【急に残高0!】住民税による口座差し押さえ体験記!①

差し押さえは突然やってくる

忘れもしない2013年9月16日、月曜、祝日、敬老の日。
その日、私は休日であり、当時の私の休日の過ごし方としてルーティーンになっていたスーパー銭湯へバスに乗って向かった。

スーパー銭湯の最寄のバス停で降りると、財布の中が130円になったので

「サウナに入る金含め当面の生活費を引き出しておかねば」

と、近くにあった銀行のキャッシュコーナーに入る。

毎月15日が給料日だが、9月15日が日曜ということで、前倒しの9月13日の金曜日に振り込まれている。

「さて、今月はいくら入ったかな?」

と思いながらキャッシュカードをATMに挿入する。

「三か月に一回支払われる交通費も入るはずだからいつもより多いはずだぞ」

と思い、ATMの画面の〝お引き出し〟を選択して押す。

「さあ、今日はサウナに入って、夜は寿司を食べよう!」

と思い、ATMに求められるままに暗証番号を入力。

「寿司もいいけど、焼肉もいいなあ」

などと思い、引き出し金額を3万円と入力した。

すると

〝しばらく、そのままでお待ちください〟

という女性っぽい機械の音声が流れ、ATMの中で札が

ガガガガガガガ・・・・

と数えられる様な音がする。
で、少しすると

〝恐れ入りますが、もう一度はじめからやり直してください〟

という音声が流れて、差し込んだキャッシュカードが押し戻されてくる。

画面には銀行員の男女が頭を下げているイラストが表示される。

 

「はて?」

「3万円程度で残高不足のはずはないが?」

まあ、何かが間違ったんだろう。

「まあいいや」

と深く考えず、差し戻されたキャッシュカードをもう一度、ATMに挿入。

「さて、今月はいくら入ったかな?」

と思いながらキャッシュカードをATMに挿入する。

「三か月に一回支払われる交通費も入るはずだからいつもより多いはずだぞ」

と思い、ATMの画面の〝お引き出し〟を選択して押す。

「さあ、今日はサウナに入って、夜は寿司を食べよう!」

と思い、ATMに求められるままに暗証番号を入力。

「寿司もいいけど、焼肉もいいなあ」

などと思い、引き出し金額を3万円と入力した。

すると

〝しばらく、そのままでお待ちください〟

という女性っぽい機械の音声が流れ、ATMの中で札が

ガガガガガガガ・・・・

と数えられる様な音がする。
で、少しすると再び

〝恐れ入りますが、もう一度はじめからやり直してください〟

という音声が流れて、差し込んだキャッシュカードが押し戻されてくる。

画面にはさきほども登場した銀行員の男女が頭を下げているイラストが表示された。

 

何か、ただごとでない気がする。

とてつもなく嫌な予感がする。

 

急に残高0!

とりあえず、残高を確認しようと、みたびATMにキャッシュカードを挿入。

〝お引き出し〟ではなく、〝残高照会〟のボタンを押す。

求められるままに暗証番号を入力。

数秒待たせれたのち、ATMの画面になんと、残高が0円である旨が表示された。

「ちょっと、外の風に当たろう」

と思い、キャッシュコーナーを出た。

(つづく)

【CIC情報は払ってない『移管終了』でも保有期限が過ぎれば消えるか?】吾輩はブラックリスト者である。

ブラックリストは寄っといで。

 

私は法律の専門家ではありません。

ただ、実際に借金をしてブラックリストに載っている当事者として記事を書きます。

 

 

ローンに落ちると全否定された気分になる

 

「住宅ローンに落ちた」

「車のローンが通らなかった」

「クレジットカードが作れなかった」

 

など、こういう時、本当にヒヤッとしますよねー。

私は数年前、車のローンが通らず、ディーラーの中で冷ややかな目で見られた苦い経験があります。

しかし、その直後、90万円分の住民税の差し押さえに遭い、金利含め分割で毎月24,000円を支払うことになったので

「もしもあの時、車のローンが通ってたら、支払いが滞りすぐに車を売るハメになったんだな」

と、怪我の功名とはこのことかと胸をなでおろしたののだが。

ああ私には、読者諸氏の「このダメ人間め!」の声が聞こえる。

 

CICに情報の開示請求をしてみた!

で、私の状況は一体どうなっているんだろう?と、CICに開示請求をしてみた。

お値段1,000円+切手代。

CIC側は、

「クレジット払いになりますが、ネットで開示請求できるよ」

と謳っておるが、こちとらブラックでクレジットカード持てねえんだよ!

だから郵送で開示請求するんだよ、と言いたい。

で、届いた情報開示報告書を見て、以下のことが分かりました。

 

情報開示報告書の詳しい見方はCICのページなり、専門家のブログなど参照ください。

私の場合は、借り手としての、ぶっちゃけた話を書きます。

 

私の開示情報(抄)

有ったのは、某クレジット会社のものと、携帯本体の割賦代金の過去に支払ったものと、現在支払い中のもの。

携帯本体の割賦代金はの支払は滞りなく済んでいたのですが、某クレジット会社のものの、返済状況が「異動」。

異動発生日が、平成22年12月。

終了状況が、移管終了。

支払い遅延有無が、遅延解消。

遅延発生日が、平成22年(2010年)12月。

 

遅延解消日が、平成26年(2014)3月。

保有期限が、平成31年(2019年)2月。

これつまり、私の某クレジット会社への遅延情報が、2019年2月までブラックリスト(正式にはそんなリストはないが)に入っているということである。

こんなクレジットのこと、一切忘れておったが、この報告書をみて、以下のことが分かった。

私のブラックリスト入り物語

 

平成22年(2010年)11月、私は東京を引き払って、青森県に長期出張(9か月)に行きました。

「こちとら出張じゃい!」

と住民票も移さずに。

且つ、郵便局に転送届も出さずに。

で、口座にお金を入れておいたので、毎月引き落としされていると思っていたのだが、支払いが遅れたのが原因で請求書払いになっていただのだと思う。

請求書は東京に送られていただのだろうが、もちろん青森には一切届かないのでそのまま放置。

そこからは札幌に半年間の長期出張、その後、新潟県に在住。住民票を移しました。

その間、督促の電話などがクレジット会社や、その後、債権を委託された法律事務所などからかかってきていたのだが、特殊詐欺の類と判断し、まさかクレジットの督促とも思わず、そのまま一切電話に出ず。

何年かして、そういう電話も来なくなったので

「勝った」

と思っておった。

アホである。

で、実は、東京は引き払った平成22年(2010年)11月の翌月、12月からクレジットの支払が滞り、債権は保証会社にまわり、平成26年(2014年)3月に債権回収会社が某クレジット会社に延滞分を支払いした、ということである。

で、保有期限が、平成31年2月なんで、平成31年の3月以降になればCICから、この情報は消えるということです。

 

5年で消える?

 

よくCICの情報は5年で消える、と書いてあるが、これは終了状況が、完了なり、移管終了なりなど記載が入り、遅延解消日欄に日付が入って、約5年で消えるのであって、支払いが遅延してから5年ではないので注意してください。

私の場合は、平成22年12月から遅延発生、保有期限が平成31年2月なので、遅くれはじめてから、消えるまで9年近くかかる訳です。

 

じゃあ、今から支払えば保有期限が短くなったり消えたりするのか?

これはなりません。

逆に支払っても何も変わらないので、私は支払いません。

(威張ってどうする?)

とにかく保有期限を過ぎれば、CICから情報は消える!

これ当たり前すぎるからだろうか、ネットであれこれ調べてもハッキリ書いていないことが多い。

「支払ってないと、情報が消えることはありません」

「完済しないと一生、保有期限は載りません」

とか

「一生ローンは組めません。家を買うのは諦めましょう」

などといーかげんなウソ情報を書いている借金したことがないヤツとか、どっかの回し者みたいなヤツが好き放題書いているものあるが、とにかく保有期限に年月の記載があれば、それを過ぎて一か月程度でCICからはその情報は消えるので安心して欲しい。

私のように払ってなくても債権回収業者が支払って、移管終了となり、保有期限がつくのです。

まあ、改めてローン会社が金を貸すか貸さないかは、貸し手の判断になるので、CICに情報が無いから絶対に借りられるという訳ではないので、そこは注意しましょう。

移管終了とは?

ネットの記事では、移管終了とは、おまとめローンなどで支払った場合、と書いてあるので分かりにくい。

おまとめローン以外にも、私のように債権回収会社が支払っても移管終了となります。

 

なんで私が、本人以外弁済ではなく、移管終了なのかは素人なのでわかりません。

個人的には、代わりに支払ったのが、保証会社ではなく債権回収会社だから移管終了なのかな?と思ってます。

 

まずは開示請求!

何も情報なしで、憶測でいろいろ考えて、ネットで情報見れば見るほど焦ります。

どんどん暗くなっていきます!

面倒でもまずは開示請求をして、自分の状況を判断してからあれこれ調べましょう。

 

ネットで借金問題を調べると・・・

 

ネット上での書き手はだいたい

 

「借金するお前が悪い」

 

「私は、借りたことがないもんで」

 

的な姿勢なので腹が立つんですよね。

意外と5ちゃんの情報とかが一番優しくて、頼りになったり、って、それをブログに書いちゃいかんか。

 

CICに乗っている=悪ではない

例えば、私の場合、は携帯の料金は割賦代金含めて毎月きちんと支払っています。

で、過去に割賦を完済したものがある。

このように支払い終えると、報告日の欄には最後の支払日が書かれる。

(私の場合は、平成28年、4月26日)

そしたら、終了状況に〝完了〟と記載される。

そこから約5年間、保有期限が設定される。

(私の場合、保有期限:平成33年3月)

この情報は、毎月、きちんきちんと支払っていれば貸し手が閲覧した場合

「きちんと支払う人なんだな」

と判断されるので、借りる際には有利に働きます。

また、CIC情報が保有期限を過ぎて消えて、一切の情報(クレジットヒストリー)がないと、30歳以上の場合は

「こんなに借金がないわけがない」

「元ブラックかもしれない」

と言う風に貸し手が判断する、スーパーホワイトと呼ばれるものにもなるので、ある程度、携帯の割賦をきちんと支払っている状況も必要だそうである。

「俺は現金で払っているのに!」

という人には気の毒な話ですね。

 

現在進行で支払い中のものは、終了状況も空欄で、保有期限は記載されない。

 

当たり前の話だが、現在進行で支払い中のものや、債権回収会社が貸し手に支払い終えてない場合、終了状況も空欄で、保有期限は記載されません。

払いきって『完済』だか、私のように『移管終了』だか、『本人以外弁済(保証人や保証会社などから返済されたもの)』だか、『貸倒(クレジット会社がもうとれないと判断したもの)』『法廷免責(破産など法的な処理がなされたもの)』にならないと記載されません。

 

 

とはいえ

 

「あと数年で保有期限が過ぎるぞ!」

「喪が明けるぞ!」

「禊がすむぞ!」

「保有期間まであと三年!」

などとカウントダウンを始める人もいるが、確かに保有期間を過ぎれば延滞だとか事故の情報は消えるわけですが、これよく考えると

「あと三年で、また借金ができるぞ!」

と意気込んでいるのと同じですよね。

 

「車を三年ローンで買うんだ!」

 

というのは、言い方をかえれば

 

「三年間毎月3万円払うぞ!」

 

ということだから、だったら信用機関の情報保有期間を過ぎるまで待つよりは、それまでの間、毎月3万円を貯金して現金一括で車を買った方がいいと思うのです。

 

「えー、毎月、3万円も貯金できない!」

 

などと嘆くのなら、信用情報の喪が明けて、晴れて借金が出来たとしても、また払えなくなって結局また焦げ付くことになるのだから、よくよく考えた方がいいですね。

住宅ローンは、家賃を支払いに代えるわけですので、別ですが。

ちなみに私は、喪が明けてもローンを組むつもりはありません。

(本当かなー?)

 

ということで

ローンが組めなくて困っているのはあなただけではないです。

私のように、顔出ししてさらし者もいます。

まずはCICに開示請求をして、とにかく保有期限の記載のない人は、移管終了になるか完済するのかどっちが早く喪が明けるかを計算しましょう。

で、保有期限に記載のある人は、ジタバタしないで、私と一緒にジッとその日を待ちましょう。

このブログでは、借金の悩みをぶっ飛ばすような、暇つぶしなアホ話を毎日書いていますので、よければ読みに来てください。

【私の借金完済方法】自分で過払い金返済訴訟を起こしたきっかけ

多重債務の思い出

 

アコム、アイフル、レイク、武富士、以上四社が私が1999年から2008年までの九年間に渡り金を借りていたサラ金である。

一社につき約80万円程度借りていたので合計320万円借りていた。

その当時の思い出を書きます。

 

多重債務者の給料日は忙しい

 

給料日が支払期日ギリギリなので、毎月給料が入ればテッペンから地下までズラッとサラ金が縦に並んでいる雑居ビルに向かう。

 

新宿ならば南口のファーストキッチン横のビルに向かう。

 

支払い方は、まず、エレベーターで最上階の7階まで上がり、一社支払っては、別の借入先のある階までエレベーターで降りる。

 

で、返してはエレベータで降りて支払うという逆死亡遊戯状態。

たまにこのビルでエレベーターが一緒になる人がいると

 

『いやはやご苦労様です』

 

『お互い大変ですなあ』

 

と心の中で慈愛に満ちた表情で相手を見つめることになる。

「タバコを吸うヤツはみんな仲間だよ」

と哀川翔は行ったが、多重債務者はみんな仲間だよ、と思っていたのである。

 

サラ金ビルの場所がわからん場合

 

たまに給料日が土地勘の無い出張先である場合がある。

 

「出張先では、サラ金のある場所を探すの大変だったでしょう?」

 

と思われるかもしれないが、多重債務者は独特の嗅覚が発達しているので、多少高いビルから外を眺めれば、だいたいこの街のどの辺りに件のサラ金ビルがあるのか分かるようになっているのでさして大変だったことはないでのである。

 

そもそも借金は、なぜ雪だるま式に増えるか?

 

記憶が曖昧なのだが、だいたい毎月10万を返して、4万を新たに借りるようなサイクルだったので、毎月6万の支払いをしていた。

給料から6万ひかれるのはかなり痛い。

にも関わらず毎月6万払っても、何年経っても一銭も返済してないことになるのである。

で、しばらくすると限度額がUPするので、ここぞとばかりに目一杯借り入れる。

そんなことの繰り返しで借金は増えていく。

つまり給料から毎月10万を引かれて生活できるのであれば借金が増えることはないのだ。

 

当時の願い

 

どっかに亡命させてくれないか?と、亡命がなんなのかよくわからんくせに思っていた。

 

ほのぼのレイクは本当に、ほのぼのしている

 

返済が多少遅れても、融通を利かせてくれるのがほのぼのレイクだった。

で、困ったときには無理を通して貸してくれたりするので、

 

「ほのぼのレイクって、本当に、ほのぼのしているんですね」

 

と水野晴郎のようにしみじみしたものである。

 

武富士が一番恐ろしい

 

グレーゾーン金利の中でも、法に触れないギリギリ上限の金利である29.2%をとっていたのが武富士。

ここが一番えげつない。

間違って50円少なく支払った場合などに、すぐに携帯に

 

「今日中に、足りない50円を支払え」

 

的な電話をよこすのが武富士である。

 

「今日は熱があるので明日までなんとか」

 

などといっても融通はきかない。

 

会社に電話するだのなんだのと脅しをかけてくる。

しかたなく、また50円払いにビルに行くことになる。

 

武富士、2010年に過払い金の支払いに追われ倒産。

やーいやーい。

 

 

多重債務者は、給料日数日後も忙しい

 

数日後にはまた件のサラ金ビルに出向き、最上階の会社から一社一社、限度額一杯まで借り出しに行くのである。

 

 

私の借金地獄の終え方

 

このような生活を10年も繰り返していたある日、下北沢をブラブラしておったら中古の家具屋で2万円のソファを見かけた。

 

「このソファ欲しいな」

 

と思ったが

 

「金がないしな」

 

とあきらめたのだが、おいおいおいおい、なんでたかだか2万のソファが買えんのだ?

毎月毎月金返してるのにおかしくねえか?

となんだか無性に腹が立ってきた。

 

と、その足で紀伊國屋に行き、その辺のコーナーにいって、名古屋出身なので、たまたま名古屋市弁護士会という文字が目にとまり、その名古屋市弁護士会の出している

〝サラ金からお金を取り戻す方法〟

という本を手にして、それの通りに実行。

自分で裁判所に出向いていって、弁護士事務所などは通さずに上記の四社から過払い金を50万円くらい取り戻したのである。

今は法律がどうなっているかわからないので適当なことはいえないが、まずは本屋でその手の本を見てみることがおすすめです。

Amazonでも最新の奴を検討してください。

私の場合は、費用は電車賃込みで1万円くらいだったと思う。

 

当時の流れなどはまた他日。

平日に裁判所などに複数回通う時間のある人は、弁護士事務所を通さずにやる方法をまずは検討されることをおすすめしまーす。

 

 

【多重債務者と呼ばれて】 借金する前に読むべき物語! ④

都落ち

 

私も私でどうにもこうにもならない生活に陥っておったが、母親から

 

「父親が倒れ、余命いくばくもない」

 

との連絡を受け、「もはやこれまで!」と、実家に帰ってまともな生活を送ることにした。

 

大屋のおばちゃんに

 

「少しづつ、返しますから」

 

と言って快諾され、レンタカーでトラックを借りてわずかながらの荷物を積んで都落ちすることとなった。

帰って数か月で父親は他界。
葬儀などもろもろも落ち着き、新しい仕事を見つけ働いていたが、親兄弟に内緒の多重債務に苦しみ、
働けど働けど状態。

且つ、根っからのバカなんで仕事もやっぱり行ったり行かなかったり。

 

そんな折、東京の部屋を紹介してくれた昔のバンド仲間のギターのKが訳あって一年間
ソープランドでボーイとして働き

 

「給料はいいが休みがない」

「食費、部屋代、店持ち」

「金を使うのはタバコ銭くらい」

「仕事はきついが、借金を返すならあれしかない!」

「お前に紹介してやるから行って来い!」

 

と紹介された。

 

特殊浴場へ

 

人生をリセットしたかったし、これまでアホの様な生活してたんだから、
一年や二年くらいそこで働いてリスタートしようと、
自動車で高速道路に乗って滋賀県は雄琴というソープ街へ行った。

 

雄琴に入って行くと客引きの方々が、お客にするように手をあげるので、
窓を開け

 

「僕、面接を受けにきたんです」

 

と言うと

 

「客やないなら、ハザードを炊いとかなあかんわ!」

 

と叱られ、この業界のルールをひとつ覚えた。

 

該店舗に到着し、誘導されるまま車を停めて、事務所に入る。

 

事務所は事務机のならぶ、10畳ほどのこじんまりとしたよくある中小企業の事務所風だが、
異なっている点と言えば、窓がなく、調度品がどこか成金趣味の悪趣味の大理石やら彫刻やらの類であるところ。

 

美人な女性がパソコンを操作している横で、この店のボスと思しき見た目も恰好も竹内力という感じの男との面接が始まった。

 

履歴書を、ざっくりと言った感じで見て

 

 

「借金で首がまわらへんらしいな」

 

「こっちはいつでもOKだが」

 

「でも本当にここまで身を落とさないかんのかどうか、もう一回よく考えてみい」

 

と言われ

 

「もうやるしかないんで」

 

と答え、

 

「じゃあ、いついつからおいで」

 

と言われたが、帰りの車の中で、もう一度、店のボスから言われたことを考えて、

パーキングエリアから店に電話して

 

「もうちょっと、普通に頑張ってみるんで、今日の話はなかったことにしてください」

 

とこっちから頼んどいて失礼なんだが、お断りの電話を入れたのである。

 

ちなみに

 

滞納した10か月分の家賃は、その後、びた一文支払っていません。

 

(この人でなし!)

 

 

 

 

 

【多重債務者と呼ばれて】 借金する前に読むべき物語!③

雪だるま式に増える借金

 

大屋のおじちゃんの襲撃が恐ろしいので、おじちゃんが寝るであろう23時までは部屋ではいつも電気を消して生活しておった。

家賃も貯まってくるし収入では間に合わないし、別で家庭教師のアポ取りバイトを始めてみるも、金を払ってもらえないしで生活がままならない。

 

私は、ギャンブルなどは一切やらないのだが、精神的にも不安定で、仕事も行ったり行かなかったりの生活となり、
収入が少ないくせに借り入れが大きく、一年ほどで借金はかさみ、
銀行とは別に、金融会社四社から50万円づつの借り入れをするに至った。

家賃は、おじちゃんの襲撃を避け、おばちゃんに許す方式で、10か月の滞納となっていたのである。

 

幼馴染のNの借金地獄

 

一緒に上京し、一緒のピザ屋で働いていたNは、ピザ屋閉店後に、オーナーが変わったものの同じピザ屋で働いたが、
新しいオーナーというのが、金払いの悪い中年おばさんで給料を払ってもらえず、仕方なく運送会社に転職したのだが
運送会社で交通事故を起こしてしまい、その分の負担の大部分をNが負担させられることとなり、昼は運送会社、夜はコンビニでバイト
で寝る時間もないほどの働きづめとなった。

私も私で食事もまともに取れない状況に陥っていたが、Nがコンビニの廃棄の食糧を分けてくれるので
なんとかかんとか飢え死にせずに住んでいた。

人間、そういう状況になると、欲しいのは甘いものになる。

 

 

ある時、Nの働くコンビニの裏で二人で廃棄の食糧を山分けしておると、
一個のイチゴスペシャルという半月型のパンが目に留まった。

私がそれを自分のものにしようとすると

 

「それは俺が食うつもりだったんだ!」

 

「うるせえ!」

 

と大の大人が本気で胸倉をつかみ合い、ひとつのパンをあさましく奪い合ったのである。

貧乏もここまでくると目も当てられない。

 

Nの驚愕バイト

 

その後、Nが、どこからか男相手のホストのようなバイトを見つけてきた。

 

「お前、そんなもん大丈夫か?」

 

と聞くと

 

「話を聞いてきたが、基本的には水割りを作って話を聞くのがメインの仕事」

 

「肉体関係を迫られることはあるにはあるらしいが」

 

「口説かれたら、どう逃げるかは君のテクニック次第だと言っていた」

 

「その辺のテクニックには自信があるし、金も儲かるしなんでやってみる」

 

「よかったら岡村にも紹介する」

 

と言って仕事に行った。

 

あとで聞いたのだが、その日、Nはその店に行き店長と呼ばれる男から

 

「お前は今日から〝翼〟だ!」

 

と、翼という源氏名をもらい、白いジャケットを着せられた上でポラロイド写真を撮られ、店のアルバムに張り出された。

 

さっそく中年オヤジから指名を受け、コップに水割りを作り、マドラーでかき回していると
中年オヤジがパンツを脱いだので

 

「ちょっとお手洗いに」

 

と言って、丁寧にお辞儀をし、その足でダッシュで店を出てきたという。

 

「だから、俺の私服とポラロイド写真は、まだあの店にあるよ!」

 

と笑っていたが、携帯なども停まっており、一切連絡のつかなくなったNの兄が私に連絡をくれ
Nの状況(男性相手のホストの話はしなかったが)を話すと、東京に駆けつけて
そのままNを実家に連れ戻してしまった。

【多重債務者と呼ばれて】 借金する前に読むべき物語! ②

ピザ屋でバイト

 

割と近所にピザ屋がオープンするという話が耳に入り、地元で経験もあったので
そこで働いて糊口をしのぐことにした。

仕事柄、町中の地理に詳しくなったが、以外にも小室哲哉の実家や、
新日本プロレスの子会社の事務所がある土地であることも分かり、
言うほどへき地でも無さそうだと、なんだか街に誇りのようなものを感じるようになった。

 

一度、新日本プロレスの事務所から注文があり、配達し、金を受け取っていると
奥から

 

「なんだ!ピザか!?」

 

と言いながら奥の席で事務机から顔をお上げになられたのは今は亡き山本小鉄さんだった。

 

『鬼軍曹だー』

 

と思い

 

「あ!はい!」

 

と答えると、注文した人に

 

「ひとりだけで食ってんじゃねえ!」

 

と叱り

 

「これで一番大きいサイズのやつ何枚か持ってきて!」

 

と一万円札を何枚か私に差し出してくれ

 

『やっぱり噂通りいい人なんだなあ』

 

となんだかほっこりした思い出がある。

 

 

※写真は山本小鉄さん

 

大屋さん おばちゃんとおじちゃん

 

二年が経ち、大家さんに家賃と共に更新料を払おうとすると

 

「不動産屋なんか介さないで私たちは私たちだけでやりましょう」

「だから更新料なんでいらないわよ」

 

と言ってくれ、とても良い大のおばちゃんなのであった。

 

一方、売上げが伸びず、三年ほどでピザ屋が閉店することとなった。

店のオーナーとは年が近く兄のような存在で、向こうも我々バイトの者たちの面倒をよく見てくれていた。

 

閉店することは何か月か前から予告されており、さっさと次を見つければよかったのだが

 

『すぐに次を探すのはオーナーに悪い』

 

と、甘いことを抜かし貯えもないくせにのほほんと構えておった。

 

閉店間際、銀行でカードローンのようなものを作り、手始めに限度額一杯の10万円を借りた。

これが借金人生のはじめの一歩である。
ここから雪だるま式に借金が膨れ上がっていくのだから、人生を甘く見てはいけない。

 

三か月ほどして次の職が見つかったが、それまでに金融会社の無人契約機でさらに15万借りており、
給料が入っても、借金返済にほとんどを取られ、手元には僅かな金しか残らず、
必然的に良い人に甘える結果となり、大屋さんに対して家賃を待ってもらうことになった。

 

家賃滞納が、2~3か月遅れになったが大家のおばちゃんは

 

「そんなこと気にしなくていーのよー」

「ある時に払ってくれればいーからねー」

 

と涙のでるようなことを言ってくれる。

 

 

一方おじちゃんは

 

しかしながら大屋のおじちゃんはそこまで甘くはなく、私が部屋に居ることがわかると
ドアを激しくノックして、怒りで震えながら(本当に震えている)

 

「おぉかぁぁむぅぅらぁぁぁくぅぅぅん!!!!!」

 

「いぃぃいぃぃかぁぁげぇぇんにぃぃしぃなぁいぃかぁぁぁ~」

 

と言いに来るのである。

 

「すいません、いついつまでにちょっとだけでも必ず支払いますので!」

 

と詫びを入れ、許してもらい、期日になるとおじちゃんがいなさそうなときを見計らって大屋さんの家へ行き

 

「この間、おじちゃんに今日支払うといったのですが」

 

「今日、財布ごと落としてしまって~」

 

などと見え見えのウソをつくが、おばちゃんはあくまで優しく

 

「あの人、そんなことしたの!」

「ある時に払ってくれればいーからねー」

 

と優しく言ってくれるのである。

【多重債務者と呼ばれて】 借金する前に読むべき物語!

お部屋探しは慎重に!

 

上京後のアパート探しの際、私と入れ違いで地元に戻ってきた昔のバンド仲間のギターのKに相談したところ、
Kの友人の住むアパートの隣の部屋が空いているという。

 

その部屋は、

 

「郊外ではあるが」

 

「京王線に乗れば新宿まで電車で一本。特急だったら20分。」

 

「その上、駅チカ。駅まで徒歩3分」

 

「ユニットバスだがバス・トイレ付、ロフト付き、6畳ワンルーム」

 

「家賃、共益費込みで45,000円」

 

「敷金礼金一か月づつ」

 

という。

 

東京の土地勘などは、全くないし、Kの友人が隣に住んでいるというところもなんだか安心できる。

 

それじゃあっていうんで、その部屋に住むことにした。

 

引っ越しを手伝ってくれた両親が一晩泊まっていったのだが、

 

「なんかここ本当に東京か?」

「うちの方が都会じゃないか?」

 

というくらい寂しい街並み。

大屋さんはアパートの隣に一軒家に住むおじちゃんとおばちゃんで、
毎月、直接支払うシステム。

 

 

東京で初めての友達

 

隣室のKの友人はギタリストで、ひょろひょろの男。

ポテトチップスを持ってきて

「洗濯機かして」

と言うので、貸してやり、洗濯機が動いている間中バカ話をするようになりすぐに仲良くなった。

 

で、住んでみて分かったのは、あくまで木造であり、壁もあくまで薄く
隣室の友人のクシャミや咳払いなどはもろに聞こえる。

 

テレビを観て笑うと、隣室からも笑い声が聞こえてきて

 

「あいつも同じ番組観てんだなー」

 

と言う、なんとなくプライバシーもへったくれも無い感覚となる部屋。

 

次に駅チカの件だが、たしかに駅まで徒歩3分だが、JRとか京王線とかいうメジャーな路線の駅ではなく

 

〝西武是政線〟

 

という、東京に住んでいるものでも知る者は滅多にお目にかかれない、JR中央線の武蔵境駅から多摩川競艇まで走る
レース開催日に競艇場へお客を運ぶためだけにあるような短い路線で、電車の本数は当時は(多分今も)極端に少ない駅。

 

 

周りには民家以外なんにもなく、しばらく歩くとコンビニがやっとあるような街。

まあ静かでよさそうなもんだが、競艇のレース日ともなるとアパートの横の道までが大渋滞。

自転車で通り過ぎることも困難な状況となる。

また競艇のお客もガラが悪く、道端で飛んでもない賭博行為なんぞをしておる。

 

「でも、家賃は安いんで」

 

と辛抱して生活していた。

 

友達、キャバクラで働く

 

隣室の友人は、しばらくするとキャバクラのボーイとして働き出した。

そういう店で働くことを心配すると

 

「うちの店は、ヤ〇ザとかと無関係だから大丈夫!」

 

と言っていたが、数日すると

 

「結局、ヤ〇ザでした!」

 

と言い、また数日すると店の女の子と同棲し始めた。

 

「そういう店の女の子に手を出したりして大丈夫か?」

 

と聞くと

 

「バレなきゃいいから!」

 

とカラッと笑っておったが、数か月するとその女の子は妊娠し

 

「結局、バレました!」

 

と言って、夜中にどこかから軽トラを借りてきて

 

「これから逃げます!」

 

と言って荷物の積み込みを手伝ってやり

 

「それじゃ!短い間だったけど!」

 

と二人でどっかへ夜逃げしてしまった。

 

東京で初めてできた友達だったので寂しかった。

 

次に隣の部屋に沖縄出身というお婆さんが引っ越してきて
物干しざおで干し柿を作ったりしていたので

 

「俺の思い描いた東京と随分違うなあ」

 

と思うのだった。

スモールワールド現象 世界は広いようで狭い?

スモールワールド現象をしっていますか?

 

知り合いをたどって行けば、どんな人間にも比較的簡単にたどり着くという仮説である。

 

1967年、心理学者のスタンレー・ミルグラムという人がそれをスモール・ワールド実験という検証を行い、
平均六人を介すればたどり着くことができるとが求められた。

とのこと。

 

あなたの場合は?

 

例えばあなたが好きな有名人を思い浮かべてみよう。

仮にその有名人がAさんとする。

で、あなたの知り合いの中で、もっともAさんを知っていそうな人を抽出し
その人に

 

「あなたの知り合いの中で、もっともAさんを知っていそうな人に同じことを伝達して」

 

と伝えていけば、平均して七人目までには、Aさん本人にたどり着くというものである。

 

この説は比較的若いころから知っていたが、一個人としては実験する術もなく

 

『そうは言われても本当かねえ?』

 

と半信半疑であった。

 

 

私の場合

 

実生活私には姉がおり、姉は昔っから大の藤井フミヤファンなのだが、
ある時、私の友人の友人が藤井フミヤの弟の藤井尚之と結婚。

その話を聞いて、うちの姉ちゃんから、憧れの藤井フミヤまでは

 

①姉→②弟(私)→③友人→④友人(尚之の配偶者)→⑤藤井尚之→⑥藤井フミヤ

 

と、四人を介すればたどり着き、確かに平均七人以内であることに個人的に納得したのである。

 

 

これは、別に好きな有名人だけでなく、どんな人にもたどり着くという点が結構怖い点である。

 

どんな凶悪犯とかにでもたどり着いてしまうことに成りかねないので、積極的にこんな実験はしないほうが賢明であるかもしれない。

 

私の場合②

 

数年前、当時好きになった女性と

 

(はい興味ありませーん)

 

夜から二人で飲みに行く機会に恵まれ、ワクワクしておったら、昼に食べたお弁当屋さんの生姜焼き弁当にあたってしまい
仕事中に全身に蕁麻疹が出たことがある。

 

『夜のデートが無茶苦茶になってしまう!』

 

と、慌てて職場近くの内科に行き、注射を打ってもらったのだがその際、担当の医師が

 

「この注射を打つのは玉置浩二さん以来ですよ」

 

「だから女性関係に注意してください」

 

とジ冗談を言われた。

 

その経緯は、地方公演に来た玉置浩二氏が、体調不良となり、現地のスタッフがこの医者を紹介して
診断し注射することになったという。

 

『私と玉置浩二とは』

 

『①私→②この医者→③現地スタッフ→④玉置浩二』

 

で、たどり着いたのだなあと、現地スタッフと玉置浩二が直接連絡を取れるかどうかを無視して、
やや強引に納得したのである。

 

その晩のデートは上手くいったのだが、数日後、この医者のドクターズ・ジョークである

 

「女性関係に注意してください」

 

の予言が当たる形となり、変な男が割り込んできて、結果、無茶苦茶になったのである。

 

 

後悔先に立たず

 

こうなることがわかっていたのであれば、あの時、病院で強引に玉置浩二を紹介してもらい、

 

①私→②この医者→③現地スタッフ→④玉置浩二→⑤石原真理子

 

の連鎖で石原真理子と直接の知り合いになっておけばよかったと

ドラマ『ふぞろいの林檎たち』のファンとして、
数年後、彼女が貧困の末、コンビニ弁当を万引きするような事態は避けられたのにと、
後悔の念が募るのである。

短絡的な犯行だとかなんとか手厳しい人もいるが、そういう意見は本当にひもじい思いをしたことがないのだろう。

 

というか彼女も、

 

『絶対、私を助けてくれる人間が、比較的簡単に平均六人を介すればたどり着くことができるんだ!』

 

とスモール・ワールド現象をプラスに捉えて活用すれば、そこまでの貧困には遭わなかったのかもしれない。

 

 

借金地獄 心のささえになったもの

コンサートトラック

 

ジョギング終了後、さだまさしコンサートツアーのトラック発見!

調べてみると数日前に、ここ新潟でコンサートがあったらしい。

 

 

私は彼のように、莫大な借金を背負いながらも、その後の頑張りで完済した人たちを
借金完済の師匠と思っている。
矢沢栄吉さんしかり。

というのは、数年前までは私は多重債務者であり、サラ金4社から合計400万円の負債を負っていた。

毎月毎月、10年間に渡り毎月の支払をしては、生活が立ち行かなくなり、
毎月毎月、限度額一杯まで引き出す、の繰り返しで、いわゆるリボ払い地獄にはまっておった。

そういう生活の中で、彼のように莫大な借金(35億円!)を30年間かけて年間150本などという、とんでもない回数のコンサートや、合間に小説を執筆したりで返済を続けているという話をきくと

「俺なんてたかだか400万円じゃん」

と心が軽くなる思いをしていたことがあったからである。

 

悲しい心の支え

 

当時は心も荒んでおり、

「有名人が自己破産した」

「自己破産寸前!」

 

などというニュースを見ては

 

「俺はこの人よりは金持ちだ」

「岩城滉一に勝った!」

 

などと、よくわからんことを言って空威張りしていたものである。

 

さだまさし

 

で、さだまさしさんは数年前に35億円を完済。

借金を背負う前に2000万円で購入していた無人島(詩島:うたじま)が荒れ放題であったものをリフォームした模様が今年3月にTV番組で放送された。

 

私の借金解決方

 

私の場合は、彼のようにコツコツ頑張ったっていうのとはちょっと違って、

偶然に出会った本(過払い金回収マニュアル サラ金(消費者金融)・クレジット会社からお金を取り返す方法 )を読み、弁護士事務所などは通さず、本の通りに実行したら、あれよあれよと過払い金返還請求訴訟の裁判をおこし、
なんどか裁判所に通い、あれよあれよと和解が成立。
あれよあれよと口座にお金(45万円くらい)が振り込まれた経験があるのだが

〝完済〟

ではなく

〝和解〟

である点に、多少引け目を感じているところもある。

ので、このトラックを発見した時に私は、人目もはばからず、
落涙しながら、思わず合掌をしてしまったのであった。

(してません)