【アーノルド坊やは人気者】エマニエル坊やじゃないぜ!

1970年代の生まれの人なら、〝アーノルド坊やは人気者〟ご存知ですよね?

 

え?知らない?

 

ほら黒人の、少年の、1980年代初頭に大活躍した!

 

などと言えばだいたいが

 

「あーあー」

 

「あの!」

 

と言うが、頭の中には

 

 

コレが思い浮かんでおり

 

 

 

私に対して

 

『この人、エマニエル坊やのことをアーノルド坊やっておぼえ間違いしてるのね』

 

『恥かかせちゃ申し訳ないから、適当に話あわせとこ』

 

と気を使って

 

「はいはい、アーノルド坊やね!アーノルド、アーノルド」

 

などと言う。

 

だいたい言う。

 

そんな風に勘違いしてもらっちゃ困る!

エマニエル坊やなんて、日本では、たかだかレコードが一枚売れただけの歌手でしょう?

 

私が言いたいのはシットコムのアーノルド坊やは人気者のことです!

 

これです。

 

※この作品、面白かったんだよー。

 

アーノルド坊やは人気者とは?

 

1978年~1986年までアメリカで制作され放送された30分のシットコムのTV番組。

 

物語の概要

 

主人公の黒人少年アーノルドは、母親が亡くなったことをきっかけにして、兄のウィリスと共に、母親が家政婦として務めていた白人の資産家ドラモンドの養子となってドラモンドの娘キンバリーと共に暮らすことになる。

このコメディは、ドラモンド家の中で起こるさまざまなエピソードを軸として、シリアスな人間模様をコメディー形式で描いている。

コメディでありながら、麻薬や人種差別問題などシリアスなテーマを取り上げていた。

 

アーノルドの決め台詞

 

「冗談顔だけにしろよ」

といって下唇を突き出す。

※「冗談、顔だけにしろよ」の時の顔。

 

ほのぼのして楽しい、家族そろって見られる番組で私はとても好きだった。

 

アーノルドの年齢

 

よく、アーノルドの話をすると

 

「あの人、当時50歳くらいだったんですよね?」

 

という人がいるか、誰と勘違いしているのかはわからんが、彼、ゲーリー・コールマンは1968年生まれで、番組開始当時は10歳であり、50歳なんでことはない。

先天性の肝臓障害成長不全から小人症であったらしい。

 

子供たちのその後

 

今回、この記事を書くにあたって調べてみると、番組放送後、アーノルド役のゲイリー・コールマン、実の兄のウィルス役のトッド・ブリッジス、義理の姉のキンバリー役のダナ・プラトーともども、まあとても若くして成功したのが災いしてそれぞれが薬物に溺れたり、暴力事件を起こしたり巻き込まれたりしてひどい目にあった模様。

 

キンバリーを演じたダナ・プラトーは、本作放送中の1984年に妊娠し、本作出演を中止・解雇。

同年結婚するも、酒や麻薬への依存の悪化もあり、離婚。
以降は女優としての仕事に恵まれず、経済的にも困窮、ポルノ映画へ出演するなどしていた。
1991年には強盗の容疑で逮捕、翌1992年には処方箋偽造の容疑で再度逮捕されている。

1999年に薬物自殺を図り、34歳で生涯を終えた。

 

若いうちから成功するとロクな男が寄ってこんというところか。

悲しいですな。

 

主人公アーノルドを演じたゲーリー・コールマンは、金銭トラブルによる自己破産。

親との金銭トラブルらしい。

その後、暴行等により繰り返し逮捕・起訴されるなどされる。

これも心無い自称ファンからけなされたりしたのが発端らしいが。

2007年、白人女性と結婚。

しかしながら2010年5月28日、脳内出血により米ユタ州プロボの病院で42歳で死去。

 

とのこと。

なんと嘆かわしい。

 

物語の正反対の結果になっており大変に悲しい。

合掌。

でも、兄役のトッド・ブリッジスは麻薬中毒から脱却し、今も生き延びている。

 

って、ここまで書いてAmazonでDVD買っちゃったよ。

【しみじみドリンキン】お酒のCM~なんだったんだアレ?~

歌いだすのさ舟唄を

 

阿久悠 作詞、浜圭介作曲、八代亜紀の歌う〝舟唄〟の歌詞は、こうくる。

 

お酒はぬるめの 燗がいい

肴はあぶった イカでいい

女は無口な ひとがいい

灯りはぼんやり 灯りゃいい

しみじみ飲めば しみじみと

想い出だけが 行き過ぎる

涙がポロリと こぼれたら

歌いだすのさ 舟唄を

 

さすが阿久悠である。
グッとくる。

 

が、この歌を我々世代は素直に聴けない。

我々世代はどーしても、

 

♪しみじみ~飲めば~しみじみと~

 

のサビの導入部を聴くと

 

♪しみじみ~ドリンキン、シミジミリィ~ィ~ィ~

 

と条件反射で心の中で歌ってしまうという困った病を持った世代なのである。

 

往年のしみじみドリンキン

 

♪しみじみ~ドリンキン、シミジミリィ~ィ~ィ~

 

とは何か?

 

かつて我々世代が小学生の頃、お酒のCMでこの舟唄の英語バージョンが頻繁に流れており、脳内にそれを刷り込まれてしまったのである。

そのため、名曲、舟唄を素直に聴けなくなったのだ。

 

なんだったんだアノ曲?

 

記憶では、外国人の男性が歌っていた気がする。

子供心にも

 

『いくらなんでも、しみじみドリンキンってことはねえだろ?』

 

と大いにツッコミをいれたものだ。

そこはどうしても[しみじみ]でなければならんかったのか?

 

と、しみじみの英訳を調べてみると、[keenly]と書いてキンリィーと発音するそうで、だったら

 

『キンリィードリンキン』

 

とかでいいのではないかと思う。

 

が、[keenly]を和訳してみると、鋭くとか、激しくとか、熱心にといった意味らしく、[しみじみ]とは少し違う気がする。

なので、かの舟唄 英語バージョンの訳詞者は仕方なく、しみじみドリンキンとしたのであろうか?

 

というか、果たしてあの歌、なんだったんだろう?

 

で、調べてみました。

 

A boatman’s song

 

タイトルは、ずばり A Boatman’s Song

ボートマンズソングって!

 

で、冒頭の歌詞はこうくる

 

Sake a little warm is the best

sakana a toasted squid is fire

 

って、[しみじみ]に限らず、酒とか肴も日本語のままである。

その後は

 

Ladies,the quiet type is the best

Lights softly burnig would be fire

Shimijimi drinking,shimijimily

Only memories go on by

 

と、こうなっておる。

 

で、元の阿久悠の作詞の二番以降は歌詞は

 

♪しみじみ飲めば、しみじみと

 

ではなく

 

♪ほろほろ飲めば ほろほろと~

♪ぽつぽつ飲めば ぽつぽつと~

 

であり、かのBOATMAN’S SONGでもやはり

 

♪ほろほろドリンキン ホロホロリー

♪ぽつぽつドリンキン ポツポツリー

と訳しておった。

 

歌っているのは誰だ?

 

私はこれまで外国人男性が、舟唄に心を打たれ、リスペクトのあまり

 

「どうしても英語で歌いたい!」

 

と英語バージョンをリリース。

 

広告代理店の目に留まりCMに起用されたものとばかり思い込んでおったが、調べていくと、あなたが勘づき始めた通り、

 

「リスペクトどころか、ほとんどなめてんだろう?」

 

と言う感じである。

 

で、歌っているのはなんと日本人!

というか梶原しげる!

 

 

なにー?

 

当時、ラジオ局のアナウンサーであった氏が、

 

「英語演歌家元」

 

と称して出した企画物の歌らしい。

 

 

で、CMは宝酒造の「宝正宗」CMソングであったとのこと。

 

だったらもっとおちゃらけた感じのCMにしろよ。

かっこいい感じのCMだったから、お笑いソングだなんて気が付かなかったよ、まったく。

【昭和49年生まれ】 最近見かけなくなったもの②

赤いクリームソーダ

 

 

未だ根強い人気のクリームソーダに赤いのがあったことを知っていますか?

 

「クリームソーダって緑じゃないの?」

 

と思う若手が多いときくが、その昔、喫茶店でクリームソーダを注文するとき赤と緑で選べたものである。

緑はお馴染みのメロンソーダで、赤はいちご味だったような?

 

なんでわかんないかというと、子供ながらに

 

「男は緑でしょ」

 

「赤は女でしょ」

 

と思い込み、自分では頼んだことがないからである。

 

 

コンビニの白飯のみ弁当

 

いわゆるサトウのご飯とかのパックご飯ではない。

 

もう炊いてある、コンビニ弁当にはいっている白米のみが昔のコンビニには必ず売っていた。

 

今となっては、それこそパックご飯で十分んだが、当時、私はこれを結構買ったのである。

私と同じように電子レンジを持っておらず、パックご飯をコンビニのレンジであっためてもらうことに抵抗のある者にとってはありがたい商品だったのである。

 

電子レンジの普及率増加に伴い姿を消したと思われる。

 

高校時代、友人が勤めるコンビニの廃棄をもらいに行き

 

「今日、これしかないよ」

 

などとこの白米を手渡されたときは

 

「ふざけるんじゃねえ!」

 

とただで貰っておきながら、非常に憤ったことは苦い経験である。

 

 

 

後ろ髪だけが長い少年

 

今から25年前がピークであり、その後、徐々に減少。
遂には姿を完全に消した。

嬉しい。

当時、後ろ髪だけが長い少年を見ると、その親のセンスを疑い、親の見ていない隙をみて、その後ろ髪を引っ張りまわしてやりたくなるという、自分の闇の部分が露呈されたからである。

 

何を目指して当時の親は、自分の息子をあの髪型にしたのだろう?

 

そういえば当時のプロレスラーも後ろ髪だけ長いのがいたのでその影響か?

何に憧れているのやら。

 

 

炎達(ファイヤーズ)

 

とか書いたものの、ググっても大した資料がみつからん!

しまった!

と思うが、仕方がないので記憶を頼りに偏見多めで紹介します。

万が一、炎達すきなひとがいたらすいません。

 

【炎達】

と書いて、

【ファイヤーズ】

である。

 

1990年代初頭に存在した、現在は役者として活躍中の的場浩司率いるロックバンド。

 

「へえ、1990年くらいって、炎達(ファイヤーズ)とかって名前がかっこよかったのか~」

 

などと思ってもらっては困る。

当時から、まずはネーミングだけで我々バンド少年から完全に無視されるバンドであった。

 

おそらく的場自らが結成したのではなく、レコード会社とか事務所だとかが当時のバンドブームに便乗して作られたモンキーズ的な経緯で誕生したバンドと思われる。

 

いや、自ら結成したのかもしれんが、そこ含め資料が無いので申し訳ない。

 

しかしこの、炎達のネーミングは的場自らが名付け、的場的にどストライクであったものと推測される。

楽曲、YouTubeで聞いてみる。歌が下手である。

 

我々世代は的場浩司が役者として芝居なんかをしているのを見ると

 

「炎達のくせに」

 

と思ってしまう悪い癖がついているのである。

 

炎達。。。。見かけなくなって本当に良かった。

VR版アメリカ横断ウルトラクイズ! ウルトラクイズに出場だ! 

ニューヨークへ行きたいか!?

 

「ニューヨークへ行きたいか!?」  

 

と大声で言われると、心の深い部分から

 

 「おー!」

 

 

  と、万感の思いで叫んでしまうのが昭和49年男である。

 

  しかしこの掛け声は、トメさんこと、福留功男氏にやってもらわねば意味がない。

 

  福沢なんかに  

 

「ニューヨークへ行きたいか!?」

 

  なんて言われたって

 

  「は?」

 

  「金くれれば行くけど?」

 

という感じである。

 

  っていうかアメリカ横断ウルトラクイズって知ってますよね?

 

  最近、二十代前半の映画好き、アニメ好き女子数人にカリオストロの城の話をしたら

 

  「なんですかそれ?」

 

  って言われてジェネレーションギャップに驚いています。

 

  昭和49年男からすれば

 

  「カリオストロも観てないで、何のアニメを観てきたのか」

 

  という感じですが。  

 

ということで一応、ウルトラクイズ説明します。

   

アメリカ横断ウルトラクイズとは?

 

 このアメリカ横断ウルトラクイズとは、日本テレビで 1977年から1992年(1998年に一度だけ復活)まで放送されていた視聴者参加型、ドキュメント風クイズ番組。

 

一年に一回、毎年秋にスペシャル番組として毎週木曜日のゴールデンタイムに二時間番組を四週間に渡って放送。

 

  日本各地から東京都千代田区の後楽園球場(現、東京ドーム真横) に集まった一般人たち(1万人~2万人程度)が 「知力、体力、時の運」 を合言葉に、

日本→グアム→ハワイ→アメリカ本土と移動しながらチェックポイントと呼ばれる各地で、 その土地に合ったクイズを行い、勝ち抜ければ次のチェックポイントに進み、

敗れると現地で厳しい罰ゲームを受けた後、日本へ強制送還。

 

述べ1,000問以上に及ぶクイズに挑戦し、広大なアメリカ大陸を横断しながらニューヨークを目指すという番組。

 

  で、この番組冒頭で、後楽園球場に集まった挑戦者たちに対して、マスター・オブ・セレモニーである 福留功男氏が叫んでいたのが、冒頭に書いた

 

  「ニューヨークへ行きたいか!?」

 

  なのである。

 

 で、この説明を読んでいるだけでワクワクしてくるのも昭和49年男のサガである。

 

 しかしこの番組、旅の期間は一か月にも及ぶため、誰でも彼でも挑戦できるわけではなく、 挑戦資格は、18歳以上(高校生不可)であった。

 

そのため、我々は幼少の頃から  

 

「18歳になったらアメリカ横断ウルトラクイズに出る!」

 

 「せめてグアムまでは行く!」 

 

と強く思っていたのである。

 

当時出場されてい挑戦者に、毎年必ず   「この人を応援する!」   というヒーローみたいな人がいて観ている方も感情移入しまくりしだったのである。  

ウルトラクイズ終了

 

そんな中、体力の衰えを理由としMCのトメさんが、1990年の回をもって番組勇退。

 

1991年からは後続の福沢朗(あのジャストミートとかいうバカ)が引き継いだが、 ウルトラクイズ=福留功男ショー的要素が強かっただけに番組の人気はダダ下がり。

 

且つ、バブル崩壊も相まって1992年、惜しまれながら番組は終了したのである。

 

 さて、この番組終了の1992年当時は、私はじめ昭和49年男は18歳だが高校生であり

 

「あと一年番組を続けてくれたらー!!」  

 

と、地団駄を踏んだ世代なのである。

 

と、1974年生まれが大きく頷いている姿が私には見える。  

まさかのウルトラ復活

 

しかし、1998年、番組が一度だけ復活。

MCもまさかの福留功男氏。

   私は当時24際。

 

会場である東京ドームのある東京に住んでいたのであるが、  「それどころじゃねーわ」と、なんだか情熱もさめてしまっており不参加。

 

 で、今頃になって   「アメリカ横断ウルトラクイズ出たいなー」   と思っても、文字通り後の祭り。

どうすることもできない。  

PS2版ウルトラクイズ

 

 

が、なんとか出たいと、ウルトラクイズのTVゲームが出ているのを知り、 Amazonで中古のプレステ2を買い、やってみたが全くつまらん。    

自己流のウルトラ出場

 

「なんとかならんか?」

 

 と思っていたら、ここ最近、YouTubeでウルトラクイズの動画をUPしている人がおり、 挑戦しているつもりでそれを観ることにした。

 

自作 VR版、アメリカ横断ウルトラクイズである。

あなたもぜひやってみてほしい。

  これを楽しむには、まず精神統一が大切です。

 

『俺は今、後楽園ホールにやってきている』

『はじめて福留功男にお目にかかる』

 

 と真剣に思おう。  

 

第一問が発表される。 自由の女神100周年である1986年(昭和49年男は小学校6年)開催の第十回の第一問は

 

 「ニューヨークの自由の女神、100年前除幕式の幕は  フランス国旗であった」

 

「〇か×か?」

 

 もちろん、ネットで答えを調べたりしてはいけない。 この要領でチャレンジしてみましょう!  

私の結果

 

 

 どっちだー?

 

と考えて結論を出す。

 

 オープニングセレモニーが終わり、正解が発表される。

 

  なんと私は、正解。

 

  思わず 「おー!」   と、布団に寝転がりながら、スマホ片手に大声を出してしまい、自分で驚いた。

 

 が、第二問であっさり不正解。

私の積年の思いは一瞬にして敗れ去ったのであるが、  

 

「いや、これはクリアしたとして」

 

  とあくまで自分に甘いVR版アメリカ横断ウルトラクイズは、見事モニュメントバレーまで到達したのである。

 

  42歳にしては子供っぽいって?   42歳ってこんなもんよ?

【めっきりご無沙汰】 最近みかけなくなったもの【ピンクトントン】

最近みかけなくなったものが多々ある。

 

TV番組でのタイトルコール

 

その昔は何かというと、司会進行が

「せ~の」

といって、全員で

「笑ってる場合ですよ!」

とか、司会が

「夕焼け!」

といって

「ニャンニャーン!!」

などと怒鳴る番組が多かったが最近はほとんど見かけない。

そういうのは笑っていいともが最後だったのではないか。

 

1986年頃、小学生版たけし城のような番組があり、司会進行の加藤茶さんが

「史上最大の!」

と怒鳴ると、参加者の小学生達が

「作戦~!」

というのもあったのだが、同年代の人にいっても全く共感が得られない。

というか俺も記憶があまりない。

 

他にも

 

浜ちゃんが

 

「ダウンタウンのー!」

 

客席一同

 

「てん、てん、てーん!」

 

とか言ってたんだけどな。

 

絶滅したTVのジャンル

 

TV番組でいえば、子供向けのTVゲームの番組も見かけなくなった。

昔は渡辺徹司会

〝スーパーマリオ倶楽部〟

だとか

司会の長江健次が完全に死んだ魚の目をしながら、抑揚のないトーンで

「はい次のゲームは、〇〇デス」

と言って手にしたマイクを机に放るようにしていたのが多数の小学生視聴者に対してトラウマを生じさせた

〝ファミっ子大集合〟

などというものもあった。

 

桃色豚豚

 

最近見かけなくなったといえば桃色豚豚(ピンクトントン)

君は桃色豚豚(ピンクトントン)を知っているか?!

 

 

 

実をいうと俺もあんまり知らない。

調べだところ桃色豚豚(ピンクトントン)とは、全日本女子プロレスのレスラー、ダンプ松本がそれまでの悪役キャラを捨て、タレントとしての再出発。

同じく全日本女子プロレスの大森ゆかりと組んだユニットである。

 

出したCDは「赤いウィンナー逃げた」というものである。

ってこれ、最近みかけなくなったものじゃなくて、当時からすぐに見かけなくなったものであり、誰も興味もなく、書いてる俺でさえ興味がないという。

 

このあたり、当ブログが押し進む、誰の役にも、誰のためもならない路線に磨きがかかっていて悪くないと思うことにしようこうなったら。