【mixi日記で振り返る】元祖ネットカフェ難民への軌跡 ③~精神不安定編~

2006年10月18日の日記 タイトル「勝つかもしんない」

 

「部屋を追い出されたて、凍死しました」

なんてニュースも聞かないし、

「なんとかなんじゃん?」

と半ば思考停止状態で、楽観的に考えていたのだが、 楽観的に考えれば考えるほど、冗談みたいな話だが、実際になんとかなりつつあって嬉しい。

病気で苦しむ人が病原菌が死んでいく姿の絵を 書いていたら、実際に病気が治ったり、

「薬です」

って渡された、ただの小麦粉を服用していたら病気が 治ったり、薬の名前を書いた紙片を握って寝たら効果があったりっていう、いわゆるプラシーボ効果ってヤツなのかもしれないけど、とにかくなんであっても、しばらくは、東京を離れる事になりそうだが、なんとかかんとか生き延びれそうだ。

詳細はまた今度、シラフの時に報告します。

オエーッ。

(なんだこの日記)


★解説

勤務先が、新潟に支社を作ることになり、11月の頭から応援という形で11月末まで行けることとなり、浮かれて酒を飲んで書いた日記である。
まったく記憶にない。

こんな日記を書いていたことを今更知ることになるとは。

 

2006年10月22日の日記 タイトル「試しにサヨウナラ」

やれ、

「マージャンをすればその人の本質が見れる」

だの、

「酒を飲めば本音が出る」

とか、いうけれども、本当か?

麻雀については、勝ちたいと思っている、精神的には不安定な時に、本音が出るとは考えがたいし、酒については、酒飲みの自分から言うと、酔って喋っている事なんて、 ほとんど、その場を盛り上げる為の方便であって、それをもって 本質とか言われると困ってしまうので、 これも、本音が出るとは言いがたい。

では、どうすればよいか?

麻雀をやらずして、酒も飲まずして、本音をさらけ出させる方法は、ソレは、

”友人知人に対してS.O.Sを出してみる”

事で見極める事が出来ると提案してみる。

今回、ボクは非常にピンチな状態である訳だが、

「今、自分は、こんな危機的状況だ」

と、伝えると、反応の仕方によって、その人の本性がわかるのだ。

相手の反応は、大きく分けて反応は五つに別れた。

まず、一つめ

”放置型”

「おめえは、そういうヤツだよな」

「それも、また人生」

等と、訳知り顔で、上からモノ申す一派。
でもこれは、ある意味、さっぱりしていて、気持ちがいい。

ただ、決してムカつかないとは言い切れない。

続いて二つめ、

”嘲笑型”

「自分の撒いた種だろ!」

「ざまーみろ」

叱咤する一派。

言い換えれば、傷口に塩を塗り込む人々。
生き残った暁には、 この辺の人々とは近々縁を切っていく予定。

そして、三つめ、

”一見、受け入れ型”

「本当に困ったら助けるよ」
「気軽に声かけてね」

と言ってくれるのだが、
実際に泣きつくと

「冗談ですよ」
「本気にしてたんですか?」

とキビスを返す一派。

この辺は、本当の本当に危機的状況にならねば
本性がわからない、一番タチの悪い人々。
時間をかけて縁を切っていく予定。

続いて四つめ、

”応援型”

励ましの言葉を送ってくれる一派。

「力にはなれないけれど、頑張って!」

と言ってくれる人や、
電話で安否を確認してくれたりする人。

こういった人々は、末永く友達付き合いをしたい。

力になるとかならぬとかじゃ無く、頑張ってって言う言葉だけで、力になるのだ。

そして最後は、

”怒り型”

「なにしてんだよ!」

「社会人として恥じろ!」

と叱り飛ばす一派。

言われた直後は、ムカつくが、
よくよく考えてみると、一番自分の身になって考えてくれている人々。

本当の友達って、心配かけると怒ってくれるんだよ。

★解説

強制退去目前で、いろいろみんんから言われ過ぎてかなり精神的にやばいことになっている日記である。

みんなに心配かけておいて切れているところが幼稚である。

(つづく)

【mixi日記で振り返る】元祖ネットカフェ難民への軌跡 ②~甘ったれ編~

前回、不動産屋を通じて大家から

「滞納分を一か月後に払わねば出ていけ」

と言われた話を書いた。

今回は、その続きである。

再び、mixi日記を見ていこう。

 

2006年10月9日の日記 タイトル「初恋」

確固たるアテもなく、後先を考える事なく、

「出ていってやるぜー!」

と不動産屋に対して啖呵を切ってしまった手前、引くに引けなくなり、とりあえず荷造りを始めた。

冷し中華を始めた訳じゃないぞ?
アテも無く、荷造りを始めたんだぞ!
どーゆー事だか、わかってんのか!?

と軽く読み流していた人を叱咤しつつ、話を先に進める。

で、荷造りと言えば、まず、

「いるもの、いらないもの」

を分け、いるモノは段ボールに、 いらないモノは、ゴミ袋に分けていく訳であるが、その辺の切り分けに困ってしまうのが、 手紙である。

荷造りを始める前は、

「とにかく、必要最小限のモノ以外は全て捨てる!」

と、思っているのだが、人の書いた文字ってどうしても 捨てらなくて、どーでもいい

「御飯はあっためて食べて下さい」

なんて紙片を捨てられずにいたりする。

その上、荷造りを急がねばならぬ時に限って、

「岡村君、今年もよろしく」

等と書かれた年賀状を読み返してしまう。
(映画のパンフレット然り。)

で、本日も相変わらず手紙を読み返していたら、今では故郷を遠く離れ、群馬で高校の先生をしている、ほんの少しだけ一緒に暮らした初恋の人からの年賀状を発見。
(申年に届いたモノだから、何年前になるんだ?)

”たまには連絡しなよ”

の文面を今さら確認し思わず連絡してしまった。

「突然どーしたのぉー?」

「いや、荷造りしてたら珍しい年賀状見つけてね」

「地元に帰るのぉー?」

「いや、地元に帰る訳じゃないんだけどとにかく今の所を離れる事になってさ」

「ふーん、仕事の関係で?」

「・・・・そうそう、仕事の関係で」

「へー、すごいねー、がんばってるんだねー」

「・・・うん。そう、がんばってるんだよ。だから君も先生頑張ってな」

「はーい」

なんて会話をかわして、電話を切った。

ウソをつくものホドホドにしやがれ。

 

 

★解説

ハッキリ言って、現実逃避して甘えているバカ日記である。

で生活のアテのなくどーしよーかなーと考えている状態である。

借金地獄で金など借りられるはずもなく、八方ふさがりの状態。

にもかかわらず、mixiなんぞに書き込みをしている点に我ながら楽観的というかバカというか。

(つづく)

【mixi日記で振り返る】元祖ネットカフェ難民への軌跡①~突然の退去勧告編~

人生二度目の宿無し生活

人生二度目の宿無し生活から、無事に部屋を借りるまでの経緯を、当時、mixiに書いていた日記をたどって書いていきたいと思う。

くれぐれも手抜きではないので誤解しないで欲しい。

まずは、2006年9月29日、当時、借金で首が回らず、家賃を二か月遅れで支払っていたのだがその時に書いた日記。

今でも拙い文章だが、当時はもっとひどい。そのあたりは多めに見ていただいて、さっそく一緒にみていきましょう。

私の2006年9月29日の日記 タイトル「脱!どん底」

思い起こせば、今の部屋に入る前、 なんとボクは宿無しだった。
ホームレスである。

風呂はサウナに偽造したチケットで入って生活したり、 先輩のお父さんが経営する会社の事務所で、そのお父さんに内緒でこっそりと寝起きしたり、 
(いや、ほんと毎日ビクビクで寝れたモンじゃないってば)

職場には交通費を浮かせる為に片道20キロの山道を、電車を使わず毎日毎日自転車でヒーヒー言いながら通勤して やっとこさっとこ数カ月でお金を貯めて、今の部屋を借りた。

借りるお金で精一杯で、家具にまで手が回らず、文字どおり身一つで入居。
そこから、日雇いの肉体労働の先で、あまったウレタンを貰い受け、それを敷き布団にし、冷蔵庫を貰い、ベットを貰い、炊飯器を貰い、掃除機を拾い、扇風機を拾い、掛け布団を盗み、という具合になんとかモノを揃えたという、これまた文字どおり裸一貫からのスタートであった。

それが数年で、ネットを繋げるという、上流階級の生活を送っていたのであるが、
(どこが?)
プロバイダが潰れ、ネットできなくなった。

で、いろんな友達の協力を得ながら、なんとか数日前に再びネットが繋がり、友達からiBookまで貰って

「いやいや、とにかくネットが繋がり、マンガ喫茶通いもしないでよくなったナ」

「ますます上流階級!」

「ティータイムには紅茶とマフィンを食べてやる!」

「パンがなきゃ、ケーキを食べればいいじゃないの!!」

と思っていた矢先、二か月遅れで支払っていた家賃が祟って、11月27日の更新までに滞納分を支払わねば、

「強制退去!」

と連絡があった。

金が有れば払うのだが、 金が無いから払えない。
金が無くて払っていいるヤツがいたら、いっぺん俺んトコへ連れてこい!

という訳で、払えないモノは払えない旨、不動産屋に泣きついたが不動産屋は

「大家さんの意向なんで」

とニベもない。

ドッヒャー!
助けてくれー!!

と、言う訳で、
11月3日の金曜日(祝日)に 新宿JAMというライブハウスで20時半から、我が、つりばんどのライブを行います。
タイトルは

「つりばんど岡村を救え! 前代未聞の逆チャリティーコンサート、行かなきゃアイツはホームレス」

に勝手に決定。

さあ、ライブに行くとか行かないとかの問題ではないですよ!
人命に関わる問題ですよ!
今なら特別に、 ライブに来なくてもチケットだけ買ってもいーですよ!

「家に転がり込んでも構わないよ」

っていう人いませんかー?

ウソ話の多いボクの日記であり、
今回のは特にウソ臭いが、
信じられない事にウソでは無いのだ。

★解説

家賃滞納で追い出される内容。

金がないからライブを口実として、みんなから金をめぐんでもらおうとする卑劣な日記である。

ライブには大勢友人が駆けつけてくれたが二か月分の家賃を払えるような額が集まるはずもなく、数日後、強制退去となるのであった。

(つづく)

【テレビのウソを暴く】鶴瓶の家族に乾杯の中のうそとは?!

テレビのウソ

薄々感づいている方も大勢いらっしゃると思うが、テレビの世界にはウソが蔓延しておる。

もう、ウソで塗り固められておる。

 

ので、今回はそういったウソのいくつかを暴いていくことにする。

テレビ関係者は震えて読んでいただきたい。

 

第一のウソ「このあとすぐ!」

ある番組が終わり、次に始まる番組の予告が始まる。

予告の最後で、だいたい

「このあとすぐ!」

と言うのだが、必ずすぐには始まらずCMが始まる。

数本のCMが終わって、ようやく予告していた番組が始まるも、アバンなどと呼ばれる今回のラインナップ的な内容が放送されたあと、またCMに入ったりして本編はなかなか始まらない。

どこが、このあとすぐ!なんだ!と思うことになる。

そのため、テレビで

「このあとすぐ!」

と言ったら、

「始まるまでまだだいぶ時間があるな」

と思っていただいて差し支えない。

第二のウソ「CMのあともまだまだ続きまーす!」

生放送の番組に多い。

 

その番組のメインのコーナーなども終わって終盤に差し掛かり、CMに入る段になって司会者が

「CMのあともまだまだ続きまーす!」

と言う。

でCMがあけると

「ではまた来週のこの時間をお楽しみに!」

程度の軽いエンディングがあるだけである。

 

どこがまだまだ続くんだ!すぐに終わったじゃねえか!と言いたくなる。

そのため、テレビで

「CMのあともまだまだ続きまーす!」

と言ったら

「もう間もなく終わるんだな」

と思っていただいて差し支えない。

第三のウソ「鶴瓶の家族に乾杯」

NHKの長寿番組、〝鶴瓶の家族に乾杯〟にもウソがある。

 

「え!だって、あの番組は、鶴瓶師匠と週ごとに変わるゲストがぶっつけ本番で旅をして」

「出会う人たちと触れ合うっていう完全なロケ番組じゃないの!」

「その模様を後日スタジオで出演者一同で観て、感想などを語り合うって番組でしょ!」

「それのどこにウソがあるの!」

「全部演出通りだっていうの!」

という方もいらっしゃるが、そうではない。

番組自体は何の仕込みもない、本当にぶっつけ本番で旅をして、人ん家に土足で上がりこんだりしているわけである。

(土足ではありません)

では、番組のどこにウソがあるかというと、鶴瓶師匠が箸で何かを食べるシーンにある。

というか箸で食べるシーンをスタジオでみている鶴瓶師匠の発言にウソがある。

自身が旅先で箸で食事をするシーンを、スタジオで観た鶴瓶師匠は、視聴者に対して必ず

「箸の持ち方ヘタですいませんネ」

と自分自身の箸の持ち方の悪さをお詫びするのである。

 

「箸の持ち方ヘタですいませんネ」

 

※写真は「箸の持ち方ヘタですいませんネ」と言っている師匠。

これがウソである。

「箸の持ち方ヘタですいませんネ」

と口では言っているが、何も心から詫びている訳では無い。

というか、微塵も悪いとは思っていない。

ただ、恐らく過去にこの番組での鶴瓶師匠の箸の持ち方に対して苦情が多数寄せられたのだろう、それを回避するために

「おい、コラ」

「箸の持ち方が悪いからっていちいち苦情の電話を入れてくるんじゃねえぞ」

「ガタガタ抜かすと東シナ海に沈めるぞ」

と思っているが、そうは言えないので、クレーム回避の苦肉の策として、あくまで表向きは笑顔で、苦情がくる前に

「箸の持ち方ヘタですいませんネ」

 

「箸の持ち方ヘタですんまへんナ」

 

「箸の持ち方ヘタですんまねへんデ」

 

〝ギロリッ〟

 

と、あらかじめ念を押して睨みを利かせているのである。

 

 

※写真は、「箸の持ち方ヘタですんまへんな」と言っている時の師匠の心象風景。

 

鶴瓶の気持ち

 

鶴瓶の家族に乾杯のテーマソングはさだまさしの「Birthday」である。

この曲の歌詞はこう来る。

 

幸せをありがとう、ぬくもり届きました

なによりあなたが元気でよかった

宝物をありがとう、思い出届きました

生まれてきてよかった

 

だが、鶴瓶師匠は箸の持ち方に苦情を寄せる視聴者に対しては

 

「生まれてきたことを後悔させたろかい」

 

と思っていることが判明したのである。

(してません)

 

本日は、12月23日、鶴瓶師匠、お誕生日おめでとうございます。

私も箸の持ち方は悪いです。

 

 

【金八先生】3年B組恒例!最終回、主題歌大合唱について考える!

無理があるもの数あれど

何が無理があるかといって、

 

『金八の最終回で生徒一同が主題歌を合唱し出すことほど無理な物はない』

 

と私は声を大にして言いたい!

 

(言えばー?)

 

説明します!

 

ドラマ、三年B組金八先生をあまり観たことの無い方に一応説明すると、金八の1シリーズは、だいたい半年間放送がある。

中学3年の途中から、生徒が卒業していくところでまでが1シリーズである。

金八の最終回では毎回、卒業式が終わったあと、教室に戻って『お説教』と呼ばれる金八によるスピーチがある。

これがもう見せ場である。

このシーンのためだけの半年間と言ってもいい。

 

金八最後のお説教風景

 

この教室での金八によるスピーチが始まると、生徒達がシクシクと泣き出しはじめる。

テレビドラマという仮想のクラスとは言え、半年間、準備期間などを考えればそれ以上の長期間に渡って苦楽をともにした同士の別れであり、生徒達はギャンギャン泣くのである。

スピーチも終盤にさしかかり、金八が、生徒を愛している的な発言をすると、泣き声はヒーヒーと、もう泣き声は、鳴き声となり、教室中に怪鳥音じみた嗚咽が共鳴しあってどえらいことになる。

感情を抑えきれず、机に突っ伏して泣く者もいる。

とりわけ仲の良い者同士で抱き合うように泣く者もいる。

訳が分からなくなって、全裸で床を這いずり回って泣く者もいる。

(いません)

で、スピーチが終わると、だしぬけに金八が

「さあ、歌おう歌おう」

と言う。

するといきなり、生徒の一人がギターを持ってイントロを奏でる。

イントロが終わると、突然、生徒一同が

「遠~くまで~見える道で~」

「君の~手を~握り~しめ~た~」

などと、だしぬけ、いきなり、突然、と言う、唐突の三段方式でもって出演者一同で主題歌を泣きながら合唱するのである。

これが、冒頭で書いた

『金八の最終回で生徒一同が主題歌を合唱し出すことほど無理な物はない』

の意味である。

金八は集団催眠か?!

 

つまり、金八は、最終回のラストギリギリで、急にドラマからドキュメンタリーになるのである。

まあ、卒業と最終回が同じ意味合いだから役を忘れて泣きじゃくるのは構わん。

ダブルミーイング的とも言えるので良し。

が、主題歌を突然歌いだすことはまかりならん!

と思うのだが、これに対してそう思わないということは、出演者、スタッフ、視聴者、その他、金八に関わった者全員が、公私混同というか、現実とドラマが混在となって感情がどうにかなって、冷静さを欠いているとしか思えない。

 

最終回、主題歌大合唱を合法化するための苦肉の策

ただ、放送後、数年経ち、新シリーズが制作される頃になると、スタッフの中には一部冷静さを取り戻し

「アレちょっとおかしいんじゃないですかね?」

と言った者がいたようで

「でも、最後はやっぱり全員で主題歌大合唱で終わらないと納得できないでしょ!」

「マジな号泣を撮れないでしょ!」

「収まりがつかんでしょ!」

と喧々囂々の議論百出状態となったと思われるのだが、第何シリーズかでは、苦肉の策として、最終回間際になると、ホームルームの時間などで金八が

「クラスの歌をね、作りたいと思う」

「クラスの歌をね、作ってみんなで歌いましょう」

などと言い出しものがあった。

こうして、クラスの歌とやらで主題歌を作ったことにして、最終回で全員での主題歌大合唱に異論を唱える者を黙らせることが出来るという算段である。

ドラマの中で金八に前置きさせておくことで一件落着なのである。

だからと言って、これだけでは安心しきれないので、更にドラマの中で金八に

「おい、ヤスオ」

と、ヤスオなんて生徒がいるかどうか知らんが、ギターが弾けるヤスオ的なキャラな男子生徒に

「おい、ヤスオ!」

「クラスの歌は出来てるか?」

「着々と進んどるか?」

的なセリフをしゃべらせ、視聴者に

〝クラスの歌、絶賛制作中!〟

のイメージを念押しし、最終回の主題歌大合唱、完全合法化への布石を打ったのである。

 

次回作への私の案

 

そんな小細工も時代と共に許されなくなったのか、金八は第何シリーズかではこの最終回主題歌大合唱シーンはなくなってしまった。

誤解してほしくはないのだが、私はこの最終回主題歌大合唱のシーンは好きである。

ただ、無理があると言っているのである。

で、いいアイデアもないまま、最後の大合唱シーンがなくなった金八のラストシーンは、ソーラン節だかのダンスシーンにすり替えられるという、まことに腑抜けたものと差し替えられたのである。

じゃあ、どうすればよかったのか?

例えば、「THE END」 なり、「終わり」なりの文字が出たあとに、あくまでメイキング映像として出演者全員号泣の大合唱を放送すればよかったのである。

ので、次回作ではぜひ検討して欲しい。

って、もう金八やらないのか・・・。

金八また放送しろ!

ファイナルを放送したからって気にするな!

引退してもすぐに復活する大仁田の様に何回でも復活しろ!

【俺の時代上司】お前の時代など、無い!について考える。

俺の時代おじさん

 

ことあるごとに

「俺の時代は」

と言って鼻息を荒くする上司がおる。

 

「俺が現場でやってた時代は」

などとも言う。

こういう者にまず言っておきたいのは、

「お前の時代など、無い!」

ということである。

そいつの時代など、過去に一度も、無いのである。

だがしかし、そいつの脳内には、文久・元治・慶応・明治・大正・昭和・俺・現在といった具合に自分の時代が存在し、それを信じ切っているので悪質な新興宗教の信者のようにタチが悪い。

 

俺の時代発言の聞こえてくる場所

 

まず、この〝俺の時代〟発言は、会社内では聞こえてこない。

どこで聞こえてくるかと言うと、居酒屋で聞こえてくる。

居酒屋で数人の部下をひきつれて飲んでいるオッサン上司が言う。

で、そいつは、「俺の時代は」と言った後、何を語るかと言うと、

「俺の時代は無茶やってさ」

「とにかく無茶苦茶だった」

と、せいぜいが無茶やっただけの、ただバカだった行動を、さも武勇伝のごとく語る。

ただもう無茶やって、たまたま上手くいったか、失敗したがお咎めがなかった程度の話を口角泡飛ばしするのである。

何かを成し遂げたとかそういう話ではない。 

俺の時代上司と部下たち

「俺の時代は無茶やったなあ。」

「上司にもケンカ腰だったよ」

「また、それが通る社会だった」

と、まるで自分が社会を動かしていたような物言いで

「もっと上司にぶつかって来いよ!」

などと言って部下達を鼓舞する。

言われた部下達も困って

「はは、そうすね」

と適当に作り笑いをしているが、俺の時代上司が

「そうじゃねえんだよ!」

「ぶつかってこいよ!ぶつかって!」

「おら、スケールのでかいことやろうぜ!!」

「今はお前らの時代なんだよ!」

と、あまりにもしつこいので、部下のひとりが

『だったら』

と思って、普段思っているそいつへの不満の百分の一程度のことを伝えると、茹でダコのように真っ赤になって怒り出し

「なんだその態度は!」

と言ってしまったが、さすがに自分で矛盾を感じ、必死で自己弁護するために

「お前らは、ぶつかり方が甘い!」

「もっと正面からぶつかってこい」

と抽象的な表現をし部下たちをけむにまいて

 

「まったくお前らはケンカのやり方もなっちゃいねえ」

 

「お前らの時代はゲームばっかりしてケンカもしたことがねえんだろ!」

「俺の時代は、殴りあってから仲良くなったもんだ」

 

「お前らの時代はカツアゲとかなかっただろう?」

 

「おい、お前ら何中だ?」

 

「西中の稲垣知ってるか?」

と訳のわからないことを言い出し

 

「俺の時代は、もうちょっと上司に対する思いやりがあったもんだ!」

「俺の時代は、刺身のいいところは上司に譲ったもんだ」

 

と、とにかく自分に都合のいいことの枕詞として、俺の時代とつけているだけの状態になり

 

「お前らの時代なんだからお前らがここの勘定を払え」

と言って金を払わせ、帰りたがっている部下たちを無理やり連れてカラオケに行く。

 

嫌な二次会

 

 

部屋に入ると

「なんか適当に、俺の時代の曲、入れといてくれ」

と言い放ち、言われた部下は仕方なく、適当に上司の好きそうな曲をデンモクで入力する。

上司の歌う順番が来たので、上司がマイクを持ってステージに立ったところ、

パッパーラッ パーラーララー!

(ドドンドドンドドンドドン)

パッパーラッ パーラーララー!

(ドドンドドンドドンドドン)

 

 

と、〝お嫁サンバ〟のイントロが流れてきたことに憤慨し

「バカにするんじゃねえ!」

「俺の時代は、お嫁サンバじゃねえ!」

と怒鳴り散らすも

「恋する女は奇麗さー決してお世辞じゃないぜー」

と、一応は、タンバリンを振り回し、

 

「花の咲くのはこれからなのにぃぃぃ!」

「つぼみのままで良いわというの!」

「ちょっとっ、ちょっと、待ってよちょおっと~!」

 

と、一心不乱に目を閉じて熱唱しているスキに、部下たちは全員帰宅したのであった。

【為替と株の値動きです】円相場「今、変わって」について考える

NHK定刻ニュースに疑問有り

 

NHKのニュースの締めくくりは、なぜだかいつも〝為替と株の値動き〟である。

毎回、必ず

「おしまいに、為替と株の値動きです」

などといってよくわからんが、

 

「東京外国為替市場、現在の円相場は…」

 

と、現在の円相場を

 

「ドルに対して昨日より、42銭円安ドル高の、112円52円から」

 

と伝えるが、伝えている途中で数値が変わり、画面の表示の値段も変わる。

そのタイミングでアナウンサーは、

「今変わって、53銭から55銭で取引されてます。」

などと言うように、必ずと言っていいほど金額を言っている途中で

「今、変わって」

と言って訂正が入る。

まるで決まり文句のようである。

 

〝今、変わって〟は必要か?

 

もう毎回毎回、

 

「今、変わって」

 

と言って訂正するのである。

どうせ円相場や株は伝えている最中に変わるに決まっているので、いちいち

「今、変わって」

 

などと言わなくてもいいのではないか?

「ドルに対して昨日より、42銭円安ドル高の、112円52円から…って、いつも通り当然変わるのですが、やっぱり変わって、53銭から55銭で取引されてます。」

と言ってもいいかもしれない。

 

今となっては、

「今、変わって」

 

は単に決めセリフと化しているので、わざわざ円相場や株が変わった旨を伝えず、いっそのこと

 

「112円52円から…丁半コマそろいまして、53銭から55銭で取引されてます。」

とか、

「112円52円から…、この紋所が目に入らぬか、53銭から55銭で取引されてます。」

「112円52円から…四角い仁鶴が、まあるく収めまっせ、53銭から55銭で取引されてます。」

 

などでも通じると思われる。

(通じません)

 

 

たまに裏切られることもある

たまに、為替と株の値動きのニュースを観ながら

「どうせ変わるんだよねー」

と思ってみていると、アナウンサーが、

「今、変わ、や、変わらずです。」

なんて言う場合もあり、テレビの前でこけそうになっていることもある。

 

なんでわざわざ更新のタイミングで報道するの?

 

というか、なんでわざわざ「今、変わって」と、円相場や株の数値が更新されるタイミングで伝えるんだろう?

円相場や株の値が変わらないであろうタイミングに報道すればいいのではないか?

と思って調べたら、円相場は刻一刻と、それこそ秒単位で変わるそうであり、そうもいかないそうである。

でも、交通情報や天気の警報・注意報の情報は、

「午前〇時現在」

なんて言って

「あくまで、ちょっと前の情報だよ」

と前置きして、リアルタイムでなく、少し前の情報を伝えている。

円相場や株だってそのように

 

「円相場は〇時〇分〇秒現在、ドルに対して昨日より、42銭円安ドル高の、112円52円から55銭で取引されています。」

 

とすればいいではないのか?

などと言うと、

「こっちは金がかかってるんだから、リアルタイムじゃなきゃダメなんだ!」

と円相場や株に命をかけて息巻くオッサンがいて、それに対するNHK側の配慮かもしれない。

が、だったら、交通の乱れで金を損する人もいるだろうし、警報・注意報で人命がどうこうなんて話もあるかもだしで、やっぱり円相場や株での金儲けだけがそんなに特別扱いされる必要性がわからない。

また、円相場や株の値をリアルタイムで知る必要のある人は、専門のサイトで確認しているはずで、いちいちNHKの定時のニュースでのみ確認しているとは思えぬのである。

そのため、なんで円相場や株だけ完全リアルタイムで報道するのだ!と疑問は更に深まり、何の結論も見いだせなかった。

 

まとめ

 

ということで、NHK側の円相場と株だけを完全リアルタイムで報道する理由につきましては、当ブログにおいては、ただ、臨場感があるし、実況っぽくてかっこいいから、あくまで決め台詞として

「今、変わって!」

と言っているということで、結論づけることに…今、変わって、53銭から55銭で取引されてます。

【アスリートに、くん付けちゃん付けの人々への警鐘】スポーツ選手側にも問題あり?!

ゴルフの石川遼のことを

「石川遼くん」

と言う人がいる。

フィギアスケートの浅田真央のことを

「浅田真央ちゃん」

と言う人がいる。

 

卓球の福原愛のことを

 

「福原愛ちゃん」

 

と言う人がいる。

別にどうでもいいのだが、なんとなく違和感を覚える。

 

クンづけに対する違和感の正体は?

東スポなんかでグラビアアイドルを紹介するときに、

「今話題のグラビアアイドル〇野〇子クン(23)」

「お色気タップリで、本誌記者、愚息も昇天!」

などと、名前を〇〇クン、と表記しているが、

「石川遼クン」

「浅田真央チャン」

 

「福原愛チャン」

に対しては、あくまで個人的になのだが、なんだかアレに似た印象を受け、違和感を覚えるのである。

 

 

親しみを込めて呼ぶ

 

まあ、石川遼クン、浅田真央ちゃん、福原愛ちゃん、と呼ぶ人々の心理としては、その選手が子供の頃から応援しているので、成長を見守ってきた親戚の子の様に感じてそう呼んでいるのかもしれない。

そのため私は、くん付けや、ちゃんづけで呼ぶことをどうこう言っているのではない。

ファン同士で

「真央ちゃんが引退なんて信じられない!」

と言い合っているのも全く問題がない。

また、家でひとりで

「石川遼くん頑張ってるなあ」

などと言っている分には全く問題ないのだが、浅田真央や石川遼に全く思い入れのない者に突然、

「石川遼くんが」

と話しかけてくる人がいるので困るのである。

何年か前に取引先の者が

 

「石川遼くんも・・・」

などと赤の他人の私に話しかけて来たので

「あんた石川遼の知り合いかよ!」

と言いたくなったのである。

 

そのため、彼らのことをクンやチャンを付けて呼ぶ場合は、くれぐれも彼らに思い入れのない者を巻き込まないようにして欲しい。

錦織圭の場合は?

 

その点、同じように子供のころからメディアに取り上げられ、日本国民として成長を見守ってきたアスリートの類である、テニスの錦織圭のことを

「錦織圭くん」

などという者は、あまり見かけないので

「錦織圭ファンは錦織圭のことを、例え錦織圭くんと読んでいたとしても、ファンではない私たちの耳には入らぬように配慮しているのか」

「偉いぞ!錦織圭ファン!」

と思っていた矢先、錦織圭はP&Gの企業CMにおいて、〝錦織圭、母の強さを語る〟というテロップが表示されたあと、見るからに霊長類ヒト科ホモサピエンス車だん吉派丸出しの顔で、カメラ目線で視聴者に、独特の舌ッたらずな話し方でこう語りかけてくる。

 

 

「アメリカ留学で旅立つとき、一度も振り返らなかったんです」

「お母さんの気持としては、寂しい思いはあったと思いますけど」

「心配している気持ちを出さずに(と、ここで自分の発言に対してウンウンウンウンとうなづき)」

「いつものように(ウンウンウンウン)」

「お母さんが送り出してくれました(ウンウンウンウン)」

 

「お母さんも自分の気持ちと闘っていたんだと思います」

「お母さん、ありがとう」

 

なあにがお母さんだこの野郎!

 

気持ち悪いんだバカ野郎!

いい年してお母さんお母さん言ってんじゃねえ!

と思い、錦織ファンは偉くとも、錦織自身に赤の他人に、お母さんお母さんを連呼する大欠陥、大問題があったことが判明したのである。

【時間の節約術】朝の時間の捻出術!一石二鳥、朝活の時間を手に入れよう?

時間の流れ方にはムラがある

 

ストップウォッチで図っても、間違いなく同じ時間にもかかわらず時間の流れは長く感じたり短く感じたりしますよね?

 

「しないよ」

 

と言われると困るので、サッサと話を進めます。

 

時間の有効活用のため、朝にテレビは観ないことにする。

 

朝は時間の流れが速い!

と感じる。

朝、出かける準備をしている時にテレビを観ている時間は本当にあっという間に過ぎる。

重大なニュースや気象情報などはスマホでパパっとみれば充分。

 

テレビを観なければ、落ち着いた気分で朝の準備だ出来るのでお勧めです。

 

これに慣れてくると、テレビがいかに時間を無駄にするかを感じて、朝に限らずテレビ番組を観る機会が少なくなってくる。

「いよいよ日本も3S政策を打開する時が来た!」

などとやや危ないことも脳裏をよぎったりするようになる。

 

朝の中でも最も時間が早く流れるのは?

目覚まし時計で半ば無理やり目覚めたときの寝起きである。

目覚まし一回ではとてもおきられないので、5分おきにスヌーズ機能を設定するのだが、まあ、この5分が短い短い!

目覚ましが鳴る。

止める。

「あと5分、寝る」

と思って再び布団をひっかぶって寝に入る。

途端に目覚ましが鳴る。

 

「え?ウソ!」

「10秒しかたってないでしょ!」

 

と思う。

なんなんだ、あの5分の短さは!

 

でもきちんと5分は経過しているのである。

こうなったらもう、スヌーズ、7分おきにしてやる!

というかもっと早い時間に目覚ましをセットして、なんどもなんどもスヌーズ機能をつかって寝てやる!

と私の目覚ましは7分おきのスヌーズで、スヌーズ4回で起きるようにしているのだが、5分が7分になったところで、スヌーズの回数が増えたところで、やっぱり

「え?ウソ!」

「10秒しかたってないでしょ!」

と思うことになるのには違いないのでスヌーズの設定を変更したところでさほど、意味はないのだ。

 

逆に時間の流れが長く感じるものは?

 

時間が長く感じるとき、それは苦しい時である。

日中帯がとくに長く感じる傾向にある。

仕事している時、つまらない講義を聞いている時、退屈な映画を観ているときなどは本当に

 

「え?まだ10分しかたってないの!」

「いいかがんにしやがれ!」

 

と、腹が立つほどに時間の流れは長く感じるのである。

 

とりわけ時間が長く感じるものは?

なかでも、一番時間が長く感じるものを発見した。

それは最近通いだしたジムで行っている、体幹トレーニングである。

 

たった2分、画像のような姿勢をとるだけなのだが、これがもう、たった15秒で身体がプルプルと震えだし、残りの1分45秒を、まだか、まだかと時計の針を睨みつけながら待つことになるのだが1分45秒どころか5秒さえも過ぎるのが遅く

「こんなシンプルな姿勢に耐えられないアタシ」

「これまで怠惰な生活をしてきたアタシ」

「人前で脂汗を垂らして耐えている無様な姿をさらしているアタシ」

と恥辱プレイ的な思考が働き出し、危ない人になっている。

 

「そんなに辛くないだろー」

なんて人がいたら是非、試して欲しい。

時間の経つのが本当に遅く感じるから!

 

そこで新提案!

 

朝、布団の中で、目覚ましがなったのに、次のスヌーズがなるまでの時間を

「え?ウソ!」

「10秒しかたってないでしょ!」

と思う時間をなんとか長く感じることはできないか?

「まだ1分しか経ってないのかよ」

「これ以上、布団の中に入っていられない」

「もうほんと、勘弁してくれ」

というぐらいに長く感じることはできないか?

できる!

と私は言いたい。

ではどうするか?

さあ、もうお気づきだと思うが、朝、目覚ましが鳴ると同時に体幹トレーニングをやればいいんである。

時間の流れが早い時の最たるものの寝起きに、時間の流れが遅い時の最たるものの体感トレーニングをぶつけるのである。

名付けて、寝起きのインナーマッスル。

夜霧のハウスマヌカンと勘違いしてもらっては困る。

(してません)

 

寝起きのインナーマッスル

スヌーズ機能でダラダラと何回も寝ているのは時間の無駄である。

これやれば眠気も吹き飛んでサッサと起きれるし、一挙両得。

朝の無駄な時間を省くために是非やってみて欲しい。

え?

お前はやってるのかって?

俺は思いついてやってみたけど5秒くらいで

「くそ、こんなことやってられっか!」

と思って、すぐに二度寝したりしていたが、だんだん慣れて、今は90秒くらいできるようになりました。

起きれるし、体幹は鍛えられるしで一石二鳥ですよ!

【ダイドードリンコは、なぜドリンコ?】スポーツドリンキと関係があるのか?

なんでドリンコ?

 

何が釈然としなかと言って、ダイドードリンコほど釈然としないものはない。

ダイドードリンコは押しも押されもせぬ日本の清涼飲料水の大メーカーだが、それの何が釈然としないのか?

それは、ダイドードリンコのドリンコが、なぜドリンクではなく、ドリンコなのであるかということである。

素直にドリンクと言えんか?

ドリンクをドリンコだなんて、おちょくっておるのか?

 

志村けんが、昔、いいよなおじさんと言うキャラに扮し

 

「いいよなあぁぁ~」

 

「それスポーツドリンキ?」

 

「スポーツドリンキはいいよなあ~」

 

などと言って、若い娘の飲みさしのスポーツドリンクを飲んだりしていたが、あれの類か?

 

※写真は、いいよなおじさん。おじさんは、他にもエビフライをネビフライ、草団子をクソダンゴなどと発音する。

 

おちょくっているわけでは無い

 

ダイドードリンコさんによれば、ドリンコは別におちょくっているわけではないとのこと。

 

ドリンコがおちょくっているのでないなら何だ?

 

ドリンコなんてカッコつけてるのか?

だいたいドリンコがカッコいいのか?

え!?

ダイドードリンコさん、どーなんですか?!

例えば、ダイドーさんが意中の彼女と初デートに漕ぎつけたとする。

まずはファミレスで待ち合わせたとしましょう。

そこで、彼女が喉が渇いたと言ったとする。

そこでダイドーさんは

「この店ドリンコバーあるよ」

 

と言いますか?

「だからドリンコ飲み放題だよ」

と更に言いますか?

それがカッコいいというのか?

 

ファミレスを出る

 

ファミレスを出て彼女を自動車に乗せ、彼女が手に持ったペットボトルをどこに置けばいいか考えている時に

「そこのドリンコホルダーに入れておけばいいよ」

と言うのか?

そうすると彼女がポーッとなると言うのか?

 

そのままドライブし、腹が減ったのでマクドナルドのドライブスルーへ入り、マイクに向かって

「ダブルチーズバーガーのセットで。ドリンコは爽健美茶で」

 

と言ったらモテるのか?

 

飲み屋に入る

いろいろあって、飲み屋に入ったが、彼女がアルコールが飲めないと判明。

しかし、酒のメニューしかないことに気づき

「すいませーん!」

と店員を呼び

「ソフトドリンコのメニューありますか?」

と言うのか?

それで女が落ちると言うのか?

落ちんだろう?

やいやいどーなんだ?

ハッキリ言ってみろ!

と言ったところ、ダイドードリンコさんのホームページにはて、以下のような回答がありました。

 

 

 

ダイドードリンコからの正式回答

一見、ユニークとも思えるダイドードリンコ株式会社(DyDo DRINCO, INC.)という社名。
その名称には、当社の会社に対する考え方が表れています。
まず、「ダイドー」は、元々の設立母体である「大同薬品工業株式会社」の“大同”であり、さらに「ダイナミック(Dynamic)」にチャレンジを「行う=ドゥ(Do)」という企業姿勢を表し「DyDo」としています。
また、「ドリンコ」は英語の「ドリンク(Drink)」に、“仲間・会社”を意味する「カンパニー(Company)」をプラスした当社の造語です。
全体として 「ダイナミックに活動するドリンク仲間」を表現しています。

 

ということで、ドリンク仲間ってのがどういうものなのかは良く変わらなかったが、別にカッコつけて、ドリンコと言っているわけではないことが分かりました。

デートでドリンクのことをしつこくドリンコといっても別にかっこよくないことも分かりました。

その上、先ほどのデートカップルの彼女の名前が、大道ドリン子さんであったことがアメリカの研究チームの調査で分かりました。

(分かってません)