もくじ
2007年1月5日の日記 タイトル「東京住所不定」
新潟出張の延長が見事に失敗し、 私は今、文字通り宿無しの生活を送っております。
漫画喫茶で年を越しししながら 隠れて持ち込んだシュウマイを食べ、 カップ酒を飲みハラハラと落涙したり、 カプセルホテルでホモに追いかけられたり、 友人知人のお宅にお邪魔したりして なんとかかんとか生き延びております。
ある時は沼袋で寝、ある時は、笹塚で寝、ある時は要町で寝、毎日毎日、いろいろな街を楽しんでいますが、
「果たして今夜はどこで寝るのか?」
「哀れ岡村は、ついに東京砂漠の砂になるのか」
と、今夜の行き先も決まらぬ生活は、なかなかスリリングで楽しくもあるものの、 心身共に疲れ果て、このままでは本当に死んでしまいそうです。
そして、明日は8日振りの休み。
いったい何処にいろというのだろう?
と、まあ暗くなっててもしょうがないので、 こういう気持ちをバネにして、 早いトコ、自分の部屋を手に入れるぞ!
どうせなら倉庫みたいな部屋とか 屋上についてるおまけみたいな部屋とか 変な部屋に住みたいと思っているのだが、 なかなかそんな物件は見つからない。
で、そんな話を本日職場でしていたら、
「東京R不動産」
なる不動産屋さんの存在を聞いた。
見てみたらすごく面白い!
もうこうなったら絶対、変な部屋に住んでやるもんね。
★解説
12/30の深夜、今は亡きムーンライト越後という深夜の東京行き列車にのり、大晦日に東京で働いてまんが喫茶で紅白をみて、悲しい正月を過ごした日記である。
調べたところ、ネットカフェ難民とはじめて報道されたのは2007年1月28日のNNNドキュメントであり、私のネットカフェ生活のあとだったので、本当はもっと前からいたのだろうが、勝手に元祖ネットカフェ難民と名乗らせてもらっている。
当時、泊めてくれた友人から
「ゲストハウスっていう外国人向けの安宿がありますよ?」
「電話だけでもかけてみたら?」
と言われて電話したら、
「今、空きがないんですよね」
「空きが出たら連絡します」
と言われて落ち込んだりしたこともある。
ちなみにこの日記は、新宿のカプセルホテルにある〝ビジネスルーム〟とかいう、ただパソコンが置いてあるだけの倉庫みたいな部屋で書いていました。
2007年1月27日の日記 タイトル「死ぬかと思ったー!」
本日、久々の休みだったが、要る所も やる事もないので不動産屋に行った。
で、部屋を借りてきた。
場所は笹塚。
入居は2/15。
2/1~2/15まで新潟再出張が決定したので、 この生活も残り数日である。
やったぞ!
ハッキリ言って死ぬかと思った!
だけれども、こんなクソみたいな生活も、 いよいよ終わりに差し掛かってみると、 なんだか名残惜しく感じるから不思議だ。
(惜しむな)
★解説
無事にアパートを借りられた日記である。
しかし、結局、アパートを借りる資金15万円を職場の同僚から借りたという、だったら、はじめから借りておけば滞納分の家賃を払って宿無しになったり、会社にむりを言って新潟に行ったりとか必要もなかったのである。
ということで、長くなったがこうして私の宿無し生活は終了したのである。
ちなみにこの後、2008年暮れに年越し派遣村が設置され話題になった。
2006年の暮れにあれば間違いなく行ったのにとちょっと悔しかったことを思い出す。
最後に、無事に部屋を借りてから2年後、2009年4月の日記をもって終了とする。
2009年4月10日の日記 タイトル「恥」
とある事情で一時期、宿無しになった事がある。
その時に友人から
「ゲストハウスって言う外国人旅行者が共同で住む所が有りますよ」
「金が出来るまで、そこに住んだらどう?」
と提案された。
調べた所は、二段ベッドの12人部屋。
炊事、掃除は当番制。
“この際、異文化交流も良かろう”
と、ワラをも掴む思いで電話したのだが
「空きがありません」
「空き次第連絡します」
との事でニベも無く断られた。
ガーンと目の前が真っ暗になったが、幸い仲間や会社の協力で、宿無し生活もわずかな期間で済んだ。
それから数年経った今日、今、さっき、明大前にあるそのゲストハウスより電話。
「岡村さーん!」
「空きのベッドが出ましたよー!」
おめでとー、と言わんばかりの勢いである。
誰がそんなトコ行くか!
★解説
なんで、あのゲストハウスが、二年も経って電話してきたのか未だに謎である。
つりばんど 岡村
最新記事 by つりばんど 岡村 (全て見る)
- 保護中: テスト104 - 2023年10月21日
- 舞いあがれ!片づけいらずの紙ふぶき - 2021年2月26日
- コサックダンスが踊れるマシーン! - 2021年1月3日
最近のコメント