もくじ
嬉しい割引シール
夕方のスーパーは嬉しい。
何が嬉しいか?
割引が嬉しい。
「ついさっき定価で買った人を尻目に、私は3割引きで買えてしまうだなんて」
「私だけお得だなんて嬉しいのに罪深い」
「神様、私をお許しください」
などと無神論者のくせに考えてしまう。
あなたも嬉しいですよね?
夕方のスーパーにおける、割引のシール待ち風景
夕方、いつも割引が行われる精肉コーナーには、割引待ちの人々がたむろして、割引のシールが貼られるのを今か今かとその時を待っている。
本日の目玉商品は残り5パックとなったステーキ用の黒毛和牛である。
本日の参戦メンバーは男女問わず数人である。
熟年夫婦の姿があり、お母さんの方がお父さんの袖を引っ張って何やらゴニョゴニョいっている。
お父さんも真剣な表情で、お母さんの言うことにウンウンとうなづいている。
「あんたのおかずがっかってんだからね!」
「シールが貼られたと同時に取るんだよ」
「取れなきゃ、あんた今夜はドッグフードだよ!」
などと言っているのかもしれない。
その横でひとりで来ているおばさんはケータイで誰かと話す振りをしているが
『あんたらなんかに取られてたまるか』
『黒毛和牛はアタイのもんだよ!』
と、なにやら陰険な目つきで思っているのである。
場はジリジリし、殺気が漲ってくる。
一方、私はそれを遠目に見て、ぜんぜん違う棚の商品を見るふりをして
『まったく、黒毛和牛ごときに必死になっちゃって』
『割引を待つなんて粋じゃないねえ』
などと言う風を装いつつも、一応は黒毛和の中でも一番大きいものに目ぼしを付けているのである。
店員さんがやってくる
割引のシールを手にした店員さんが割引コーナーに近づいてくる。
『来た!』
とその場にいるメンバー全員が思う。
『待ってました!肉屋!』
と歌舞伎のように掛け声をかけたくなる思いがする。
見ればシールには〝半額〟の文字が印刷されている。
お母さんはお父さんに
「ここが大事なとこだよ!」
「今晩、黒毛和牛か?!愛犬元気か?!」
と発破をかける。
お父さんは、唇を噛みしめ、なぜか敬礼をして
『お国のために行ってまいります』
とでも言うような表情になる。
店員さんは黒毛和牛の前に立ち止まると、メンバーをぐるりと見渡し、
『おやおや、今日も好き者が集まってるねえ?』
『真っ先にイジメて欲しいのはどいつだい?』
などと、やや女王様じみた視線を送り、黒毛和牛を手に持ってシールを貼りにかかる。
お父さんは思わず黒毛和牛に手を伸ばすが、店員さんは、急にシールをやめ、黒毛和牛を棚に戻し、改めてシールを見直し、
『ほらほらフェイントだよ』
『がっつくんじゃないよ、このスケベ野郎』
と言う視線をお父さんに送る。
お父さんはフライングした形で転びそうになり、なんとか踏みとどまると涙目で店員さんを睨むことになるのである。
割引シールはホイッスル!
涙ぐんだお父さんの表情を見て、ひとしきりSっ気を満足させた女王様、ではなく店員様は改めて
『ほら、配給の時間だよ』
『おめぐみだよ』
と言った感じで次々に黒毛和牛にシールをリズムよく貼っていく。
その瞬間、精肉コーナー近辺に散らばっていた、これまで割引待ちのメンバーと思っていなかった連中までが一斉に集中し、手を伸ばして黒毛和牛を鷲掴みにしておのおののカゴに入れていく。
お父さんはもみくちゃにされ、黒毛和牛を取り逃して転び、みんなに踏みつけられて苦悶の表情で痛みに耐え、よく聞くと
「ギブミー・チョコレート」
と言っている。
数秒で黒毛和牛は売り切れとなり、嵐が過ぎ去ったように、その場には床に転がったお父さんと、それを忌々し気に睨みつけるお母さんだけが残されてしまった。
一部始終を見ていた私は、持ち前のすばしっこさで半額シールが貼られた一番大きな黒毛和牛を手にしていたが、それをお母さんのカゴにそっと忍ばせて立ち去るのだった。
つりばんど 岡村
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