もくじ
私は好きとネットを接続してできてるかしら?
『好きとネットを接続すると、あなたにお金が降ってくる』というプロブロガーによるブログ運営の本を読んだ。
なるほど、好きとネットを接続すればいいのだなあ、と思い我がブログを見返してみれば、70%ぐらいが
〝こういうヤツが嫌い!〟
〝この有名人が嫌い!〟
などの記事であり、好きとネットを接続せずに、嫌いとネットを接続しておるではないか。
ただ、私としては
「同じような物や人が嫌いな人が検索し、めちゃくちゃにこき下ろし、揶揄し、罵ることでストレス発散してくれればいい」
と思っていたのだが、先日、ある読者からある記事に対してアンチ的なコメントをいただいたのを機にちょっと反省したのである。
この記事はタイトルと内容がアンマッチであり、人を不快にさせる恐れがあったのでタイトルを変更し、最初から人をこき下ろす内容であることがわかる様に変更した。
でもこのブログは毒舌ブログだから!悪口ブログじゃないから!と言い訳してみるが、分かった様な気がしていただけで毒舌と悪口の違いが実はよくわかっていないので、徹底的に分析し、今後は悪口の無いブログにしていきたいと思う。
持て囃される毒舌タレントたち
坂上忍、マツコ・デラックス、有吉弘行など、毒舌キャラがもてはやされている昨今、そもそも好き嫌いが激しい性格であり、ズバズバ物を言うタイプの私は、
「我がブログも毒舌路線で行くぜ!」
と言うつもりで書いていたのだが、これは毒舌じゃなくて、ただの悪口じゃないのか?もはや悪口ブログか?と一時タイトルを「悪口ブログ」に変えたほうがいいんじゃないのかと思ったことがあり、実は今までよくわかっていなかった〝毒舌と悪口の違い〟について、自分の中でハッキリさせることにしたのである。
よく言われる毒舌と悪口の違い
①毒舌には愛があり、悪口には愛がない説
私の場合は、相手が心底嫌いなわけではなく、愛がある。
「クチャクチャ音を立てて物を食べるヤツって気持ち悪い」
「気持ち悪くて哀れである」
「哀れは慈悲の心である」
「だから愛がある」
と無理やり愛があるとこじつけていたが、改めて考えれば愛なんて微塵もないんである。
また、先述の有名人たちも相手に対して愛がある場合もあるだろうが、ほとんどの場合はそうでもないので、愛があるかどうかは毒舌と悪口の違いには無関係だと判明。
この説は誤りと勝手に断定し、説立証ならず。
②言われた相手が笑えるのが毒舌、嫌な気分になるのが悪口説
先述の毒舌タレントに毒を吐かれた者は、笑ったり怒ったり、時には泣いたりしているので相手がどう感じるかは毒舌と悪口の違いとは無関係であるので、この説も立証ならずである。
③聞いた人が笑えるのが毒舌で、笑えないのが悪口説
私の場合は相手をデフォルメして皮肉を込めて面白おかしく書いているので毒舌だと思っていた。
憎くて憎くてただただグチグチ言ってるだけではなく、発想を飛ばして飛ばして、工夫してるから毒舌!
これは今でもそう思っているが、しかし例えば特定のAさんのことを面白おかしくアレコレ話している行為は毒舌とはいいがたい。
例えば
「クチャラーっているでしょ?」
「あいつらは口のパッキンがバカになっちゃってるんだよ」
と言って相手が笑うのは悪口ではないかもしれないが
「Aさんってクチャラーで」
「Aさんの口はパッキンがバカになっちゃってるんだよ」
などといって相手を笑わせているのは悪口である。
すなわち特定の相手に対して陰口を言う、これは明らかに悪口。
ただ、特定の相手ではなく、クチャラー全体に対して
「クチャラーって人々がいるでしょ」
「あいつらは口のパッキンがバカになっちゃってるんだよ」
と言っているのも別に毒舌ではない。
悪口というか、毒舌というかなんだかよくわからん話である。
つまりは、人をくさす話を毒舌と悪口の二分化をしようとするから話がこんがらがるのであり、人をくさす話というのは毒舌と悪口だけでなく、このよくわからん話の存在があったのである。
ということで、笑える悪口はいくらでもあるので、笑えるか笑えないかも毒舌と悪口の違いとは無関係であると勝手に断定し説立証ならず。
余談だが、こういう話が私のブログの70%を占める内容の正体だったのである。
そのため、私のブログは毒舌ブログではなく、悪口かなんだかよくわからんブログになっていたことが判明した。
この悪口でも毒舌でもない、よくわからん話は便宜上、〝特定の特徴を持つ者批判〟と名付けて話を先に進める。
④相手に直接言うのが毒舌、直接言わないのが悪口説
思い返してみれば先述の毒舌タレント達は直接相手に毒をはいており、この意見が一番しっくりきた。
と、説立証しかけるも、
「じゃあ直接言えば毒舌か?」
「面と向かってむちゃくちゃ言えば毒舌か?」
といわれればそうではなく、その毒の吐き方が単なる罵詈雑言では毒舌どころか暴言となるので、この説も、このままでは立証されない。
直接言って、それを聞いた者が笑える必要がある。
しかし、言われた者にとってはいくら周りが笑っていようが傷つくことを言われており、悪口以外のなんでもない。
あれ?
ということは、毒舌も悪口なんじゃないか?
毒舌と悪口を分けようとするから無理があるんじゃないか?
改めて、〝悪口〟について考える
つまり、毒舌と悪口を分けようとするからよくわからなくなるのである。
人をくさす言葉、人をくさす話、これ全て悪口である、とするとわかりやすい。
悪口にはいくつもの種類があり、先ほどの特定の特徴を持つ者批判や、毒舌、などなどいくつもの種類があるのである。
毒舌だろうが、特定の特徴を持つ者批判もこれ全て悪口だったのである。
私の説「毒舌は悪口の一種である。そのため、毒舌と悪口は区別できない!」説
それは、毒舌とはあくまで悪口の中の一カテゴリーでしかないからである。
例えば
「小説と本の違いは?」
「チャーハンと中華料理の違いは?」
「さわやか三組と、教育番組の違いは?」
「三遊亭好楽と笑点メンバーの違いは?」
と言うように、そんなもの分けようがないものを分けようとしているのであり、はじめっから無理な話だったのである。
つまりは、先述の毒舌タレントたちも、大きな視点から言えば、悪口タレントでくくることも出来るのである。
まとめ
今後、毒舌と悪口の違いについては
・人をくさす話は、全部悪口
・悪口というくくりの中に、毒舌とか特定の特徴を持つ者批判や他にもいろいろなものが含まれている
・つまりは、毒舌も悪口の一種
・そのため、毒舌と悪口は区別できない
・そういう数ある悪口の種類の中から、相手に直接言って、それを聞いた周りの者が笑えるのが毒舌
・悪口には貴賤が有り、もっとも尊いものが毒舌である。
ということで、以上が当ブログにおける、毒舌と悪口についての考え方とします。
宣言
私は今後、極力悪口を書かずにブログを運営していきます。
できるかなーーー???
つりばんど 岡村
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