【工業高校生に彼女は出来るか!?】 工業高校番外地 通学編 1/3

工校の合格発表

 

高校の合格発表の日、合否の確認のために校門に向かって歩いていると、私と入れ違いに、校門から小走りでニコニコで出てきた奴が、中三の二学期の期末試験の社会で

〝はにわ〟

とだけ書いてあとは白紙。

はにわを漢字で

〝埴輪〟

と書くことができれば正解となり2点を獲得できたのだが、平仮名で書いたために、〇がもらえず△。

結果点数が1点だったと学年中の話題をさらった男だったので、貼り出しの紙を見るまでもなく自分も合格したことを知ることとなった。

嬉しいどころか、結果的には、はにわ野郎でも受かるこの学校に合格させるために、この私を中二から進学塾にまで通わせたてくれた親に対して申し訳ない思い。

 

工業高校の実態

さて、工業高校に入ると、学校側から嫌というほど思い知らされるのが

「俺たちは高校生ではない」

「工校生だ!」

ということである。

学校からの資料にはことごとく

「君たち工校生は…」

などと書かれており、高校生の文字はない。(気がする)

また、この学校は隔離されたように、畑の真ん中にポツンと建っており、他校の生徒はおろか、街の人とも交流がない。

且つ、自転車通学をしていたのだが、通学の際はヘルメット着用を義務付けられる。

今時のとんがったような通気の穴がある流線形のカッコいいヘルメットではない。

白い、あの、いわゆる、あれである。

これだ。

 

 

県内ひろしといえども、高校生でヘルメット着用が義務付けられているのはうちの学校だけである。

 

ヘルメット着用の理由

よく田舎の小学生が真っ白いヘルメットを被っているのをみると微笑ましく思えたりするが、図体のでかい頭の悪い工業高校生が白いヘルメットを着用している姿は全くのバカでしかなく、今考えると学校側が

「こいつらバカすぎるから街に放置すると何しでかすかわからんぞ」

「バカであることを街の人に知らせないでばいかんぞ」

「ダサい白いヘルメットでも被せとけば、みなも注意するだろう」

 

などと言ういきさつでヘルメット着用を義務付けられていたのかもしれない。

むろん我々も、

「俺たちだって工校生の前に、高校生なんだ!」

「普通の青春が欲しい!」

と、恥さらしの憎むべきヘルメットなど被るわけがなく、学校を出た途端にヘルメットを脱ぎ、自転車カゴに放り込むのだが、たまに抜き打ちのチェックがあり、屈強な体育教師どもが街のあちこちに隠れ潜んでおり、ノーヘルが見つかるとハンドマイクで

「コラーーーーーッ!!」

と叫んで追いかけてくる。

立ちこぎで逃げるが、さすが若手の体育教師だけあってやたらと足が速く、だいたい捕まることになる。

捕まると、首根っこを捕まれ、その場に正座。

次に捕まるヤツが現れるまで帰してもらえないのである。

 

なんちゅう学校だ。

(つづく)

【バイクの盗難被害】購入後二週間でパクられた話 ②

バイク屋のおじさんに

 

バイク屋に電話をかけ、

「すいません、後付けなんですが、今から購入のときに断った盗難保険に入るって訳にはいかないでしょうか?」

と言ってみたが、当たり前だができぬという。

 

「ただ、そういうのって近くの公園かなんかに隠しておいて、夜中にとりにくるってパターンが多いから」

「今から探してみな!!」

 

と言われ探しまわったが見つからない。

 

  「このスティードってやつはね、タイヤが太いんだよぉ」

  という納車の時のおじさんの声が頭の中でリフレインしている。

 

この頃、心無いやつから

  「今頃、海外で鉄クズになってるな」

  などと言われることが多々あったので、そいつらには徹底的に無視をし、最終的に縁を切った。

 

もうその日からは、連日連夜、暇さえあれば自転車で近所を探し回り

“盗んだバイクで走り出す”などと歌った歌手を呪ておった。

 

この頃はいつも

 

「このスティードってやつはね、タイヤが太いんだよぉ」

 

というおじさんの声が頭の中でリフレインしていた。

 

一か月ほどしたある日

 

いつものようにバイクを探しに出かけたが見つからず  

 

「今日も成果なしか・・・」

 

と思った23時ころ、大きな工事現場があり、そこを見てから本日の探索は終了にしようと、自転車でその工事現場へ入って行き、トタン板の上を通り過ぎようとすると

 

ドンガラガッシャーン!

 

と言う音と共に、突然天地が逆転。

目の前には夜空が広がっている。

 

どうやら大きな穴にトタン板が被せてあったところを、私が自転車で通過しようとして自転車ごと仰向けに落とし穴に落ちた形となっていたのである。

 

逆さまになった自転車の車輪がカラカラと音を立てて回っている。

起き上がる気力もなく、半泣きで春の終わりの澄み切った夜空を見上げたら、

 

「このスティードってやつはね、タイヤが太いんだよぉ」  

 

のおじさんの声が聞こえた。

 

(その後、バイクは見つからず、悔しさのあまり、三年間のローンを一度の延滞もなく完済したのである)

【バイクの盗難被害】購入後二週間でパクられた話 ①

春の上京

 

二十歳のころ、5月に上京したのだが、その前に地元の大きな製紙工場で三交代勤務で1年半働いて、定期預金を組んで毎月貯金したのと ボーナスやらなんやかんやで100万円が貯まっていたので懐が温かく、毎日働きもせず一緒に上京してきた友人達と 毎日のようにバカ話ばかりして暮らしていたが、二か月もすると貯金も寂しくなってきたこともあり、流石に焦りだし、 たまたま近所でオープンすることになった宅配ピザ屋でバイトをすることにした。

 

バイト先にはこれまで憧れていた若手の女がわんさかおったが、若手の男もわんさかおり、中でも親元で暮らす大学生連中が自動車を持っており、女たちを連日デートに誘っておる。

「このままではいかん!」

「しかし車は買えん!」

なんとかせねばとバイクを買うかと、中型免許をとり、三年ローンで400CCの当時人気のスティードというアメリカンスタイルのバイクを購入した。  

納車の日は嬉しい

 

しばらくして納車の日。

バイク屋のおじさんが、運んできたトラックからバイクを下ろし我がアパートの駐輪スペースへ置いた。

もう、うれしくてうれしくて仕方がなく、何気なくおじさんに対して

「後輪のタイヤが太いんですね」

というと、おじさんは

「このスティードってやつはね、タイヤが太いんだよぉ」

と言った。

   

その日からは、バイクに乗ってバイト通い。

女の子を誘ってツーリングなどに出かけておった。

そんな、納車から二週間がたったある日、バイトが自分だけ早く終わり、他の仲間が夜遅くまでの勤務だったので、 自分は一旦家に帰り、また夜に合流する約束をして別れた。

アパートの前にバイクを停めて、夜まで一旦眠り、時間になったので準備をして駐輪スペースへいくとバイクがない。

「あら、バイト先にバイクを置いて、歩いて帰ってきたんだっけ?」

と思ってバイト先に確認の電話をしたが、俺はバイクで帰ったという。

 

突然のアクシデントには脳がフリーズする

 

頭の中が真っ白になるとはこのことをいうんだな というくらい頭の中が真っ白。

そこへ隣に住む大家さんの娘さんが

 

「あれ?やっぱりバイクとられたの?」

 

「さっき高校生みたいな二人組がバイク押していってたから変だと思ったのよ」

 

何をのんきなことをいってやがる!!!

そんな所を見たんなら早く俺に言わんかい!!!

と腹が立ったが、そんなこと言っても始まらないので先ずは慌ててバイク屋に電話した。  

(つづく)

【長い自己紹介】此の馬の骨は、かなりアホ也。③

N部長

 

それまでN部長とは面識はなかったが、とても優しい人で

 

「やる気のないものが混ざっているとみんなに迷惑をかけると思うんです」

 

等と十八のガキの見え見えのウソに対しても

「気持ちはわかった」

「でも途中で逃げ出すのは同期のみんなに失礼だし君の気持もあるし」

「じゃあ、今日一日だけみんなと一緒にがんばろう」

「で、明日、引率は別の担当者に代わって自分も帰るから一緒に帰ろう」

と言ってくれた。

 

翌朝、N部長と自分で荷物を持ち、みんなに挨拶ともお詫びともつかないことを言い、施設を後にした。

「私は歴史が好きでね」

「奈良に日本最古の道という、山野辺の道というのがあるのはしってるかい?」

「みんなには内緒だけれども、帰る前に一緒に歩いてみないか?」

と誘ってくれ、一緒に歩かせてもらうことにした。  

 

 

山野辺の道

 

山野辺の道は一言でいえば山の中の一本道でもちろん舗装などされていない。

近代的な建物などは視界に入らず、昔話の世界に迷い込んだようでとてものどかである。

N部長からは

「これから大変かもしれないけれど、一生懸命自分の道を探して歩いていくんだよ」

と言われたり、途中ですれ違う背中に大きな籠を背負ったお婆さんからコンビニ袋に入った数個のミカンを無言で渡されたり、

先ほどまで軍隊のような中にいた身としては涙が出そうな思いがする。

数時間して、山野辺の道を歩き切り、奈良は、天理駅に着いた。

 

「では私はこれから帰るけれども、君はどうする?」

 

“もちろん、一緒に帰る”

 

と言うのが普通である。

ところがである。

この私は、あろうことか

 

「せっかく奈良まで来たんで大阪見物でもして帰ります」

 

と抜かしたのである。

ややあきれ顔のN部長とは駅で別れ、スキップをするように一人大阪は難波駅へ。

(我ながら、このへん書いてて苦しいです)

 

大阪難波志賀勝

 

当時芸人志望であったため、笑いの本陣大阪でいろいろな劇場で本場の芸を見てまわろうという魂胆である。

初めての大阪はド迫力!

とにかく看板がでかい!

人込みがすごい!

 

とりあえずたこ焼きを買う。

家に帰ったらたこ焼きを親に渡して謝るつもりである。

 

で、歩く、歩く、歩く。

劇場は見つからない。

 

と、道に迷ったところで現れたのは志賀勝のような顔をしたポン引きで唐突に

 

「たこ焼き食うた?」

 

と話しかけてくる。

 

   

 

持ってる看板には

“のぞき”

“1000円ポッキリ!!”

と書いておる。

(覗くっきゃない!)

と、志賀勝に連れられて(いや、志賀勝ではないが)雑居ビルの電気が点いてないスナックみたいな店に入る。

 

汚ねえスナック内

 

中は、話に聞くのぞき部屋とは全く違う、ただの潰れたスナック。

そこには婆さんと呼べるほどの女がスリップ姿でいて、そいつにガブガブと当時飲めなかった水割りを飲まされて、

たまにAVに出たことがあると嘯く若い女が現れたり消えたりしいわゆる

 

“タケノコ剥ぎ”

 

と言われる手口で7000円ほど巻き上げられて、悪態をついて捨て台詞を吐いて出てきた。

 

もう大阪見物をする気にもならず、ベロベロの状態で特急アーバンライナーに乗りひと眠りして実家に到着。

 

実家

 

夜も更けていたので、こっそり自室へ入る。 お詫びのしるしのたこ焼きは、こぼれたウィスキーがかかっており、とても食べられる代物ではく、ごみ箱に捨てる。

 

(俺はいったいどうなるんだろう?)

 

と、この後、するはずのない私の部屋から物音がするので泥棒が侵入してきたと勘違いした両親と大喧嘩が始まるまでのあいだ考えていた。

【長い自己紹介】此の馬の骨は、かなりアホ也。②

奈良の研修センター

 

さて、いよいよ奈良県の某企業の研修施設へ夢と期待ではなく、逃亡の決心で胸をいっぱいにして参加。

 

辞めることは親兄弟にも内緒にしていたので、この泊りがけの研修に向けて母ちゃんが下着類を買って渡してくれ胸が痛んだが、この際、心を鬼にするしかない。

 

研修は軍隊の様相を呈し、

 

〝プロ戦陣訓〟

 

なる、なにか金言めいたものを絶叫に近い大声で全員で唱和するものや、体を不自然に揺らしながら行う発声練習じみたものを終日行い早めの夕食をとって一日目の研修カリキュラムは修了。

   

一日目の夜

 

二人一室の部屋へ入り、逃亡に備えて考えを巡らしながら湯船に浸かっていると

 

「ごめん!どうしてもムリ!!」

 

と叫びながら風呂場に同室のデブが転がり込んできて下半身を露出してきた。

 

(俺は異性と交遊する前に同性のこいつに押し倒されるのか!)

 

と思っていると、あろうことかデブはユニットバスの便座に腰を下ろし脱糞行為を始めたのである。

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【長い自己紹介】此の馬の骨は、かなりアホ也。 

まずは自己紹介を。

 

だいたいブログ と言うものは、どこの馬の骨ともわからん人が書いているものだが、当ブログに於いては、なるべくどこの馬の骨が書いているのかご理解いただいた上で読んでいただこうと、まずは自己紹介から始めたいと思う。

 

つりばんど岡村、愛知県出身。

中学3年の時、 口では「俺は商売人になりたい!」と言いながら、実のところ、極端な異性の多さが目当てで地元の商業高校を志望するも、

 

「成績が伴ってない!」

「お前が商売人になりたいなどとは聞いたことがない!」

「お前の成績なら工業一本でギリギリ!」

 

などと、担任の先生及び、親兄弟から猛反対にあい、地元の工業高校に泣く泣く入学し、極端な同性の多さに耐えながら、ネジを切ったり、はんだ付けをしながら三年間を耐え、家電量販店に就職。

 

工業高校から家電量販店へ

 

この会社の研修から一人前になるまでのスケジュールは、まず30人くらいの同期と一週間程度の座学があり、それ終わりでそれぞれが別々の店舗に配属され、三週間ほど現場を肌で感じた上で、再び同期が集まり奈良県にある研修センターへ行き、三泊四日の講義などを受けたうえで改めて現場に巣立っていくというもの。

 

まずは無難に最初の座学を終了し、いよいよ店舗配属。

 

「さあ、いよいよ俺も異性との交遊を」

 

などと思ったのも束の間、私が配属された店舗は、10人程度の小所帯で、メンバーはアマチュア無線を私に覚えこませようとする60がらみのおじさんから、家電製品の訪問修理の際、訪問先の若いご婦人から

 

「おいくらでしょうか?」

 

と聞かれ、本来無料で行うサービスにもかかわらず

 

「じゃあ、三千円ほどいただきましょうか!」

 

などとちんけな汚職をしている27歳くらいのやつ。

または聞いたこともないメーカーのボロボロのギターを俺に一万円で売りつけようとする一つ年上の先輩まで、全員が男。

 

最終的にはどういう訳かいつも墨汁の匂いがするアイロンパーマの店長からノルマ達成のために親戚縁者にシャワートイレを買ってもらうように言いつけられたのをきっかけとして、配属から僅か二週間で退職を決意。

 

辞めるより、辞めさせられたい

 

しかし私も当時は社会経験の少ない18歳であり、今のようなふてぶてしさも持ち合わせておらず、なかなか退職を言い出す事ができずさんざん悩んだすえ

 

「奈良県の研修先で研修途中で脱走すれば、会社の方からクビを言い渡してくれるはずだ」

 

と思い、夜遅く一人の部屋で当時恰好をつけようと吸い始めた(どういう訳だかSomeTime)に火をつけるのだった。

 

  つづく。