【明るい宿無し生活】ルームシェア失敗編

実家に帰ったものの

 

26歳で実家に戻ったものの、地元の友人はなんだか疲れている感じだし、東京に友人は多いしで未だ東京への未練が捨てがたく。

 

というか、実家暮らしが性に合わなくなっており、若いこともあって親との反りもあわず

 

『とにかく東京へ返り咲きたい』

 

『俺は東京に居なければならない』

 

と勝手に思い込んでいたところ、初夏のある日、当時多重債務に陥っており、借金返済などで親の金を金庫からかすり取っていたことがバレ、親と姉と大喧嘩。

精神的に家に居られなくなった。

 

実家にいると甘えてしまう。

俺は自分で独り立ちしなければならないと思う。

 

無理な上京

 

急いで東京の友人数人に電話し、居候させてくれる者がいないか確認したところ、

 

「借金苦で家賃も遅れ遅れに払っている女がいて」

 

「家賃折半なら期間無制限でルームシェアしてくれるなら助かると言っている」

 

とのことで、何回か顔を合わせたことのある、その4歳年下の不美人の女の六畳のワンルームマンションで部屋を借りる資金ができるまでルームシェアすることとなったのである。

 

親には

 

「東京で就職が決まった」

 

などとウソをつき、紙袋に着替えと洗面道具だけ持って再び東京へ飛び出していった。

 

働き口は、都落ち前に東京で勤めていたバイト先に復帰することになった。

 

早く金を貯めて、部屋を借りようと思いながら、件の女の荻窪のワンルームマンションへ行く。

 

お世話になる旨挨拶すると、家賃を出せという。

 

引っ越し初日であり、手持ちもないので明日に支払うと告げるも、今すぐ出せという。

 

仕方なく、コンビニで金を下ろして支払ったのであるが、こりゃあ、先が思いやられるなと思った。

 

どうやって寝るか?

 

夜、寝るときはどうするかというと、女はベッドに寝る。

私は、床に寝袋を敷いて寝るのであるが、この女の部屋が荷物だらけ。

なんとか横になるスペースは作ったが、その女が持っていた当時流行りの腹筋トレーニングマシーンがあり、それが邪魔で私の体がまっすぐに伸ばせない。

 

 

どうか、このマシーンをベランダに出してくれと頼むも

「雨風で汚れるから嫌だ」

などと抜かす。

だいたい使ってる様子もないし、なんなら毎日、ぞうきんがけをしてもいいと粘るも

 

「だめだね」

 

の一点張り。

泣く泣く、私は、そのマシーンのに体をセットして、自由に寝返りも打てない状況で毎晩、寝ることになったのである。

またその女は極端に寒がりで、夏だというのに冷房をいれようとしない。

扇風機などもない。

 

せめて眠るまでの1~2時間、エアコンを入れてくれるように頼むも

 

「だめだね」

の一点張り。

 

 

 

しかたなく、冷凍庫にあった保冷剤を枕に敷いて寝ようとすると

 

「人のを勝手に使うな」

 

と抜かして使用を許可しようとしない。

 

翌日から私は、コンビニ袋を何重にも重ねたものに水を入れ、それを5~6個冷凍庫で冷やし、眠るときにはそれを体中に押し当てて眠ることになったのである。

 

 

で、二三日もすると、その女が、来月分の家賃を先に払えという。

 

初日に支払ったと告げるも、

 

「家主は自分である」

「いやなら出ていけ」

 

という。

 

いい加減頭に来て、仮にも家賃を折半しており、ただの居候と思ってもらっては困る。

こっちはこっちであらかじめ、この女も助かるとのことでお互い承諾してルームシェアし始めたのだ。

 

そこまで邪険にされる筋合いはない。

 

「おいてめえ、いい加減にしろよ!」

 

と強めに注意し、そこから先はお互いに一言も口を利かない生活に入った。

 

突然のルームシェア解消

 

二か月が経過しようとしたころ

 

「今月末、この部屋の更新なんで、この友達と千葉にマンションを借りてルームシェアすることになった」

 

「だから出ていけ」

 

と抜かす。

 

二か月どころでは、マンションを借りる資金も全く貯まっておらず、出ていくことができない。

 

「お前だけ出ていけ。俺がこのマンションの借主になる」

 

と無茶苦茶なことをいったが、そんな訳にもいかず数日中にこのマンションを出ていくしかなくなった。

 

その女は夜の居酒屋のバイトをしており、いつも帰りが遅いのだが、ある日の夜遅く、いつものように私がアイマスクを付け、耳栓をし、腹筋マシーンに体をはめ、コンビニ袋に入った氷を全身に押し当てて横になって寝ようとしていると、その女が女友達を連れて帰ってきた。

起きて挨拶するのも面倒くさく、そのまま寝たふりをしていると

 

「こいつ、タバコくせえの」

 

「はやく出て行けよ」

 

と言って、狸寝入りをしている私の体にまんべんなくファブリーズを噴射する。

 

ピシピシピシッとファブリーズのしぶきが顔にふりかかる。

怒りに震えながらもガマンして寝たふりを続ける。

ひとしきり私へのファブリーズ噴霧が終わると、そいつは女友達を残してシャワーを浴びにいった。

そこで私は、むっくりと起き、その女友達に挨拶すると

 

「あの子のこと、実はよく知らなくて」

 

「頼まれてルームシェアすることになったけど、大丈夫か心配です。大丈夫でしょうか?」

 

という。

 

「ファブリーズを全身にかけられる、それが、あいつと一緒に暮らしたあとのあなたの姿だよ」

 

と教えてやり、とにかくその日は原チャリで数分のところにあるファミレスへ行き一人で夜を明かしたのである。

この家主の女とはそれ以来会っていないが、風の噂では次のルームシェアにも失敗したとのことである。

(つづく)

 

『人という字は!』中国四千年の歴史と対峙する。

人という字は!

 

『人』と言う字は、それぞれが支えあう形でできている。

人間とは、お互いに支えあわなければならぬものである。

 

だ、そうである。

だとすれば、

『入る』と言う字も、お互いが支えあう形でできている。

 

何にでも入るときは、支えあいながら入らねばならぬのである。

って、そうなのか?

支えあいながら入るってなんだ?

 

泥酔カップルがいかがわしいホテルに入ったりするときには支えあっている場合が多いが。

 

 

と思ったら、『人』という字は、支えあってできているというのは、でっちあげで本当は人間を横から見た形を甲骨文字であらわしたものが、

『人』

という感じであるそうな。

 

 

この最後のやつ人を横から見た図か?

人が、土下座しているところを横から見た感じかな?

 

 

『愛』は真心、『恋』は下心

 

 

『愛』は真心、『恋』は下心などともいう。

 

これは漢字の『心』の部分が、字のどのあたりにあるのかで上手く愛と恋を言い表したのだろう。

 

そういえば『丁寧』の『寧』は、〝やすらか〟だったり、〝おだやか〟とかいう意味であり、
『心』の部分も真ん中あたりにあり

 

「たしかに真心だなあ」

 

と思ったのもつかの間、

 

『恋』が下心なら、

 

『志』も下心か?

 

『忘』も下心か?

 

『忍』も下心か?

 

『忌』も下心か?

 

ということで恋は下心説は、説立証ならずである。

漢字にとって、心の位置は、あんまり関係ないのではないだろうか?

しらんが。

 

 

木に立って見る

 

『親』という字は、子供のことを、遠巻きに、

〝木に立って見る〟

から、『親』という感じが作られたなどともいうが、なんで木に立たねばならんのか?

 

心配ならもう少し近寄ってみればいいのに、わざわざ木によじ登ってみるだなんて危ないでしょう。

 

『あんまり近くでやいのやいの言わずに、心配ではあるけれども、あくまで遠巻きに木に立ってでも見守りたいのが親心』

 

と、私は人の親になったことがないが、そういう気持ちでいることが親として正しい姿勢であるような気はするものの、だったら

 

『新』という字は、木に立って斤ってなんだそりゃ?

 

山賊か?

山賊は新しいのか?

 

で調べてみると、『親』という感じのなりたちは、木に立って見るではないそうで。

 

 

まず『立』は、そもそも象形文字で

 

〝取っ手のついた針〟

 

のことだそうで、その針を林に投げてそれに刺さった木材で位牌を作った。

なので、親のヘンである木に立つという部分は、位牌のことだそうである。

 

その位牌を斤(斧)で新たに作り出すから『新』。

 

 

出来上がった、その位牌を見る。

 

子供が親の位牌を見るというところから『親』という感じがなりたったそうで、
見ているのは親が子を心配そうに見ているのではなくて、子が親のことを位牌をみて思い出しながら見ている図であるという。

なんか、木に立って見るの方がいいなあと思った上、本日は、ただ漢字にイチャモンつけようと思って書き進めたところ、意外にもアカデミックなこと出来上がりになってしまったことを、反省しているところである。

 

中国四千年の歴史に勝てず、どうもすみませんでした。

 

 

【注射は恐い?】苦手な注射の克服方法

注射は克服できる!

 

もともと注射が苦手だった私が、今ではどちらかというと注射が好きで、注射を楽しめるようになった方法を書く。  

 

苦手な注射を前に戦々恐々としているあなたの救いになれば幸いである。  

注射の思い出、懐かしの鉄砲注射

 

注射が好きな子供はいない。

そのため、私も子供の頃は大が付くほどの注射嫌いであった。

 小学校に入学すると、入学早々インフルエンザだかツベルクリンだかの予防接種があり体育館で行列に並ばされておったのだが、 注射をもったお医者さんらしきおじさんをみると、もっているのは何やら見かけない注射。

 

 友人に聞くと   「あれは鉄砲注射だ」   という。

 

 

 

※写真は鉄砲注射。  

 

鉄砲注射とは、まさにピストルの形をした注射器で、ピストルの上にはワクチンの容器が乗っかっている。  

 

通常の注射と比べて打つ時間が短く、

〝ピシッ!〟

 

 と音がして一瞬で終わるタイプ。

 

 中年の医者のは

 

 「針なし注射だよ」

 

と言って、次々に注射をしていく。

 

 並んでいる友人達と  

 

「よかった。針なしなんだって」  

 

「針なしか!」  

 

と言い合い、ついに自分の番になったときに、医者に

 

「これ針なしなんでしょ?」

 

 と聞くと  

 

「そうだよ」

 

 と笑って言って、腕に注射されたのだが、普通の注射なんかよりも、もの凄く痛く、涙を流して

 

  『ウソつきやがって!』

 

『なにが針なしだ!』

 

  と、この時から大人は信用してはならないと思うようになった。

 

 で、この記事を書くために鉄砲注射について調べてみたら、 本当に針がないらしい。

 

針はないが、空気圧で皮膚を突き破ってワクチンを注射するものとのこと。

 

衛生的に1987年ころから消滅した模様。

 

 話はそれたが、そのくらい、私も注射が苦手だったのである。  

最悪の注射

 

しかしながら、高校生になり、足の親指の爪を剥がさねばならん事態となり、簡単な手術をうけるハメに陥った。

その際、麻酔の注射を足の親指の先端に打つという。

  見れば針の太さは、パックジュースのストローぐらいの太さである。

 

『終わった。。。』

 

  と思って、足の親指の先にズブーーッ!と、打たれたが、その痛さで気を失いそうになったが なんとか耐えたものの、今度はメスで何度も指の先をつつき、その度に

 

  「まだ痛い?」

 

 と聞かれるのだが、麻酔は全く効いておらず、普通に指先をメスで傷つけられているだけなので  

 

「痛いです」

 

 と答え続けていたが、医師は  

 

「おかしいなあ」

 

  「しょうがないねえ」

 

  と言って、再びさきほどの注射を、足の親指の先端に打ったのである。

 

  この出来事以来、私は  

 

『通常の注射なんぞは恐るるにたらんわ!』

 

『こちとら足の親指の先にパックジュースのストロー二回じゃい!』

 

  と苦手な注射を克服しつつあったのである。    

注射のやせ我慢の克服法

 

 だがしかし、そうは言ってもまだまだ注射は、どちらかと言えば嫌いな部類であり、 まだまだやせ我慢であり、今のようにどちらかと言えば好きであるという心境にはなっていなかった。

 

 だが、三十を超えて健康診断で採血される際、いい年をした注射が苦手なオヤジが 注射を打たれながら、眉間にシワがよるほど固く目をつむって、顔をそむけるように明後日の方を向いているのを見たときに  

 

『情けない』

 

 と思ったのである。

 

で、そういう風に顔を背けるタイプの人は、注射を打たれたあとになった

 

  「あの人ヘタで!」

 

  「何度も打つから痛くて!」

 

  などと決まって言うのである。

 

  で、腕は何度も打たれた注射で青あざのように内出血みたいになっている。  

 それをみてからというもの

 

 目をつむって痛みが和らぐか? 顔を背けて痛みが和らぐか? 情けない!   と私は、なぜか怒りが芽生え、  

 

『俺はむしろ注射針が突き刺さっていき、抜けるまでの腕をじっくりみてやろう』

 

 と思い、それ以来、私は注射針の先端のあの竹を斜めに切ったような恰好の注射針が 腕の関節の欠陥にズズズッと入っていくところをじっくり凝視するようになった。  

 

 

 

そうすると以外に痛くないことにも気が付く。

 

採血の場合は、  

 

『ああ、私の血はこんな色をしているのか』  

 

などと冷静も思える。

 

看護師さんは注射を打つ前に

 「チクッとしますよ」

 

  「大丈夫ですか?」

 

 と聞いてくる。

 

あれは、看護師さんがビビっているから聞いているところもある。

 

そこで私は

 

  「ぜんぜん大丈夫です」

 

  と心の底から言う。

 

  『むしろ好きです』

 

  と心から思う。

 

  これをするようになってから、看護師さんが失敗して何度も注射をし直すような経験はない。

リラックスされて

  「打ちやすそうな、いい血管してますね~」

  なんて言われることもある。  

 注射が痛くなる理由は、ビビっているあなた

 

 何度もやり直すハメになるのは注射が苦手でビビっているあなたを見て 、顔を背けたり、目を固くつむったり、小刻みに震えているあなたを見て、 さらにビビっている看護師さんが、ビビりながら打つから失敗して、 結果、なんどもそれを繰り返すのである。

 

 まず、注射は、それほど痛くない。

 

つねられる方がよっぽど痛い。

 

注射が痛いというのは単なるイメージ。

 

歯医者での治療も、本当に痛い歯の治療もあるが、ほとんどは実は痛そうな音がするだけで、 眉間のシワを緩めて冷静に痛みに向き合ってみれば、ぜんぜん痛くない場合が多い。  

 

注射もこれである。

 

  さあ、あなたも今度からは

 

  「チクッとしますよ」

 

  と聞かれたら

 

  「ぜんぜん大丈夫でーす」

 

  と答え、注射針が突き刺さっていく腕を凝視し、自分も看護師さんも安心させて、注射は痛くないことを実感しよう。  

 注射克服のコツ

 

針を正面からジッと見据えることである。

【そんな彼ならすてちゃえば?】 続! 彼氏、この許されざる者

私が彼氏にムカつく理由

 

彼氏に私がなんでここまで腹を立てているか?

 

それは、これまで彼氏という輩に私が散々煮え湯を飲まされてきたからである。

 

 

サシ飲みの席で

 

女性と二人で飲みにへ行き、その女性が終電を過ぎても帰るそぶりを見せぬので

 

『もしやこれは!』

 

などと思い

 

「終電大丈夫?」

 

などと聞けば

 

「彼氏が迎えに来るんで」

 

と言う。

 

 

がっくりを首を落とすのをこらえて

 

「優しい彼氏だね」

 

などと答えると

 

「いや彼氏っていうか、まだそういうんじゃなくて~」

 

などと抜かす。

 

『てめえが彼氏つったんだろーが!』

 

と思っていると

 

「なんかー、もともと私の友達の彼氏で~」

 

「私のことが好きになったとか言って~」

 

などと

 

『そんなくだらん話は聞きたくねーんだバカ野郎!』

 

と思うが、あくまで冷静に

 

「大切にされてるんだね」

 

などと取ってつけたようなことを言うが、はらわたは十分煮えたぎっており

 

『男と二人で飲んでる女を迎えにくる男。。。』

 

『バーカ!』

 

と思ってあらぶった精神の鎮静化を試みるでのある。

 

しゃしゃり出る彼氏

 

また昔、バンドをやっており、ライブ終わりで女性から話しかけられることがあるのだが、普通の話をしているだけなのに、一人の男がつかつかっとやってきて、おもむろに、これみよがしにその女性の肩を抱いたりし、

 

『俺の女と喋ってんじゃねーよ』

 

と、口に出しては言わないが、〝俺のもの感〟を異常に出す彼氏もおる。

 

『そっちから話しかけてきたんだよ!』

 

『てめえの彼女なんか狙ってるか!』

 

と実は狙っていたにもかかわらず思うのである。

 

諸悪の根源、俺のもの感

 

この〝俺のもの感〟が彼氏に対するムカつきの根源と言えるが、彼女も彼女でこの〝俺のもの感〟にある種の喜びを感じているのでタチが悪い。

 

そんなことだから彼氏をつけあがらせ、飲み会に参加するのにも許可を必要とするバカ彼氏にしてしまうのである。

 

まあ、たかだか飲み会の参加に不許可を出す彼氏は、たいがい飲み会で某ラグビー部のようなエグイことをしてきた者なので、彼氏がそういう人間かどうかを知りたければ、飲み会の参加可否をたずねてみればよくわかるのである。

彼女諸氏におかれては一つの指針にしていただければ幸いである。

【そんな彼ならすてちゃえば?】 彼氏、この許されざる者

彼氏、この忌まわしき者ども

 

この世の中で許せない者どもがいる。

それは〝彼氏〟である。

 

旦那は良い。

あくまで彼氏がダメである。

 

なぜ旦那はいいかと言うと、旦那ともなれば嫁のほうもそいつの現実をみることとなり、日に日には悪い所がめにつくようになり

 

「マクラが臭い」

 

などと言われ、疎んじられ相手の評価は堕ちていく一方だからである。

 

だがしかし、彼氏はそうではない。

彼女もいいところしかみようとせず、またいいところしかみせようとしない。

そんな彼女の恋心をカサに着て威張りたい放題のやりたい放題。

 

あるカップルの夕食風景

 

たわむれに彼女に飯などを作らせ、自分はテレビをつけながら、料理の出来上がりをスマホなどをいじりつつ待っていたりする。

 

数分後、机に料理が並ぶことになる。

彼氏は頭が悪いので、普段は先割れスプーンしか使えないくせに、見よう見まねで箸などを持つ。

なんとかかんとか箸で料理を突き刺すようにして食べる。

 

クッチャラクッチャラ

 

と音をド派手に鳴らして食べ

 

『ものを食べるときは、口は閉じないようにして、なるべく音を大きくさせたほうが美味しさを表現できるでしょ?』

 

『そんでもって口を閉じないのは、音をさせるめだけでなく、口の中でソシャクしている食べ物を相手に見せたほうが付き合いが深まるでしょ?』

 

などととんでもない腐れクチャラーのような、わけのわからんことを思っている。

 

スマホ飯

 

もちろんその間もスマホはいじりっぱなしである。

スマホのゲームをしているのである。

 

『俺の力で姫を助けねばならん!』

 

『妖精の力を借りなければいかん!』

 

などと、全くバカのようなことを思ってスマホゲームをやっておる。

 

『俺は勇者だ!彼女に飯もつくらせるのだ!』

 

とも思っている。

 

その時彼女は?

 

彼女も彼女で、悪い所が目に入らないもんだから

 

『この人の食べかた、ワイルドな食べ方で勇ましいわ』

 

と思い

 

「どう?」

 

と味の評価をたずねる。

 

たずねられた彼氏は食通のふりをして、

 

「なんかお酒が欲しくなるね」

 

などと、勝俣州和のようなことをのたまう。

 

彼女もいそいでビールを運んでくるが、彼氏はバカであり、酒といえばカルアミルクのことだと思っておるので

 

「これに牛乳入れるとお酒になるの?」

 

などと、

 

「なあにがお酒が欲しくなるだ!」

 

「てめえはマミーでも飲んでろ!」

 

と怒鳴ってやりたくなるようなことを抜かすのである。

 

(つづく)

【新潟シティマラソン2017に向けて】2016の回想④ 完結編

秋は赤いバスに乗って

 

 

選手収容のバスがゴールについたら閉会式もなんもかんも終わっており、高橋尚子選手は結局スタート地点で見かけただけであとは一切お目にかかれずじまいであった。

 

あとでテレビでみたら高橋尚子選手は

 

「市民ランナーの9割の人とハイタッチできたんじゃないですかね~」

 

と嬉しそうに語っていたので、私は1割のほうに入ったんだなと忸怩たる思いがした。

 

と、思わずブログを四回も使うほど長くなったが、つまり、私のフルマラソンデビューは、34キロ地点で時間切れという、はなはだ中途半端な結果に終わったのである。

 

完走できなかったものはどう考えるか?

 

さて、フルマラソンが完走できなかったものが考えるのは以下の二通りである。

 

ひとつは

 

「マラソンなんか二度と出るまい」

 

もうひとつは

 

「次こそは、完走!」

 

である。

 

後者の場合、必ず

 

「もっとちゃんと練習して」

 

「次回はもっと楽に走る」

 

というのが付け加わる。

 

私は後者である。

来年こそはきちんと練習する!と決意したのである。

 

ので、春にエントリーして、2017年10月9日(月・祝)に出ることになったのである。

 

リベンジするぞ!

 

では、去年からどのくらい練習したか?

 

まず、それから年内いっぱいは一切走らなかった。

年内どころか年が明けて4月の頭にハーフマラソンにでるために3月から走り始めた。

ハーフマラソンが終わると、その後はちんたらちんたら週に3日程度、30分走り、ラーメン二郎にハマったこともあり、休みのためにラーメン二郎の大盛を食べておったら、体重が7キロ増え去年74キロが今年81キロまで増加したのである。

俺が悪いんじゃない、ラーメン二郎が悪いのである。

 

やってきた新潟シティマラソン2017!

 

毎回、私はマラソンレースは勤務先の仲間と四人で出ている。

マラソンは、大会数日前に資料だとかが郵送で送られてくる。

 

仲間の一人で唯一去年5時間ギリギリで完走した者が

 

「岡村さん、ゼッケン届きました?」

 

「俺、今年、ゼッケンにDって書いてあったからスタート地点〝D〟ですよ」

 

という。

 

「そりゃ、去年ギリギリ完走じゃ、D地点だろーな」

 

「俺はまだ見てないけど、まあ俺もどーせD地点だろうから一緒に最後尾からスタートしようぜ」

 

と答えた。

 

念のため家に帰って改めてゼッケンをみる。

 

 

 

 

 

 

〝H〟と書いてある。

 

「いや、Hなんてスタート地点ないだろ」

 

「去年はDが最後尾だし」

 

 

「だいたいDからD・E・F・G・Hなんてそんなバカな」

 

と指を折って数えてみる。

 

改めて

 

「や、だからそんなバカな!」

 

と思う。

 

「今年はゼッケンのアルファベットとスタート位置は無関係なんだろう」

 

と思い、よくよく資料をみると、去年カラーだったスタート位置のページが白黒である。

 

えーと、Hの場所は・・・・っと

 

 

 

 

って、コラーッ!

トラックにも入りきってねーし!

なんだこのおまけ感!

どこまで人をコケにしたスタート地点なんだよ!

くっ、くそう。

 

今年は這ってでも完走してやるからな。

 

 

 

 

【新潟シティマラソン2017に向けて】2016の回想③ ポリバケツ編

30キロの壁

 

ギリギリで30キロの関門を抜けると、脚が棒のようになり、ずっとこむら返りのまま走っているかのような感覚になる。

って実際こむら返りしていたのかもしれない。

途中で大きなポリバケツに冷水が入れてあって、ヒシャクが突っ込んであるものを発見。

おじさんがそれを脚にかけてあげたりしている。

 

 

私は限界に近いので、そのポリバケツに靴を履いたまま脚ごと入らしてもらった。

 

『冷たくてなんて気持ちいいんだ』

 

『もうここから出たくない』

 

などと思う。

 

靴が水分を吸い、グショグショでズッシリと重たくなる。

 

レース前は、マラソンシューズについていろいろと調べ、最終的に

 

「やっぱりこっちの方が20グラム軽いからこっちだ!」

 

などと聞いた風なことを言っていた自分がバカに思える。

なんとかポリバケツから這い出して再び歩き始めると、次の34キロの関門が300メートルほど先に見えた。

 

「おーい!あと5分だぞー!」

 

などとマイクで叫んでいる。

300メートルを5分、普段なら楽勝なタイムだが今は高橋尚子選手級でないと無理なタイムに思える。

 

というか、高橋尚子さんどこに居るんだ?

 

『ハイタッチどころか、ぜんぜん会ってねーし』

 

と思う。

 

とにかく、ここまで来たら完走はしたい!

まずは、次の関門だ!300メートルダッシュ!

 

と思うが脚があがらない。

 

時間ばかりが過ぎる。

 

〝走れ、走れ〟と思いながらエッチラオッチラ走り、

 

「あと30メートルー!」

 

と沿道の人がいったところで、私の前を走る男性二人組がこちらを向いて両手で大きく×の字をつくる。

 

関門に白いロープがひかれ、〝タイムアウト〟を表す。

 

『そんなロープなくったって、突破できねーわー』

 

と思い、私はそのとき、

 

「ハッハッハッハ!」

 

と声を出して笑い、そのまま、映画プラトーンのような格好で、後ろに倒れたのである。

 

『終わった』

 

『終わってくれた』

 

と、仮に34キロ地点をクリアしても、ゴールまで実はあと8キロ以上もある距離をとても時間内にクリアできたとも思えず

 

『締め切ってくれてありがとう』

 

と心の底から思ったのである。

 

タイムアウトのあとは

 

タイムアウトになると、スタッフの誘導で道の脇に集められる。

10分ほどして、件の真っ赤な〝選手収容〟のバスがやってきた。

 

皆、バスの入り口で一枚づつ配られる自衛隊で使うような毛布を手にして乗り込んでいく。

 

〝護送〟

 

の文字が頭に浮かぶ。

 

ひたいを窓につけ、ただじっと外をみる。

 

バスの中では誰も口を聞こうとしない。

 

別に落ち込んでいる訳ではない。

 

精も根も疲れ果てて思考停止しているだけである。

 

(つづく)

【新潟シティマラソン2017に向けて】2016の回想② 給水編

フルマラソンビギナーが間違いがちなこと

 

新潟シティマラソン、2016年の天候は曇りのち豪雨、ときどき小雨、のち曇り という悪天候。

 

私をはじめマラソンビギナーは、給水ポイントをみると

 

「飲まねば損」

 

「飲んどかないと次いつ飲めるかわからん」

 

と、だいたい3~4キロごとに給水ポイントはあるにもかかわらず

 

〝給水に関する漠たる不安〟

 

が襲い、各給水ポイントで、ついついスポーツドリンクを飲み過ぎることになるのである。

 

 

マナー違反の人

 

雨に打たれて寒いせいもあり、猛烈な尿意を催すがコース途中にある簡易トイレはどこも行列。

 

そのため、コースを少し外れ、立小便をするメンズもチラホラ現れだす。

 

それを横目に我々市民ランナーは

 

「いくらなんでも社会人としてどうかしている」

 

「恥を知れ!」

 

「俺はああにはならんぞ!」

 

と大人としてのマナーの悪さに怒りつつも、羨ましさも交じりあった複雑な決意をするのである。

尿意の我慢の限界にきた辺りの18キロ地点で

 

「もう、タイムなんてどーでもいーわ!」

 

と思い、簡易トイレの行列に並ぶのであった。

 

すっきりしたところで再び走り出すも一度味わった休憩は、じわじわと怠け心を生み、折り返し点を超えたあたりから歩く者も多数いることだし

 

「俺もちょっとは歩くか」

 

と、そこから30キロまでの間は、ちょっと走っては歩き、ちょっと走っては歩き、って、ほとんど歩き。

 

エイドステーションという飲み物だけでなく食べ物のおいてあるポイントでは、置かれている飴や果物、味噌汁、お菓子などを片っ端から口にし、オレンジのあまりの上手さに泣きそうになりながら、さらに走る。

というより歩く。

 

水分とりすぎてお腹はチャポンチャポンし出す。

 

とにかく太ももから下の脚が痛い。

 

横を歩いている人が、その人の仲間に

 

「呼吸は大丈夫なんだが」

 

「脚が痛くて」

 

などと言っている。

 

そりゃ、歩いてるんだから呼吸は大丈夫だろうよ、と思う。

 

恐怖の選手収容バス

 

我々を追いかけてくるように、バスの全面に大きく

 

〝選手収容〟

 

と書かれた真っ赤なバスが対向車線から走ってくるのが見える。

沿道のおじさんが

 

「アレに乗らないように頑張れよー!」

 

と声援を送ってくれる。

 

どうやら、リタイヤするとあのバスに乗っけられてゴールまで連れていかれるらしい。

 

ランナーはレース中に何を喋っているか?

 

「というか制限時間5時間なんて、新潟シティマラソンは厳しすぎるんじゃないか?」

 

「コースの起伏が激しすぎるんじゃないか?」

 

「フードが充実してないんじやないか?」

 

「コースがくねくね曲がりすぎてないか?」

 

「お菓子がシケってたぞ」

 

「味噌汁が冷えてたぞ」

 

と、初めてフルマラソンに出てわかったことは、市民ランナーはコースの上で、苦しさの原因を自分の力量ではなく、運営側に対する愚痴に置き換えて延々話しているということである。

 

(つづく)

【新潟シティマラソン2017に向けて】2016の回想① 立志編 

二度目のフルマラソン

 

来たる10月9日月曜・祝日 午前8:30

 

元・重度のヘビースモーカーであり、中度のアルコール依存症であった〝キング・オブ・不健康〟と呼ばれていた私が昨年につづいて人生二回目のフルマラソンに出場する。

 

初フルマラソン時のスペック

 

昨年は本番からさかのぼること三か月から十分に走り込み、平均キロ6分で一時間で10キロの距離を走ることのできる肺と脚をつくり出場した。

LDSという長い距離を喋ることのできるゆっくりとしたペースでなら20キロは余裕で走ることもできるようになった。

 

とはいえ、スペック的には、身長167センチ、体重74キロと競馬場のパドックで見たなら、とても投票しない仕上がりではあったが。

 

いよいよフルマラソン

 

そして迎えた2016年大会。時間制限は5時間。一般的に市民マラソンは6~7時間なので厳しい設定である。

 

「だからなんだ!」

 

「目標サブフォー(四時間以内にゴール)!」

 

とFacebookで息巻いた。

 

ゲストランナーはQちゃん

 

新潟シティマラソンは毎回、ゲストランナーはかのシドニーオリンピックマラソン金メダリスト高橋尚子選手。

高橋選手はよくあるゲストランナーのように、普通に走って終わるわけではない。

オープニングセレモニーで挨拶したあと、市長だかが号砲を鳴らす横で、スタート地点を走っていく選手にマイクで声援を送る。

その上、10キロのファンランという短距離を走る市民ランナーと並走して自らも走る。

で、何度も何度もコースを行ったり来たりして市民ランナーとハイタッチしながら走る。

 

「一体何キロ走るんだ?」

 

という感じで大奮闘するのである。

さすがはオリンピック金メダリスト。
かつ地元が私と同じ東海三県の岐阜県。

岐阜県といえば愛知県民から言わせれば、ほとんど愛知県である。

もう愛知県出身ということで問題がないと思う。

 

さて、高橋選手は昨年(2016)

 

「今年は八割以上の市民ランナーのみなさんとハイタッチしたい!」

 

の目標を掲げて出場。

 

マラソンのスタートは、ゼッケンにかかれているアルファベットの位置からスタートさせられる。

私の場合、ゼッケンにDと書かれてあり、屈辱の最後尾のD地点からスタートとなる。

 

「Dから這い上がる」

 

「そして高橋尚子選手とハイタッチするぞ!」

 

と意気込んで最後尾のD地点からスタートした。 

 

※写真が2016年のスタート地点。私は屈辱の最後尾D地点。

関門って?

 

と、ところどころで

 

〝第〇関門〟

 

〝締め切り10:30〟

 

だとかの文字が見える。

 

『関門ってなんだ?』

 

『TBSテレビのオールスター感謝祭の第一ピリオドとかそのテの単なる区切りだろう』

 

程度に思っておったのだが、その関門を抜けるときに、スタッフのおじさんが

 

「おーい!あと何分で締め切るぞー!!」

 

などと叫んでいるのを聞いて、

 

『この関門って・・・』

 

『関門ごとに決められたタイムリミットまでに通過せねば即失格になるんじゃねーかー!』

 

と10キロほど走ったところでマラソンにそんなルールがあることを知り、極端に気が小さく、普通にできることも、カウントダウンなどされると途端にプレッシャーを感じ手につかなくなる性格であり、急にギクシャクし右手と右足を同時に出すように走るハメになったのである。

 

みなさんもマラソンに出場される際は、制限時間だけではなく、決められた関門ごとにも時間制限があることので注意いただきたい。

まあ、ちゃんと送られてきた資料を読めば書いてあるのだが。

 

(つづく)

【究極のズボラ弁当】誰でもできる節約術!一汁一菜スープジャー

私は、筋金入りのズボラです。

 

数年前の話だが、給料日の直後に突然、口座の残高が0になり、確認してみたら区民税の滞納で口座凍結!差し押さえ!の憂き目に遭い、約100万円の滞納を分割で支払うことになり、差し押さえの月はもちろん、それから三年間苦しい生活を強いられてきた私は、お察しの通り、差し押さえられちゃうくらい、ズボラな人間である。

そんなズボラな人間が、この三年、ほぼ毎日自ら作成した弁当を持参し、無事に延滞金を完済し、どーにかこーにか毎月貯金も出来るようになった方法を書きます。

 

 

 

 

※写真は、差し押さえに遭い、「商売道具だから、これも抑えとけ」と、自らの口に差し押さえの札を貼る初代・桂春団治。

 

まず最初に!

 

まずこの、ズボラ弁当は

 

「毎日いろんな昼食を食べたい」

 

という人には向いていません。

 

「昼飯は五日間同じものでも構わない」

 

という人しか無理ですので、あらかじめご容赦ください。

 

弁当いろいろ

 

さて、毎日弁当を作れば昼食代が大幅にカットされることぐらいはわかっているが、毎日弁当を作ることは、ズボラな私にはとてもじゃないけどできない。
何日か冷凍食品などを詰めて作ってみたが、食品によって温め時間が違ったりして面倒な上、以外に冷凍食品は高い。

 

作り置き

 

そこで、調べてみると〝作り置き〟などというものがあって、日持ちのする色々なおかずを休日に作っておいて、朝とか夜とかに、それらを詰めるだけのレシピ集などの書籍もあったりするし

『これなら出来るかも!』

と、作り置きに切り替えてみたが、これも、めんどくさい。

休みの日に何品も作る手間がめんどくさい。

おかずが均等に減っていかず、且つ、冷蔵庫も小さいしそんなに置いとけない。

数日は出来たとしても習慣になるほどの根気は持ち合わせていない。

 

簡単弁当の極み(見てくれ無視)

 

だったら簡単なら良いのかと、例えばパックご飯と、生卵、インスタント味噌汁などを持参して職場でレンチン&お湯で作成するなんて、健康的にもよくないし、毎日は続けられない。
第一、哀れすぎる。

 

夜ごはんの余りものを詰める弁当

 

毎日夜ご飯がある人はこれが一番のおすすめ!

しかしながら一人暮らしの私は夜ご飯を作るわけではないので、そもそも余るものがない。

 

ズボラ弁当の条件

 

ここまで、考えて出てきた私の弁当の条件は、

①ごく簡単に作れること。
②冷蔵庫のスペースをとりすぎないこと。
③見るも無残な弁当にならぬこと。

の三点。

 

たどり着いたら、一汁一菜

 

料理家の土井善晴さんが、台所に立つ人を楽にしたいと執筆された『一汁一菜でよいという提案』という本を知り、

「一汁一菜、ええことだらけですわ」

と言っているのを見て(いや、見たわけじゃないが)、

『これだ!』

というんで、この考え方を弁当に取り入れた。

一汁一菜とは、ごはんを中心として、汁(みそ汁)と菜(おかず)それぞれ1品を合わせた和食の原点ともいえる食スタイル。

 

 

 

土井さん曰く

 

昔の庶民の暮らしではおかずはつかないことも多かったから、実際には「みそ汁、ごはん、漬物」だけで一汁一菜の型を担ってきました。
だから、いまだって、おかずをわざわざ考えなくても、ごはんとみそ汁を作り、みそ汁を具だくさんにすれば、それで充分「一汁一菜」なんです。

 

とのこと。

飯は無洗米、一汁一菜の〝一菜〟は具だくさんの汁でいけると思ったのである。

 

汁をどう弁当にするか?

 

汁はスープジャーを買って、温かいものを飲めるようにした。

汁の種類はなんでもいい。だいたいが汁物はコストが安い。

えのき茸と豆腐の味噌汁とかなら具にもよるが、かなり安く作れると思う。

 

 

※写真はスープジャー。

 

スープジャーの利点

 

温かいものをそのまま飲めるってだけじゃなくて、盛りつけとかも関係ないし、スープジャーの外見でなんかオシャレに見えるし、中身は他人から見えないのでいいですよ。

 

私のスープジャー

 

汁はスープジャーをAmazonで購入。全部分解して洗える象印背製の2,500円くらいのものを購入。
(他のメーカーなら1,700円くらいのもあり)

スープジャーを入れるポーチが1,100円くらい。

スプーンとかも売ってますが、個人的には100均の箸とかで十分だと思います。

 

私のレシピ

 

私の場合は、大根(半分88円~128円くらい)を適当に細長く切ったのと、100グラム98円の豚肉の切り落としを400グラムと、切れてる白滝68円、
一個28円の豆腐を、適当に市販のダシ汁と醤油とダシダで味付けした独自の代物を毎日食べている。

これを五日間。計算すれば汁が128円。

米は無洗米で5キロで2000円程度。 米5キロは約33合。弁当には0.5合としてだいたい30円。

締めて一食、158円(光熱費、調味料費別)。

 

一か月22日出勤として、3,476円。

 

「小遣いも少ないし、ワンコインランチだよ・・・」

 

などと嘆くオヤジには、500円×22日出勤=11,000円。

一か月の昼飯代がしめて11,000円。

 

「贅沢な!」

「大名みたいな生活してるんじゃねえ!」

 

と言いたくなる。

 

驚いたことに、これを二年間食べ続けており、我ながらよく続いていると思う。

でも、コンビニとか外食なんかしたら一食で700~1,000円くらいするからね。

22日で、15,400~22,000円もかかる。

スープジャーと比較して、11,924円~18,524円の差。

 

これが毎月である。

 

究極ズボラ弁当の仕込み手順

 

仕込み編

 

①休日に鍋一杯の汁ものを作る。それを冷蔵庫に入れる。

汁物は、いろいろ安いものを試してみるといいと思います。
また、ズボラ弁当に反する上、面倒なので私はやらないが、各種スープジャーレシピもクックパッドなどにあるので、いろいろチャレンジしてみるのも、料理好きの人は楽しいと思います。

②無洗米を出勤前に炊き上がる様に炊飯器にセットしておく。

以上。

 

出勤時編

 

①お湯を沸かす。

②汁ものを冷蔵庫から出して温める。

③ ①で沸かしたお湯をスープジャーに入れる。

④ご飯を弁当箱に詰める。

⑤汁物が湧いたら、スープジャーのお湯を捨てて汁物を詰め込む。

 

以上。

文字にすると五工程もあるが、やってみればすぐ終わる。

湧くまでの時間に洗面などをすませておけば効率的である。

 

昼食後編

 

①給湯室など、食器を洗うスペースがあれば、弁当箱やスープジャーを洗っておきましょう。

分解して洗えば、1~2分で終わります。家に帰ってからや、翌日のためにも是非!

 

救世主は、スープジャー!

 

これをやり始めたら、

「あれ?給料がかなり余ってるわ」

と、毎月、貯金なども出来るようになりました。

 

お金だけではなく、貴重な昼休みの時間に、コンビニに行く時間、コンビニで行列に並ぶ時間のカットにもなります。

家計簿付けてみるとわかるんだけど、やっぱりコンビニで金つかってるんだよねー。

 

ということで、みなさん昼食は、一緒にスープジャーで一汁一菜して、正月とかには旅行とかして贅沢したり、

本当に使いたいものにお金を使ったりできるようになりましょうね!