父親との死闘
普段、とても優しい父親が、年に何回か、連続飲酒に陥り、昼夜問わず飲み続けることがあった。
そうすると、母親も気が強いのでそれを叱責し、真昼間から大喧嘩が始まるのである。
父親は実際に母親に手をあげることはなかったが、物を壊したり、一人で暴れたりする。
そういう状態のところへ私が高校から帰ってきて、慣れっこなので、しれっと制服から着替えて友人宅に遊びにいこうとすると
母親は私に対し
「やれ!」
と、父親を殴って大人しくさせろと命じるのである。
仕方がないので、父親の腹部に膝蹴を入れる。
倒れてうつ伏せになったところをインディアンデスロックをかけ、
父親が戦意喪失すると、母親から
「もういい」
と、再び命じられ、改めて友人宅に遊びにいくのである。
※写真はインディアンデスロック
友人宅では、既に仲間が集まっており
「なんで遅くなったの?」
と聞かれるが
「ちょっと親父にインディアンデスロックかけてきたから」
と答えてドン引きされていた。
「いや、母ちゃんの命令でだよ!」
とフォローすると、余計に引かれていった。
子供の頃から、そういう環境に育ってきたので、酒飲みに対して嫌悪感が強く、
『ああいう風にはなりたくない』
と思っていたこともあって酒は飲まなかった。
はずなのだが、その後、大酒のみになってしまった。
下戸でもアル中になる!
三十歳を過ぎてから飲むようになったのである。
それまでも友人と飲みに行ったり、合コンのような席では飲んでいたが、
酒はおいしくないが、酔ってみんながバカみたいになるのは面白い。
おいしくないので、一番、酒の味を感じずに酔えるカルアミルクや杏露酒をがぶ飲み。
飲み方をわきまえておらず、飲んだ翌日は必ず二日酔いに陥っていた。
二日酔いの日は
「二度と飲むまい」
と後悔極まりない状態でコンビニに行こうと試みるも、
道に落ちていた安焼酎の最たるものの、巨大な〝大五郎〟の空き容器をみた途端に、
吐いたりして
「絶対に、絶対に、もう酒は飲まんぞ」
と強く思っていたのである。
毎晩飲む友人に
「よく飲めるねえ」
「なんで毎日飲むの?」
と聞くと
「気持ちいいから」
と答えるので、
「シラフの方がよっぽど気持ちいいけどね」
と答えていたのである。
そんな下戸の私が、それから十年後から酒を飲みだし、わずか一か月ぐらいでアルコール依存症に陥ったのかは
わが身を振り返ってみても、まったく不思議である。
(つづく)
つりばんど 岡村
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