【ケツにパンツを食い込ませている男の心理】ハッキリ言って迷惑なんですけどー!

ケツにズボンが食い込んでいる人

ケツにズボンが食い込んでいる者がおる。

もう、ズッポリとケツの割れ目にズボンの布をガッツリと挟み込み、

「この布、逃してなるものか」

「お前を離さない」

とでも言わんばかりにケツの割れ目でズボンをくわえ込んでおる者である。

彼らはノーパンでズボンを穿いている訳はなく、その下にパンツも穿いているわけであり、パンツとズボン、すくなくとも2枚の布を挟み込んでおるのである。

こういう男は季節問わずケツにズボンが食い込んでおる。
もう年がら年中ケツにズボンが食い込んでおる。

すなわち冬場はパンツの上から股引じみたものを履いているので、夏なら二枚、冬なら三枚、であり、金なら一枚、銀なら五枚、と森永製菓のチョコボールのくちばしの応募券みないた状態であり、実際に

「え?ケツの食い込みですか?」

「布を何枚挟み込んでるか、ですか?」

「夏なら二枚、冬なら三枚」

と、のたまい

「え?寝るときですか?」

「寝るときに身にまとうのは、シャネルの五番だけですよ」

などと、往年のマリリン・モンローのようなことを言い、周りを気味悪がらせるのである。

(気味悪がらせません)

ケツにパンツが食い込むことは誰にでもある

で、ケツにズボンを挟んだまま、平気でそのまま歩き回っておる。

気持ち悪くないのだろうか?

普通は、ケツにパンツが食い込むと非常に嫌な気持ちになるものである。

ケツにパンツが食い込んだ経験が無いと言う人がもしもいたら、薄手の手ぬぐいかなんかをクルクルッと巻いたものをケツに挟んでみてもらいらい。

で、そのまま数歩でも歩いてもらいたい。

歩いていただけただろうか?

ね?

嫌な感触でしょう?

私だって何かのはずみでケツにパンツを挟み込むことはある。

しかし、そういった場合は、すかさず誰にも分らぬようにササッと指でつまんでケツから布を引き出し、ただちに平常心にもどろうとするのだが、この年中ズボンを食い込ませている者は、なんとも思わないらしく、ケツにズボンを食い込ませたまま、トイレの鏡の前を独占し、前髪が気に模様で、上目遣いで鏡の中の自分を見つめ、手で髪をちょちょっといじったりしている。

前髪よりも、気にするところがあるだろうがバーカ!

と思う。

なぜケツにパンツが食い込むのか?

誰一人そんなことを気になっていないにも関わらず「なぜ、ケツにパンツが食い込むのか?」などとわざわざ見出しを使って書いてしまったが、ケツにパンツが食い込む男で一ネタ書くと決め、書き出してしまったからには需要があろうがなかろうが、供給だけはするしかないという、なぜケツにパンツが食い込むのかを書かねばならんという、アホブログを書くものの宿命として書く、とか誰を言い訳しているんだろう俺よ。

なぜ、ケツにパンツが食い込むか?

ま、誰でもわかると思うが、それはズボンのサイズがケツのサイズと比較して小さいからである。

小さいからこそ、歩くたびに足の動きと共に、ケツの割れ目は前後左右に揺れ、木の棒で火を起こすときの原理で、棒をこするたびに板に穴が開いていくのと同様、パンツ及びズボンはケツに入り込んでいく。

この様は、あたかも蟻地獄が蟻を巻き込むときのようである、イグアスの滝に水が吸い込まれていくかのようであると専門家は言う。

ケツにパンツが食い込んでいる人と、接する側の心理

何か相談事を話しかかられ、アドバイスすることがある。

相談者は、真剣な表情で

「ああ、なるほど!」

「わかりましたー!」

などと喜び、こちらまで明るい気分になる。

「じゃあ、さっそくやってみます」

と言い残し、振り返って去っていく奴のズボンがケツにガッポリと挟み込まれていたりすると

『俺のアドバイスをケツにズボンをくわえ込んだまま聞いておったのか!』

『なめるんじゃねえ!』

というなんだかバカにされたような気分になっているにもかかわらず、野郎はそのムチムチとしたケツの割れ目を強調したまま、まるで本当は下半身裸なところへ、ズボンに見える色のボディーペイントをしただけで歩き回っているようにも見える格好で職場ライフを満喫しているのである。

気持ちが悪い。

ケツにパンツを食い込ませている人側の心理

ケツに布をガッツリをくわえ込んだまま、気持ち悪いとも思わんのか?気持ち悪いのは承知でケツから布を追い出そうしないのか?

もっと大きいサイズのズボンに買い替えるとか、痩せようとか思わんのか?

ズボンは10年前に買ったまま、擦り切れに擦り切れ、見るも無残なほとんどボロギレ状態。

身体はと言うと、やりたい放題の食いたい放題。

飲みたい放題の、怠けたい放題。

寝たい放題の、マクドナルドとポテトチップス食べながらゲームばっかりし放題で、太りに太り、肥満につぐ肥満となり、臀部が巨大化し、ケツ周りの布なんぞは一気に巻き込むナイアガラゲツとなってまで、指先でちょちょっとつまんでケツから布を出そうともせず。

これ、痩せるどころか、ズボンを買うどころか、指でつまんでケツから布を出すことさえもめんどくさいという、ただただ怠惰な人である。

または食い込んでいる状態が気持ちいい人である。

まとめ

そのため、ケツにパンツが食い込んだまま日常を過ごしている人をみたら、怠けものなんだなあ、と思っていただいて私は一向に構いませーん。

ケツにパンツが食い込んでいる人が

「いやそうじゃない!」

「もっと他に理由があって!」

と文句を言ってきても、知りませーん!

などとまとめてしまったが、女性の場合はどうなのか?

ケツにズボンが食い込んでいる女性は全く問題ナシ!

むしろ食い込ませてほしいとお願いして当記事は終了とする。

 

【人の話を聞かないヤツ】人の話を聞いているフリをする人への対処法

人の話を聞いているフリの人

人の話を聞く人は問題がない。

では、人の話を聞かない人が悪いかというと、まあ、よくは無いが、今回はその話ではない。

人の話を聞かない人、ではなく、人の話を聞いているフリをして実際は聞いていない人の話である。

人の話を聞いていないことが発覚する風景

何か大切なことを説明している。
なんでもいいが、例えば、ラーメン店に入ってきた新人に先輩が作り方を教えているとする。

「じゃあ、お湯が湧いたらね、器をこっちに用意するのね」

「はい」

「でね、スープの素を器に入れるんだけど、ここはキッチリおおさじ3杯ね」

「はい」

「そしたらお湯を注ぐんだけど、ここで必ず麺が茹で上がってるかチェックしてね」

「はい」

「で、お湯をお玉に2杯注ぐのね」

「はい」

「お湯はお玉に二杯だけど、スープの素はおおさじ何杯だったか覚えてる?」

「はい」

「じゃあ何杯だった?」

「はい」

「・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・」

「いや、はい、じゃなくて」

「え?」

「・・・・・・聞いてた?」

と、今まで話を聞いているフリをしていたことが発覚するのである。

大切な話をしている時に適当に聞き流し、なんとかごまかし切ろうとしていた根性に腹が立つ。

人の話を聞いているフリな人は、安易にごまかしがきくと思っている人

この様に、人の話を聞いているフリをする人は基本的に世の中を舐めており、安い手口で物事をごまかし切れると思っている節がある。

例えば、また何か大切な話をしている時に眠くてあくびが出そうになることが有る。
あくびは生理現象なので我慢するのは難しい。

そのため、このような場合は、相手に失礼をしたくなければ、顔を手のひらで隠したり、ちょっとすみません、などと断ってなるべく地味にあくびを処理するしかないのだが、先ほどの世の中を舐めきっている者はあくびの処理を、あくびで目の鼻と口が全開をなってしまうのを、うなづきでごまかしてしまおうと考え、あくびをしながら目と鼻を見開き、口だけ閉じて

「う~~~む!」

と鼻で音を出し

『大納得!』

『そりゃ、目からウロコが落ちるってヤツだ』

『だからね、こうして目を見開いてるでしょ?』

という表情をするのだが、話しているコッチにはあくびがバレバレ。

あくびを頷きで隠し通せると思っている浅はかな根性に腹が立つのである。

人の話を聞いているフリの人への対処法

せっかく大切な話をしているのに、聞いたフリをするなんで許せない。

でも、考えようによっては困るのは相手なので、人の話を聞いたフリの人が、聞いているフリをしているのが発覚し次第、

「じゃあ、そういうことなんでよろしくね」

と言って説明を打ち切りましょう!

【困ってしまうネタバレの人】あなたはネタバレ肯定派否定派?

注意

この記事では、
『ショーシャンクの空に』
『ユージュアルサスペクツ』
『真田丸』

のオチについての説明があります。

これらの作品をこれから観ようとされている方は、ぜひご覧になった後で、改めてお読みいただけることをお勧めします。

ネタバレな人

物事の肝心な部分がわかっていない人がいる。

物事の何が重要で何が重要でないかをわかっていないのである。

そのため、こういう人間は周りに迷惑をかけ続けている。

こういう人は自分が既に観た映画を、こっちがこれから観ようとしているにも関わらず、オチを言ってしまうのである。

「昨日、娘がショーシャンクの空にって映画を借りてきてね」

「今日は家族でゆっくり観る予定なんだよ」

などと話すと

「ああ、あの、最後脱獄するヤツ!」

「あの映画いいですよー」

「最後は、脱獄というどんでん返しがありますから、家族で楽しみに観てください」

などと全てを台無しにすることをのたまうのである。

オチを言いたがる人

また、

「たまには推理モノが観たくてね」

「今夜は評判の良い〝ユージュアルサスペクツ〟ってのを観る予定なんだよ」

などと話すと、

『ユージュアルサスペクツ』

と聞きつけたそいつが、どこからともなくやってきて

「ああ、ユージュアルサスペクツ!」

「捕まって一番さえない感じで事情聴取受けてるヤツが黒幕なんですよね~」

「カイザー・ソゼっていうのがキーマンになるんですけど」

「そのカイザー・ソゼってのはそのさえない感じで事情聴取受けてるヤツなんです」

「さあ。誰が犯人なのか?今夜、楽しみに観てください」

と訳の分からんことを抜かすのである。

もしもこんなことを『ゴールデン洋画劇場』のオープニングで高島忠夫が言ったらえらいことになるぞ!

これから観ようとしているのに、オチを言うなオチを!

オチを言いたがる人の心理

こういう人間は、自分の持っている知識のことを誰かが話すと、それがどういう結果を招こうがまったく関係がなく、もう、自分の知っていることの話題が出たら最後、自分の知っている知識は言わぬわけにはいかないという病を患っているとしか思えない。

恐らくこういう人々には、誰かの話す映画の話は

Q:問題、映画『ショーシャンクの空に』のラストシーンで…

と福留功男の声が聞こえるので、問題を遮るように早押しボタンを押し

「脱獄!」

と、すかさず口に出してしまうのである。

あのなあ、早押しクイズやってるわけじゃねえわ!!

映画に限らず大河ドラマでもオチを言う

数年前になるが、大河ドラマの真田丸にハマり、毎週録画して繰り返し繰り返し楽しみに観ていたのだが、それを知った物事の何が重要で、何が重要でないかが蒙昧な人が

「真田丸観てるんですか?」

「真田幸村、最後、家康の目前まで行って負けちゃうんですよね~」

「日本一のつわものって言われるゆえんですね」

などと抜かしたのである。

こっちは歴史に疎い上、最終的には負けるとはわかっていながらも、豊臣の世になれと念じながらみておったぐらいなので、オチを知らされたことがショックでたまらなかった。

そのため、私は、直接注意したのである。

が、その時、そいつは

「え?」

「でも、どう負けるか言ってないからオチは言ってないですよ」

と言ったのである。

「いや、結果がどうかも知りたくないの!」

「知るために、自分で観てるの!」

と注意したが、

『老害はこれだから困るよ』

とでもいいたげな表情で

「それはドーモすいませんでした」

と、i don’t knowという仕草で立ち去ったのであった。

内緒話が出来ない人

数年前、私が女性と仲良くなりはじめ、いよいよ熱愛か、という段になって横やりが入り、その縁がダメになったことがあった。

その際、どこからかその噂を聞きつけたこの何が重要で、何がそうでないかの区別がつかん人間が職場内で大きな声で

「岡村さん!」

「大丈夫ですか!」

「LINEが来なくなったらしいじゃないですか!」

と抜かすので、慌ててそいつを隅まで引っ張っていき

「あのなあ!」

「何で大声でそんなことを言うんだ!」

「職場内にフラれたことが広まるだろーが!」

と注意したところ

「え?」

「LINEが来なくなったっていっただけで、フラれた云々は言ってないですし」

と抜かしたので

「LINEが来なくなったって言って、フラれた以外のこと考えるヤツなんていねえわ!」

と叱責したのである。

みなさまにおかれましても、こういう人間にはくれぐれもご注意ください。

と思ったら

こういうツイートが以前に話題になったらしい。

でも、たとえばサッカー日本代表ファンの人が、今、話題のワールドカップに日本戦の結果を観られなかったとして、結果だけ先にしらされても後者のタイプの人は、栗明史録画した試合をみて納得するのか?

違うとおもうけどなあ。

すごく楽しみにしてればネタバレ禁止だし、どっちでもよければどーぞ仰ってください、って感じだし。

結局、どれだけ楽しみにしているかの問題だとおもうけどねー。

まあ、ネタバレ苦手な私と同意見の人は、自衛しましょう、自衛!

【島茂子&水谷千恵子&ピコ太郎】別キャラクター設定で売り出す有名人の在り方について考える。

それまでとは別のキャラクター設定の有名人の悪いところ

途中から、それまでとは異なるキャラ設定、世界観設定で売り出す有名人がいる。

それは別にいい。

が、そのキャラクターの人気が出て、そのキャラクターが独り歩きし、そのキャラクターだけで番組一本押し通すケースがたまにある。

それも別にいい。

が、そのキャラクターに扮している際に、別の出演者から

「〇〇さん(本人)に似てますね」

などと聞かれた際、

「〇〇さんとは全く関係がないんですよ」

などと答えるのを見ると、恥ずかしくて目をそむけたくなる。

「もういいよ、そういうの」

と思えてくる。

城島茂演じる島茂子

TOKIOの城島茂演じる演歌歌手キャラいる。

美声で人気だそうであるし、それ自体全く問題はない。

が、このキャラクターの売り文句が

〝城島茂そっくり島茂子〟

というのがいかん。

その島茂子が、2018年6月、徹子の部屋にあくまで島茂子としてゲスト出演。

番組内では

「TOKIOの城島さんにそっくりでいらっしゃって」

「47歳ということで、年齢明かしちゃってごめんなさいね」

などといつになく徹子もあくまでも島茂子というキャラクターに付き合い、城島も城島で

「これまで地方周りをしてまして」

「大舞台で歌うことがなかったので」

と答えていたのもなかなかに寒かったが、

「よく城島さんに似てるって言われるんですよ」

との発言があり、

「城島~お前もか~」

と、見るに耐えんような思い。

たまらなく寒い。

もうこういうの本当にいい。

島茂子1stシングル、「戯言」。

曲より前に、そもそもキャラ設定が戯言である。

友近演じる水谷千恵子

島茂子と同じ演歌歌手のキャラクターで、友近演じる水谷千恵子というのが有る。

友近の場合は城島ほど、そういうのもういいわ感は無い。

なぜなら友近は、きちんとした〝大物演歌歌手あるある〟を、キャラクターに乗せてデフォルメして演じることが徹底されており、一人コントが成立し、他の演歌歌手との共演などした場合も、演歌界特有のなれ合いや、けん制しあう感じなどがよく表れていて面白いからである。

だがしかし、

「友近さんとは友達の水谷千恵子です」

などと言うのを見ると、突然寒くなり、島茂子同様

「だからもうそういうのいらねえんだよ!」

とやっぱりムカついてしまうのである。

「〇〇さんに似てますね?」と聞く側が悪い!

でも、これは城島、友近の問題ではなく、

「その設定ちょっとイジってやろう」

とか

「イジるのがお約束でしょ」

というバカタレント、及び、バカ作家なり、バカディレクターなりが

「城島さんに似てますね」

「友近さんに似てますね」

などと言い、演じ手としては仕方なく

「ああ、よく似ているって言われます」

「友達です」

と答えているにすぎぬと思われる所もあるので、そんなに演じ手本人を責めてはいけないのかもしれない。

などと書いたが実際は本人はそこまで考えておらず、

「〇〇さんに似ているんです」含め、そのキャラのネタとしているんだろうと思うけどね。

悪質なピコ太郎


で、問題はピコ太郎である。

ピコ太郎は、古坂大魔王が演じているが、設定上では

〝古坂大魔王がプロデュースするピコ太郎〟

であり、

〝古坂大魔王とピコ太郎はあくまで別人〟

だそうで、もうこの段階でうすら寒い感じがビンビンと伝わってくるのだが、ピコ太郎はテレビに出るたびに、他の出演者から別になにも聞かれていないのに

「私のプロデューサーの古坂大魔王さんは」

とか

「それはちょっと、私のプロデューサーの古坂大魔王さんに聞かないと」

などと息巻き、

「私の奥さんは78歳でバツ3、古坂大魔王さんの奥さんとは別人です」

と、トーク番組で明石家さんまに対して平気で吐き捨て、さんまも苦笑い。

あの時のさんまの苦労が偲ばれる。

だいたい、キャラを演じている本人の名前がそもそも〝古坂大魔王〟などというキャラクターじみた名前でぜんぜん頭に入ってこねえんだよ!

まとめ

そういうノリ、マジでもういい。

【天下の俗物!みのもんたは寝ている】悪い奴ほどよく眠るについて考える。

みのもんたは、眠っている

我々世代は、『8時だヨ!全員集合』から、『オレたちひょうきん族』に乗り換えた者が多い。

で、ひょうきん族に乗り換えず、ずっと全員集合を観ている者に対して、なんとなく優越感というか

「未だにドリフねえ」

などと、今から思えばとんでもない勘違いをしていたのだが思っていた。

その後、全員集合が終了し、ドリフターズの加藤茶と志村けんの二人の『カトちゃんケンちゃんごぎげんテレビ』がスタート。

時を同じくして、ひょうきん族が下火になったこともあり、それまでひょうきん族派だった者達がどっとカトちゃんケンちゃんに流出していった。

そんな奴らに対して

「ぜったい俺はカトケンにはいかんからな!」

と息巻いたほど、私はこれと決めたら一途な男である。

一途なだけに、私は『とんねるずのみなさんのおかげでした』を終了まで見続け、その裏番組の『秘密のケンミンSHOW』は観ていなかったのだが、みなさん終了に伴い、先日、 秘密のケンミンSHOWを改めて観てみて驚いた。

何に驚いたか?

司会者のみのもんたが眠っておったので驚いた。

と言っても、別にみのもんたが横になってグーグーと眠っているわけでは無い。

パートナー司会の久本雅美が一生懸命話している横で立ちながら眠っている。

立ちながら、ゲストのトークを聞きながら、ウンウンと頷いたり、

「京都の女性はねえ」

などと、話に参加したりしながら眠っているのである。

みのもんたの全盛期の頃

みのもんたが発したわかがわからん発言を覚えている。

結構前の話だが、朝ズバを観ていた時、その時のニュースが、夏場の冷房温度の話で

「エアコンの温度は28℃が推奨です」

といったニュースのあと、みのもんたがいつになく怒っており

「あのさ!28℃なんて暑いよ!」

「もっと低く設定しなきゃダメだよ」

と言い、他の出演者もやや困惑していたところ、みのもんたは、その困惑の表情が気にくわなかったのか、追い打ちをかけるように

「28℃なんて暑いよ!」

「だいたい人間の体温は36°あるんだよ!」

「体温が36°で室温が28℃だったら50℃超えるんだよ!」

と、お前の頭の中には花が咲いておるのか?と言いたくなるぐらいの訳の分からんことを言い、それをだれも指摘することもできぬほど、昔のみのもんたは大物であり、横柄だが、数字を持っており、まあ、やっかいなジジイだったわけである。

つまり、数年前までは、みのもんたがテレビ業界を牛耳り、我が物顔でこの世の春を謳歌しておった。

みのもんたが土偶化している

その後、みのもんたは、セクハラ疑惑が持ち上がったり、息子が不祥事を起こしたりで朝ズバも降板。

熱心なテレビ視聴者ではない私は、その後、みのもんたを観る機会はめっきり減った。

が久々に観たみのもんたは憔悴しきった表情となり明らかに顔が以前と違っている。

どう違っているかと言うと、目がはれぼったくなり、開けているのか閉じているのかも判然としない。

土偶のような顔になっておる。

まあ、大変だったんだろうな、とも思い、多少は気の毒に思ったのだが、土偶ヅラして寝てかましておったので

「やっぱりこのオッサンは、どこまでいっても世の中を舐め腐っているんだなあ」

と呆れたのである。

さようなら、みのもんた。

【俺が育てたアピールの上司の末路】「お前も〇〇が上手くなったよなあ」について考える。

「俺が育てた」アピールのバカ上司

「まあ、田中も、スケジュール管理がうまくなったよね」

とか

「鈴木も、部下の育て方がうまくなったよなあ」

などと言ってくる上司がいる。

この、

「お前も〇〇がうまくなったよなあ」

というのは、

「お前は昔はダメだったけど」

「今はよくなったね」

という意味であり、もっと言えば

『ま、うまくなるように俺が育てたんだけどな~』

と思うものの

「俺がお前を育てたんだよな!」

とも言えんので、その思いを込めて

「鈴木も部下の育て方がうまくなったよなあ(って、そうなるように俺が育てたんだけどー)」

と言っているのである。
つまりバカである。

暇なバカ上司は社内をうろつきがち

ハッキリ言ってこういうことを思うヤツなら思うヤツほど実際は誰一人部下など育ててはいない。

しいていうなら、さも自分が育てたアピールをするヤツが憎くて憎くて、

『こういうバカ上司にだけはならんでおこう』

とせいぜいが反面教師として役に立っただけである。

にも関わらず相変わらずのマヌケ面で、まぐれで昇進しただけのこのバカは、職場に於いて、今日も今日とてやることがなく、かと言って家に帰っても、無能さゆえ、家族全員から嫌われており、家に居場所もないので仕方なく、職場の中をあてもなく

『この会社の部下どもは』

『どいつもこいつも俺が育てたんだよなあ』

と勘違いし

『さて、みんなの育ち具合を見て回るか』

『声をかけて栄養を与えてやるか』

『ガーデニングが趣味の人は、こういう気持ちなんだろうなあ』

と、くそでもねえことを思いながらウロつくのである。

俺が育てたアピールの上司がいる風景

新人の女子社員と打ち合わせをしている部下(鈴木とする)の元へ、俺が育てたアピールのバカ上司が近寄ってくる。

なぜ近寄ってきたかというと、鈴木と打ち合わせをしている新人女子社員が、まだ自分の息のかかっていない者であり、且つ、好みのタイプであったことから

『ここで俺をアピールしとかないといかん』

『あわよくばハラスメントをハラスメントではなく、双方合意の上でとする関係に持ち込まなければならん』

と、よこしまな考えでもって近寄ってきたのである。

で、とにかく何かを言わねばならんと本当は何の興味もない鈴木に対して

「おっ!やってるねえ~」

と話しかける。

もっと他に気の利いたことを話しかければ良さそうなもんだが、何を話し合っているかはサッパリわかっておらず、本当は

『あ、声を出しているなあ』

ぐらいに思っているのだが、まさか

「おっ!声出してるねえ」

とも言えんので苦肉の策として当たり障りのない

「おっ!やってるねえ~」

と言うのである。

打ち合わせ中に突然、やってるねえ、と言われたところで鈴木としても何と言い返していいか分からず、また

「このクソ忙しい所に何を言いに来たんだこのクソ暇野郎!」

「やることがねえならとっとと帰りやがれ!」

と本心を打ち明けるわけにもいかず、仕方がないので

「ハハ、おかげ様で」

と相づちを打つのである。

これがいかん!

この鈴木の

「ハハ、おかげ様で」

が俺が育てたアピールのバカ上司の心に火をつけることになる。

何故かと言うと、〝おかげ様〟と言われたバカ上司は

『おかげ様、おかげ様』

『あんたは私のおかげ様』

『みんな私のおかげ様』

『地球も私のおかげ様』

と思い

『私の大事な旦那様~』

と語呂合わせだけで往年の演歌を口ずさみつつのぼせ上っていくのである。

これが、バカ上司を勘違いスパイラルから抜け出せなくするメカニズムなのである。

いよいよ俺が育てたアピールが始まる

で、完全にのぼせ上った結果、

『この新人女子社員に強い印象を与える格言めいたことを言わねばならん』

『そのために部下に栄養を与えてやっている、思いやりのある、出来る上司と思われねばならん』

『訓示を垂れてやらねばならん』

『俺のお言葉を聞かせてやらねばならん』

と思うものの、相変わらず鈴木が何の打ち合わせをしているか、もっと言えば自分自身が何の仕事をしているのかさえもサッパリわからんので、仕方なく

「ま、鈴木も部下の育て方が上手くなったよなあ~(って、そうなるように俺が育てたんだけどー)(ニヤリ)」

と言い残して立ち去るのである。

『決まったな』

『ハラスメントをハラスメントではなく、双方合意の上でとなるような関係を築かなけそうだな』

『今日がその第一歩となるのだなあああ』

と頭の中に花が咲き、鼻水を垂らしながら喫煙所に向かって歩いていくのである。

で、鈴木は新人女子社員に

「あの人が、〝俺が育てたアピール〟の〇〇さんと言う、有名なバカだよ」

と適格に説明するのである。

【写真だけ痩せて写ろうとする人】インギーにみる往生際の悪いデブについて考える。

デブ4態

デブの心理には大きくわけて以下4態があるので報告したい。

①太っていることを、恥じている人。

私がそうである。

②太っていることを、恥じていない人。

開き直っているのである。
これはこれで潔くっていい。

③太っていることを誇示する人。

デブであることを、あえてアピールするのである。

どうアピールするかというと、自ら

〝デーブ大久保〟

などと名乗り、選手登録までし、

「デブだってプロ野球選手になれる!」

とアピール。
勢いあまって知人女性への暴行事件、隠し子報道など

「デブにだって女は出来る!」

と、いやなアピールもしたのである。

④太っていることを、恥じていないように見せかけて、実は恥じている人。

これがいかん!

恥じるなら恥じる!
開き直るなら開き直る!

今回は、このどっちつかずのコウモリ野郎についての考察である。

太っていることを、恥じていないように見せかけて、実は恥じている人とは?

太っていることを、恥じていないように見せかけて、実は恥じている人とはどういう人か?

これは

「現実世界の中では開き直っているが、写真の世界の中だけでは痩せていたい」

と願う人である。

決して

「現実世界の中で痩せよう」

とは思わず

「現実世界ではデブで結構で、痩せる気なんぞさらさらないが、写真の中でだけは痩せていたい」

と、なんだか悲しいようなことを思っているのである。

そんな人はどこにいる?

本当にそんな奴はいるのか?

それはいる。

あちこちにいる。
まずはその大代表である、世界最高峰のギタリストのインギーこと、イングウェイ・マルムスティーンである。

インギーはもともと細身である。

※画像は、昔のインギー。

細身の超絶技巧の早引きギタリストとして世に登場してきた。

が、数年経ち、見るも無残に太ったのである。

※画像は、太ったインギー。

これは別にいい。

ギタープレイに何か問題が生じたわけではないし、もともとインギーファンは、彼の見てくれではなく、超絶技巧に惚れたのである。

が、当のインギーがいかん!

どういかんかと言うと、先述の通り

〝太っていることを、恥じていないように見せかけて、実は恥じ〟

〝現実世界ではデブで結構で、痩せる気なんぞさらさらないが、写真の中でだけは痩せていたい〟

と中途半端なことを思っている点である。

「何を根拠にそんなことを!」

と言う人には以下の証拠を突き付ける。

 

よく見るとわかるが、インギーの決め顔はかならず唇を尖らすようにして顔を作るのである。

やや顎を引き、唇をすぼめ、頬をこけたように見せるという、小顔効果を狙ったものなのである。

すなわち、インギーは、写真の世界の中でだけは痩せていたいと願う者なのである。

なげかわしい。

より分かりやすく

こういう人を分かりやすくイラストであらわすと、例えば下図のようなロンゲのデブが

写真を撮る段になると急に髪の毛を前に集め

こういうように小顔効果を狙うという全くたわけた発想となるのである。

まとめ

太っていることを、恥じていないように見せかけて、実は恥じている人よ!

写真の中でだかは痩せようとは思わず、いっそ開き直るか、恥じてダイエットに励むか!

後者であれば、私と一緒にがんばりましょー!

 

【アシメな中年メンズはキモイ!】若作りにもほどがある!について考える。

ホストといえばアシンメトリー

ホストと呼ばれる男がおる。

このホストは、既に絶滅して久しいギャル男のような、アシンメトリーなどという、独特なヘアースタイルで独自な世界を築き上げている。

そして、その独自な世界に惹きつけられる女どもを手玉に取り、たぶらかしておる。

当ブログは、毎回、基本的に私が何かしらに怒っていることを書いているのだが、今回の記事はホストに大して怒っているのではない。

ホストにどうこう言うつもりもない。

アシメなオヤジに物申す!

今回は、そのホストに対して表面上では

「え?ホスト?」

「ふざけるんじゃねえ」

「男の風上にも置けんわ!このすっとこどっこい!」

と、言い放ち、

「だいたいねえ、そんな髪型をして生き方がだらしない証拠なんだよ!」

と、ホストを口汚く罵りつつも、実の所内心では

『ホストっつうのは許せんが』

『あの?髪型?ヘアースタイル?』

『えーと、ア?アシメ?アシメとか言う?』

『アシンメトリー?左右非対称?』

『あの髪型っていうのは?、あれはあれで、いいんじゃないの?』

『ワシもあと30歳若かったらあの髪型やってみたい』

と密かに思っていたところ、数年前からアシンメトリーというヘアスタイルがホスト以外にも一般的な髪型となったのをいいことに

『千載一遇のチャンス!』

『この機を逃すな!』

『バスに乗り遅れるな!』

と、ここぞとばかりにアシメにしたオヤジどもに対してどうこう言うつもりである。

親父のアシメは痛々しい

いい年をしたオヤジのくせにアシメにするオヤジがおる。
何を考えているのか、よせばいいのにアシメにするのである。

まったく、美容院で何て注文してるんだろう?

モデルが出ている雑誌を指さして

「こういうので」

とか言っているんだろうか。

それを受けた美容師は

「かしこまりました」

などと言いながら心の中では

『ハハ~ン』

『まったくオヤジが色気づきやがって』

『堂本剛気取りか!』

などと苦々しく思い、手が滑ったフリをしてちょっと耳を切ってやりたい衝動に駆られているのである。

アシメが痛々しいオヤジワースト3

いかにアシメのオヤジが痛々しいか実際に観ていこう。

ワースト3:結婚前のフジモン

コンビの相方が原西というゴリラ面であることで、「コンビの片割れの自分はイケメンでなければならん」と勘違いをし、プチ整形をしたりと迷走していたころのフジモン。

現在は木下優樹菜という最高の伴侶兼、コーディネーターに恵まれ年相応のオシャレを手に入れたが、当時は本当に観ていて気持ちが悪かった。

 

ワースト2:ヒロミ

何考えてんだこのバカ!と罵りたくなる顔、それがこのヒロミ。

「こういう髪型にしてください」

と美容師に言ったときのヒロミの心境は知る由もないが、私が担当の美容師であったなら、確実に耳をちょっと切る。

ワースト1:大木こだま

もうよく見たら、アシメかなんかわからんが、とにかくもうヒドイ。

気持ち悪いの極致。

嵐の二宮に憧れて云々と抜かしているらしいが、嵐ファンから苦情はこんのか?

もともとこだまひびきの漫才ではあんまり笑えなかったが、この髪型である以上、全く笑えない。

往生するのはこっちの方である。

まとめ

たまに、自分を美魔女かなんかと勘違いしてものすごい酷い身体で超ミニスカートとかはいてるオバサンがいるが、オヤジのアシメもそれと同様である。

「自分だけは」にはお互い注意しましょう。

 

 

【自己チュー許さん!】あなたの職場にいる自己中心的な人の心理と、見極め方!&悪口!

困ってしまう自己中心的な人

どこにでも自己中心的な人がいる。

全ての物事を自分を中心として考え、周りの状況を鑑みない人である。

こういう人が同じ作業をするチームにいると周りの人は大変なことになる。

こういう人は、自己犠牲精神が全くなく、嫌なことは全部人に押し付けて自分は楽をするばかりだからである。

自己犠牲精神もなく、怠けたいのであれば、いっそ参加しなければいいのだが、往々にしてこのような自己中心的な人は、自分は何にもしないくせに、他人の動きには何かと口を出したがり、〝アドバイス〟だのと抜かして、人使いが荒くコキ使ったりして腹が立つのである。

こういう自己中心的なヤツが上司だったりすると、もううんざり。

「やってられっか!」

という気持ちになる。

自己中心的な人物の見極め方=「呼びつける」

自分の上司が自己中心的は者かどうかを見極める方法の一つに、自分で足を使うタイプか使わないタイプがを見るとわかりやすい。

まず自己中心的なタイプは、自らの足を使わないからである。
そのため、基本的に自分のデスクからなるべく動こうとしない。

部下に用事があるときは、遠くのデスクからでっかい声で

「おーい!〇〇君!」

とパソコンのモニターを見たままで手招きし、自分のデスクまでくるように指図をする。

人をアゴで使うとはこのようなヤツのことである。

『用事があるならテメエから近寄ってこい!』

と思うがあくまで偉そうに遠くのデスクからでっかい声で

「おーい!〇〇君!」

などと抜かすのである。

と言うとこのバカ上司は

「でも私のパソコン画面を見てもらいたいんだから、呼びつけるのは仕方がないだろう!」

と頭の悪さを丸出しで反論をしてくるだろうが、自分のパソコン画面を一緒に観る必要があるからと言って、別に呼びつける理由にはならない。
近くまでいって

「ちょっと私の画面見て欲しいののだが」

と声をかけて一緒に移動すればいいだけのことである。

上司が部下を呼びつける理由

にも関わらずなんで大声で呼びつけるかというと

①呼びつけることによって、部下を威嚇し、優位に立つ

②大声で呼びつけることによって、周りにも威厳を示す

この二つである。

「いや、決してそんなことは思っていない!」

「急いでいるから大声で呼びかけるだけだ!」

などと更に反論をしてくるバカ上司は、

③勘違いしている

である。

どう勘違いしているかというと、会社と家庭の区別ができておらず完全に甘え切っているので

「会社の仲間は家族みたいなもんだ」

「上司は父親と同様だ」

「部下はなんでもいうことを聞く女房みたいなもんだ」

などと男尊女卑も甚だしいことを思い

「業績のためなら、女房も泣かす」

「それがそうした文句があるか!」

「酒や酒や、酒買うて来い!」

と浪速恋時雨を歌いだすのであるが、実の所、このバカ上司は家庭では完全にのけ者にされており、娘からも

「アイツ」

と呼ばれているため、家庭の温かみをせめて会社だけでも味わいたいと願い

「会社の仲間は家族みたいなもんだ」

と言っているので、哀れなもんである。

我が勤務先の自己中心的な上司

などと常日頃から思っていたが、先日、私の勤める会社のバカ上司のバカ講義を聞く羽目になった。

仕方がないので何の足しにもならん、愚にもつかぬクソ講義を聴いていたのだが、本人は勢いに乗ったらしく予定の時間を超過した。

で、

「じゃあ、ちょっと時間をオーバーしたので一旦、休憩を入れます」

と言い、もう、終わればいいのに、一旦、休憩を入れ、そのあとで改めてクソ講義を再開することになったのだが、その際、そのバカ上司は、自分の腕時計を見ながら

「じゃあ、この時計で18:35から再開しますので、それまでには帰ってきてください」

と言ったのである。

〝この時計で〟

というのは本来、みんなが共通で見ることのできる壁掛け時計などを指して

〝この時計で〟

というのが筋だが、こいつは、事もあろうに自分しか見ることのできない、己が腕時計を指して

「じゃあ、この時計で18:35から再開しますので、それまでには帰ってきてください」

と抜かしたのである。

「こんな自己中心的とバカとなどうまく付き合ってたまるか!」

と、私はそいつと円満に付き合うことをキッパリと諦め、徹底的にギクシャクする道を選んだのであった。

【空耳アワーの作品を口頭で説明する人】こういう人は愚の骨頂!

無謀な人

無謀、という言葉がある。

よく考えずに無鉄砲に行動することである。

後先を考えないでの行動である。

出来るわけがないのに、本人は成功できると思っている。

本人は簡単に出来ると思っているが、本当は物凄いチャレンジをしており、その姿勢には頭が下がるものの、そもそも出来るわけがないので、こっちはもうまいっちゃうのである。
無謀も、そこまでいくともう愚行。

愚か者である。

何の話だ?

って、何の話かと言えば、空耳アワーの面白かった作品を口頭で説明しようとするヤツの話である。

「昨日のタモリ倶楽部みた?」

「録画はしたけどまだ観てない」

「あのね、昨日、空耳アワーでジャンパー作品が出たんだよ!」

などと、〝まだ観てない〟と答えたにも関わらず話続け

「えーとね、ジェームス・ブラウンのね」

「ねえ!えーとね」

「まずね、男の人が踊っててね」

「でね、フッっていって笑ってね」

「でね」

などと、わかるかっつーの!
で観たらわかるから台無しにするようなこと言うなっつの!

もう、空耳アワーの面白かったものは、空耳アワー自体を観るしかないのであって、いくら話術が優れていても、その元の音楽や、俳優の演技や演出などがないと全くわからんので、二度と空耳アワーの面白かった作品を口頭で説明するような愚行はやめてもらいたいのである。

空耳アワーの作品を口頭で説明する人≒YouTubeにTV画面を撮影したものを上げる人

YouTubeにUPされたテレビ番組を観ていて、それがテレビ画面を直接撮影されていたものだったとき、なんかゾワゾワしてしまう。

空耳アワーを口頭で説明しようとする人を見た時もこれと同じようにゾワゾワするのである。

理由はわかるようなわからんようなだが、なんだかゾワゾワするのである。

その昔、音楽番組をカセットレコーダーで録音したことのある最後の世代である私だが、そのような風習が現代にも息づいていたようでゾワゾワする。

テレビ画面を録画してまで動画をアップせねばならん事情を想像すれば

〝藁をもすがる思い〟

〝必死〟

などという怨念のようなものがこもっていそうでゾワゾワするのかもしれない。

動画の代わりに、TV画面を録画する、空耳アワーの作品を口頭で説明する、という至難の業を、出来るわけが無いのに普通に出来ると思っている人は、代替え品といえば代替品だがぜんぜん代替えになっていないことに気が付かない愚か者なのである。

まとめ

空耳アワーの作品を口頭で説明する人は、部屋のティッシュがトイレットペーパーの人である。

空耳アワーの作品を口頭で説明する人は、コップがワンカップ大関の空瓶の人である。

空耳アワーの作品を口頭で説明する人は、箸がアメリカンドッグの棒の人である。