【ウケるまで同じギャグを言いつづける人】誘い笑いに腹が立つについて考える!

スベれどもスベれども

スベったことに気が付かず、同じギャグを繰り返し言うヤツがおる。
もう何度も何度も言う。
受けるまで言う。
うるさくて仕方がない。

こういうつまらんギャグを繰り返し言うのは、会社の中でもやることが無い、たまたまはずみで昇進しただけのバカ上司である。

このバカ上司は、

『会社には私のユーモアが必要だ』

『部下どもの今年の笑いはじめは、私のギャグで幕開けさせてあげよう』

などと大きな勘違いをし、こっちは素直に嫌悪感を感じているだけにもかかわらず、

『素直に笑わせてあげるから…』

などと、たわけた事を思っているので腹が立つのである。

 

バカ上司のギャグ風景

このバカ上司のギャグは、会議の席など発せられることが多い。

で、そのギャグとやらは、せいぜいがシンポジウムを、チンポジウムなどと言い換える程度の、ご時世的にもハラスメント以外の何物でもないものなので、スベッたとかスベらないとかの問題じゃく、聞かされた全員が聞こえなかったフリをして、黙殺しているにも関わらず、言ってる本人は

『アレ、ちょっと声が小さかったかな?』

『聞こえなかったのかな?』

と思い、再び

「いや、次回のチンポジウムではね~」

「ガハハ~」

と、大きく上半身を横に傾けた恰好で同じギャグをのたまう。

が、やはり黙殺されるので

「アハ」

「アハ」

「アハ」

と三回アハを繰り返し、誘い笑いを誘発しようと目論見ながら、会議の出席者全員の顔を代わる代わる見渡していく。

『一人でも笑わせればこっちのもんだ』

『そこから笑いのダムを決壊させる』

と訳の分からんことを考えているのである。

あまつさえヒクヒクと肩を大きく揺らして首をすくめる動作を繰り返しながら顔を見渡していくが、もちろん誰も相手にせず、このバカ上司と目が合わぬように視線を机に落として、聞かなかったことにして次の議題に移っていく。

が、それを見た上司は

『みんな笑いたいのに我慢をしている』
『我慢しなくていいんだよ』
『やっぱりこの会社には私のユーモアが必要なんだよナ…ユーモアが…』

と、うっすら涙を浮かべて思い込み、どんどん悪い方向へ向かっていくのである。

忙しい時に限ってつらまんギャグは炸裂する

この様に一度思いついてしまったギャグは、何度も言う。
もっともタチが悪いのは、そのバカ上司が暇だという点である。

そのため、部下が忙しいときに限って暇そうに近くに寄ってきては、

「いや、チンポジウムがさ」

などと言い出すので、聞き飽きた部下もついには頭に来て、

「チッ!」

と、明らかに悪意に満ち満ちた舌打ちを聞こえよがしにするが

『無反応から反応に変わった』

『脈あり』

と恐ろしいことを考えているので注意が必要である。

つまらんギャグは年を越す

で、今年の笑いはじめとして思いついたギャグだったが、受けるまで言うので年末まで同じことを言うハメに陥り、年末の忙しいときに

『今年の笑い収めは、私の渾身のギャグで』

と思い、

「来年の国際チンポジウムでは~」

などと言い出す。

一年間もの間言い続けているので、さすがにちょっと可哀想になった部下達も仕方が無く、

「・・・はは」

と付き合い程度で、苦笑いをする。

これがいかん。
これがバカ上司のハートに火をつけ、あくまで苦笑いにもかかわらず、

『爆笑』

『バカ受け』

と判断し、勢いづいて益々同じギャグを言うようになる。

死ぬまで言い続ける

数年立った後も

「いや、何年か前に俺が言ったんだけどさ~」

「俺がね、言ったんだけどさ~」

「会議の席でね、受けたギャグがあるんだよ」

「国際シンポジウムのことを、俺は何て言ったかわかる?」

「そう、この俺が何ていったか?」

などとクイズ形式を交えながら死ぬまで言うので注意が必要である。

いや、死んだあとも、末代まで伝えるべく、そもそも誰かがあとで読む用に書いている日記にも書いたりするので始末が悪い。

死んでも言う

最終的には自らの墓石に

〝チンポジウムの墓〟

などと堀り、それはそれで受けることになるので、笑いとは本当に難しいのである。

【トナラー許さん!】恐怖、座席を一個飛ばしにしない人。

空いている自由席でのトナラー


昔、ガラガラの新幹線の自由席に座っていたら、隣の席に中年オヤジが乗ってきたことがある。

『なんでわざわざ隣に来るかなあ?』

と腹が立ったが、こちらからすぐに席を変わったりすると相手の気分を害し、いざこざなんかに巻き込まれてもいけないと思い、発車してしばらく経ったらトイレにでも立つ振りをして席を変わろうと思っていた。

で、発車と同時にブラックニッカのポケット瓶を飲んでいるとわずか数分で、なんだか楽しくなってきてしまい、酔うと、持前の人類みな兄弟と思い込む体質なもんで、

『まあ、この中年オヤジが隣に来たのも何かの縁じゃないか』

『オヤジ、一杯やっか?』

という気持ちになり、ニヤニヤしながら

『なあ、おう!』

と肩をくんだら、その中年オヤジは一目散に居なくなってしまったことが有る。

まあ、中年オヤジからしてみれば災難だっただろうが、私に言わせてもらえれば、ガラガラの自由席でわざわざ人の隣に座るという愚行に対するバチを当ててやったのである。

トイレで真横に来るトナラー


新幹線だけではない。

トイレでもこういうことは起こる。

特に男性トイレでは小便器が複数並んでおり、だいたいは入り口近辺の便器から埋まっていき、次に入って来た者は、一個飛ばして用を足すのが不文律となっている。

にも拘わらず、デリカシーの欠片もない者がたまにいて、人が用を足している真横の便器の前でイチモツを取り出し、用を足し始める。

『この野郎、頭おかしいんか!』

と思うのだが、そいつは何食わぬ顔で

「私はこうしてきちんきちんと、一席づつ詰めていくのです。」

「それが人の道という物です」

などと勘違いも甚だしいことを思っているのである。

用を足しながら挨拶するトナラー

それだけならまだいい。

わずか数秒、窮屈さを我慢すればいいだけである。

が、中には職場のトイレで、人が用を足している真横に陣取り、己も用を足しながら、人の小便器をのぞき込む様にして

「お疲れ様でーす」

などと言う者がいるのである。

人のブツを見ながら、お疲れ様です、などと失礼なことを抜かすとは何事だ!とどやしつけたくなる。

が、こういう無神経なヤツは、どやして付けたところで

「なにもブツを見てお疲れ様です、なんて言ってるわけじゃないですよ~」

「尿の色を見て、お疲れ様です、って言ったんですよ~」

「その色、肝臓が疲れる証拠ですよ~」

「お疲れ様で~す」

と、気持ちの悪いことを言い出すに違いないので、トイレで真横に来て挨拶するヤツは、トナラーどころの騒ぎじゃないくらいヤバイ奴なのでサッサと逃げることをお勧めしまーす!

【モヤモヤしてるよね?】類似タレントをハッキリさせよう。

イメージが似ている有名人

有名人Aを思い出そうとするとき、そのイメージの中に有名人Bが含まれることが多々ある。

個人的には、伊東四朗を思い出すとき、そのイメージの中には山城新伍が含まれている。

あなたにも、なかなか見分けがつかない有名人がいるでしょう?

パット・モリタを思い出してみよう。

映画、ベスト・キッドで主人公の空手の師匠ミスター・ミヤギを演じた俳優。
この映画が公開されたのは、私が小学生の頃。

で、この映画が公開されるまで、日本でパット・モリタの存在を知る小学生など皆無であり、我々世代には彗星のように現れたスターである。

で、彗星のごとくあっと言う間に見かけなくなってしまったのだが、彼はいたい何者だったのか?

アメリカでは有名な空手の有段者だったのか?

と、調べてみたとれば

パット・モリタはアメリカ生まれの日系二世。
アメリカで俳優として活躍していた人であった。
映画、『ベスト・キッド』でアカデミー助演男優賞にノミネート。

この映画のあとも俳優として活躍。

2005年没。

合掌。

この、パット・モリタを、思い出してみてください。

思い出せただろうか?

思い出したあなたに確認したいのは、あなたが思い描くパット・モリタのイメージの中に、かなりの確率で、ショー・コスギが含まれているはずである。

ショー・コスギとパット・モリタの関係性

調べてみると、ショー・コスギは日本生まれで二十歳前後に単身渡米し、厳しい下積み生活を経てアメリカの忍者映画でブレイクしたというアクション俳優で、顔を見てみればわかるがパット・モリタとは、日系のアメリカの俳優というだけで他には何の類似点のなかった。

にもかかわらず、誰でもパッド・モリタを思い出すとき、ショー・コスギのことも思い出すことになるのである。

ショー・コスギの息子、ケイン・コスギ

で、ショー・コスギの息子のケイン・コスギ。

ケイン・コスギを思い出してみて欲しい。

思い出せたであろうか?

いかがだろう、あなたの思い描くケイン・コスギのイメージの中には、カルロス・トシキが含まれているはずである。

ああ、私はメンタリストになったような気がする。

なぜ、ケイン・コスギを思い出すとき、カルロス・トシキが出てきてしまうのか?

まあ、片言の日本語の逆輸入日系人ということで出てくるだけなのだが。

カルロス・トシキはその後、どうした?

で、ぜんぜん関係ないのだが、カルロス・トシキについて調べてみる。

1991年、カルロス・トシキ&オメガトライブを解散。

ソロ活動の中、1998年、椎間板ヘルニアを患い、静養のために故郷ブラジルへ帰国後暫くは音楽活動から離れて実家のレストランを手伝う。

40歳を過ぎた頃に農業の道を志し、種苗会社に勤務する傍ら47歳でブラジルの国立大学に入学しバイオテクノロジーを学ぶ。

後、ニンニクの品種改良を成功させ現地の雑誌に「ブラジルで最も偉大なニンニク・スペシャリストの一人」と特集されるまでになったのである

だからなんだとは言わないで欲しい。

 

【男女混合バンドの恋愛事情を妄想する!】乱れとるぞ!③

ジュディマリ問題

とここまで書くと、反対派から

「だったらジュディマリこと、JUDY AND MARYはどうなんだ!」

と言う声が聞こえてくる。
JUDY AND MARYのボーカル、YUKIはバンドメンバーではない、別のバンド、真心ブラザーズのYO-KINGと結婚したから、JUDY AND MARY内に於いては恋愛感情はなかったというたわけた発想である。

では、JUDY AND MARYを調べてみよう。

証拠④

※画像左端が恩田氏。

JUDY AND MARY

1991年、函館に映画のエキストラとして来ていた後のボーカルのYUKIと、当時ヘビメタバンドでデビューしていた後のバンドリーダーとなるベースの恩田快人が映画スタッフ達との飲み会で、YUKIから

「自分もバンドを結成したいがどうすればいいのかわからない」

と相談されたのをきっかけとして、翌1992年、バンド結成。
いろいろあって(各々Wikiで調べよう)

1993年プロデビュー。
1999年、JUDY AND MARYの活動を一旦休止。
2000年2月、JUDY AND MARYの活動を再開。
2000年9月、真心ブラザーズのYO-KINGこと倉持陽一と結婚。
2001年3月8日、JUDY AND MARY解散

とこの略歴で、何かを感じないだろうか?

これ、休止して、再開して、結婚して、解散するのである。

想像して欲しい。
あなたのが参加しているバンドのボーカルがYUKIなんである。
もう狂うのである。

男はみんな狂っちまうんである。

 

そもそもジュディマリ自体、恩田がYUKI狙いで始めたのである。
のっけから、よこしまなのである。
で、1991年から1999年の8年間に及ぶヘビの様にしつこい恩田からの口説きから逃げるように活動を休止。

「もうしつこくしないから!」

「音楽に専念するから!」

と、言われたことで了解し、2000年に活動再開したものの、わずか7か月後にYUKIが別バンドの者と、まさかの結婚。
2001年、YUKI以外のメンバーは失意のどん底に陥り解散したのである。

恩田だけとは言わん。
メンバー全員、YUKIを狙っておったのである。

JUDY AND MARYはYUKI以外の三人の男どもは、恋敵として連日連夜いがみ合い、本番直前に弦を切る、靴を隠す、ぞうきんを絞って出た水で淹れたお茶を飲ませるなどの嫌がらせが横行していたと聞く(気がする)。

と、なんの証拠もないが、メンバーにYUKIがいると想像するだけで全てがわかってしまうんである、俺には、って誰だよ。

証拠⑤

和楽器バンド

古いバンドのことばかりでは、若い読者に申し訳がないんで、頑張って新しいバンドも調べてみる。

「和楽器バンド」というのがヒットした。

もう画像しかみてないが、このバンドなんかとっかえひっかえ付き合っては別れてを繰り返すビバリーヒルズ青春白書のような状況に陥っていると思われる。

この中で、誰も、誰にも恋愛感情がないと言い切れる人はいないはずだ!

反対派の最終手段

などと書いても、筋金入りの反対派は

「男女混合バンドだからって、必ずしも恋愛感情が伴うものじゃない!」

と、以下の証拠をつきつけてくる。

反対派からの証拠①

マキシマム・ザ・ホルホン

まあ、まあそうですねえ、まあねえ。

 

反対派からの証拠②

DREAMS COME TRUE

んー。まあ、そうですねえ。。。。

反対派からの証拠③

いきものがかり

なるほどなるほど。

 

でも、まあ、そういうことを言っているんじゃないから!

大人の話をしましょうよ、と言い残して退散ことにする。

【男女混合バンドの恋愛事情を妄想する!】乱れとるぞ!②

引き続き、この物語はフィクションです。

 

証拠③

リンドバーグ

1988年 元アイドルであったボーカル 渡瀬マキが、アイドル時代のバックバンドのメンバー平川達也と、平川の音楽仲間であった二人を足して4人組として結成。
1989年 プロデビュー。
1997年 渡瀬と平川が結婚する。

やってくれたな、平川。
平川さんよお~!

と平川さんを怒鳴りつけたくなる。

 

さて、この平川は姑息な男であると見た。

というのも、1988年から1997年までのおよそ10年間の想いを実らせたという、一見美談だが、私から言わせてもらえれば、自らがバックバンドを務めるアイドルに密かに好意を寄せていたが、業界の掟として気持ちを打ち明けるわけにはいかずに我慢に我慢を重ねておったが、そのアイドルがブレイクせず、廃業を考えていたところへ漬け込み、当時ブームになりつつあったバンド結成を持ちかけたと思われるからである。

チェリッシュの松崎同様、

「なんとか繋ぎ止めておきたい」

「さよならなんかは言わせない」

と聞きようによっては恐ろしいことを思い

「俺が売れさせて、恩を売るだけ売って、外堀を完全に埋めて、逃げられないようにがんじがらめにしてから求婚を迫る!」

と、誓い、執念の塊となって本当にバンドをブレイクさせるも、当の渡瀬からは全く相手にされなかったが、そこは平川の執念深さでバンドメンバーであることを利用しつくし、連日にわたって口説きに口説き、1988年から1997年というおよそ10年間に及ぶ洗脳まがいの戦法で、頭の中に花が咲いたような状態になった渡瀬からとりあえずは婚姻届に印を押させたという次第なのである。

そのため、私は平川達也は、平川達也だけは、敵に回してはいけないと、強く心に誓うのであった。

と、俺は何を根拠にこんなことを書いているのか、やはり男女混合バンドに対する嫉妬で、頭が混乱して来るのである。

と、やはり男女混合バンドは、やはりどこかに恋愛感情ありきで営まれていることがわかってくるのである。

※帽子が平川氏。

(つづきはコチラ)

【男女混合バンドの恋愛事情を妄想する!】乱れとるぞ!①

この物語はフィクションです。

あくまでこれはネタであり、全くのフィクションです。
登場する人物・団体・名称は架空であり、実在のものとは一切関係がありません。

私は、つりばんど岡村といって、毎日毎日わけのわからないことを書いているバカですので、NOメクジラでお願いします。

さて、本題。

メンバーが、男女混合のバンドがおる。
男性オンリーバンドの経験しかない私としては、はっきり言って羨ましい。

だいたい男女混合の時点で、何か卑猥なものを感じる。
ほとんどの人が私と同じ意見だと思うが、男女混合ということは、

〝混浴〟

とか

〝乱交〟

とかそういうイメージが湧く。
(お前だけだ)

Everybody Needs Somebody

実際はそんなことはないのかもしれないが、私としては、男女混合バンドの中では、九分九厘カップルか異性メンバーに対し恋愛感情を持っている者がいるという説を強く訴えたい。

「証拠はあるのか!?」

と抜かす反対派に対して、私はこれから証拠を出していくことにする。

証拠①

チェリッシュ

まずバンド内恋愛感情云々の前に、男女混合バンドの証拠として、どしょっぱなに出したのがあまりにも古すぎる物であったことにヤングマン諸氏は驚いたことと思うが気にしないで先に進んでいただきたい。

結婚披露宴で新婦の女友達が歌う定番の『てんとう虫のサンバ』と、薬用せっけんミューズのCMでお馴染みチェリッシュは、私と同じ愛知県出身の男女混合バンドである。
チェリッシュについて調べてみる。

1968年、ボーカルの松崎好孝を中心に男性4人組バンドとして結成。
1970年、女性ボーカルの松井悦子が加入し、男女混合バンドとなる。
1971年、プロデビュー。
1972年には、ボーカルの二人以外は脱退。
1973年、バンドというよりは、男女二人組ボーカルユニットとなり、『てんとう虫のサンバ』で大ヒットとなる。
1977年、二人は結婚。

という流れらしいのだが、私からしたら、これはもう1970年、松井悦子の加入がそもそも松崎好孝が、悦子をなんとか口説こうと思うものの、自らが中心になって結成したバンドであるし、

「俺、今バンドに燃えてるからよ」

と、メンバーに行ってしまった手前、女なんぞにうつつを抜かしているわけには行かず、しかしながら悦子をなんとか繋ぎ止めておきたい、の思い強く

「いっそバンドのメンバーにしちまえ!」

「そうすりゃメンツも立つわ」

という考えのもと加入させたと思われるのである。

※画像は、己が恋愛のために、悦子以外を脱退させる方向にもっていくことを考えているイエローサングラスの松崎氏。

で、1972年に他のメンバーを全員追い出し、晴れて二人組となり、やりたい放題の末、1977年に結婚したと睨んでいるのだが、松崎さん!証拠は上がっているんだ!無駄な抵抗はやめて出てこい!

と男女混合バンドに対する嫉妬で私の頭がどうにかなってくるのである。

※画像はみごと悦子を射止めることのできたことを、恥ずかしげもなくレコードジャケット上で宣言する松崎氏。

証拠②

サザンオールスターズ

1974年 青山学院大学に入学し、音楽サークルで出会った桑田佳祐、関口和之と中心にバンドを結成。
1975年 原由子が青学に入学。
1976年 いろいろあってサザンオールスターズ結成。
1978年 プロデビュー。
1982年 桑田佳祐と原由子結婚。

サザンに対しては、羨ましくない。嫉妬もない。
理由は、ちょっと今、思い出せない。

(つづきはコチラ)

【映画〝勝手にふるえてろ〟】ネタバレあり。感想、及び勝手なイチャモン。

松岡茉優 映画初主演作品、綿矢りさ原作、『勝手にふるえてろ』

ある映画評論家が

「映画とはイイ女を観るためのもんである」

というようなことを書いていたが、そんなことを言ったら、藤山直美主演の『顔』を観に行った俺の立場がねーんだよ!

むしろ見どころがイイ女というだけのアイドル映画なんぞは観てらんねーの!

と常々思っている私が、主義主張を一切無視して

「ただ単に松岡茉優を観たい!」

有名人にちゃん付けのヤツが嫌いなくせして、そういうイデオロギーも一切無視して

「松岡茉優ちゃんを観たい!」

という、いい年をして気持ちの悪いことを考えながら映画館に潜入。

偉そうに感想を書きていくことにします。

※画像は藤山直美主演、タイトルはずばり『顔』。別に許してもらわんでもええよ。

この映画、不気味だけど面白いよ。

あらすじ

24歳のOLヨシカは、絶滅した動物への変質的な愛と、まともに会話をしたことさえない中学の同級生〝イチ〟への10年にも及ぶ脳内片思いを引っ張り続けて恋愛経験の無い女。
そんなヨシカに会社で働く同僚〝ニ〟から突然、人生初の愛の告白を受ける。
告白を受けたことは素直に嬉しいが、片思いのイチへの執着抑えがたく、ニに対しての恋愛にも本気になれぬ状態が続く。

脳内恋愛の彼氏か、リアルな彼氏かの間に挟まれ、何を信じていいのかもわからぬまま思いつくままに暴走する、空耳アワー大好き女の恋愛コメディーである。

40を超えたオヤジが一人で観に行くにはまことに似つかわしくない作品だが、ハッキリいって観ていて泣きそうになったのである。
(生き恥)

なので、オッサンが一人で観に行っても大丈夫です。
(それはオッサン自らが決めることではないような気がする)

勝手にふるえてろへの感想

小気味良いリズムでジャブのように繰り出されるギャグと、カッコいい映像で、まあ、一言でいえば、オシャレ映画。
且つ、松岡茉優の演技力の高さ。
飽きのこない鬼ごっご的なストーリー。

ギャグもストーリーも女性向け。
同年代の女性なんかは身につまされたりしてなかなかに高評価ではないかと思われる。

松岡茉優を大画面で、ドアップでこれでもかと観続けられるのでファンは必見である。

あえて映画にイチャモンをつける

私としては、映画を楽しめた半面、観に行った目的が松岡茉優を観るためだけだったとは言え、正直、脳内彼氏(イチ)にも、リアル彼氏(ニ)にも感情移入できず。
彼氏役に感情移入できない恋愛映画は、観ていてただただ彼氏に対して

「なんでこんな野郎に!」

とムカついて悔しいだけ。
『モテキ』にしても、同様。

男性陣に感情移入てきない理由①~ニの振舞い~

私なんかこいつが初めて二人で行ったデートで、クラブで酒飲んで吐いて

「もっと他のところ行きたかった」

だの

「安酒がどうのこうの」

などとクダまいてるシーンで、このキャラが嫌いになりましたからね。
ここでこいつを嫌いにさせる必要があったのかと。

「すみませ~ん」

とかっこ悪く吐く程度でよかったではないか。

それがあって、まったく感情移入できん。
もうちょっと、冒頭の段階でこいつに愛すべき要素をいれておくべきだったのでは?

男性陣に感情移入できない理由②~ニがヨシカに惹かれたのは顔だけでしょ?~

そもそも主人公ヨシカに対して、こいつが告ってきたのって、ただ単に可愛いからだけでしょう?
他に対した接点もないわけだし。

胸に付箋がどうのこうのというのは、あくまで後付けの理由である。

「ただ、可愛かっただけ」

で近寄ってきただけなのである。

それなのに正直ここまで面倒くさい主人公に一生懸命愛を注いだりするか?
もっと明確に

「こうこうこうだから、ニはヨシカに対して強く惹かれていったのである」

が無いので、物語としてヨシカとニの恋愛が、薄っぺらくなってしまっている。

男性陣に感情移入できない理由③~イチのキャラが謎すぎる~

で、脳内彼氏のイチだが、こいつは最初から最後まで何者だったのかが不明である。

いじられキャラでいじめられっ子でミステリアスで終始よくわからんヤツ。

で、最後は、なんかヨシカの名前を知らなかったというだけで、なんとなく嫌な奴で締めくくられてしまったが、実はイイ奴なんじゃないか?

ヨシカとの趣味は合うし。
名前を覚えればいいわけだし、10年間にも及ぶ強い片思いの意味は?!

名前を知らなかっただけでは、つじつまがあわんだろうが!やいやい!

と思ってしまった。

映画『勝手にふるえてろ』全てを根本から覆すイチャモン

こんなことを言いだしたら、まったくすべてを台無しにしてしまうのだが、だいたい松岡茉優のようなイイ女が、24年間恋愛経験が無く、誰からもまともに相手にされていないなんていうところが腑に落ちん。
今まで誰にも相手にされなかったキャラなんだから、先述の藤山直美に主演してもらえ!

って、それじゃ誰も観に来ないか?
俺は観に行くけどね。
多分。
っていうかまあ、行けたら行くけどね。

松岡茉優の魅力全開!

映画を観終わった率直な感想は、

松岡茉優よ!イチもニも捨てろ!
二人とも捨てて俺んところへ来い松岡茉優!

俺んトコへ来て、女優でますます頑張って俺を食わせてくれ!

と虫がいいにもほどがあることを思ったのである。

(思えばー?)

【Hey Siri!機械に向かって話しかける危険性】恥ずかしいわ!について考える。

機械に向かって話すということ

子供の頃にインターフォンに向かって話すのが苦手であった。
今でこそインターフォンは普及して私の住むような安アパートにさえついているが、当時は金持ちの大邸宅というような家にしかなかった。

そういう金持ちの友人の家に行ってインターフォンを押す必要が出てくると、まずボタンを押す前に

「あああ、えーと、あああ、あのー、〇〇くんいますか」

などと上ずりながらもリハーサルをしたもんである。

で、ボタンを押して、その家の母親などが応答に出るとリハーサルは何の意味もなく、結局は上がってしまって

「ああ、あのあのあの、ええと、ええと」

などとしどろもどろになり、その家の母親が不信感丸出しで

「どなたですか?」

などと言おうものなら、インターフォンを放置して大慌てで逃げ出すと言う不本意ながらピンポンダッシュをしてしまうことが多々あった。

これは別にその家の母親に緊張していたのではない。
インターフォンなどという機械に対してまるで直接人間にするように話しかけねばならんことに対して緊張していたのである。

あなただって、思い起こせば小さい頃、電話に出るのにも緊張していたでしょ?

親に

「電話の練習だ」

なんて言って出前の注文をさせられた経験のある人も多いはずである。

機械自体に話すということ

この様に、機械を通すとは言え、間接的にでも話す相手が人間であっても緊張するのであるが、最近は機械に向かって機械に話しかける場面が増えつつある。

例えばスマホに対して話しかける。
よくわからんが、誤ってスマホのなんかのボタンを押してしまったときに、

ポッ♪

というような音声が鳴り、ディスプレイに

『お話しください』

などと表示される。

なんだか急に緊張し、大慌てで電源ボタンなどを押しまくって話しかけることを避ける。

ああ、スマホごときに緊張してしまうダメなアタシ…、と若干落ち込むことになる。

というか、スマホに平気で

「音楽かけて!」

などと言ってるヤツの神経を疑うんだこっちはバーロー!

「Hey Siri!」

とか、言ってて恥ずかしくないんか!
なにがHey Siriだ、ばーか!

ペッパーくん増殖中

また、最近はあちこちに〝ペッパーくん〟などという人間型のロボットみたいな奴がおり、好奇心はあるので触ってみたりすると、突然、中性的な声で

「あれ? 目がキラキラしてますね。僕の瞳はどうかな?」

などという音声が鳴りだしビックリすることになる。

その上、このペッパーくんとやらは、何か話しかけてくれとでも言いたげな表情で私の顔を覗き込むようにしてくる。
で、なんだか急に緊張し、困ってしまって逃げ出すことになるのである。

もう二度とペッパーなんぞに触ったりするもんか、と思う。

fireTVstickに話しかける

私の家にはAmazonのfireTVstickという、WiFi環境下で、そいつをテレビのHDMI端子に挿せば、映画とか、Hulu、Netflix、AbemaTVなどのネットで提供されている動画サービスを、自宅のテレビで見ることができるようになるというものを購入した。

便利なのでいろんな作品を観ているが、リモコンがこんなんで

観たい映画を検索するときは、こんなんで

それをこのリモコンの十字キー部分で一文字一文字入力せねばならず、

 

予測変換機能があるとは言え、酒飲みながら観ている時には甚だ面倒。

 

で、このリモコンの画像の赤い部分↓

 

このマイクの図柄のボタンは、押しながら映画のタイトルなどを声に出していうとその作品を検出してくれるという優れもの。

優れものなので使わざるを得ない。

いよいよ私も機会に向かって話す必要が出てきてしまったのである。

機械に話しかける生活が始まってしまった

まあ、一人暮らしではあるし、誰も見ていないと思えば多少の羞恥心を我慢すればいい、と自分に言い聞かせて、連日リモコンに向かって

「ゴッドファーザー!」

とか

「肉体の門!」

などと言っているのである。

しかし、タイトルによっては

「男はつらいよ!」

とか

「おっぱいバレー!」

などと声に出すと異常に恥ずかしくなるものや

「それでもボクはやってない!」

とか

「私をスキーに連れてって!」

などと間違って誰かに聞かれたら病院に送り込まれそうな物もあるので注意が必要である。

機会に向かって話すということの危険性!

このように機械の進化が進み過ぎると注意が必要である。

こういうのが発展していって、fireTVstickでピンク映画なんかが観られるようになったりすると

「女忍者 潮吹き忍法帖!」

「若未亡人 うるむ肉壺!」

「淫乱人妻ドライバー 男を乗せて、乗せられて!」

「白衣快感 おっぴろげご奉仕!」

などと機械に向かってとんでもないことを話し出す危ない人間がどんどん増えていくのでご注意くださーい!