もくじ
親に毎月仕送りするに至った経緯
そうこうして2010年の年末に東京のアパートを引き払い、長期出張で青森へ行ったのだが、新事業立ち上げであり、朝から深夜まで、本当に朝8:30から深夜2:00まで毎日のように働かされた。
もうこの仕事はキツくてキツくて。
どのくらいキツいかと言うと、当時の責任者が連続無断欠勤の末、バックレるというくらいキツい。
たまに休日はあるものの、雪であり、雪だらけであり、外にでるのも億劫である。
また外に出たとしても遊ぶところもなく金は使わない。
住まいは会社が借りたウィークリィーマンションである。
その上、出張費は出るわ家賃も光熱費もかからんわ。
食事は社食で激安のものを食べたりしており、金を使うといえば、当時吸っていたタバコと毎日の安焼酎代、近所の250円で入れる温泉代くらい。
そのため、この頃は給料が支給されるたびに
「また振り込まれてるよ」
「金が減らねーよ」
などと嬉しい悲鳴をあげておったのである。
その前に、とにかく休みたかったが。
そんでもって、口座にはどんどん金が増えていき2011年の3月にもなるとそれまでの人生で一番金があるようになった。
というかこの時に差し押さえてくれたら、まったく痛くも痒くもなく一気に支払えたのにと思う。
が、郵便局へ転送届もださず、出張なんで住所も移さぬで、まったく区民税の督促状なども届かず。
まあ、届いていても、例のルパン三世気取りで払わなかった気もするが。
で、運悪くというか、この時には差し押さえられず、本当はクレジットの支払も48万円滞納しているわ、過去4年分の区民税は一銭も払っていないわ、にもかかわらず
「金がうなってるぜ!」
と勘違いし、それまでの自分の人生を振り返り
「そーいえば、俺ほど親不孝もんもいねーなー」
などと柄にもなく反省。
昔からしてみたかった田舎で一人でくらす母親への仕送りをしようと思い立ち、母親に電話。
「これから毎月、3万円を振り込むから」
と伝えて口座番号を聞いた。
母親は
「お前、大丈夫なの?」
と心配していたが
「いや、俺も大人だからさ、そんなはした金なんともないわ」
「まあ、泥水飲んでも毎月の仕送りだけは欠かさないから安心してくれ」
と、毎月仕送りすることを約束したのである。
青森→札幌。ススキノに狂った私
その後、青森出張が終わり、続いて札幌に長期出張に行ったのだが、青森とは真逆ともいえる札幌は、金を使うことろが無いのでは無く、金を使うところしかない。
そんな訳で青森とのギャップにやられた私は、仕事終わりで連日連夜ススキノに通い詰め、まあ、ものの見事に貯えは半年ですっからかんになったのである。
そして、次に現在の新潟に出張ではなく、在籍することとなり、つつましく生活をしながらも、親には毎月仕送りを続け、2年半経過したときに、問題の差し押さえになったのである。
しつこいようだが、大の大人の全財産が130円である。
仕送りどころか、今から入ろうとしていたスーパー銭湯どころか、帰りのバス代さえない。
ススキノが懐かしい。
まあ、さきほどの行員の言うように、明日、銀行に改めて電話をかけなおそうと思い、トボトボとアパートに向かって歩き出したのである。
部屋につくまで二時間ほどかかったが。
(つづく)
つりばんど 岡村
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