで借金は増えていく。

つまり給料から毎月10万を引かれて生活できるのであれば借金が増えることはないのだ。

 

当時の願い

 

どっかに亡命させてくれないか?と、亡命がなんなのかよくわからんくせに思っていた。

 

ほのぼのレイクは本当に、ほのぼのしている

 

返済が多少遅れても、融通を利かせてくれるのがほのぼのレイクだった。

で、困ったときには無理を通して貸してくれたりするので、

 

「ほのぼのレイクって、本当に、ほのぼのしているんですね」

 

と水野晴郎のようにしみじみしたものである。

 

武富士が一番恐ろしい

 

グレーゾーン金利の中でも、法に触れないギリギリ上限の金利である29.2%をとっていたのが武富士。

ここが一番えげつない。

間違って50円少なく支払った場合などに、すぐに携帯に

 

「今日中に、足りない50円を支払え」

 

的な電話をよこすのが武富士である。

 

「今日は熱があるので明日までなんとか」

 

などといっても融通はきかない。

 

会社に電話するだのなんだのと脅しをかけてくる。

しかたなく、また50円払いにビルに行くことになる。

 

武富士、2010年に過払い金の支払いに追われ倒産。

やーいやーい。

 

 

多重債務者は、給料日数日後も忙しい

 

数日後にはまた件のサラ金ビルに出向き、最上階の会社から一社一社、限度額一杯まで借り出しに行くのである。

 

 

私の借金地獄の終え方

 

このような生活を10年も繰り返していたある日、下北沢をブラブラしておったら中古の家具屋で2万円のソファを見かけた。

 

「このソファ欲しいな」

 

と思ったが

 

「金がないしな」

 

とあきらめたのだが、おいおいおいおい、なんでたかだか2万のソファが買えんのだ?

毎月毎月金返してるのにおかしくねえか?

となんだか無性に腹が立ってきた。

 

と、その足で紀伊國屋に行き、その辺のコーナーにいって、名古屋出身なので、たまたま名古屋市弁護士会という文字が目にとまり、その名古屋市弁護士会の出している

〝サラ金からお金を取り戻す方法〟

という本を手にして、それの通りに実行。

自分で裁判所に出向いていって、弁護士事務所などは通さずに上記の四社から過払い金を50万円くらい取り戻したのである。

今は法律がどうなっているかわからないので適当なことはいえないが、まずは本屋でその手の本を見てみることがおすすめです。

Amazonでも最新の奴を検討してください。

私の場合は、費用は電車賃込みで1万円くらいだったと思う。

 

当時の流れなどはまた他日。

平日に裁判所などに複数回通う時間のある人は、弁護士事務所を通さずにやる方法をまずは検討されることをおすすめしまーす。

 

 

【島田洋七著】死にたくなったらこれを読め!について考える

島田洋七ご存知ですか?

 

 

島田洋七、1950年生まれの漫才師。

 

漫才にパンクの要素を持ち込んで、1980年代初頭の漫才ブームの原動力になった男。

 

広島県出身。

 

ウソつきの代名詞のような男である。

 

「原爆ドームでは昔、大きな鳥かごだった」

 

などと、明らかにわかるウソから、感動的な美談まで、平気で作り話をし、真顔でウソをつく。

 

漫才ブームなんていってもわからぬ人が多いだろうが、〝がばいばあちゃん〟の著者としてベストセラーを連発していたのでご存知の方も多いだろう。

島田紳助の兄弟子。ビートたけしの親友。

 

仲間から

「がないばあちゃんは、金儲けのためだけに感動する本をでっちあげて書いた!」

 

「そもそもがばいばあちゃん自体、存在していなかった!」

 

などと言われるほどのウソつき、ホラふき。

〝オカッパのデブ〟などと揶揄されることもしばしば。

 

吉本興業から紆余曲折の末、数年前にオスカープロモーションに所属。

 

所属年数的には後輩にあたるとして、剛力彩芽を

 

「剛力の姐さんと呼んでいる」

 

などと、ここでもウソをつくのである。

 

 

死にたくなったらこれを読め!

 

さて、そんな島田洋七の著書、「死にたくなったらこれを読め!」である。

 

島田洋七が昨今の自殺者数が年間三万人以上いることに胸を痛めて書いたエッセイ集。

 

自殺をやめて元気に生きろと訴える内容にもかかわらず、表紙が、洋七が死んで天に昇っていって行っているようなイラストであるので注意したい。

 

その上、著者がほら吹き野郎でお馴染みの島田の洋七である。

 

また、どーせウソばっかり書いて、適当なことを言ってんだろうと思って冗談半分で読んでみる。

 

電車に乗っていて、人身事故で電車が遅延する旨のアナウンスを聞いた近くの若者が携帯電話で

 

「どっかのバカが飛び込みやがってよ!こっちの予定だ遅れちまうよ!」

 

と話しているのを聞いて頭に来たが、その若者以外にも、気の毒そうな顔をしている人は見当たらず

 

『こういう空気が自殺者が減らない原因のひとつかもしれない』

 

と思い書き上げたという意外にもマジな内容なのである。

 

 

見出しだけ抜粋すると

 

・見栄を捨てたら人生は好転する

 

・過去の自分にとらわれたらアカン

 

・あなたを待つ人たちの存在

 

・「運が悪い」は経験不足

 

・自分を隠さなければ幸せは降ってくる

 

・世間とは、わずか150人

 

・「生きたるわ!」という魔法の言葉

 

・夢はつくればいいだけ

 

などなど、意外にもホラをまじえずに、いや、混じっているのかもしれんが見破れないように書いてある。

 

 

島田洋七自身、漫才ブームで大成功したものの、ブーム終焉後に一気に仕事がなくなり落ち込んでいる時に自殺を考えたが、タイミングよく仲間が支えてくれて自殺せずに済んだ過去を持つとのこと。

 

なんとなく落ち込んでいるときに、これを読むと元気になりそうな気がする。

 

切羽詰まって、本気で死にたい人が、著者が島田洋七の本を手にするかどうか、甚だ疑問であるが。

 

【喫煙者の救済策】そろそろ楽になっちゃえば?

駅の喫煙所

 

駅前の喫煙所に、このような注意書きが足されている。

 

 

大変ご苦労なことである。

 

こんな小屋みたいなところに押し込められて。。。

 

「なんか解決策はないか?」

 

と悩んでおられる愛煙家の皆様に解決策をお伝えしたい!

 

タバコを、やめりゃあいいんである!

 

と言うか撤去だ撤去だ!!

 

 

よくある愛煙家風景

 

「またタバコが値上がりしましたなあ」

 

「いやはや昨今の愛煙家いじめは度が過ぎませんか?」

 

などと話し合って居る。

確かに行き過ぎている感がある。

 

生きづらい世の中になっていることに嘆く愛煙家の皆様に解決策をお伝えしたい!

 

タバコを、やめりゃあいいんである!

 

 

愛煙家向けの雑誌「コンフォール」

 

その名もCONFORT。

表紙をつらつら見てみよう。

 

★2014年No.9

 

 

免疫力を上げるタバコをより楽しむために「断食」のすすめ。

 

って、普通の断食するほうがいいんじゃないのか?

 

★2014年No.10

 

 

「タバコをやめようと思ってはいけない」

 

って、なんでだよ!

田中義剛風に言えば「なしてだべ!」

ほかに

〝タバコの煙と一人で遊べるのが大人の男だよ〟

 

などと黒鉄ヒロシが言っている。

読めば読むほど意味が分からん。

 

★2015年No.12

 

 

「葉巻ほど楽しませてくれる女がいるかい?」

北方謙三

 

って、いるだろ?

一生、葉巻と二人で遊んでろ。

 

★2016年のNo.17

「タバコを吸うヤツはみんな仲間だよ」

哀川翔

 

だったら

 

こいつも哀川翔と仲間と、そういうことにしておこう。

 

★2017年No.21

 

「マナーをまもって一服お吸いなまし」

柳家喬太郎

2017年になると愛煙家の主張もこれまでの男尊女卑思想からやや軟化してくる。

 

楽になっちゃえよ

 

などと書いてきたが、私は別に日本中全員タバコをやめろとも思わないし、吸ってる人がいても構わない。

自分も数年前までヘビースモーカーという恥をさらして生きていた男である。

 

 

でも、普通に吸ってればいいのに、こうやって嫌煙ブームに必死に抗ってるのをみると、心の底からタバコなんかやめりゃーいーのになーと思うのだ。

 

本当に簡単にやめられるんだから。

 

 

 

【SG-1000II】家庭用ゲーム機がセガマーク2だったのは君だけじゃない!

ファミコンがブームだった頃

 

2017年11月現在、ミニスーパーファミコンが品切れ中だそうである。

 

スーパーファミコン世代が大人になって改めて当時のゲームをしたいのだろう。

 

ファミコンが発売されたのは、私が小学校3年の1983年。

初めは一部の金持ちの家にしかなかったが、徐々に人気が出始めて学校でも持っていないヤツの方が少なくなってきた。

 

私は、母親から

 

「うちはゲームなんか買わん!」

「勉強しろ!」

 

と言われ買ってもらえなかったのである。

 

うちにもゲームが来る!

 

が、1984年、本格的なファミコンブームが到来。

本当はそんなことはないのだが、ファミコンを持っていないと話題についていけない的な状況ともなった。

父親に泣きついたところ、珍しく「正月に買ってやる」と言い、年末に近所にある大き目のおもちゃ屋に行った。

 

が、現在のミニスーパーファミコンと同様、品切れである。

今でもハッキリ覚えているが、担当してくれたメガネのお兄さん店員も

 

「入荷時期も未定」

 

と言う。

 

それでも私は予約をし、いつくるかわからぬ入荷を楽しみに待ちたいと思っていたが、その店員が

 

「こっちも人気ですよ」

 

と言って、山積みにされたいた、SEGA社製のセガマーク2を指さす。

 

※写真はセガマーク2

 

値段もファミコンと同じ一万五千円程度。

 

本当は、そんな機種は人気でもなんでもなかったので、こっちとしてはそんな機種があることを知らない。

 

『いるか、そんなもん』

 

と思っていたが、なおも店員は

 

「こっちの方がいいですよ」

「ソフトもファミコンに劣らない数が出てますし」

 

と言う。

 

めんどくさがりの親父は

 

「おい、こっちでいいだろ?」

 

と言って、その店員が勧める、ハッスルチューミーという、ネズミが主人公のゲームと一緒に買ってしまった。

 

私も私で、早く家でゲームはやりたいし、まあ、ファミコンに勝るとも劣らないならいいだろ、という気持ちになりゲーム機を持って帰宅。

 

さっそくTVに接続してゲームをするが、なんとも面白くない。

ハマれない。

 

 

 

 

私がゲームを買ってもらった旨を聞きつけた近所の友達が遊びに来て、件のハッスルチューミーをプレイしたりしたが、特に感想をいうこともなく帰っていく。

 

『つまんなかったんだな』

 

と落ち込んでおった。

 

※写真はハッスルチューミー。 左下のネズミが主人公。

 主人公が白一色!他のキャラクターも一色!というところが、私はくやしい。

 

※同時代のゲームはこんなに色鮮やかだったのに!

って、今時のゲーマーにはわかるまい。

 

かといって、店員の言うのとは裏腹に、他に欲しいようなソフトも発売されていない。

 

そんな日々が続くと、

 

『俺んち、ファミコンじゃない』

 

との劣等感が募り、セガマーク2の私は、吸い寄せられるように、傷口を舐めあうように、自宅のビデオデッキが、VHSではなくβのヤツと仲良くなったりしたのである。

 

で、セガマーク2も、購入数日で一切しなくなり、遊びはもっぱら外で、川口浩探検隊ごっこなどをするようになったのである。

まあ、今から思えば貴重な少年時代にゲームばかりに熱中せんでよかったと思う。

 

カセットビジョンのヤツとは意味が違う

 

こんなことを書くと、

 

「いやいや、俺んちなんでカセットビジョンだったよー」

 

「だから悲観するな」

 

と言ってくれる人もいるが、ファミコン発売前のカセットビジョンを持っていたのではなく、とっくにファミコンがブームになってからの、セガマーク2に手を出してしまった我々親子の勢いでなんでもやってしまうタチが悔やまれるのである。

 

 

セガマーク3の登場

 

それから数か月後の、1985年10月、SEGA社はセガマーク2の後継機のセガマーク3を発売。

 

その機種では割といいソフトが発売されており、子供ながらに、ふざけるんじゃねえ!と憤りを感じたのである。

この機種はわりと有名である。

調べてみると、セガマーク2は1984年7月に発売とのことで、我がセガマーク2は一年も持たなかった模様。

そんな短いタイミングで購入させられたことがクヤシイ。

あのメガネの店員が憎い。

 

今、同世代の、当時からずっとゲーマーだった者にたずねてみても、セガマーク2のことをしっている者はほとんどいない。

 

ネットで調べてみても、知っている人ややったことのある人はいても、この機種を持っていた者は稀有な存在である。

 

そのため今回は、セガマーク2を私と同じような経緯で持つハメになり、泣きをみていた同士に

 

「セガマーク2だったのは君だけじゃない!」

 

の気持ちを込めて書いてみたのだが、よく考えたら、セガマーク2だったのは、俺だけなのかもしれない。

【名古屋人への誤解】だったら名古屋人は全員〇〇〇〇〇か!

こうして名古屋人のイメージは悪くなっていく

 

 

飲みの席で、初対面の女性に、名古屋出身である旨を告げたら

 

「あたし、名古屋人は許さないことにしてるんです」

 

などと真顔で言われて唖然としたことがある。

 

聞けば、直前に分かれた彼氏が名古屋出身者であり、ひどい目に遭わさたとのこと。

 

って、おいおい、元カレ一人で名古屋人をひとまとめにするんじゃねーよ、と言いたい。

 

こういう具合に、名古屋人の悪いイメージが日夜、日本全国に浸透していっているかと思うと恐ろしい。

 

 

〝名古屋人〟と検索すれば

 

Googleの検索窓に〝名古屋人〟を入力すると

 

名古屋人 ケチ

 

名古屋人 頭おかしい

 

名古屋人 顔 特徴

 

名古屋人 クズ

 

と出てくる。

 

誰がこんな言葉で検索しておるのか。

それにしてもひどい。

名古屋出身者として許せん。

本当は名古屋市出身ではないが、隣町の出身者として許せん。

 

ということで、日本中に広まっている、いくつかの間違った情報をここで是正していきまーす。

 

是正できるかなあ。

 

 

名古屋人=ケチ

 

某サイトによると

 

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愛知県人=名古屋人は、尾張藩が勤倹貯蓄を奨励した歴史からか、実利性に富み、保守的でケチな性分が染みついている。

ぜいたくを戒めることにかけては、全国一。

リスクのありそうなものには手を出さず、いざというときに備えて貯蓄に励む。

ただし、貯め込んだカネは自宅で保管する人多数。

実際、名古屋では自宅に保管していたカネが盗難に遭う事件も頻発。

「他人を信じられない」名古屋人の性格が窺われる。

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とのこと。

 

いちいち名古屋人の県民性を説明するのに尾張藩時代の説明から入るところがすごい。

 

ケチだけでなく、リスクのあるものには手を出さない、他人を信じられないなどと、悪口をこうも書かれると腹が立ってくる。

書いている人は、名古屋人にどんな目に遭わされたのかある意味、心配になってくる。

 

 

「バッキャロー」からケンカが始まる?

 

その昔、自己紹介で、名古屋出身であることを告げると

 

「ああ、名古屋人は、ケンカする時は必ず〝バッキャロー!〟って言って始まるんですよね?」

 

などと、根も葉もないことを言われて困ったことがある。

 

そもそもバッキャローなんて言わねえわバッキャロー。

 

しいて言うなら

 

「ターケー!」

 

と言ってケンカは始まるかもしれない。

はじまらんか。

 

それにしても、ひどい誤解だよなあ。

 

 

名古屋人は悪食である。

 

また〝食の魔境〟などと言われ、まるで名古屋を悪食の代名詞のようにされている。

 

某喫茶店で、生クリームとアンコを山の様に乗せたパスタなどが面白おかしく紹介されたのをきっかけに広まった誤解である。

そんなもん食べていないんである。

一部の人が思い出づくり程度に行っているに過ぎない。

それをまあ、名古屋人が毎日、そんなものを食べているかのように。

しかし、それに乗っかってわざわざ突拍子もないメニューを考案しておる悪ふざけの類似店も数多くあるので、自ら名古屋人も誤解に加担しているとも言える。

 

まあ、基本的に味噌カツ、味噌煮込みうどん、味噌おでん、ドテ煮など味噌好きなのは、誤解ではないけどね。

 

 

 

だったら、名古屋人は全員・・・

 

と、他にもいろいろ誤解はあるので、今後も機会があれば是正していきたい。

 

それにしても、

 

「名古屋人は全員こうだ!」

 

とうう風に

 

「一部ではそういう人もいるだろ?」

 

って話にできんところが、名古屋人に対する悪意を感じるんだよなあ。

 

だったら、名古屋人は全員、宮地佑紀生か!

聞いてみや~ちか!

1・3・3・2 東海ラジオか!

生放送中に相方に暴力を振るうか!

認知症が原因か!

珍プレー、好プレーの星野仙一のアテレコか!

タワケ、ドタワケ、クソタワケか!

 

※写真は宮地佑紀生。

 

はあはあ。

 

まったくモウ。

 

【ヌンチャクアーティスト宏樹 著】実戦ヌンチャクAtoZ 揺るぎない! 2/2

ヌンチャクアーティストへの道

 

幼少の頃に、ブルース・リーに出会い、心を撃ち抜かれてしまった彼こと、無形無限流創始者、ヌンチャクアーティスト宏樹は

 

「ヌンチャクをマスターすればブルース・リーになれると思いました」

 

と、なんでそうなるの?と往年の萩本欽ちゃんのように思うが

 

「揺るぎない」

 

と言われてしまっては返すことばもない。

その後も、ブルース・リーの映画を観て動きを盗んだり、自作のヌンチャクを作ったりするものの、動きがついていなかい。

 

そこで出会ったのが王貞治。

 

 

王選手が本の中で

 

「宮本武蔵は、一万日の稽古をしてからこそ、自分を鍛えたことになる、と言っている」

 

と書かれていたことに興奮し、自分も一万日修行をしようと決意。

 

「その日からヌンチャク修行の師匠は王選手に決まりました」

 

ってだから、どーしてなのよ?

 

ヌンチャク小僧大人になる

 

その後、彼こと、無形無限流創始者、ヌンチャクアーティスト宏樹は空手を習う。

高校に入学するとテコンドーに目覚め、修行のために韓国に渡る。

高校卒業後に北海道から上京。

 

「ブルース・リーはアメリカに渡ったとき、中華料理屋で住み込みで働きました」

 

「私も疑うことなく中華料理屋の住み込みの就職でした(原文ママ)」

 

いや、そこは疑えよ、と言いたい。

 

それからは毎日、出前持ちと皿洗いの毎日が続き、30歳のときTVゲームのバーチャファイターがブームとなる。

 

格闘家の動きを研修するため、そのゲームの人物の動きを一人ひとりノートに書き起こす作業していた中でヒントを得て、彼の無形無限流の基礎ともなる動きを習得し、苦節25年を経て

〝ヌンチャク無形無限流〟

を創始。

翌2006年2月、北海道札幌に於いて

 

「NFAヌンチャク・ファイティング・アーツ」

 

という道場を立ち上げるに至ったのである。

 

 

きっかけがゲームかよ、などと思っては行けないのである。

 

実証されたと言うものの

 

彼の偉業は日本に留まらず、2011年、アメリカのCS放送、ヒストリーチャンネルに招かれて、スパイダーマンやエックスメンの作者、スタン・リーを冠した

 

『スタン・リーのスーパーヒューマン』

 

なるテレビ番組に参加。

 

ピッチングマシンから放たれる硬式ボールを打ち返す(速度記載なし)ことに成功。

 

 

また、打撃力を図ることのできる人間型のダミーロボットの頭部をヌンチャクで打ち

 

「打撃力が700キロである旨を実証した」

 

と豪語するに至るのである。

 

 

それ野球のバットで十分なのでは?などと思っては決していけないのである。

思ったりするとヌンチャクで殴られ兼ねないのだ。

 

演武一覧

 

さて、いよいよそんな彼こと、無形無限流創始者、ヌンチャクアーティスト宏樹が、これまでの修行の結果、現存する人物の中で唯一無二のヌンチャクの使いてとして行ってきた演武に一覧が載っているので最後に紹介しておきたい。

 

・ヌンチャク・シャンパン栓抜き

・ヌンチャク・プッチンプリン

・ヌンチャク・バースデーケーキ蝋燭消し

・ヌンチャク・マッチ着火

・ヌンチャク・習字

・ヌンチャク・だるま落とし

・目隠しヌンチャク・ポッキー折り

・目隠しヌンチャク・キュウリ切り

・目隠し鎌ヌンチャク

・鎌ヌンチャク大根切り

・鎌ヌンチャク・リンゴ切り

 

などなど。

内容は、字面から想像するまんまのものである。

 

ぜひ、実戦でヌンチャクを使ってみたいあなたにお勧めしたい一冊です。

 

私は子供の頃、刑事物語の武田鉄矢に触発されて、ハンガーヌンチャクアーティストを目指さんでよかった。

 

※写真はハンガーヌンチャクの片山刑事。

【ヌンチャクアーティスト宏樹 著】実戦ヌンチャクAtoZ 揺るぎない! 1/2

ヌンチャクで実戦できるか?

 

もしもあなたが暴力沙汰に巻き込まれることがあったとして、相手がナイフを出してきたとしたら、これはもう危険である。

さっさと逃げた方がいい。

 

もしも相手がピストルなんて出した日には、もう土下座でもなんでもして許しを乞うしかない。

 

しかし、もしも相手がヌンチャクを出して来たらこれはもう

 

「ハハハハ、まったく驚かさないでよ」

 

「本気でケンカするのかと思ったじゃない」

 

と急に打ち解けることになるのである。

 

それほどヌンチャクはあくまでパフォーマンスであり、実際の武器にはなり得ないと思ていたのだが、この本に出会って、私は考えを改めなければならないのかもしれない。

 

その本とは、無形無限流創始者、ヌンチャクアーティスト宏樹 著、〝実戦ヌンチャクA to Z〟である。

 

奥付には、2011年12月10日、初版第一刷発行とあるので、そこまで昔の本でもない。

 

ヌンチャクアーティスト宏樹

 

※写真はヌンチャクアーティスト

 

ヌンチャクアーティスト宏樹とは、1970年生まれの日本人男性。

10歳の頃からヌンチャク修行に励み、25年後、独自の流派、その名も

〝ヌンチャク無形無限流〟

を創始。

翌2006年2月、北海道札幌に於いて

「NFAヌンチャク・ファイティング・アーツ」

なるヌンチャク道場を立ち上げる。

 

指導のかたわらヌンチャクアーティストとして、時にはタレント活動も行っているという、わかったんだかわからんのだかの人物。

 

唐突に「揺るぎない」

 

「揺るぎない」

 

という言葉を信条にしているんだか、気に入ってるんだか知らんが文章の途中でも唐突に

 

「揺るぎない」

 

と言いだすので、ちょっと頭が混乱する。

 

例えば、〝はじめに〟の最後の部分では

 

「本書を、今の私から10歳の私への30年越しの回答とするとともに、世界のヌンチャク愛好家の皆様、私を応援して下さる皆様、私の武道の恩師の皆様、私を育ててくれた両親、宏樹を見出してくださったメディアの皆様、そして心の師・ブルース・リーに捧げます。」

 

と語った直後

 

「揺るぎない」

 

と来る。

 

「え?」

 

ってなる。

 

また、あとがきでは

 

「2011年11月、我、此処に完成し、執念を晴らす。」

 

と何だか怖いことを言った直後、

 

「揺るぎない」

 

と、のたまうのである。

 

この人と、知り合いじゃなくてよかったーと安堵の思い。

 

宏樹とヌンチャクの出会い

 

本書による彼とヌンチャクとの出会いがすごい。

 

「1970年生まれの私にとって最初のヒーローは仮面ライダーです」

 

「憧れの仮面ライダーになりたい私は、親にねだって変身ベルトを買ってもらい、見よう見まねで覚えた仮面ライダーの変身ポーズをしたものです」

 

と語る。

 

そして、頭の中で怪人との対決を想定して戦い、最終的には高い所からジャンプして怪人に勝利するイメージトレーニングに励んだとのこと。

しかし彼に人生最初の挫折が襲う。

 

「毎日毎日、見えない怪人と戦い、連勝記録を重ねていましたが、いつの頃からか
 
〝自分は仮面ライダーにはなれない〟

〝なぜなら改造人間ではないからだ〟

と思い悩み始めました」

 

って、そんなことで思い悩むな!と思うが、まあ悩んだんだから仕方がない。

 

そんな悩みに打ちひしがれていたときに、父親からテレビの前に座る様にいわれ仕方なく見たのがブルース・リー。

そのヌンチャクさばきの凄まじさに悩みも一気に吹き飛び、心を奪われた回想する。

 

「テレビが終わると、この男になってやると決めました」

 

「私の将来は、ブルース・リーに決まりました」

 

って決まっちゃいないだろう別に!とツッコまずには居られないが、ツッコミをいれようとすると口癖のように

 

「揺るぎない」

 

と言い捨てるので困ったものである。

 

今後、私もなにか困ったことになったら

 

「揺るぎない」

 

と吐き捨ててその場を後にしてやろうかと思う。

 

(つづく)

【質素倹約】稲垣えみ子さんのポスターと対峙する

よく目にするポスター

 

近々近所でイベントがあるらしく、このポスターを頻繁に目にするようになった。

 

このイベント、題して

 

『自分ルネサンス~新しい生き方に出会う~』

 

サブタイトル

 

ある幸せ、ない幸せ

~本当の豊かさは自分が決める~

 

講師:稲垣えみ子

 

とある。

 

ある幸せ、ない幸せ・・・か。

 

どういう意味だろう?

ある髪型、ない髪型で言えば、彼女が、ない髪型をしていることはよくわかるのだが。

 

稲垣えみ子さんとは?

 

私は彼女のことをまったく存じ上げておらず

 

「いったい、どういう人だろう?」

 

と、改めてポスターをよく見れば

 

元朝日新聞編集委員、電気代月百円台の節電生活実践中。

テレビ番組、「報道ステーション」「情熱大陸」に出演。

 

とも書いてあり、なかなかの有名人らしい。

 

なるほど、そうなのか。

何か節約とかのプロフェッショナルであるらしい。

 

私は、このイベントは、てっきり彼女が

 

「本当の豊かさは自分が決める!」

 

「世間が何と言おうが、パーマが似合うかどうかは自分が決める!」

 

と、日本一パーマの似合わない人と呼ばれつづけても己の信念を押し通し

 

「自分ルネサンス!」

 

と高らかに宣言するものと思っていたので意外な思い。

 

 

※写真は、日本一パーマが似合わない大賞を受賞した稲垣えみ子さん。

(受賞してません!)

 

質素倹約の人

 

というか、電気代月百円台ってどんな生活なんだ?

 

と興味がわき、調べてみることにしました。

 

稲垣えみ子は日本の元ジャーナリスト。
朝日新聞大阪本社デスク・朝日新聞論説委員・編集委員を歴任して50歳時(2016年)に依願退職し無職になる。

1965年生まれ。愛知県出身。

 

って、また名古屋人がケチだとかなんだとか言われかねない人物が登場したらしい。
愛知県民、および愛知出身者の同士よ、気を付けねばならんぞ!

 

家電メーカーに勤めている父の転勤に伴い小学校・中学校時に転校を繰り返す。

1987年一橋大学社会学部を卒業して朝日新聞社入社。
高松支局、京都支局を経て、1991年から移った朝日新聞大阪本社社会部時代に、大阪府警察本部との懇親会でかつらをかぶったのを機にアフロヘアーにする。

 

って、どういうことなんだ?

大阪府警本部との懇親会でなぜかつらをかぶるのか?

まあ、戯れにかぶったとしても、なぜそれを機にアフロヘアーにしたのか、まったく意味がわからん。
悪徳警察の闇などの問題が関係しているのかもしれない。

 

大阪本社社会部デスク、週刊朝日編集部を経て、2013年から朝日新聞論説委員として社説を担当。
福島第一原子力発電所事故を受け、月2,000円ほどの電気代を半分(月1000円以下)にする節電生活を書いたコラムが話題になり、感銘を受けた古館伊知郎キャスターに依頼され報道ステーションに3度出演。

編集委員を経て死に向かい「手放すことを身に着けねば」との思いから朝日新聞社を50歳を機に2016年1月に退社して高級マンションから築45年のワンルームマンションに転居。

 

とのこと。

 

なるほど。

そういう人もいるだろう。

他にも彼女は、冷蔵庫や炊飯器がそもそも自宅になく、冷蔵の必要のない干した野菜の味噌汁と漬物、鍋で炊いた玄米を中心として食生活をしたり、筋金入りの節約人間らしい。

 

私にそれができるできないは別として、質素倹約、なるべく物を持たない生活、は見習っていきたいと思う。

 

 

「っていうか、まず、パーマ代を節約しろ!」

 

などとは思ってはならんぞ。

【伝承あそび辞典】子供のころに帰ってみよう! 2/2

前回に引き続き、伝承あそび辞典より、目についた遊びを見ていきましょう。

 

【沢庵押し】

 

 

「押しつけ沢庵」ともいう。

ひとりがうつぶせになり、その上に他の子どもたちが

「押しつけ沢庵、押されて泣くな」

と言いながらどんどん積み重なっていく。

上の子が

「漬いたか、漬かぬか」

と聞いて、一番下の子が

「まだ漬かぬ」

などと答えると圧することをやめない。

「ようやく漬いた」

などと答えると、皆は圧することをやめて退く。

よく耐えることが出来た者が勇者である。

 

 

ってこの遊び、こんな名前もついてなかったし、

 

「漬いたか、漬かぬか?」

 

などと聞きもしなかったが、なんかクラスで先生がいないときなどに、なんのはずみかわからんが、寝転がっているヤツに急にみんなが積み重なって行き

 

「おい、乗れ乗れ!」

 

などといって意味もなくクラス中の全員が熱狂し、圧していく遊びが発生することがあったが、あれは沢庵押しがルーツなのだとわかってちょっと謎が解けた。

イラストよりも、もっと大人数が乗っかっていたけど。

 

こういう遊び、あなたもやったことあるでしょう?

 

【鼻引き】

 

 

 

東京の遊び。
70センチくらいの糸か、こよりを結んで輪にし、中央を交差して8の字にする。
これを向かい合って座った2人の小鼻に引っかけて引き合う。

手を触れてはいけない。

 

 

って暇かよ!

 

【べろべろの神】

 

 

放屁した子を占って当てる遊び。

みんなで円になって座る。

中央に水に浮かべた茶碗を置き、ぐるぐる回して割りばしなどを茶碗に入れる。

勢いが止まって割りばしの指している方向に座っている者が放屁した者となる。

 

 

って暇かよ!

 

 

【耳っとう】

 

いきなり大声を出して驚かせる

 

ってソレただの嫌がらせだよ!

 

まとめ

 

とまあ、全編に渡って「暇かよ!」で済ませられる遊びたちではあるが、子供というのはこういう小さいことで大いに楽しめるものなんだなあと。

 

そのため、筆者も童心をわすれず、引き続き小さいことにこだわって記事を書き連ねていきまーす。

 

 

【伝承あそび辞典】子供のころに帰ってみよう! 1/2

図書館でこんな本を発見した

 

タイトルは〝伝承あそび辞典〟。

 

内容は日本各地に伝わる子供たちの外遊びをあいうえお順にまとめたもの。

 

何がいいかって、解説のイラストがいい。

 

 

味があっていい。

 

狙っていないヘタウマがいい。

 

いつの時代をイメージしたイラストなのかよくわからないところもいい。

 

で、内容は知ってるのやら知らないのやら盛りだくさんで、パラパラとみているだけでも楽しい。

 

そしてイラストのこの遊びから見ていきましょう。

 

【あんた、ちょっと】

 

自分はやったことないけど、なんか昔に聞いたことのあるような気がする。

 

遊び方は、解説によると

 

指あそびのひとつ。

 

「あんた ちょっと みかけによらない にっぽん いちの クルクルパー」

 

「あんた ちょっと みかけによらない ゴリラの むすめの 7代目」

 

などと言いながら指を指したり回したりして遊ぶ。

 

 

ってこれ、遊びか?

 

遊びじゃなきゃなんなのかと言われても困るので、まあ遊びでしょうね。

でもなんか聞いたことあるよね?

 

 

次に目についたのがこれ

 

【おしくらまんじゅう】

 

寒いときなんかに

 

「あったまろうぜ」

 

などといってよくやっていた。

解説によると

 

押し比べが、訛って〝おしくら〟になった。

 

とのこと。

へえ。

 

 

続いては

 

【牛ごと】

 

 

鬼をヒモで縛ってする鬼ごっこのようなもの。

私は小学生のころ、月曜の朝礼が始まるギリギリで、ジャンケンで負けた者の首、胴、両手、両足をそれぞれ縄跳びでジャングルジムに縛り付け、一人で脱出して朝礼に間にあうかにチャレンジする遊びを

 

〝死のハンモック〟

 

などと名付けてやっておった。

 

だいたい朝礼に間に合わず、鬼は先生からこっぴどく叱られるハメになったのだが、今から考えれば、あれはこの牛ごとをルーツとした伝承あそびであり、それも分からずただの悪ふざけとして叱った先生を逆に説教してやりたくなる。

 

 

 

【紙吹き】

 

 

「紙つけ」とも言う。

長さ10センチぐらい(所によって違う)の細長い紙の端につばをつけて自分の額に貼り、顔に垂らす。

それを息を吹きかけてはがそうとする遊び。

 

 

って暇かよ!

 

(つづく)