【熱狂!FMW】涙のカリスマ、大仁田厚との思い出③

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イベント終了

全試合が終了したし、はぐれた友達とも会えたし、帰ろうかと思っていると、従妹の姉ちゃんが私を見つけ

「大仁田と写真撮りたい?」

と言う。

聞けば、従妹の姉ちゃんのツテでバックステージに入れるという。

そんなもん、撮りたいに決まっているので控室に連れてってもらうことになった。

控室へ行こう!

ドキドキしながら階段を駆け上がる。

本当に大仁田と会えるのか?

大仁田と何か話せるのか?

一番のファンである涙のカリスマ、大仁田厚と会う。

リングサイドでなく、楽屋裏で会う。

大勢の中から顔面に水をぶっかけられるといった特殊な状況ではなく、きちんと会う。

大丈夫か、俺よ。

と、思いながら体育館の控室という、だだっぴろい部屋につく。
まず、ダミアンが居て驚いた。

奥には大仁田がいる。

私と同じようにツテでやってきた数人が短い行列を作っている。

大仁田はその行列に並んでいる者達と次々に写真を撮っている。

大仁田といえば、ファイヤー!の時代

大仁田といえば、

「ファイヤー!」

である。

大仁田はカメラ目線で指をさし、事あるごとに

「ファイヤー!」

と絶叫していた。

ちょっと前までブラックマヨネーズの小杉が

「ヒーハー!」

とよく言っていたがあの要領で、大仁田は

「ファイヤー!」

と絶叫していたのである。

当時は何も感じなかったが、何がファイヤーだったのだろう?

私の番が来た!

で、何がいいたいかと言うと、大仁田はこのファンとの写真撮影の際、シャッターがきられるたびに、疲れていたのだろう小さい声で

「はい、ファイヤァ」

「はい、ファイヤァ」

と嫌そうに気怠そうに言っていて

『あ、なんかやっぱちょっと怖いかも』

と思ったものである。

で、撮ってもらった写真がこちらである。

よく見ると大仁田と私たちは、別のカメラを見ているのが笑えるが、大仁田も疲れていながら割と笑顔で撮ってくれていることに気が付く。

当記事の冒頭でフロンティア・マーシャルアーツ・レスリング、略してFMWをご存知だろうか?

「ご存知だろうか?」

などと書いた私だが、実のところ、FMWに関してはせいぜい1994年くらいまでしか知らないので困ったものである。
高校卒業と共に熱も冷めまったく興味がなくなってしまった。

催眠が解けたのだろう。

だがしかし、調べてみれば2002年に幕を閉じたFMWも、1994ぐらいか一番良かった時代であり、それ以降は知らない方が良かったような事実ばかりであり、1994年でFMWの思い出が止まっている私は、幸せなFMWファンと言えるかもしれない。

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つりばんど 岡村

「健やかなるときも、病めるときもアホなことだけを書くことを誓いますか?」 はい、誓います。 1974年生まれ。愛知県出身、紆余曲折の末、新潟県在住。 詳細プロフィールはこちら

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