五所川原生活
『おら東京さ行くだ』は、歌手の吉幾三が、自らの故郷を自虐的なギャグとして作詞作曲して歌ったものである。
この曲の歌詞は
「テレビもねエ、ラジオもねエ、車もそれほど走ってねエ」
から始まる有名なものである。
そのモデルとなった吉幾三の故郷と言えば、青森県は津軽半島の、北津軽郡金木町、現・五所川原市である。
その五所川原市に私は、2010年12月から2011年9月までの9か月間、長期出張へ行ったのである。
五所川原での生活は毎日毎日仕事仕事、休日以外は平均して朝8:30から深夜22:00まで仕事。
残業に継ぐ残業で、産業医面談をされたほどである。
で、休日は何をするかと言うと、ただひたすらに寝るのである。
休日くらいどこかに遊びにいけばいいものなのだが、なにぶん遊ぶところがない。
有ったとしても外は雪で
そのため、金を使わず貯まっていく一方。
私の口座には、うなるほどの金が貯まったのである。
五所川原からのススキノ
そういう五所川原での長期出張生活を送ったあと、私が派遣されたのは北海道は札幌市である。
ただの札幌ではない。
札幌市中央区である。
尚且つススキノ超近である。
五所川原からの札幌市中央区。
言っては悪いが日本最大の田舎から日本有数の都会、都会というか歓楽街。
はしゃぐなと言うほうが罪。
私は、五所川原は金を使うところがなかったが、札幌は金を使うところしかないということをこの後、嫌というほど知ることになる。
札幌初日、札幌には旧知の後輩のKがいることもあって、午後早くからKと合流。
Kの案内のもと、時計台やら、地下街やら、札幌市内をいろいろと案内してくれた。
で、ススキノを通りかかり、女性関係にまじめはKは
「ここがススキノです」
「キャバクラや風俗も山ほどありますが」
「くれぐれもこういう悪所には立ち寄らぬように!」
と念を押す。
「俺はそういうの興味ないからよ」
などと答えたが、心の中では早くKと別れたい。
別れてススキノを満喫したいと思い
「Kよ、早く帰れ」
と持ち前の恩知らずさで、念じておったのである。
(つづく)
つりばんど 岡村
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