【多重債務者と呼ばれて】 借金する前に読むべき物語! ②

ピザ屋でバイト

 

割と近所にピザ屋がオープンするという話が耳に入り、地元で経験もあったので
そこで働いて糊口をしのぐことにした。

仕事柄、町中の地理に詳しくなったが、以外にも小室哲哉の実家や、
新日本プロレスの子会社の事務所がある土地であることも分かり、
言うほどへき地でも無さそうだと、なんだか街に誇りのようなものを感じるようになった。

 

一度、新日本プロレスの事務所から注文があり、配達し、金を受け取っていると
奥から

 

「なんだ!ピザか!?」

 

と言いながら奥の席で事務机から顔をお上げになられたのは今は亡き山本小鉄さんだった。

 

『鬼軍曹だー』

 

と思い

 

「あ!はい!」

 

と答えると、注文した人に

 

「ひとりだけで食ってんじゃねえ!」

 

と叱り

 

「これで一番大きいサイズのやつ何枚か持ってきて!」

 

と一万円札を何枚か私に差し出してくれ

 

『やっぱり噂通りいい人なんだなあ』

 

となんだかほっこりした思い出がある。

 

 

※写真は山本小鉄さん

 

大屋さん おばちゃんとおじちゃん

 

二年が経ち、大家さんに家賃と共に更新料を払おうとすると

 

「不動産屋なんか介さないで私たちは私たちだけでやりましょう」

「だから更新料なんでいらないわよ」

 

と言ってくれ、とても良い大のおばちゃんなのであった。

 

一方、売上げが伸びず、三年ほどでピザ屋が閉店することとなった。

店のオーナーとは年が近く兄のような存在で、向こうも我々バイトの者たちの面倒をよく見てくれていた。

 

閉店することは何か月か前から予告されており、さっさと次を見つければよかったのだが

 

『すぐに次を探すのはオーナーに悪い』

 

と、甘いことを抜かし貯えもないくせにのほほんと構えておった。

 

閉店間際、銀行でカードローンのようなものを作り、手始めに限度額一杯の10万円を借りた。

これが借金人生のはじめの一歩である。
ここから雪だるま式に借金が膨れ上がっていくのだから、人生を甘く見てはいけない。

 

三か月ほどして次の職が見つかったが、それまでに金融会社の無人契約機でさらに15万借りており、
給料が入っても、借金返済にほとんどを取られ、手元には僅かな金しか残らず、
必然的に良い人に甘える結果となり、大屋さんに対して家賃を待ってもらうことになった。

 

家賃滞納が、2~3か月遅れになったが大家のおばちゃんは

 

「そんなこと気にしなくていーのよー」

「ある時に払ってくれればいーからねー」

 

と涙のでるようなことを言ってくれる。

 

 

一方おじちゃんは

 

しかしながら大屋のおじちゃんはそこまで甘くはなく、私が部屋に居ることがわかると
ドアを激しくノックして、怒りで震えながら(本当に震えている)

 

「おぉかぁぁむぅぅらぁぁぁくぅぅぅん!!!!!」

 

「いぃぃいぃぃかぁぁげぇぇんにぃぃしぃなぁいぃかぁぁぁ~」

 

と言いに来るのである。

 

「すいません、いついつまでにちょっとだけでも必ず支払いますので!」

 

と詫びを入れ、許してもらい、期日になるとおじちゃんがいなさそうなときを見計らって大屋さんの家へ行き

 

「この間、おじちゃんに今日支払うといったのですが」

 

「今日、財布ごと落としてしまって~」

 

などと見え見えのウソをつくが、おばちゃんはあくまで優しく

 

「あの人、そんなことしたの!」

「ある時に払ってくれればいーからねー」

 

と優しく言ってくれるのである。

【多重債務者と呼ばれて】 借金する前に読むべき物語!

お部屋探しは慎重に!

 

上京後のアパート探しの際、私と入れ違いで地元に戻ってきた昔のバンド仲間のギターのKに相談したところ、
Kの友人の住むアパートの隣の部屋が空いているという。

 

その部屋は、

 

「郊外ではあるが」

 

「京王線に乗れば新宿まで電車で一本。特急だったら20分。」

 

「その上、駅チカ。駅まで徒歩3分」

 

「ユニットバスだがバス・トイレ付、ロフト付き、6畳ワンルーム」

 

「家賃、共益費込みで45,000円」

 

「敷金礼金一か月づつ」

 

という。

 

東京の土地勘などは、全くないし、Kの友人が隣に住んでいるというところもなんだか安心できる。

 

それじゃあっていうんで、その部屋に住むことにした。

 

引っ越しを手伝ってくれた両親が一晩泊まっていったのだが、

 

「なんかここ本当に東京か?」

「うちの方が都会じゃないか?」

 

というくらい寂しい街並み。

大屋さんはアパートの隣に一軒家に住むおじちゃんとおばちゃんで、
毎月、直接支払うシステム。

 

 

東京で初めての友達

 

隣室のKの友人はギタリストで、ひょろひょろの男。

ポテトチップスを持ってきて

「洗濯機かして」

と言うので、貸してやり、洗濯機が動いている間中バカ話をするようになりすぐに仲良くなった。

 

で、住んでみて分かったのは、あくまで木造であり、壁もあくまで薄く
隣室の友人のクシャミや咳払いなどはもろに聞こえる。

 

テレビを観て笑うと、隣室からも笑い声が聞こえてきて

 

「あいつも同じ番組観てんだなー」

 

と言う、なんとなくプライバシーもへったくれも無い感覚となる部屋。

 

次に駅チカの件だが、たしかに駅まで徒歩3分だが、JRとか京王線とかいうメジャーな路線の駅ではなく

 

〝西武是政線〟

 

という、東京に住んでいるものでも知る者は滅多にお目にかかれない、JR中央線の武蔵境駅から多摩川競艇まで走る
レース開催日に競艇場へお客を運ぶためだけにあるような短い路線で、電車の本数は当時は(多分今も)極端に少ない駅。

 

 

周りには民家以外なんにもなく、しばらく歩くとコンビニがやっとあるような街。

まあ静かでよさそうなもんだが、競艇のレース日ともなるとアパートの横の道までが大渋滞。

自転車で通り過ぎることも困難な状況となる。

また競艇のお客もガラが悪く、道端で飛んでもない賭博行為なんぞをしておる。

 

「でも、家賃は安いんで」

 

と辛抱して生活していた。

 

友達、キャバクラで働く

 

隣室の友人は、しばらくするとキャバクラのボーイとして働き出した。

そういう店で働くことを心配すると

 

「うちの店は、ヤ〇ザとかと無関係だから大丈夫!」

 

と言っていたが、数日すると

 

「結局、ヤ〇ザでした!」

 

と言い、また数日すると店の女の子と同棲し始めた。

 

「そういう店の女の子に手を出したりして大丈夫か?」

 

と聞くと

 

「バレなきゃいいから!」

 

とカラッと笑っておったが、数か月するとその女の子は妊娠し

 

「結局、バレました!」

 

と言って、夜中にどこかから軽トラを借りてきて

 

「これから逃げます!」

 

と言って荷物の積み込みを手伝ってやり

 

「それじゃ!短い間だったけど!」

 

と二人でどっかへ夜逃げしてしまった。

 

東京で初めてできた友達だったので寂しかった。

 

次に隣の部屋に沖縄出身というお婆さんが引っ越してきて
物干しざおで干し柿を作ったりしていたので

 

「俺の思い描いた東京と随分違うなあ」

 

と思うのだった。

【金八のモデルは尾木ママじゃない!】 金八先生の真のモデルは? 

驚異の新発見!

 

以前、当ブログに於いて、スラムダンクの桜木花道のモデルがドカベンの岩鬼正美なのではないか?

という記事を書き、少なからぬ反響をいただいた私は、更に新たな発見をしたのである。

 

それは3年B組金八先生のモデルのことである。

 

などと言うと、

 

「ああ、知ってる知ってる」

 

「尾木ママでしょ?」

 

などという者もおる。

 

 

「だって、金八の原作・脚本の小山内さんが、尾木ママの本読んで参考にしたって本人が言ってるんだよ?」

 

と動かぬ証拠を突き付けられたって、金八ファンの私は

 

『尾木ママが金八でたまるか!』

 

と思うのである。

 

「じゃあ、誰がモデルだっていうの?」

 

それは、

 

武田鉄矢演じる金八先生は、クリント・イーストウッド演じるダーティーハリーがモデルであるということである。

 

 

 

坂本金八とハリー・キャラハン

 

それぞれの類似点をみていこう。

 

類似点、その① 物語の概要

 

ダーティーハリーとは

 

1971年12月公開のアメリカ映画。

アメリカはサンフランシスコを舞台に、職務遂行のためには暴力的な手段も辞さないアイルランド系のハリー・キャラハン刑事が、ベトナム帰還兵の偏執狂的連続殺人犯との攻防を繰り広げるアクション映画である。

組織と規律から逸脱していくアウトロー的、かつ直情径行で信念を貫徹する性格の主人公をクリント・イーストウッドが演じた。

度々シリーズ化され、続編4作品『ダーティハリー2』 ~『ダーティハリー5』が製作された。

 

続いて

3年B組金八先生とは

 

1979年10月放送開始の日本のテレビドラマ。

東京は足立区の桜中学校を舞台に、職務遂行のためにはビンタなどの暴力的な手段も辞さない福岡市博多系の教師、坂本金八が、学級担任をしている3年B組内に起こる偏執狂的連続非行問題との攻防を繰り広げるアクション学園ドラマである。

組織と規律、トンボのような顔の教頭先生の考えなどから逸脱し、アウトロー的、かつ直情径行で信念を貫徹する性格の主人公を武田鉄矢が演じた。

度々シリーズ化され、続編7作品『第二シリーズ』~『第八シリーズ』が製作された。

 

と、この概要を書いてみただけでも、これだけ多くの類似点が見つかるのである。

 

 

類似点、その② 衣装

 

クリント・イーストウッドと武田鉄矢のプロポーションに大きな違いがあるため気が付きにくいが、

衣装だけをみれば分かっていただけると思うが、ほとんど同じである。

 

 

 

 

反対派の方々も、この画像を前に、ぐうの音も出なくなったと思うので、次に移る。

 

 

類似点、その③ 武器

 

ダーティーハリーの場合は特注の44マグナムだが、金八の場合はチョークである。

 

「ぜんぜん似てないだろ!」

 

のご指摘もあるかと思うが、チョーク、すなわち白墨は英語で[chalk]と書くが、
金八の場合のチョークは、[chalk]ではなく、英語で[choke]で、プロレス技のチョークスリーパーなどのチョークであると
某事情通が語っていた(気がする)。

すなわち金八のチョークは、

〝窒息させる〟

という意味があり、ダーティーハリーの44マグナム同様、極めて危険な武器である点が酷似しているのである。

 

 

 

 

また、この二つの画像の構図が酷似している点にも注目していただきたい。

 

この画像で、明らかに金八は、ダーティーハリーがモデルであったことが証明されたのである。

 

(されてません)

 

 まとめ

 

 

金八先生のタイトルは、金曜日の夜八時に放送されるから

 

〝金八〟

 

とされているが、実際の企画会議では

 

「タイトルは、金曜日のハリーで〝金ハリ先生〟でどうだろう?」

 

「しかし、〝きんはり先生〟は言いにくいだろ」

 

「では〝ハ〟を漢字の〝八〟にして金八にしてはどうですか?」

 

「おお!それだ」

 

ということで金八先生と名付けられたことは、誰にもいってはいけない。

 

言うとあなたが恥をかくからである。

 

 

 

 

 

 

 

 

【ラーメン二郎の接客態度】「ニンニク多めの人っ!」について考える。

ラーメン店の行列に並ぶ

 

先日、カウンター席のみの人気のラーメン二郎で順番待ちをしてたときのこと。

 

この店は、たまにある

 

「こちとら人気ラーメン店だ」

 

「並んでいるお客がカウンターに座ってから注文を聞いてたんではとてもさばけねえ」

 

というんで、並んでいる者にもどんどん注文を聞いていくスタイル。

 

 

おかげで待つ方も、着席と同時に品物が出てきて、素早く食べられるという寸法である。

 

そのため、私も並んでいる最中に

 

「ニンニク入れますか?」

 

と聞かれたので

 

「多めでお願いします」

 

と注文したのである。

 

本を読んで待つ

 

まだまだ私の番は回ってこなさそうだったので、行列に並びながら文庫本を読んでいると

 

「ニンニク多めの人!ニンニク多めの人!」

 

と言う店員の、怒ったような声がするので、その店員をみると私の目を見ながら

 

「ニンニク多めの人っ!」

 

と明らかに不機嫌そうに言ったのである。

 

どうやら思ったよりも早く私の順番が来て、私がカウンターに座るタイミングが来たにもかかわらず
それに気が付かず本なんぞを読んでいるので

 

『この野郎、とっとと座らねえと客がさばけねえだろーが』

 

という感情が芽生えたものの、私の名前がわからんので

 

『おい、ちょっとそこの!』

 

『そこで順番に気づかずに本読んでるそこの!』

 

と思い

 

「ニンニク多めの人っ!」

 

という流れで呼んだものらしい。

 

人の呼び方

 

私もこれまで様々な呼ばれ方をしてきたが

 

〝ニンニク多めの人〟

 

とは呼ばれたことがなかった上、一度に三連続で

 

〝ニンニク多めの人〟

 

と言われたことにショック受けた。

 

 

例えばスタバで

 

「ダークモカチップフラペチーノ、グランデの人」

 

と呼ばれる分にはまったく構わん。

 

例えばモスバーガーで

 

「スパイシーモスチーズバーガー、オニポテセットの人」

 

と呼ばれるのも構わない。

 

が、ラーメン二郎で

 

「ニンニク多めの人!」

 

と呼ばれるのは、屈辱的である。

 

あたかも私が生まれつきのニンニク多めの人であるかのような言い草に腹も立ち、

 

『俺はなにか?霊長類、ヒト科、ホモサピエンス、ニンニク多めの人か!』

 

と思い

 

『俺は別に、ニンニク多めの人じゃねえわ』

 

と言いたくなったが、黙ってそのままカウンターに座り、出されたラーメンを食べながら

 

 

『こんな屈辱を感じながらも、普通に食べるんだな』

 

と、食券制であり、既に金も払っており、またこの店にハマっており

食わずに出てくるのも惜しいという自分に対して、悔しい思い。

 

 

憎いあんちくしょう

 

ここの店、店長はとても穏やかでよい人なのだが、
その後もこの店員は、家族連れの初心者と思しきオバちゃんのお客が

 

「野菜普通で」

 

と注文すると

 

「普通は言わなくていいですよ」

 

と、受け流せばいいものを、わざわざ家族の前で、いちいちしなくてもいい注意をしたので、いよいよ頭に来たのである。

 

まとめ

 

今度、あの店にへ行くときは、

 

「こんにちは、ニンニク多めの人です。」

 

と言いながら入り

 

この店員を呼びかける際は、

 

「おいソコの!」

 

「一言多めの人っ!」

 

 

 

と呼びかけるつもりである。

【沼垂テラス商店街】ブックオブヌッタリに行ってきました!

沼垂民として

 

沼垂と書いて、〝ぬったり〟と読みます。

私の住む新潟に、この沼垂はある。

ハッキリ知って渋い街である。

私が済みだした5年ほど前には、やれ

 

「凶悪事件のあったビルがある」

 

だの

 

「変質者がよく出る地域」

 

などと根も葉もない噂をきかされたりもしたのだが、ここ数年でなかなかの発展を遂げておる。

 

どう発展をとげておるのか?

 

まず、商店街が出来た。

商店街が出来たのである!

全国的に商店街はシャッター商店街などといって、どんどん廃墟化が進んでいると聞くが、しつこいようだが商店街が出来たのである。

 

出来たというよりも、なかば廃墟化していた商店街、というか〝市場〟を有志がそれぞれの店舗跡をリノベーションし、復活させたのである。

その名も〝沼垂テラス商店街〟。

 

 

ディープな装いを残したまま、かっこよく再生させていると思う。

(普段から人をくさしてばかりいるので、何事につけ褒めることがとてもヘタです。すまぬ)

 

その商店街の再生を皮切りに、商店街だけにとどまらず、近隣にも新しい、活気のある店がぞくぞく登場。

 

中でも古本屋は、三店舗もオープンするという稀なケース。

ね?

古本屋が出来ることじたい少ないのに、立て続けに三店舗も出来たのよ?

 

古本イベント開催

 

その流れを受けてだろうと思われるが、このたび

〝ブックオブヌッタリ〟

と銘打った古本イベントが2017年9月17日の日曜日に開催されると知った。

 

この古本イベント、内容はどのようなものかと言うと、最近耳にするようになった

〝ひと箱古本市〟

を、件の沼垂テラス商店街を中心としてやっちまおうということらしい。

 

ひと箱古本市とは?

 

ひと箱古本市とは、地域のさまざまな店の軒先などで、古本屋を営む店主さんが、箱ひとつ分の古本を販売。
本のチョイスや価格は店主の自由という、店主一人につき、ひと箱限定の古本のフリーマーケットのようなものとのこと。

 

沼垂発展の起因

 

そもそも、なんでこの沼垂の町が急激な発展を遂げたのか?

よくよく考えたところ、原因は私だった。

私が引っ越してきたから発展したのである。

 

私のいく先々、店舗などは行くたびに発展する。

それが、私が新潟版の仙台四郎といわれているゆえんである。

(いわれてません)

※写真は仙台四郎

 

私は二代目仙台四郎としてフリチンで街を歩いている。

(歩いてません)

 

そんな私の耳に入った、沼垂でのイベント開催情報である。

 

「この町を守る、仙台四郎、否、沼垂四郎として参加しない訳にはいかん!」

 

と、勇んで出かけて行き、お客として参加してきたので、内容を報告しようとしているのである。

 

ブックオブヌッタリ2017参戦レポート

 

当日の11:00頃、現場到着。

台風の接近により強風。

開催直後でもあり、人影ちらほら。

 

商店街のあちこちに置かれた箱を見ていく。

 

 

幼い子を連れた家族連れ、なかでも母娘のチームが多数参加。

絵本をあーでもないこーでもない、と楽しそうに話し合ったおりとても微笑ましい。

 

※箱に入ってない場合もある。

 

当方、モヒカンなんで、一見テロリストなんで箱の前に腰をおろして品定めに入ると、
店主の方が、若干ひきつっているように思われ、なるべく店主さん不在の箱や、絵本選定中の母娘のじゃまにならぬように遠巻きから見て回る。

 

と、すぐに見終えてしまった。

 

商店街以外にも古本市はやっているはずだが、近所に住む私でさえも、いまひとつ開催している場所が把握できない。

 

一旦、現場を離れる

 

近隣の場所を探しに、自転車でぶらつきだしたら、突然の大渋滞!

 

突然の人ごみ!

みなさん手に手に何か持っている。

 

※写真のようにほぼ全員、手に手にビニール袋にはいったなにものかを持っている。

 

 

警備員さんが出てきて

 

「徐行してくださーい!」

 

「はい、車とおりまーす!」

 

の大声張り上げ。

 

『古本市は、こっちがメインであったか!』

 

と賑わいの方へ自転車を進めると、酒蔵の酒飲みイベントが開催されており、古本市とは無関係の人ごみであると判明。

 

 

手に持っていたのは、酒粕らしきものらしい。

また酒蔵の今代司(いまよつかさ)酒造近辺では、

 

〝利き酒チャレンジ〟

 

などワイワイやっており、古本より利き酒したい!

 

 

利き酒でみごとに当てたのか

 

「はい、おめでとーございまーす!」

 

カランカランカラン♪

などと威勢のいい音がする。

とてつもない引力で引っ張られそうになるが、昼から酒など飲むわけにはいかんと、泣く泣く酒造を後にする。

 

 

ふたたび現場へ

 

再び、ブックオブヌッタリエリアにもどり、本を見ていく。

 

普通の本屋は、店員が目の前にいることなどなく、心置きなく見て回ることができるのだが、
意外と人見知りであり、店主が見ている目の前で本を選ぶという行為が困難。

且つ、店主さんとの会話なども極端に苦手で、こういう場で気さくに話に応じたりできぬタチなので、
酒蔵で酒のんどけばよかったかなとも思う。

 

気が小さい私は、

 

「箱をのぞき込むからには何か買わねばならない」

 

「買わないと申し訳ない」

 

と勝手に思い込み、買いたい本がない場合は、店主が目をそらした隙にその場を離れるといったコソ泥じみた選定方法をしておったが、
慣れてしまえば店主が

 

「どうでもこうでも買っていけ」

 

などと思っているはずもなく、イベント開始から一時間半ほど経ってからようやくリラックスして本選びができるようになったのである。

 

 

気になったこと

 

ちなみに、箱には店名やポップなどが貼ってあるのだが、今回のイベントでは

 

 

というステッカーがイベント参加のしるしのものだと後でわかったのだが、私は近眼なので

 

『なんだよ、ブックオフの店ばっかりだな』

 

『ブックオフのなら見る必要ないわ』

 

と、そのステッカーが貼ってある箱は、ハナから見なかったので、あとで〝ブックオブ〟の誤りだと気が付いて見直して回るハメになった。

 

個人の古本屋のほうがブックオフなんかより断然面白いのであるので、

 

「わざわざブックオフをパロることもあるまい」

 

と思う。

 

所感

 

途中、雨が降ってきたので、本も建物内にしまわれたもようでほとんど人もいなくなったので、終了時間を待たずして帰ってきた。

 

手元に二冊、明治時代の新聞のスクープネタが集められた

〝特ダネ名記事〟

400円。

と、

 

原作なんかあるとか知らなかったが、最近映画でみて面白かったものの原作

〝刑務所の中〟

を購入。250円。

 

私は近くの古本屋にも、図書館にも普通の本屋にも週に二回は顔を出すくらい本を目にすることが多いのだが、それでもこの二冊などは、

こういうイベントがなければ一生手にすることもなかったわけであり、会うはずもなかった本に出会え、とてもよかった。

次回同種のイベントが開催されたらまた参戦しまーす!

 

 

選択肢がないのに〝よろしいでしょうか?〟 について考える

まずは読んでもらって〝よろしいでしょうか?〟

 

例えば、飲食店の店員さんが、

 

「出来上がりまでに、3~4分ほどかかりますがよろしいでしょうか?」

 

という場合がある。

 

「よろしくない」

 

と言ったところで結局、3~4分はかかるのだから

 

「出来上がりまでに、3~4分ほどかかりますがよろしいでしょうか?」

 

ではなく、

 

「出来上がりまでに、3~4分ほどかかりますのでお待ちください」

 

でいいのではないだろうか?

 

 

困った注文風景

 

店「出来上がりまでに、3~4分ほどかかりますがよろしいでしょうか?」

 

客「・・3~4分ねえ。そこをなんとか1~2分にはなりませんか?」

 

店「しかし、こちらといたしましても、通常4~5分かかるところを急いで3~4分でやってますんで」

 

客「そうだろうけど、こちらも急いでるんでなんとか2~3分で手を打っていただけないか?」

 

店「急いでいるのはわかりますが、7~8分かかる訳でもあるまいし、あくまで3~4分ほどかかりますがよろしいでしょうか?」

 

客「よろしくないんだよねえ、3~4分では時間がかかりすぎなんだよー」

 

店「先ほどから申します通り、通常4~5分かかるところを急いで3~4分でやってますんで」

 

客「こちらも急いでるんでねえ。なんとか曲げて2~3分でお願いしたい!」

 

と20~30分ほど押し問答しているケースがある。

 

(ありません)

 

お客に選択肢がないのであれば

 

なので、お客に選択肢がない場合は、

 

「よろしいでしょうか?」

 

ではなく

 

「のでお待ち下さい。」

 

で統一したほうがいいのではないか?

 

 

あなたも、このブログで唐突に私から

 

「統一した方がいいのではないか?」

 

と問われても

 

「統一しないでもらいたいと思ったところで、結局あんたは、統一したほうがいいと思っていて」

「私に選択肢はないのだから、〝統一したほうがいいのではないか?〟ではなく、〝統一したい〟と書けばいいのではないか?」

 

と思ったりして、書いている私自信、どんどん訳がわからなくなるのである。

 

 

 

 

やや混乱してきたので、改めて考えてみる

 

飲食店の店員さんに

 

「出来上がりまでに、3~4分ほどかかりますがよろしいでしょうか?」

 

と問われたならば、

 

「そこをなんとか2~3分で」

 

という選択肢は確かにないが、よく考えてみればシンプルに

 

「じゃあ、時間ないんでやめときます」

 

と答えて出ていくという選択肢がお客には有り

且つ、私が提唱した

 

「出来上がりまでに、3~4分ほどかかりますのでお待ちください!」

 

などと言うと喧嘩を売っているようにもなるので

 

「出来上がりまでに、3~4分ほどかかりますがよろしいでしょうか?」

 

で、全く問題ないことがわかりました。

 

今日は色々すみませんでした。

【カーソルが変で点滅!】 文字がどんどん消えてく現象と対処法

文字入力で厄介な現象

 

パソコンを使って文字を入力。

一通り書き終えたんで推敲しようと、気になる箇所を

 

〝Deliteキー〟

 

で消して、いざ書き直そうとすると、直していく尻から、カーソルがなんかピコピコ
必要な個所がドンドンドンドン消えていくことはないか?

 

「ない」

 

と言われると不都合なので

 

「ある」

 

とあなたが答えたことにして話を先に進めたい。

 

 

「あ!何か書きたいのかわかった!」

 

という人も、知らなかった頃に戻ってお楽しみください。

 

これまでの我流の対象法

 

さて、この問題、私の場合はメモ帳みたいなテキストエディターの類は大丈夫なんだが、
特に

Microsoft Officeの〝Word〟とか、

このブログ書いている〝WordPress〟で起こりがち。

 

私はこれまで、この現象が起こると、消してはならない箇所を
別の付箋とかにコピペして避難させておいて

 

『もう、どれだけ消えてもいいもんね』

 

と、書き直したのちに、改めて貼りなおしたり、
一旦、保存して、パソコンを起動し直して気を取り直して推敲したりしておった。

 

なんでこうなるの?!

 

つまり、この現象は〝Word〟とか〝WordPress〟だとかの一種のバグで、
これが起こったらもう、どうにもならぬものだと、対処方はあるのかもしれないが機械音痴の私には
これまたやっかいなことになりそうで迂闊に手は出せんぞと、思っていたのである。

 

 

 

※非常にわかりにくいが、これが通常の状態。日本海の字が日本回になっているので直そうとするが

 

 

 

※で、こういう風にカーソルがピコピコになって、正しい文字を入力すると、〝回〟だけが残って、逆に消したくない文字までが消えていく状態になる。

 

 

カーソルが変になりピコピコ状態

 

しかし、この、毎日毎日、アホなことだけを書き続けているこのブログを
ありがたいことに定期的に読んで下さる方たちがいる。

 

もしもその方たちが、このような現象に悩まされているならば、
私がこれの対処法を調べて公開することで、読者の皆様の悩み解消になるのなら、
一度、調べてみようと、思い立ったのだ。

 

で、調べてみると原因は、バグなどではなかった。また対処法もごく簡単だった。

 

カーソルが変になったときの原因と対処法

 

では、まずこの現象が起こるまでを時系列順に振り返ってみよう。

 

①文字を入力する。

②誤っていたり、不要な箇所が見つかる。

③消したい部分を、〝Deleteキー〟で消す。

④新たに、正しく書き始める。

 

問題の現象が起こるのは、④を始める時である。

カーソルがピコピコして、文字を書くたびに消えていくようになっている。

 

実は、③の段階で〝Deleteキー〟のすぐそばにある〝Insertキー〟を押しているのである。

それがこの現象の原因。

なので、犯人はバグではなく、そんなボタンを押した自分である。

 

 

 

 

だいたい〝Insertキー〟というものは、なんなのか?

 

通常、パソコンで文字を入力する際、私たちは

 

【挿入モード】

 

という文字を打てば、打つだけどんどん文字が挿入されるモードで使っているのであるが、
この、〝Insertキー〟を打つことで

 

【上書きモード】

 

という文字を打てば、打つだけどんどん文字を上書きしてしまい、
書いてあることをどんどん消していってしまうモードになる仕組みなのである。

 

では、変更されて【上書きモード】になってしまった状態を、
もともとの【挿入モード】に直すにはどうすればいいか?

 

まあみなさんお気づきの通り、〝Insertキー〟をもう一度、押せば良いのである。

 

この〝Insertキー〟を無効にする方法もあるそうだが、なんか必要になることも
ごく稀にあるそうだし、その時になって

 

『あれ?〝Insertキー〟有効にするにはどうすればいいんだっけ?』

 

と改めて調べなおすのも大変なんで、仮に【上書きモード】になってしまったら、シンプルに

 

『やれやれ、自分のタイピングもまだまだミスが多いな』

 

『はい、〝Insertキー〟を押そう』

 

『そういえば実家のみんなは元気だろうか?』

 

『たまには親孝行しなくちゃだな』

 

『今夜あたり電話してみよう』

 

と、ほんの一瞬、自分を振り返るための時間に充てることを、私はお勧めします。

 

(すればー?)

 

 

ザ・イエローモンキーのファンのみなさま、す、いませんでしたー!

イエローモンキーのJAM

 

 

イエローモンキーの代表曲である〝JAM〟の歌詞はこうである。

 

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 外国で飛行機が堕ちました

ニュースキャスターは嬉しそうに

「乗客に日本人はいませんでした」

「いませんでした」

「いませんでした」

 

 僕は何を思えばいいんだろう 僕は何て言えばいいんだろう

  (以下略)

 

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この歌を聞いて、私の友人は  

 

「あの歌、すいませんでした、すいませんでしたって変だよな」

 

 と言っていたが、 いや  

 

〝いませんでした〟   だから。  

 

〝すいませんでした〟   じゃないから。

 

すいませんでしたー!

すいませんでしたー!

すいませんでしたー! 

 

 って詫び続ける歌があったら、新しい気もするけど。  

 

歌詞をよくよく考えてみると

 

 この歌、私は好きなんだが、よく考えてみると

外国で飛行機が堕ちました

ニュースキャスターは嬉しそうに

「乗客に日本人はいませんでした」  

って

ニュースキャスターは別に、嬉しそうにしてはいないのではないか?

 

仮に嬉しそうにしてたとすると、満面の笑みで  

 

「乗客に日本人はいませんでしたー!」

 

「いませんでしたー!!」

 

「いませんでしたー!!!」

 

 って、もう  

「イェーイ!」

  とか

  「ちゃんらーん!!」

 

  と、林家こん平のように言わないと収まらない感じだよこれじゃ。  

 

 

 

 

 

 ※写真は、乗客に日本人がいなかったことを嬉しそうに伝えるニュースキャスター。  

 

もっとおかしな奴らがいるぞ!

 

 

歌詞の真意は、国境とか国籍とかが違えばとか、日本人でなければとか 命の尊さに違いがあるように感じてしまう報道の在り方みたいなのに苦言を呈していると思う。

 

  であれば、昔、阪神大震災直後、そこら中でガス爆発が連発している商店街で

「おー!また爆発しました!」  

 

と、はしゃいだようにに爆発した方へ走りながらレポートし  

 

「この家はどなたの家ですか?」

 

「今、どんな気持ちですか?」

 

 と聞いて回っていたフジテレビの笠井信輔アナ。

 

またはガレキの下敷きになって必死に助けを求める声をかき消すように ヘリコプターでブンブンブンブン撮影し、上空から煙の立ち上る街の姿を

 

 「まるで温泉街に来ているようです」

 

 とレポートしたキャスターの筑紫哲也。

 

 このような連中を揶揄するような歌詞にすればよかったのにと思う。  

 

まあ、そんな歌詞にしちゃ、そもそもテレビで放送されないなあ。

お尋ねします! あなたにふさわしい場所は?

ふさわしい場所

 

人や物にはそれぞれふさわしい場所があると思う。

どんなに輝いているものも、場所が変わるとくすんで見えることもあるし、
またはその逆もありえる。

例えばマツタケの香りがどんなにかぐわしくても、それが人間から発せられていたらとても

「いいにおい」

とは思っていられないし、はっきりいって気持ちが悪いだろう。

 

タレントにもこれは言える。

 

仕事で9ヶ月間青森県の五所川原市に住んでいたのだが、そこに大きな商業施設があり、
そこは月に一度有名人を招いてのイベントを行っていた。

私がたまたまその施設に立ち寄ったところ、U字工事の単独イベントが催されておった。

 

 

U字工事は、栃木訛りを駆使した、田舎者を全面的に押し出した漫才師なのだが、
当日のネタは、自らの出身県と、隣接する茨城県をくさしていくネタ。

 

「ぼくらですね、二人とも栃木県出身なんですけども」

「栃木県ってとこですね、茨城じゃないですよ?」

「よく間違われちゃうんですよ」

「冗談じゃねえんだから、頭くんだほんとに!」

「だいたい茨城弁は何をしゃべっているか訛っていてよくわがんねっぺ!」

 

などと言いながら栃木県民がいかに茨城を下に見ているかを語っていくのだが、
そのうち、一方が茨城出身者と結婚をしたいと言い出す。

 

「茨城出身者と結婚すると、周りから悪く言われるぞ」

 

「そのため、群馬に住まざるを得なくなる」

 

「群馬にはいいところがひとつもない」

 

などと諭され

 

「じゃあ埼玉に住むからいい」

 

と答えたところ、

 

「や、埼玉に住むとか夢みてぇなこといってんじゃねえぞ!」

 

という代表ネタがあるのだが、この日もそのネタを演っていた。
が、会場はシーーンとしている。

 

それはそうである。

 

ここは、日本一何を喋っているかわからないと言われる津軽弁の地域。
訛りのレベルの高さは泣く子も黙る五所川原である。

埼玉に住むとか夢みてぇなことをいってんじゃねえ土地なのだ。

 

つまり、U字工事の漫才は、大都市で演じてこそ輝くのである。

 

でも最近は辺境の地でも活躍してるぞ?

 

あれはU字工事ではなく、ディレクターが活躍しているのです。

 

 

読まずに感想文 本を読まずに書く方法!   

他人から借りる本は読みにくい

 

買った本なら読むのだが、借りた本は読まん。

理由は、そもそも自分で選択したものでなく、半ば押し付けられている本であり、

且つ、自分で買う本は、

 

『金を出して買ったんだし』

という気持ちが

『読み切らないと!』

という気持ちを沸き上がらせる為だろうと思う。

 

だから随分借りた本は読まずに返した。

 

その度、何食わぬ顔で

 

「面白かったよ」

 

などといいながら、内心

 

『深い内容の感想なんかを求められたらどうしよう』

とヒヤヒヤしていたりしていた。

 

で、実際、深い内容の感想を求められたりする。

そんな経験あなたにはありませんか?

 

「ないよ」

 

と言われると立つ瀬がないので

 

「あるよ」

 

ってことにしてください。

 

読まずに感想を言う方法

 

さて、その様な、行きがかり上、読んでもない本の感想を答えなければならなくなった状況を
切り抜ける方法がある。

それは、その本のタイトルを活用すること。

答えは、タイトルの中にある!

 

例えば数年前、宮部みゆきの

〝長い長い殺人〟

という本を借りて、読まずに返した時の事。

 

「どうだった?」

 

と持ち主に聞かれた私は

 

「いやぁ~長い殺人だったねえ」

 

と答えて事なきを得た。

 

別の機会に、岡本太郎の

 

〝自分の中に毒を持て〟

という本を借りて、読まずに返す時、持ち主に

 

「どうだった?」

 

と問われた私は

 

「う~む」

 

等と内容を思い出すふりをしながら

 

「やっぱり、自分の中には毒を持たないとね」

 

と訳知り顔で答え、事なきを得た。

 

そしてまたある時は、松尾スズキ氏の

 

〝大人失格〟

という本を借り、どうしても彼の文体に馴染めず、読まずに返す時、持ち主に感想を問われ、
困った私は

 

「なんだか、大人を失格って感じだよね」

 

と答え、事なきを得たのである。

皆様も、このような状況のときは、ぜひ、この技を使って欲しいと思う。

 

 

本を読まずに読書感想文を書こう!

 

と、ここまで書いて思い付いたのだが、つまり本というのは
タイトルに全て内容が折り込まれているのではないか?
速読術などと言って、分厚い本を数十秒で読み内容を把握する人達が稀にいるが、
あんな事をなくとも、タイトルさえ知っていれば、内容を熟読した人と同じ視線で
会話できるんではないか?

〝罪と罰〟

など私は読んだ事がない。

だが、感想を問われれば

「世の中ってのはさ、罪っていうのがあれば、罰っていうのがあるんだねぇ」

 

と答える事が出来る。

 

また、志村けんの

 

〝変なおじさん〟

 

という本があるが、読んだ事は無い。

 

だがしかし、感想を問われれば

 

「志村って、本当、変なおじさんだよね」

 

と答えておけば愛読者には、それなりに納得してもらえるだろう。

(志村けんの愛読者がいるのかは不明)

今後、読書感想文を書かなければならなくなった場合は、みなさんもこの要領で書きましょう。

 

責任は負いません。